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2020年5月24日日曜日

意外な証拠──1986年ワシントン州、鎮静薬へのシアン化物混入

 、アメリカはワシントン州シアトル郊外、40歳の女性が鎮静薬を服用した後、変死した。死因はシアン化物中毒。鎮静薬にシアン化物が混入されていたのである。その後、6日前のにも52歳の男性が鎮静薬を服用した後に突然死したことが判明する。男性の死因を再調査したところ、同じくシアン化物による中毒だった。謎の毒殺魔の暗躍に人々は戦慄した。これは無差別殺人事件なのだろうか。捜査官たちの調査の過程で、意外な証拠から犯人への手掛かりが浮上する。

 この事件も海外のテレビ番組Forensic Filesで特集された。題名は「Something's Fishy」。"fishy"という単語は「怪しい」、「魚のような」という意味である。この題名は本事件の特徴を的確に表現している。この番組はYouTubeで視聴が可能である。本稿を読めば番組の内容を理解しやすくなるはずである。

Forensic Files - Season 2, Episode 9: Something's Fishy

関係者

スーザン・"スー"・キャサリン・スノー (Susan "Sue" Katherine Snow)
銀行の副支店長。当時40歳。2人の娘の母親でもあった。エキセドリンという鎮静薬に仕込まれたシアン化物により死亡する。
ヘイレイ・スノー (Hayley Snow)
スーの前夫との娘。当時15歳。倒れたスーを発見する。
サラ・ウェブ (Sarah Webb)
スーの双子の姉妹。
ポール・ウェブキング (Paul Webking)
スーの2番目の夫。トラック運転手。度重なる離婚の後、6ヶ月前に結婚したばかりだった。
ブルース・エドワード・ニコル (Bruce Edward Nickell)
当時52歳。スーより前に同じくエキセドリンに混入された毒物で中毒死していた。
ステラ・ニコル (Stella Nickell)
当時43歳。ブルースの妻。離婚経験があり、2人の娘がいるが、いずれもブルースとの間の子供ではない。
シンシア・"シンディ"・ハミルトン (Cynthia "Cindy" Hamilton)
ステラの最初の娘。ステラが16歳のときに産まれた。前述の通り、ブルースとの血の繋がりはない。
アンナ・ジョー・ライダー (Anna Jo Rider)
ステラの友人。
トム・ヌーナン (Tom Noonan)
ペットの魚などを販売していた人物。単なるペットショップの店長がどのような理由で事件と関わることに?
コリン・L・フリグナー (Corrine L. Fligner)
スー・スノーの検死を担当した監察医。
ジャネット・ミラー (Janet Miller)
スー・スノーの検死を担当した検視助手。
リー・ワゴナー (Lee Waggoner)
FBIの筆跡鑑定の専門家。
グレッグ・オルセン (Gregg Olsen)
本事件について特集した書籍Bitter Almondsの著者。
アル・ファー (Al Farr)、Paul Ciolino
探偵。本事件の再調査を行う。
カール・コルバート (Carl Colbert)
弁護士。探偵2人とともに本事件の再調査を行う。
フレデリック・ホワイトハースト (Frederic Whitehurst)
かつてFBIの犯罪研究所で勤務していた人物。FBIが弁護側に開示しなかった文書を探偵たちに提供した。

暗躍する毒殺魔

 1986年6月11日、ワシントン州オーバーン (Auburn)。銀行の副支店長であるスー・スノーはいつも通りの一日を迎えるはずだった。しかし、その日の朝、娘のヘイレイは昏倒した母親の姿を見つける。近隣の病院へ搬送されたが、まもなく死亡が確認された。健康状態に問題はなかったはずなのに、どうして突然死したのか。

ワシントン州オーバーン
ハーバービュー・メディカル・センター (Harborview Medical Center)
スー・スノーが搬送された病院。後に判明するもう1人の犠牲者も同じ病院で死亡が確認されていた。

 監察医のコリン・フリグナーが検死を担当したが、すぐには原因は判明しなかった。しかし、助手のジャネット・ミラーが胸腔を開けたところ、微かに特異臭が漂ってきた。いわゆるアーモンド臭である。その後の血液検査により、死因は急性シアン化物中毒であるという結論が下された。

 スー・スノーの葬儀の日、スーの双子の姉妹のサラ・ウェブはスーの自宅で鎮静薬を探していた。台所でエキセドリンの瓶を見つけたが、どこか違和感があった。スーは錠剤しか飲まないはずなのに、そこにあったのはカプセルだった。この危機感がサラの命を救った。スーを死に至らしめた毒物が隠されていたのはこのエキセドリン (より正確に言えばExtra-Strength Excedrinという銘柄) のカプセルの中だったのである。

 スーを毒殺した犯人として、つい最近結婚したばかりの夫であるポール・ウェブキングが疑われた。ポールは結婚する直前まで昔のガールフレンドと付き合っていた。他の家族からの評判も悪かった。妻を亡くした夫は鎮静薬を錠剤からカプセルに切り替えたことを認めたが、事件への関与は否認した。ポールは自身の潔白を証明すべく、ポリグラフ試験を受けた。そして、見事にパスしてみせた。

 ポールが犯人でないとすれば、一体誰が犯人なのか。もしや、毒殺魔が無差別殺人を企てたのか。この事件により、同じ銘柄の鎮静薬が店の棚から回収されることになった。実は、この事件の4年前にも、シカゴでタイレノールにシアン化物を混入するという類似の事件が発生していた。この事件では7名もの死者が出た。依然として未解決であるこの事件を契機に、毒物混入への罰則が強化された。人々は毒物が混入されたエキセドリンでさらに死者が出ることを恐れた。その恐怖は既に現実のものとなっていた。事件の報道を聞いたある女性が、自分の夫もシアン化物中毒で死亡したかもしれないと名乗り出た。

 同じくオーバーンに住むブルース・ニコルも6月5日に突然死していた。その日の夕方、ブルースは頭痛を抱えて帰宅した後にエキセドリンを服用した。その後に倒れたのである。当初は気腫による自然死と見なされた。しかし、妻のステラによれば、ブルースもスーが服用したのと同じロット番号 (5H102) のエキセドリンを、死の直前に服用していたという。ブルースは気腫を患っておらず、ステラはブルースの急死を当初から疑わしく思っていたという。ステラの求めにより再調査を行ったところ、ブルースもシアン化物中毒で死亡していたことが判明した。ブルースの自宅からシアン化物が混入したエキセドリンの瓶が2本も発見された。

 店頭から回収されたエキセドリンも調査にかけられた。シアン化物は本来の鎮静薬よりも密度が高いため、X線での検査にかけることで毒物が混入した瓶を検出することができた。こうして、さらに2本の瓶に毒物が混入していたことが明らかとなった。アナシンという鎮痛薬にも毒が盛られていたという。運が悪ければ、死者は2名では終わらなかったかもしれない。

意外な証拠

 FBIは毒入りのカプセルに対して詳細な分析を行った。カプセルには700 mgのシアン化物が含まれており、致死量を遥かに上回る量だった。そして、カプセルの中にシアン化物とも鎮静薬とも異なる緑色の粒子が含まれていた。この正体不明の物質を質量分析法で検査したところ、アトラジン、ジクロン、モニュロン、シマジンという4種類の成分で構成されると判明した。このうちの2つの物質は特に藻類の駆除に使用されるものだった。捜査官たちは近隣のペットショップで同様の薬剤が売られていないか調査した。とりわけ捜査官の目を引いたのがアルジー・デストロイヤー (Algae Destroyer) という銘柄の商品だった。その名の通り、藻類の駆除用に売られていたそれは緑色の錠剤で、成分も件の緑色の物質と全く同じだった。どうして、藻類駆除用の薬剤が、シアン化物とともにカプセルに混入していたのか。捜査官たちはある事実に思い当たった。そういえば、被害者の1人であるブルースの妻ステラ・ニコルはアクアリウムが趣味だったと。

