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2019年8月19日月曜日
「ニューメーカー事件」、フランネルの子宮の中で
2000年4月18日、アメリカ合衆国コロラド州エバーグリーンで奇妙な事件が発生した。反応性愛着障害の「治療」中に10歳の少女の呼吸が停止。翌朝には死亡が確認された。私はこの件について専門的な見地から意見する立場にない。その治療法が有効だったのかどうかは分からない。私に言えるのは、それが危険な代物だったということだけである。

キャンディス (Candace) が産まれたのは1989年11月19日のことである。当時のフルネームはキャンディス・ティアラ・エルモア (Candace Tiara Elmore)。母親のアンジェラ・マリア (通称アンジー、Angela "Angie" Maria) はティーンエイジャー、6歳年上の父親トッド・エヴァン (Todd Evan) は軽犯罪を繰り返してきた粗暴な男。ノースカロライナ州で暮らす夫婦の生活はお世辞にも順調とは言えなかった。職は安定せず、住所も頻繁に変わった。アパートで暮らすこともあれば、トレーラーの中で眠る夜もあった。結婚指輪を質に入れたことや、夫が妻に暴行を加えたとして刑事事件になりかけたこともあるという。祖母のメアリー・クレンデニン (Mary Clendenin) は未就学児のときに両親が離婚し、里親の元で子供時代を過ごした。16歳で結婚し、アンジェラを含む2人の子供を産んだが、結婚生活はすぐに破綻した。アンジェラは社会福祉事業の元を預けられ、里親やグループホームを転々とし、情緒不安定な子供時代を過ごした。少なくとも3代にわたって不安定な生活が続いたことになる。
「キャンディス」という名前はテレビで見かけた美しい名前からとったものである。ミドルネーム「ティアラ」は祖母メアリーの夫デイヴィッド・デイヴィス (David Davis) が選んだものだった。デイヴィッドはキャンディスとは血の繋がりがなかったが、名前の通りに大事に思っていたようだ。アンジェラはキャンディスを妊娠中に、クラシック音楽を聞かせるなどの胎教を行ったという。家族にとっては宝石のような娘だったようだが、生い立ちも生活環境も良好とは言えなかった彼女たちの生活はやがて破局を迎えた。当局は夫婦を親として不適格であると見なし、夫婦の子供たちは里親に出されることになった。こうして、キャンディスも里親を転々とする生活を送ることになったという。
1996年6月、当時5歳のキャンディスには「キャンディス・エリザベス・ニューメーカー」(Candace Elizabeth Newmaker) という新たな名前が与えられた。キャンディスを養子として引き取ったのはジーン・エリザベス・ニューメーカー (Jeane Elizabeth Newmaker) という名のダラムに住む42歳の未婚の看護師だった。ジーン・ニューメーカーはペンシルバニア州ウォーレンにルーツがあった。その祖父フロイド・ヘンリー・ニューメーカー (Floyd Henry Newmaker) は家具の事業で成功を収めた。ジーンはウォーレン高校では学生委員会などに参加する忙しい日々を過ごし、1971年に卒業した。そして、1975年にニューヨークにあるロチェスター大学を卒業し、バージニア大学では看護学を専攻して1980年に修士課程を修了した。ジーンはキャンディスに安定した暮らしをさせてあげるつもりだったという。2階建ての煉瓦造りの立派な家での生活。キャンディスが家に来た日、ジーンは2ヶ月の休暇を取った。一見して、以前と比べものにならないほど良い環境に見えた。しかし、結局それも破局を迎えることになる。
ジーンによれば、キャンディスには精神上の問題があったという。ひどく怒りっぽく、自宅で火事を起こそうとしたり、家財を意図的に破損させたり、子供に性的暴行を加えたことさえあったという話である。ただ、キャンディスのことを知る近隣住民や教師たちはそこまで悪い印象を抱いていなかったらしい。とはいえ、人間というものは誰にも同じ顔、同じ声色で対応するわけではない。家庭と外で態度がまるで違うということはあり得る。キャンディスが実際はどのような人物だったのかは今となっては確認のしようがないが、少なくとも、ジーンが医師や専門家にキャンディスを診せたり、精神に作用する薬物で治療を試みたりしたことは確かである。どれも良い効果は出なかったようだ。
