Aさんという女性が中学生の頃に体験した話。
Aさんのクラスには、Bくんという人気者の男の子がいた。Bくんは運動が得意で、スポーツ推薦で進学先が決まっていた。
ある日、Bくんはドッキリを仕掛けることになった。奥手の女の子に愛の告白をするというものだ。運悪く標的に選ばれたのはAさんだった。Aさんに過失があったわけではない。その場の勢いで決まってしまったらしい。
その日は金曜日だった。Aさんは恋愛には疎く、Bくんからの嘘の告白を聞いて舞い上がってしまった。Bくんに明日に返事を聞かせてほしいと伝えられ、浮かれた気分のまま帰宅した。ドキドキしてあまり眠れないまま夜を過ごし、翌日の土曜日。授業を終えた後、Bくんに告白の返事をした。その瞬間、隠れていたBくんの友人たちが飛び出して、ネタばらしを始めた。AさんはBくんたちと一緒になって笑おうとしたが、上手く笑えなかった。それどころか、涙が溢れてきた。泣き笑いの表情のまま、Aさんは教室を飛び出した。
その日は雨が降っていた。Aさんは学校を出て、傘も差さずに帰り道を走った。そのうちに足が止まり、ついにはしゃがみ込んでしまった。涙と雨でずぶ濡れになっているところを、Aさんの友人たちが駆け寄ってきた。友人たちは事情を知って憤慨し、どこかへ走り去ったAさんを探していたのである。友人たちはAさんを慰めながら家まで送り届けてくれた。
休みが明けて月曜日、Aさんは重い体を引きずるようにして登校した。びしょ濡れになったせいで、風邪を引いてしまったのである。 担任の先生は明らかに体調が悪そうなAさんを心配し、保健室で熱を下げてから帰宅するように指示を出した。保健委員の生徒がAさんを保健室まで送り届けた。
保健室には養護教諭の先生がいた。先生はAさんに解熱剤を飲ませ、ベッドに寝かせた。先生はカウンセリングも担当していたためか、ドッキリがあってAさんが酷く傷ついたことも把握していた。Aさんは高熱に苛まれながら、ベッドの上で譫言を言った。
「先生、キティちゃんって本当につらいですよね」
「先生、ドラえもんっていつも宙に浮いていて大変ですよね」
訳の分からないことを言ったが、先生は「そうね、そうね」と優しく返事をした。 Aさんが譫言を言い、先生は優しく返答する。そんなことを繰り返しているうちに、Aさんは自分が何を言っているのか分からなくなってしまった。何を言っても先生が頷いてくれたことしか覚えていなかった。 ひたすらに先生に話しかけて、先生はただただ肯定する。そんな時間が続いた。
あるとき、不意に廊下が騒がしくなった。先生も「ちょっとごめんね」と断ってから保健室を出ていった。Aさんはその後も無人の保健室の中で譫言を呟いていたが、そのうちに眠ってしまった。
しばらくして目を覚ました。保健室の中にはまだ先生はいなかった。微熱は残っていたものの、体調がある程度は回復したため、家に帰ることにした。帰宅の準備を進めていると、保健の先生が帰ってきた。先生はAさんに体調はどうか聞いてきたが、慌しげで心ここにあらずといった様子だった。Aさんはまだぼんやりとしていたため、先生の様子を気に留めなかった。Aさんは熱が下がったため帰ると伝え、保健室を出た。学校の中は騒然としていたが、Aさんは夢か現かも分からないような心地で学校を後にした。
帰宅後、Aさんはもう一度ひと眠りし、夜には平熱になっていた。これで明日も学校に行けると思っていると、Aさんの友人から電話がかかってきた。友人に体調が完全に回復したことを伝えると、友人はあまり聞きたくない名前を口にした。
「知ってる? Bくん、大変なことになっていたんだよ」
聞いてみると、体育の授業で大事件が起きていたことが分かった。体育の授業は学校の周りを走るというもので、Bくんは友人たちと一緒に走っていた。ふざけながら走っていたものだから、Bくんは何かの弾みで転んでしまった。転んだ先は竹林で、切断されて先が尖った竹があった。不運なことに、Bくんは竹で脚を切ってしまい、重傷を負った。動脈は避けていたため、大量に出血したものの、命に関わる怪我にはならなかった。ただ、その怪我が原因で激しい運動ができなくなり、スポーツ推薦は取り消されてしまった。
Aさんは事件を知り、さすがにBくんを哀れに思った。ただ、わざわざ慰めの言葉をかける気にはならなかった。
それから時が経ち、Aさんが大学生になった頃のこと。Aさんは街中で偶然に保健の先生に出会った。久方ぶりの出会いを喜び、二人は喫茶店に入った。話題は自然とBくんの怪我の話に移った。
「あのときはびっくりしたね」
「そうですね」
Aさんもドッキリの件は流石にもう気にしていなかった。今となっては単なる思い出である。
「あのときは怖かったよ」
「えっと、竹が危険、って話ですかね」
保健の先生は声を潜めた。
「もう、ずっと誰にも話さなかったから、言ってもいいと思うのだけどね……」
Aさんが保健室のベッドの上で譫言を言っていたときのことだ。Aさんは取り留めもない話を延々と続けて、先生は肯定的な返事を繰り返した。ただ、あるときを境に、Aさんは竹の話ばかりし始めた。
「先生、竹って尖っている部分があるから危ないですよね」
「先生、竹って尖っている部分があるから危ないですよね」
「先生、竹って尖っている部分があるから危ないですよね」
……
保健の先生は話を続けた。
「なんでこんなに竹に拘っているんだろうと思っていたら、あの事件が起きてね。先生、怖かったよ。でも、誰にも言っちゃいけないと思って、今まで話さなかったんだ」
Aさんも心底恐ろしく思った。同時に、誰にも話さないでいてくれた先生に感謝した。