 FBIはステラの家の近隣にある57軒のペットショップを調査した。その結果、トム・ヌーナンというペットショップの店主が、ステラ・ニコルにアルジー・デストロイヤーを売ったことを覚えていた。ヌーナンはステラに対してある助言をしていた。アルジー・デストロイヤーは簡単には水に溶けないことが多いため、砕いてから水槽に入れると良いと。おそらく、ステラはその助言に従ったのだろう。

 元からステラは怪しい人物ではあった。ステラの家には毒入りのエキセドリンの瓶が2本もあった。ステラは2本の瓶を異なる時期に購入したと語っていた。合計で5本しか発見されなかった毒入りの瓶のうちの2本を引き当ててしまったというのは、偶然にしてはあまりにも運が悪すぎる。

 ステラにはブルースを殺害する動機があった。ブルースは7万6千ドルの生命保険に加入していた。しかも、事故死した際に10万ドル多く支払われる契約になっていた。ステラは住宅ローンなどの支払いを滞納しており、金に困っていた。ブルースが死亡する5日前、ステラは債権者たちに手紙を書いていた。支払いを滞納していたのは結婚生活に問題があったためであり、問題は直に片付く見込みであると連絡していたのである。 FBIの筆跡鑑定の専門家であるリー・ワゴナーが生命保険の契約書の筆跡を調査したところ、疑わしい箇所があると判明した。ブルースのものとされる署名はブルースの筆跡とは一致せず、ステラの筆跡と特徴が一致すると鑑定された。捜査官たちはステラが生命保険の契約書を偽造したと判断した。

 ブルースを殺害する動機が他にも見つかった。ステラとブルースはかつてはバーなどに通うことを楽しんでいた。しかし、ブルースはアルコール依存症の治療を受け、酒を飲むのをやめた。ステラもバーへ通う頻度が減ることになった。これはステラにとっては望ましい変化ではなかった。

 さらに、ステラの娘であるシンディが追い討ちをかけた。母親が毒殺犯であると証言したのである。シンディはステラが図書館に通って毒物について調査していたと報告した。オーバーン公立図書館 (Auburn Public Library) の記録に、ステラがDeadly Harvest (John M. Kingsbury著) という書籍を借りていた証拠が残っていた。シアン化物について扱うセクションでステラの指紋が多数検出された。他の様々な書籍でもシアン化物について扱うページでステラの指紋が発見された。Human Poisoningという本も借りていたが、これは借りっぱなしで返却していなかったという。

 こうして、ステラが犯人であることを示す状況証拠が揃っていった。しかし、ステラはスー・スノーとは面識がなかった。どうして、知らない人間を殺す必要があったのか。そもそも、なぜ、カプセルに藻類用の駆除剤までもが混入したのか。捜査官たちは以下のように推測した。

 ステラは毒入りのカプセルを用意する際に、アルジー・デストロイヤーを砕くのに使ったものと同じ容器を使用した。容器を洗い忘れていたため、カプセルに毒物だけでなく、アルジー・デストロイヤーも微かに混入することとなった。これがステラの犯行を暴く意外な証拠になってしまったのである。

 ブルースは慢性的な頭痛に悩まされており、鎮静薬を常用していた。ステラはこれを利用して夫に毒を盛ることに成功した。しかし、ここで計算違いが発生した。検視官がブルースは自然死したと誤認したのである。これにより、事故死で追加で支払われるはずの10万ドルが宙に消えた。そこで、ステラはブルースの死を再調査させること、さらには、毒殺魔にブルースが殺害されたという印象を与えることを目的に、毒入りのカプセルを無差別にばらまいた。被害者は誰でも良かった。スー・スノーとその家族は運が悪かったのである。

 ステラは裁判を受け、2件の毒物混入よる殺人で90年の禁固刑の判決を受けた。シカゴでのタイレノールへの毒物混入後に制定された毒物混入を禁止する法律下で有罪となった最初の事例である。

蛇足(?): 後の展開

 1997年に放映されたForensic Filesで取り上げられたのは上記まで。2000年代に発行された記事によると、探偵のアル・ファーとPaul Ciolino、弁護人のカール・コルバートにより事件の再調査が行われたという。

 これらの記事ではステラの主張が取り上げられている。ステラが毒草についての本を読んだのは、子供の危険になるかもしれない植物の存在を認識するためだったという。シアン化物について調べたのは自分の夫が死亡した後であり、夫の死について調べるためだったとも主張している。

 警察は、ステラは2本のエキセドリンの瓶を異なる時期に購入し、買った場所もおそらく別々であると述べていた。しかし、事件が起こる数ヶ月前にニコル夫妻と一緒に暮らしていた友人のアンナ・ジョー・ライダーによれば、ステラはAlbertson'sという店でのセールの際に同時に2本の瓶を買ったという。当時、ライダーはFBIの捜査官にステラが殺し屋を雇って自分を殺しに来ると脅され、ステラが真犯人であると信じ込み、弁護側に協力することを拒んだとされる。また、弁護側に開示されなかったFBIの資料によると、スー・スノーが持っていた毒入りの瓶には謎の指紋が確認されたとのことである。

 ステラの娘のシンディは実の母を告発する証言で事件解決に貢献したことにより、医薬品メーカの連合 (Nonprescription Drug Manufacturers Association) から25万ドルもの褒賞金を受け取った。シンディが9歳のとき、ステラはシンディをカーテンロッドで殴打したとして検挙されている。ステラはシンディを虐待したことを否定しており、シンディが学校に行きたくなかったために吐いた嘘だと主張している。ステラによれば、シンディはステラを妬んでいたという。ステラの主張の通り、虐待の過去は虚偽の可能性もないとはいえないが、どちらにしてもシンディは母親を好いていなかったのだろう。シンディの証言によれば、ステラはひっきりなしにブルースの悪口を言っていたとのことだが、ステラの友人のライダーはそれに反する主張をしている。ライダーによれば、ステラがブルースへの不平をこぼすところを見たことがないという。ライダーはニコル夫妻とともに生活していた時期があり、通勤・帰宅の際はいつもステラとシンディの2人と一緒だったらしい。ライダーの主張には信憑性があるかもしれない。

 ちなみに、医薬品メーカの連合はシンディを含む9名に総額で30万ドルの褒賞金を支払っている。ペットショップの店主であるヌーナンも、犯人逮捕に協力した謝礼として1万5千ドルを受け取っている。探偵たちはヌーナンの証言は嘘であると主張している。

 弁護側はこれらの新発見を元に再審を求めたが却下された。事件に使用されたシアン化物そのものは発見されずに終わっており、ステラが購入したとされるアルジー・デストロイヤーの現物も見つからなかった。毒物とアルジー・デストロイヤーを粉砕するのに使用したとされる容器も発見されておらず、直接的な証拠は出尽くしていない。事件が再び動く可能性もないとはいえない……かもしれない。

参考文献

  1. Season 2, Episode 9: Something's Fishy. Forensic Files. YouTube.
  2. Associated Press (1988年6月18日). Pill-Tamper Deaths Bring 90-Year Term. Los Angeles Times. 2020年5月11日閲覧.
  3. Associated Press (1990年10月6日). O.C. Woman Gets Big Reward in Mom's Conviction. Los Angeles Times. 2020年6月28日閲覧.
  4. Marshall, Rory (1987年12月16日). Woman Pleads Innocent In Excedrin-Tampering Deaths. AP News. 2020年5月11日閲覧.
  5. Tibbits, George (1988年5月10日). Woman Convicted in First Product-Tampering Case. AP News. 2020年5月11日閲覧.
  6. Kohn, David (2001年6月4日). Bitter Pill: A Wife On Trial. CBS News. 2020年5月7日閲覧.
  7. Kohn, David (2001年6月4日). Bitter Pill Pt. II: Retracing The Case. CBS News. 2020年5月7日閲覧.
  8. Kim, Gina (2001年6月5日). New evidence cited in tainted-drug case. The Seattle Times. 2020年5月13日閲覧.
  9. Schabner, Dean (2006年1月8日). FBI Tampering Alleged in Cyanide Case. ABC News. 2020年5月11日閲覧.
  10. Woman convicted of killing two in Excedrin tampering. HISTORY. 2009年11月13日. 2020年5月11日閲覧.
  11. Bovsun, Mara (2017年5月14日). Washington woman poisoned husband, planted tainted pills around state in 1986. New York Daily News. 2020年5月11日閲覧.
  12. "Forensic Files" Something's Fishy (TV Episode 1997). IMDb. 2020年5月23日閲覧.