ジーンは最終的に「反応性愛着障害」(Reactive Attachment Disorder: RAD) という言葉に辿り着く。ジーンはノースカロライナ州で開かれた愛着障害に関するワークショップに参加し、反応性愛着障害の症状がキャンディスの行動とよく似ていると考えた。ジーンはインターネットでさらに調査を進め、ATTACh (Association for the Treatment and Training in the Attachment of Children) という団体の存在を知った。1999年、ジーンはバージニア州アレクサンドリアで開催されたATTAChのカンファレンスに参加し、ビル・ゴーブル (Bill Goble) というセラピストに面会した。ゴーブルはキャンディスを直接診察したわけではないが、ジーンの話から極めて重度の反応性愛着障害であると判断し、コロラド州エバーグリーンのコーネル・ワトキンス (Connell Watkins) を紹介した。ワトキンスは免許があったわけではないがセラピストとして活躍していた。フォスター・クライン (Foster Cline) 医師の教えを受けていた。
クライン医師の理論によると、愛着障害は幼少期に問題の源泉があり、幼少期に逆行させることで愛着障害を治療できるという。この理論を奉じたセラピストたちは、子供を拘束し、服従を強いることで、自身を支配できる存在を認識させ、そして、その存在の元にいれば安心できることを理解させるように「治療」を行っていったらしい。

2000年1月20日、ジーンはワトキンスと契約を結び、7千ドルを対価に2週間の「治療」をキャンディスに受けさせることにした。ワトキンスのセラピーは、助手が控えた仮住まいのサービス付きという魅力があったという。治療中のキャンディスはいつも以上に怒りっぽくなるだろう。2人きりでホテルに泊まるよりも、ワトキンスの助手と一緒の生活の方が安心できた。この治療が終われば、キャンディスはジーンを愛してくれるようになるはずだった。こうして、4月10日にセラピーが開始された。最悪の結末を迎えるとも知らずに。
セラピーには2人の助手が参加した。ワトキンスの事務所のマネージャーであるブライタ・セントクレア (Brita St. Clair) は薬の処方と母子のもてなしを担当した。その婚約者のジャック・マクダニエル (Jack McDaniel) は治療の訓練を受けていない高卒の素人だったが、キャンディスについての報告書を書く仕事で700ドルで雇われた。また、セラピーを開始した日には、開業医であり、エバーグリーンのアタッチメントセンター (The Attachment Center) でも仕事をしていたジョン・オールストン (John Alston) 医師もキャンディスと面会していた。
後に大問題に発展する治療法の前に、与圧 (compression) セラピーなるものも実施されたらしい。キャンディスをシートでくるみ (ただし、頭までは覆わない)、両脇にクッションを設置。その後、ジーンがクッションを支えにして、キャンディスの上に乗る。上から見れば十字型になる。そんな行為を続けた後、ジーンを椅子に座らせ、キャンディスをジーンの元まではいはいさせる。ジーンはキャンディスを赤子のように抱いて、食物を食べさせる。
そして、運命の4月18日。時間はそろそろ午前10時になるという頃。キャンディスは前夜、幼い自分を産みの母が2階の窓から落として殺す夢を見たという。セラピストのジュリー・ポンダー (Julie Ponder) はキャンディスに、赤ん坊になりきって泣きながら母親の「子宮」から出てくるように指示した。青いフランネルのシートにキャンディスを横たわらせ、胎児のような姿勢にさせると、シートでくるみ、キャンディスの頭上の方で端をより合わせた。そして、その上に枕を置いた。フランネルのシートを「子宮」に見立て、キャンディスをそこから「再誕生」(rebirthing) させようという趣旨である。大人たちはキャンディスを周囲から圧迫してキャンディスの邪魔をし、狭くて苦しい子宮の中を再現する。ジーンはキャンディスの頭の方に位置取り、キャンディスの再誕を待つ。どういうわけか、セントクレアの養子である車椅子のタミー (Tammy) もセラピーに居合わせたらしい。タミーは精神や身体に障害があった。