2020年5月6日水曜日

木片の中に消えた女——ヘラ・クラフツ事件

 、アメリカはコネティカット州ニュータウンで発生した事件。客室乗務員のヘラ・クラフツが失踪した。ヘラの夫はパイロットであり、家庭内暴力を噂されていた。そのうえ、浮気までしていた。殺人が起きた疑いが濃厚だったが、遺体そのものは見つからなかった。おそらく、今もなお。ヘラ・クラフツはどこへ消えたのか……。

 この事件は海外のテレビシリーズForensic Filesの最初の放送で特集された。2020年8月現在、YouTubeのFilmRise系列のチャンネルにて公開されており、無料で視聴できる。題名の通り、科学捜査を主軸とした番組で、殺人事件だけでなく、病気や事故について特集することもある。興味深い内容であるが、英語のために日本人には理解しにくい。本稿が番組の内容を理解するための一助となれば幸いである。

Forensic Files - Series Premiere: The Disappearance of Helle Crafts

関係者

リチャード・クラフツ
出典: Gado, p. 2

キース・メイヨー
出典: Gado, p. 2

ドーン・トーマス
出典: Gado, p. 11
ヘラ・ニールソン・クラフツ (Helle Nielson Crafts)
パン・アメリカ航空の客室乗務員。1947年7月7日生まれ。当時39歳。デンマーク出身。リチャードと1975年11月に結婚。3児の母。1986年11月に突如失踪する。
リチャード・B・クラフツ (Richard B. Crafts)
ヘラの夫。イースターン航空のパイロット。1937年12月20日生まれ。当時49歳。ニューヨーク・シティ出身。副業としてニュータウンやサウスベリーで警察官 (助手?) を勤めていた。銃マニア。
ドクター・ヘンリー・C・リー (Henry C. Lee)
科学捜査の専門家。後にO・J・シンプソン事件で弁護側の証言を行った。ジョンベネ・ラムジー事件の捜査でも功績がある。
ドクター・アルバート・B・ハーパー (Albert B. Harper)
自然人類学者。ドクター・リーとともに科学捜査を行った。
ドクター・コンスタンティン・P・カラズラス (Constantine P. Karazulas)
歯科法医学の専門家。
ドクター・ローウェル・レヴァイン (Lowell Levine)
歯科法医学の専門家。ケネディ大統領やナチスのメンゲレ大尉の遺体の鑑定に携わったという経歴がある権威的存在。
キース・メイヨー (Keith Mayo)
探偵。ヘラがリチャードの浮気を調査するために雇った。元警察官。1999年に自動車事故での負傷が原因で死去したとのこと。
ダイアン・M・アンダーセン (Dianne M. Andersen)
ヘラが雇った離婚弁護士。
ドーン・マリー・トーマス (Dawn Marie Thomas)
クラフツ家のオーペア。
ジョセフ・ハイン (Joseph Hine)
の早朝に道路を除雪する仕事をしていた。
マイケル・デジョセフ警部補 (Michael DeJoseph)、ロバート・トヴァードジク刑事 (Robert Tvardzik)、パトリック・マカファーティ刑事 (Patrick McCafferty)、T・K・ブラウン刑事 (T. K. Brown)、マーティ・オーラダン (Marty Ohradan)
ヘラ・クラフツ失踪事件を捜査した警察官たち (の一部。当然ながら他にもいる)。
ジョセフ・パロムビジオ (Joseph Palombizio)
リチャードに対してポリグラフ試験を行った人物。
ウォルター・F・フラナガン (Walter F. Flanagan)
コネティカット州検事。本件の裁判で検事側を主導した。2007年に退職。
トーマス・E・ファーヴァー (Thomas E. Farver)
本件の裁判での被告人側の弁護士。
マーティン・L・ニーグロー (Martin L. Nigro)
2度目の裁判での判事。
カレン・ロジャーズ (Karen Rodgers)
リチャードの姉妹。裁判以降、クラフツ夫妻の3人の子供 (当時12歳、10歳、8歳) を保護していた。ウェストポート居住。Gadoの記事で言及される「ウェストポート居住のリチャードの姉妹」はおそらくこの人物。裁判の際は犯人に対して最高刑を求めた。
リーナ・ジョハンソン (Leena Johanson)
ヘラの知人。1986年11月上旬にヘラから次のような不吉な言葉を聞かされた。「自分の身に何かが起きたら、事故だとは思わないで」(原文: "If anything happens to me, don't assume it was an accident." 出典: Gado, p. 2)
ナンシー・ドッド (Nancy Dodd)
リチャードの浮気相手。

ヘラの失踪

コネティカット州ニュータウン (北東にサウスベリーがある)
ニューフィールド・レーン5番地

 事件の舞台はコネティカット州ニュータウン (Newtown)。一般名詞のように見えるが地名であり、裕福な人が住む地域でもある。1986年11月18日の夜に吹雪が町を襲い、路面は雪で覆われ、停電になった。少なくとも11月20日まで吹雪は収まらなかったようだ。その最中、ニューフィールド・レーン (Newfield Lane) 5番地にある夫婦の家で何かが起こった。

 、ニュータウン警察に通報があった。通報者は探偵のキース・メイヨー。内容は、依頼人のヘラ・クラフツが最近失踪した、おそらく夫のリチャードに殺害されたというものだった。

 リチャードは商用航空のパイロットでありながら、副業で警察官も勤めているという人物だった。警察での仕事はパイロットと比べるとかなりの薄給だったが、リチャードは非常に熱心に副業に取り組んでおり、警察内では良い評判を得ていた。当時コネティカット州警察で使用されていたのと同じ車 (1985年フォード・クラウン・ビクトリア) を購入し、自費で警察用の装備を揃えたほど入れ込んでいた。一般に、妻が夫の元を突然立ち去るという出来事は珍しいものではない。夫婦喧嘩は犬も食わないというように、大抵の場合は大事にはならない。警察も当初は事を楽観視していた。しかし、メイヨーが自ら用意した調査資料に応じて捜査を進めたところ、事態は複雑であることが判明してきた。

 ヘラの姿が最後に目撃されたのは11月18日のこと。ドイツへのフライトを終えて、友人に車で家まで送ってもらったのを最後に行方不明となった。次のフライトの予定があるにも関わらず、職場に姿を見せなかった。欠勤するという連絡も無かった。ちなみに、ヘラの車はケネディ国際空港のパン・アメリカ航空従業員用駐車場に放置されていた。

 警察がクラフツ一家の友人たちに話を聞いたところ、ヘラは育児に熱心な母親であると評価されていた。幼い子供たちを置き去りにして、何も言わずに夫の元を去るような人物ではないと口を揃えて答えた。また、ヘラはできるだけすぐに離婚したいとこぼしていたという話もあった。リチャードは女性からすると魅力的な人物であったようだが、女癖が悪いことでも知られていた。ヘラは顔に傷を負うことがあり、家庭内暴力も受けていたようだ。それでも、子供の養育や体面を考えて我慢していたが、とうとう耐えかねたらしい。ヘラは1986年に離婚弁護士のアンダーセンを雇い、証拠集めのためにメイヨーを雇った。リチャードはニュージャージー州に住む女性と浮気していた。メイヨーはリチャードの浮気の模様をカメラに収めていた。

 ヘラが不在である理由について、リチャードが拵えた言い訳も奇妙だった。理由がころころと変わったのである。

隣人への返答
ドイツへ旅行に行っており、すぐに帰ってくる。
(しかし、別の人物には、どこに行ったか自分も知らないと答えている)
11月20日 (19日?)、一家のオーペアであるドーン・トーマスへの返答
どこに行ったか分からない。
11月21日、同じくトーマスへの返答
故郷のデンマークに住む病気になった母親のお見舞いに行っている。11月24日に帰ってくる (実はヘラの母親は健康そのものであったことを、ヘラの知人であるジョハンソンが確認している)。
12月2日、警察への返答
11月19日に停電のため、ウェストポートに住むリチャードの姉妹 (おそらくカレン・ロジャーズ) の家に避難しに行ったはずである。それ以来、何の音沙汰もなく、行方をくらます兆候もなかった。
友人への返答
親友のヘレン・ディクソン (Helen Dixon) とともにカナリア諸島へ行った。

 11月19日の行動にも怪しい点があった。19日午前6時、リチャードは眠っていたオーペアのトーマスを起こした。リチャードは、吹雪で停電になったから避難しよう、ヘラは既にウェストポートの姉妹の家に向かっており、後で落ち合うことになると伝えた。午前6時30分、リチャードは3人の子供たちを起こし、子供たちとトーマスとともに車で姉妹の家へ向かった。彼らは姉妹の家に到着したが、先に向かったはずのヘラの姿はなかった。リチャードは子供たちとトーマスを車から降ろすと、すぐにどこかへ立ち去った。謎の空白期間を経て午後7時、リチャードは姉妹の家に戻り、子供たちとトーマスを連れて帰宅した。トーマスは主寝室のカーペットに大きな黒い染みができていることに気付いた。リチャードは灯油をこぼしただけだと答えた。数日後、その染みの部分は切り取られてしまった (ちなみに、メイヨーはトーマスのカーペットの染みについての証言を映像に記録し、警察に捜査をさせるための説得の材料にした)。

 あまりにも怪しい言動のため、12月4日、リチャードは警察からポリグラフを受けることを求められた。リチャードは同意し、ポリグラフ試験をパスしてみせた。ポリグラフは決定的な証拠にはならないとはいえ、この結果を見て、一部の捜査官はリチャードは犯人ではなさそうだと判断したようだ。しかし、完全に疑いが晴れたわけではない。12月11日午後9時20分、リチャードが夜のシフトのためにサウスベリー警察署にいたところを、ニュータウン警察のデジョセフ警部補とトヴァードジク刑事が尋問に訪れた。ヘラの不在について質問される度に異なる言い訳をした理由を問われると、リチャードは、自分の妻が行方を晦ましたなんて言いたくなかった、自分もヘラがどこに行ったのか分からないと答えた。妻に逃げられた男が咄嗟に嘘をついただけ。あながちあり得ない話でもなさそうだが、警察官たちはリチャードの妙に落ち着いた対応に却って疑念を募らせた。

証拠集め

 メイヨーは消えたカーペットの断片を探しにゴミ捨て場へ向かった。ゴミの山の中からそれらしき布切れを見つけたものの、残念ながら空振りだった。それでも、捜査は進展しつつあった。

 刑事たちはリチャードのクレジットカードの利用履歴に着目した。リチャードは11月13日にウェスティングハウス社の大きな冷凍庫をダンベリーの家電用品店で購入していた。リチャードは375ドルを支払い、11月17日に引き取っていた。また、ダリエン・レンタルズ (Darien Rentals) で何らかの機械を借りており、900ドル支払っていた。

 さらに、クリスマス休暇でリチャードが子供たちを連れてフロリダに行った隙を突き、州警察は令状を発効して家宅捜索に踏み切った。科学捜査の専門家であるヘンリー・リーも同行した。家の中は散らかり放題で、まともに家事が行われていないようだった。捜査官たちは冷凍庫を見つけたが、実はそれは元からあった冷凍庫だった。後に明らかになることであるが、リチャードが新しく買った冷凍庫は既に処分されており、その後も発見されることはなかった。 ドクター・リーはマットレスから微小な血痕を発見した。血液型はO型で、ヘラのものと一致した。血液の飛沫の形状から、鈍器で殴られたときに付着したものと推測された。 最近洗濯したと思しきタオルからも、血液を拭ったと見られる痕跡が発見された。しかし、遺体そのものは見つからなかった。

 翌週になって事態は急変する。900ドルもの大金を支払って借りた機械がウッドチッパーであることが判明した。「ブラッシュ・バンディット」(Brush Bandit) という銘柄だった。どうやらリチャードは大量の木材を粉砕する用事があったらしい。12月30日、マカファーティ刑事とブラウン刑事は有力な目撃者を発見した。作業員のジョセフ・ハインである。ハインは11月20日の早朝、吹雪が吹き荒れる中で除雪をしていた。その最中で、U-ホールのトラックが路肩に駐められているのを何度か目撃した。トラックには大きなウッドチッパーが装着されていた。場所はゾア湖 (Lake Zoar) の近く。 最初は午前3時30分頃で、橋の上にトラックが駐められており、側には男が立っていた。男はハインに通り過ぎるように促し、ハインはそれに従った。 1時間後 (2時間後?) にリバー・ロード (River Road) で同じトラックを再度目撃した。近くに人は見かけなかったが、道路の路肩に木片が積み上がっていた。 早朝で、しかも吹雪の中、わざわざウッドチッパーを使う用事などあるのだろうかと不自然に思っていた。

ゾア湖、リバー・ロード (おそらく)
参考文献中に座標が示されているわけではないため推測だが……。

 ゾア湖のほとりでは木片の山が積み上がっていた。木屑の中を探ってみると、ぼろぼろの紙片があり、見てみるとそれは封筒だった。宛名はヘラ・クラフツ。捜査官たちはついに決定的な手掛かりを発見した。さらに一帯を捜索すると、他にもヘラ宛ての封筒がいくつか見つかった。それ以外にも、ブロンドの髪の毛、足指や手指の一部、爪、歯の欠片、骨片、血液、人間の組織片、布の断片、プラスチック片といった証拠品も見つかった。 12月30日にはゾア湖と繋がるフーサトニック川 (Housatonic River) の底でSTIHL社のチェーンソーが見つかった。チェーンソーはシリアルナンバーが削られて読めなくなっていた。最近になって水中に遺棄されたものと見られた。その刃には人間の組織片、ブロンドの頭髪、青緑色の繊維が僅かにこびり付いていた。 当時はDNA鑑定の技術が未発達だったが、それでも強力な証拠となった。

 チェーンソーに付着した青緑色の繊維はヘラが好んだ綿製の寝間着の色と同じで、ゾア湖で発見された他の繊維と同一だった。ゾア湖やチェーンソーから発見された頭髪も、ヘラのヘアブラシに絡まっていた髪の毛と特徴が一致した。シリアルナンバーの復元にも成功し、1981年1月9日にリチャードが644.95ドルで購入したものと判明した。メイヨーがそのときのレシートを保管していた。ヘラがメイヨーに捜査を依頼した際に渡した書類の1つだったのである。