こうして準備を整えた後、ワトキンス、ポンダー、セントクレア、マクダニエルの4人はキャンディスの圧迫を開始した。キャンディスの体重は70ポンド (32キログラム弱)、4人の成人の体重は合計で673ポンド (305キログラム強)。堪らずキャンディスは死にそうだ、息ができないと訴えたが、4人は構わずに圧迫を続け、ときには寄りかかるようにしてさらに体重をかけた。ジーンはキャンディスの再誕を楽しみに待っているというようなことを言うばかりであった。「治療」を始めて20分頃、キャンディスはシートの中で嘔吐した。しかし、胎児が子宮内で吐瀉物に塗れようとも4人の大人たちは構わず圧迫し続けた。40分後にはキャンディスは完全に沈黙した。ポンダーは"quitter" (「意気地無し」、「臆病者」などの意) などと罵倒した。しかし、いくら蔑んでも、声をかけても、胎児は全く反応しなかった。
そのうちに、ワトキンスとポンダーは様子がおかしいことに気が付いた。2人はジーン、さらには助手のセントクレアとマクダニエル (ついでにタミーも) を退出させた。4人を体よく追い払った後、ワトキンスとポンダーはキャンディスがいるシートを広げ、その様子を確認した。キャンディスは青ざめて、身動き一つしなかった。ジーンは別室でモニターを通じて部屋の様子を見ていたが、事態の深刻さを理解して愛娘の元へ駆け込んだ。ジーンとポンダーは心肺蘇生を始めたが、全ては後の祭りだった。翌朝9時にキャンディスの脳死が宣告された。死因は脳幹ヘルニアおよび脳浮腫。圧迫され、そして、窒息した。ただ、それだけの結末だった。「治療」の際、セラピストたちは「再誕生」しなければ「子宮」の中で死ぬだけだとキャンディスを脅したが、まさにその通りの結果に終わったのである。
裁判の際には「治療」の様子が上映された。治療の様子を顧客に見せることがしばしばあったため、セラピストたちは治療の模様を撮影していたのである。ワトキンスとポンダーのセラピスト2人には16年の懲役判決が下された。2008年6月6日、ワトキンスは同種のコンサルタントやカウンセリングを行う職に就かないなどの制限を条件に釈放された。コロラド州ではこの類の治療法を禁止するCandace's Law (キャンディス法) と呼ばれる法律が制定されたという。
「再誕生療法」という言葉でウェブ検索すると、我々の治療法は今回の事件で行われた治療法とはまるで異なるものですと説明する日本語のウェブページが出てくる。現在もこの事件はこの手の分野に暗い影を落としているようだ。なお、本ページで紹介した事件の内容は、ニュースによる伝聞を拙い翻訳で日本語化したものであるため、実際にあった事件とは異なる部分がある可能性を否定できない。ご了承いただきたい。
参考文献
- Crowder, Carla; Lowe, Peggy (2000年10月29日). Her name was Candace. Rocky Mountain News. 2019年6月22日閲覧.
- Gillan, Audrey (2001年6月20日). Controversial therapy that killed. The Guardian. 2019年7月8日閲覧.
- Excerpts from video of the 'birth' and death of Candace. Rocky Mountain News. 2001年4月6日. 2019年8月18日閲覧.
- Nicholson, Kieran (2008年8月1日). Therapist in ‘rebirthing’ death leaves prison. The Denver Post. 2019年8月18日閲覧.
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