 ゾア湖で発見された爪に付着していたマニキュアはヘラが使用していたものと化学的に一致していた。

 レンタル会社の駐車場でウッドチッパーの実物が発見された。ドクター・リーは自然人類学者のドクター・ハーパーに協力を求め、骨片などが砕かれた原因を調査すべくある実験を行った。それは、件のウッドチッパーと同じものに豚を放り込むというもの。砕け散った残骸の特徴は、ゾア湖で発見された骨片のそれと同一だった。骨片を破砕して血液型を調べたところ、ヘラのそれと同じO型だった。

 歯科法医学者であるドクター・カラズラスは歯の欠片を調査した。ある歯の欠片には金属の歯冠が付いていた。ヘラの歯の治療の記録と照らし合わせてみると、完全に同一人物の歯であると判明した。同じく歯科法医学者のドクター・レヴァインもドクター・カラズラスの見解を支持した。

 1987年1月11日、リチャードに対する逮捕状が発行された。

逮捕されたリチャード・クラフツ
出典: Gado, p. 11

ヘラ消失の経緯

 結局のところ、ヘラはいかにして消滅したのか。警察の見解は下記の通り。

 寝室で血液が検出された。血痕はベッドに体をぶつけて生じたものだろう。このことから、ヘラが殺害されたのは寝室であると推測できる。11月19日早朝 (18日?)、就寝時の準備か何かの最中に殺されたのだろう。その後、ヘラの遺体を最近買った大きな冷凍庫の中に入れたと考えられる。こうしてひとまず遺体を隠した後、眠っていたオーペアのトーマスと子供たちを起こし、停電を口実に姉妹の家へ連れていった。リチャードはすぐに家に戻った。おぞましい後始末はこの後に始めたのだろう。

 リチャードは冷凍庫の中で凍結したヘラの遺体を、所有地の中でも人目の付きにくい場所へ持っていった。そして、チェーンソーで遺体を手頃なサイズに切断した。凍り付いた遺体をバラバラにするのは比較的容易だったことだろう。リチャードは遺体をゾア湖へ持っていった。そして、遺体をウッドチッパーにかけて粉砕し、ゾア湖の中に遺棄した。その後、木材をウッドチッパーに突っ込んだ。おそらく、血肉に汚れたウッドチッパーを綺麗にするためか、証拠の隠滅のためだろう。こうして、ヘラの遺体の大部分はゾア湖の流れの中に消え、ヘラは永遠に消滅した。しかし、全ての証拠が隠滅されたわけではなかった。遺体の一部は、ヘラの寝間着のポケットの中に入っていた封筒とともに地面に落ちたまま残っていたのである。

 遺体の処分方法の残虐さは紙面を大きく賑わした。あまりにも有名になったため、陪審員の判断への影響が考慮された。裁判はニュータウンではなくニューロンドンで開かれることになった。しかし、この裁判では陪審員の合意が得られずに終わり、判決はノーウォークでの裁判に持ち越しとなった。結局、リチャードは有罪となり、50年間の禁固刑という判決が下った。遺体そのものが発見されずに殺人で有罪判決となったのは、コネティカット州では初の事例だった。裁判の際、リチャードは悔恨の念を見せることもなく、無感情のままであったという。

参考文献

  1. Season 1, Episode 1: The Disappearance of Helle Crafts. Forensic Files. YouTube.
  2. Gado, Mark. All about the Woodchipper Murder Case. Crime Library. 2020年3月31日閲覧.
  3. Associated Press (1999年1月9日). 50-Year Sentence Imposed In 'Wood Chipper' Murder. The New York Times. 2020年5月5日閲覧.
  4. Bigham, Steve (1996年11月22日). Notorious Crafts Murder Shook Newtown Ten Years Ago. The Newtown Bee. 2020年5月6日閲覧.
  5. McMurray, Kevin (2009年11月18日). 23 years ago, Richard Crafts was more willing to part with his wife than his money. NewsTimes. 2020年3月30日閲覧.
  6. Polansky, Rob; Naples, Kaitlyn; Hogan, Kevin (2016年11月17日). Woodchipper murder case from 30 years ago was pivotal for forensic scientists. wfsb.com. 2020年5月2日閲覧.

2019年11月19日火曜日

結局のところ、"This Man"とは何だったのか


EVER DREAM THIS MAN?より引用

"This Man"とは?

 2008年冬、イタリア人のAndrea Natellaは奇妙な夢を見た。不思議な男が現れて、自身についての情報を集めるウェブサイトを作るように指示したのだ。この男は数多くの人々の夢に現れる謎多き人物であり、その通称は"This Man" (直訳すれば「この男」)。

 NatellaがThis Manの啓示に従って制作したウェブサイトEVER DREAM THIS MAN?によると、This Manの存在が初めて確認されたのは2006年1月のこと。ニューヨークのある著明な精神科医が、女性患者から同じ男が度々夢に現れるという話を聞いた。女性患者はその男の似顔絵を描いた。私生活についてのアドバイスを受けたこともあると語った。現実では会ったことがなく、夢の中でのみ現れるという。

 精神科医は似顔絵を机の上に置きっ放しにしていた。数日後、ある男性患者がその絵を見て、自分の夢によく出てくる人物だと訴えた。男性患者も現実ではその男に会ったことがないという。精神科医は別の精神科医にその似顔絵を送った。すると、数ヶ月のうちに、4人の患者がこの男が出てくる夢をよく見ていることが判明。最終的に、2006年1月から今日までで、少なくとも2千人以上がこの男を夢に見たと主張した。この事例はロサンゼルス、ベルリン、サンパウロ、テヘラン、北京、ローマ、バルセロナ、ストックホルム、パリ、ニューデリー、モスクワなど、世界中に及んだ。この男の夢を見た人々の間に関係性や共通の特徴は確認されていない。また、似顔絵と類似した容貌の人物も知られていない。

 以上がThis Manの概要である。

 有名な似顔絵はNatellaが『Ultimate Flash Face』というソフトウェアで作成したものである。このソフトウェアを選んだ理由は、似顔絵制作用のソフトウェアとして最初に見つけたものを選んだだけらしい。また、30年前にThis Manの夢を見た人がいた証拠も存在するという。インド人のグルArud Kannan Ayyaのように、自身がThis Manであると称する人もいるらしい。

5つの説

 前述のEVER DREAM THIS MAN?では、This Manの正体を説明する5つの説が挙げられている。

元型説
This Manはユングの精神分析理論における元型の1つであるとする説。
創造主説
This Manは創造主が現世に顕現する化身の1つであるとする説。
夢の旅人説
This Manは現実に実在する人物であり、他人の夢に入り込む能力を持っているとする説。現実でも夢で現れるのと同じ姿をしていると主張する人もいれば、全く異なる容貌であると考える人もいる。大企業がThis Manの夢を見せているという陰謀説もこれに含まれる。
夢の模倣説
This Manの話を知って印象的に思ったために、夢の中でもThis Manを登場させてしまうという現実的な説。
覚醒時の認知説
普通、夢で見た人の顔を正確に覚えているわけではないため、覚醒時に夢の中の人の顔をThis Manに置き換えて解釈してしまうという現実的な説。

夢の事例

 EVER DREAM THIS MAN?では具体的な夢の事例も紹介されている。夢を見た人の住所などは伏せられている。訳出を試みたが、誤訳が混在する可能性もある。ご容赦いただきたい。

ここ数年間、何度も同じ夢を見ている。夢の中では、背が高く色黒の男が写真を見せて、この男はお前の父親かと尋ねてくる。写真の中の人物は、今までに一度も会ったことがない男で、件のThis Manである。自分の父親とは全く似ていない。それなのに、私は何故か自分の父親だと答えてしまう。普段はここで目が覚める。そのときは非常に穏やかな心地でいる。夢がさらに続くこともある。夢の中で、私は父の墓の前に立っている。花を供えたときに気づくのだが、墓に置いたはずの遺影が無くなっている。
This Manを最初に夢に見たときに恋に落ちた。本当は醜い男だと分かっている。それでも、夢に出るといつも、ロマンチックな身振りと甘い言葉で私は夢中になってしまう。彼は花や宝石を買ってくれる。ディナーに連れて行ってくれたり、浜辺で夕焼けを見せてくれたりする。
よく自分が住む街の上空を飛ぶ夢を見る。空の上から友人の様子を見たりする。ある家の方に行ったときから、飛行中にThis Manに出会うようになった。空を飛ぶ夢を見るときに毎回出てくるわけではないが、出てくる頻度は高い。This Manも空を飛ぶが、決して話しかけてこない。
初めてThis Manが出てくる夢を見た頃、私は仕事で苦労していた。その夢の中で、私は巨大なショッピングモールの廃墟を彷徨っていた。すると、突然にThis Manが現れた。私は彼の元から逃げ出した。This Manは1時間ほど私を追い回した。最終的に私はスーパーマーケットのキッズエリアで追い詰められた。すると、This Manは微笑みかけ、レジへの行き方を教えてくれた。そこで目が覚めた。その夜以来、This Manは私の夢にいつも現れ、夢から覚めるにはどうすればいいか案内してくれる。そうして私は目が覚める。
私は同性愛的な関係を持ったことがない。空想したことさえない。しかし、いつもThis Manと性交する夢を見る。私は夢の中で悦びを感じてしまう。時折夢精していることもある。
私がThis Manを夢で見たとき、彼はサンタクロースの格好をしていた。This Manが現れたとき、私はまるで幼い少女のようにとても嬉しく感じた。This Manが私に微笑みかけると、彼の頭は風船になり、空中を浮いていった。どれほど頑張って取ろうとしても、手が届かなかった。
This Manが出てくる夢を見たのは私が10年生の頃。一度だけで、繰り返し夢に出てきたわけではない。しかし、記憶に残るとても怖い夢だった。夢の中で、私は部屋の中でスツールに座ったまま動けなくなっていた。数フィート離れたところにテレビが置いてあった。そこに会ったことのない2人の男 (This Manではない) がやってきて、私を襲ってきた。目が覚めたとき、私は汗と涙でびっしょりで、叫び声をあげていた。どうにか眠りにつくと、またその部屋にいた。私は叫び声をあげ、泣きわめき始めた。すると、This Manがテレビに映った。私はThis Manに襲ってこないでほしいとお願いした。This Manは無表情のままで、言葉も発さなかった。This Manは私の喉を切り裂いた。そこで目が覚めた。私はThis Manが自分を悪夢から解放してくれたのだと思っているが、数週間はThis Manのことが頭から離れなかった。私はThis Manを描いたスケッチを今も持っている。変なことだとは分かっている。
This Manが夢に出たとき、鏡の中から無言で私を見ていた。This Manは眼鏡を掛けており、全く動かなかった。まるで彫像のようにじっとしていた。
夢の中のThis Manはブラジル人でとてもハンサムだった。学校の先生のような感じで、右手に指が6本あった。This Manは、もしアメリカで核災害が起きたら北へ行けと言った。
This Manを全く別の夢で3回見たことがある。似顔絵とは若干違っていたが、すぐに彼だと分かった。どの夢でも同じように突然に現れて消えていった。毎回、「それで終わりだ」というメッセージを残した。似顔絵との違いは、頭頂部の髪の毛がもう少し長いことと、眉がそこまでふさふさとしていないことであり、それ以外は同じである。私はThis Manに対して恐怖を覚えなかったが、疑問はたくさんあった。

 NatellaはVICEというメディアで別の夢の事例を紹介している。

日付: 2014年1月5日
場所: アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ
自分の部屋にいると、両親の部屋からくぐもった叫び声が聞こえた。それから、部屋の外の廊下で何かが引きずられる音が聞こえ、ドアがゆっくりと開いた。そこにはThis Manがいた。This Manは何かを引きずりながら部屋に入ってきた。引きずられていたものは両親だった。This Manはゆっくりと両親を壁に寄りかからせた。両親は私の方をじっと見ていた。This Manは壁に血で何かを書いて、それから私の方に目を戻してじっと見つめてきた。部屋が暗くて何が書かれたかは読めなかった。私は呼吸を抑えて寝たふりをした。しばらくして、目がだんだんと暗闇に慣れてきた。壁にはこのように書かれていた。「お前、起きてるだろ」
日付: 2013年9月2日
場所: オーストラリア・パームビーチ
事が始まったのは私が7歳の頃。10年間、火曜日と金曜日に全く同じ夢を見続けた。私は今は17歳で、This Manのことは見慣れている。ただ、見る夢はあまり気持ちのいいものではない。夢の中では、私はベッドに横たわっている。This Manはカウボーイハットを被っていて、私の方に身を乗り出して、変な音をたてている。まるで唸っているかのようだ。シャツの上には丸い金のペンダントが見え、そこには「北へ行け」と彫られている。寝室をまたがって私を見つめていることもある。朝に目が覚めると毎回、意味もなく泣き出してしまう。This Manのせいでホルモン異常を起こしているみたいだ。このウェブサイトでその絵を見たとき、恐怖で泣きわめいてしまった。This Manは決して話しかけてこなかった。変な音を出すだけだ。
日付: 2013年3月7日
場所: アメリカ合衆国ユタ州
夢では真夜中で、This Manは公園を通って私の後をつけてきた。どうして追いかけてくるのか理解できず、私は走り出した。This Manはたやすく同じペースで後をついてきた。This Manは小さくうめくと速度を上げ、私の目の前に現れた。そして、手を伸ばして逃げ出そうとする私の動きを止めた。This Manは私を引き寄せ、ある言葉を発した。今も毎晩この言葉について考えている。「2021年4月9日に北へ行け。それだけが生き延びる術」。This Manはこう言って走り去った。もっと聞き出そうと追いかけたが、ついていけなかった。遠くへと姿を消していくのを見ていると、奇妙な感覚に陥った。This Manが視野から消えたとき、すぐに目が覚めた。

 VICEには2011年1月9日のアメリカ合衆国フロリダ州フォートローダーデールでの事例も掲載されているが、上手に訳出できなかったため本稿では紹介しない。

"This Man"の正体

 ところで、This Manの情報提供を呼びかけるウェブサイトを制作したNatellaという人物だが、その専門はマーケティングである。ご想像のとおり、This ManはNatellaの傑作の1つであり、数千人もの人が見たとされる謎の男は実在しない。ただし、Natellaの目的は明確には分かっていない。社会実験か、実力を示すためのデモンストレーションか。The Daily Dotでは、映画監督Bryan Bertinoが製作する予定だった映画の宣伝のためと推測されている。This Manという同名の映画が公開される予定だったが、現状では映画の計画は凍結しているらしい。

 2015年1月15日にThis Manを事実であるかのように記載した記事を掲載したVICEは、あれは実は嘘でしたという記事も同日に掲載している。前者は午後2時掲載、後者は午後11時40分頃掲載。後者の記事はNatellaの公式サイトにあるThis Manを紹介するページで引用されている。まるで隠す気がない。

 This Manが話題になったのは、良くも悪くも真に迫っていたためでもあるだろう。じっとThis Manの似顔絵を見つめていれば、もしかしたら夢の中でThis Manが現れるかもしれない。せめて、ホラーな夢である方が話の種にはなるだろう。ラブロマンスだったら洒落にならない。


どういうわけか本邦で漫画の題材に。週刊少年マガジンやマガジンポケットで2018年から2019年にかけて連載された。作画は『BLOODY MONDAY』で有名な恵広史。 また、フジテレビのテレビ番組『世にも奇妙な物語』の2017年公開のエピソード「夢男」もThis Manを題材としている。 この漫画やテレビ番組がNatellaのマーケティングと関係があるかは調査しきれなかった。
NatellaのEVER DREAM THIS MAN?にはファンアートを掲載するページもある。その中にはThis Manは虚偽であると特集する雑誌のページを引用した写真も混入している。意図的かは不明。

参考文献

 いずれも2019年10月下旬に参照。

  1. Natella, Andrea. EVER DREAM THIS MAN?.
  2. Natella, Andrea. This Man.
  3. Cook, James (2013年10月17日). When déjà vu is just a marketing stunt online. The Daily Dot.
  4. Butler, Blake (2015年1月15日). The Face Everyone Dreams About. VICE.
  5. Ugh, We Just Got Hoaxed: The Real Story About the ‘This Man’ Dream Face. VICE. 2015年1月15日.
  6. Newitz, Annalee (2013年10月25日). Why Are Thousands of People Dreaming About This Man? GIZMODO.
  7. 『This Man その顔を見た者には死を(1)』(恵 広史,花林 ソラ). 講談社コミックプラス.
  8. 中条あやみ初主演で、不気味過ぎると話題の男This Manとまさかの共演!!. フジテレビ.

2019年8月20日火曜日

"The Hands Resist Him"、呪われた絵がeBayで出品された話 (2019年10月13日追記)

この記事をゆっくり解説化しました。宜しければどうぞ。
eBayのオークションで恐怖譚に添えられた写真 (出典: Gilbert)

 eBayとは世界的に利用されているインターネットオークションサイトである。そんなグローバルでハイテックで最先端を行くウェブサイトで、2000年2月に題名通りの時代錯誤な代物が出品されたらしい。今となってはそのオークションのページ (Surfing The Apocalypseによるとhttps://www.ebay.com/itm/251789217?ViewItem=&item=251789217) は消滅しており、情報は断片的にしか残っていないが、次のような「体験談」が添えられていたという。なお、以下に示す訳はあまり正確なものではないため、参考程度でお願いします。

この絵をもらったときは本当にいい芸術作品だと思っていました。ある人からもらったのですが、その絵は古い醸造所に打ち捨てられていたそうです。 そのときは、すごく素敵そうな絵がそんな風に捨てられていたなんて少し不思議だなと思っていました (今はそう思わないけどね!)。 ある朝、4歳と半年になる娘が、夜中に絵の中の子供たちが喧嘩して部屋に入ってくると訴えてきました。 UFOが実在するとかエルビスが生きているなんて話を私は信じませんが、夫は不安を感じました。おかしな話ですが、夫は動きを検知するカメラを夜間に仕掛けたのです。 3日後に写真が撮れていました。最後の2つの写真 ([訳註]上図を参照) はこの「張り込み」のときに撮影されたものです。 絵の中の少年は ([訳註]少女に銃で) 脅迫されて絵から抜け出てくるようです。それを知った私たちはこの絵を手放すことにしました。

 その後に、心臓の弱い人は入札してはならない、購入後にいかなる事象があっても免責されるなどの警告文が続く。確かに不気味な雰囲気を纏った作品ではある。私からすれば扉の後ろの手の方が気になるが、出品者は少女人形の持ち物の方を強調していた。

 しかし、オークションのページにはその後に別の意味でいっそう奇妙な記述が加わる。あの体験談は本気にとらないでほしいというようなことが記載されているのだ。 このオークションのページは、出品されてから数時間のうちにインターネット中を広まったらしい。絵を見てひどく気分が悪くなった、卒倒した、見えない存在に体を掴まれた、絵を見た子供が叫び出したなどという体験談を語る人まで現れたという。少なくとも3万人が閲覧したとのことである。 最初は199ドルだったものが、30日間で1,050ドルにまで膨れ上がったものだから、出品者も肝が冷えたのかもしれない (追記: 再調査の結果、文献によって落札価格や日数が異なることが判明した。詳細は追記にて)。

 絵は最終的にミシガン州グランドラピッズにある画廊Perceptionのオーナーのキム・スミス (Kim Smith) 氏が落札した。 スミス氏の元にはホラーな現象は起こらなかったが、奇妙な電子メールは届いた。ミシシッピ州に住むネイティブアメリカンのシャーマンを称する人物は、絵を見て具合が悪くなり、住居を清めるべくホワイトセージを燃したという。彼は小さな子供がいるような場所に絵を飾らないように警告した。 別の人物はエキソシストのような声を聞き、熱を帯びた突風を感じたという。さながらオーブンのドアの前に立っているかのようだったそうだ。2人の友人が泣きわめき、1分間お祈りを続けたとのことである。 他にも、ジョージア州のゴーストハンターや、ジョン・F・ケネディ大学で超心理学を専攻する大学院生からコンタクトを受けたこともあったという。複製品を求める声もあった。

 落札者は絵から様々な情報を得た。題名はThe Hands Resist Him、作者はBill Stoneham氏。落札者は作者と思しき人物に連絡をつけ、オークションの件について教えた。作者のStoneham氏はこの奇妙な事件に驚いた。どうしてあの絵を子供部屋に飾ったのだろうと不思議に思ったという。

 当時、Stoneham氏はコンピュータゲーム制作会社シアン・ワールズ (Cyan Worlds) に勤めるCGアーティストだった。元来、その作品は1972年頃に制作されたものだった。最初の妻 (VincentによるとRoane、AlfonsoによるとRhoannという名) が書いた詩から着想を得て描いた。絵の題名もその詩からそのまま借りた。

 Stoneham氏は産まれたときから養子に出され、実の両親の顔を知らずに育ったそうだ。妻の詩にはこのことが言及されていた。 当時、彼は古い家族写真のアルバムを持っていた。その中には、シカゴのアパートに住んでいたときの5歳の彼を写した写真もあった。 その頃は、広告業界で働く養父が長い旅に出ており、節約のために養祖母のアパートで暮らしていたのである。狭い場所だったらしく、夜寝るときは衣類でいっぱいのクローゼットの中に敷かれたマットの上に横になるしかなかったという。 こんな生活をしていた頃の写真が、作品のヒントとなった。ただ、その写真そのものは引越しの際に処分してしまったそうである。

 絵の中の少年はその写真中の彼自身がモデルである。少女人形は同じ写真に写っていた近所の少女を元にしている。 扉は可能性への門を意味し、覚醒と夢見とを隔てるもので、手は別の人生の可能性を表すらしい。少女人形は想像上の仲間であり、夢見の世界の案内人でもあるという。ちなみに、出品者が銃と解釈したものはただの乾電池であるという。

 件の絵が描かれた20代の頃はカリフォルニアで暮らしていた。画廊のオーナーCharles “Chuck” Feingarten氏と契約し、1ヶ月に2作の絵を描く仕事をしていた。締め切りが迫る中、子供時代の古い写真と、妻の詩とが画家に閃きを与えたのである。こうして誕生したThe Hands Resist HimもFeingarten氏が購入していった。 ちなみに、Stoneham氏はThe Gatheringという題名の絵も描いたが、Feingarten氏はその作品は買わなかった。あまりにもダークすぎる絵だったからだそうで、Stoneham氏によれば、後にその絵を買ったある男性は発狂して自身の倉庫に火を放ち、刑務所で一生を終えたという。

 その後、The Hands Resist Himは1974年に展示され、映画『ゴッドファーザー』でジャック・ウォルツ役だったジョン・マーリー (John Marley) 氏が購入した。 ロサンゼルス・タイムズ紙の芸術評論家Henry Seldis氏はこのStoneham氏の作品展示について評論を書いたが、1978年、53歳の誕生日の前日に自殺と思しき死を遂げた。離婚問題が原因で抑鬱的な状態だったという。Feingarten氏も3年後の1981年に亡くなった。マーリー氏も同じく3年後の1984年に亡くなっている。 関係した3名が次々と死亡する。さながら、ファラオの呪いのような展開だが、それから絵がどのような来歴を辿ったのかは、Stoneham氏も分からないという。 eBayの出品者の「体験談」がどこまで真実だったのかは定かではないが、廃墟と化した醸造所に放置されていたのは本当だったかもしれない。それすらも法螺話かもしれない。真実は闇の中。

Darren Kyle O'Neill著の小説The Hands Resist Him: Be Careful What You Bid For
映画の紹介映像

 単なる空騒ぎのようにも見えたこの事件だが、思わぬ副産物もあった。この騒ぎがきっかけで、この絵の続編が描かれたのである。 2004年のResistance at the Thresholdでは少年が年老いて描かれた。2012年のThe Threshold of Revelationでは100歳近い老人として描かれているという。少女人形は人間の少女へ転じた。 2017年のThe Hands Invent Himはアメリカの超常現象番組Ghost AdventuresのプレゼンターZak Bagans氏からの依頼で制作された。扉の向こう側で子供の姿のStoneham氏が絵を描いているという前日譚ともとれるものである。 また、Darren Kyle O'Neill氏がThe Hands Resist Himの権利を買い、その来歴から着想を得て小説を書いている。映画にもなるという話である。Gregg Gibbs氏もドキュメンタリーを制作中とのことである。

 塞翁が馬という言葉があるが、出品者がホラー話を書いていたときや、Stoneham氏がこの絵を描いていた頃は、このような展開は予想していなかっただろう。事実は小説よりも奇なりという言葉がよく似合う事件であった。ちなみに、The Hands Resist Himとその続編、元となった詩は騒動の後に設立されたStoneham氏のウェブサイトで鑑賞できる。

参考文献

  1. The Hands Resist Him. Stoneham Studios. 2019年7月6日閲覧.
  2. Vincent, Alice (2018年10月31日). The bizarre story behind The Hands Resist Him, the internet's most haunted painting. Telegraph. 2019年7月20日閲覧.
  3. Alfonso III, Fernando (2013年10月31日). This ‘haunted’ painting has been terrifying people for decades. The Daily Dot. 2019年8月19日閲覧.
  4. Kershner, Jim (2002年10月31日). Painting goes bump in the night. The Spokesman-Review.com. 2019年7月6日閲覧.
  5. Surfing The Apocalypse. 2000年3月12日. 2019年7月20日閲覧.
  6. The Unexplained - The Ebay Haunted Painting. BBC. 2002年7月. 2019年7月20日閲覧.
  7. Gilbert, Rowena. "Hands Resist Him" by Bill Stoneham, The Haunted Ebay Painting. Castle of Spirits.com. 2019年7月20日閲覧.
  8. eBay item 251789217 (Ends Feb-12-00 07:02:28 PST) - HAUNTED PAINTING ----- WARNING AND DISCLAIMER. WhatTheHeck.com. 2019年10月13日閲覧.
  9. HENRY SELDIS, CRITIC AND LECTURER ON ART. The New York Times. 1978年2月28日. 2019年10月13日閲覧.

追記

 この事件に関する情報源にはいくつか矛盾が見られる。Stoneham Studiosによれば、Seldis氏とFeingarten氏はStoneham氏の作品展示が行われてから1年以内に死亡したとされる。しかし、Vincentによれば、作品展示は1974年、Seldis氏が死亡したのは1978年、Feingarten氏が死亡したのはその3年後であるという。本記事では後者の情報を採用した。Seldis氏が死亡した時期については、当時のニューヨーク・タイムズ紙の記事のアーカイブが公開されており、その内容から見ても1978年が確実であると考えられる。

 また、前述のとおり、Stoneham氏の最初の妻の名前も情報源によって食い違う。VincentによるとRoane、AlfonsoによるとRhoannであるという。Stoneham StudiosのウェブサイトではR. Ponsetiと書かれており、イニシャルがRであるという点でどちらとも一致している。

 オークションの開催期間や落札価格についても矛盾がある。VincentおよびBBCによれば30日間で1,050ドルで落札したとされる。しかし、AlfonsoやGilbertの記事では1,025ドルで落札したとあり、Kershnerによると落札者は1,200ドル支払ったという。Alfonsoが情報源としたWhatTheHeck.com公開のeBayのアーカイブでは次のような記述となっている。

  • 最初の入札価格: 199.00ドル
  • 最終落札価格: 1,025.00ドル
  • 入札回数: 30回
  • 開始: Feb-02-00 07:02:28 PST
  • 終了: Feb-12-00 07:02:28 PST
  • 出品者: mrnoreserve
  • 落札者: ionia7
  • 出品者が怪談を真に受けないでほしいと追記した時期: Feb-02-00 at 11:36:21 PST
  • 出品者が2回目の追記をした時期: Feb-11-00 at 21:01:57 PST

つまり、オークションの開催期間はからまでの10日間ということになる。ちなみに、オークションが開始されたのが午前7時頃、出品者がおばけなんてないさと言い出したのが同日午前11時30分頃。5時間も経過していない。 このアーカイブには画像が掲載されていないが、O'Neill氏の小説The Hands Resist Him: Be Careful What You Bid Forの冒頭で引用されているオークションのページのスクリーンショットと一致している (その部分はAmazonで試し読み可能)。

2019年8月19日月曜日

「ニューメーカー事件」、フランネルの子宮の中で

 2000年4月18日、アメリカ合衆国コロラド州エバーグリーンで奇妙な事件が発生した。反応性愛着障害の「治療」中に10歳の少女の呼吸が停止。翌朝には死亡が確認された。私はこの件について専門的な見地から意見する立場にない。その治療法が有効だったのかどうかは分からない。私に言えるのは、それが危険な代物だったということだけである。

キャンディス (出典: Nicholson)

 キャンディス (Candace) が産まれたのは1989年11月19日のことである。当時のフルネームはキャンディス・ティアラ・エルモア (Candace Tiara Elmore)。母親のアンジェラ・マリア (通称アンジー、Angela "Angie" Maria) はティーンエイジャー、6歳年上の父親トッド・エヴァン (Todd Evan) は軽犯罪を繰り返してきた粗暴な男。ノースカロライナ州で暮らす夫婦の生活はお世辞にも順調とは言えなかった。職は安定せず、住所も頻繁に変わった。アパートで暮らすこともあれば、トレーラーの中で眠る夜もあった。結婚指輪を質に入れたことや、夫が妻に暴行を加えたとして刑事事件になりかけたこともあるという。祖母のメアリー・クレンデニン (Mary Clendenin) は未就学児のときに両親が離婚し、里親の元で子供時代を過ごした。16歳で結婚し、アンジェラを含む2人の子供を産んだが、結婚生活はすぐに破綻した。アンジェラは社会福祉事業の元を預けられ、里親やグループホームを転々とし、情緒不安定な子供時代を過ごした。少なくとも3代にわたって不安定な生活が続いたことになる。

 「キャンディス」という名前はテレビで見かけた美しい名前からとったものである。ミドルネーム「ティアラ」は祖母メアリーの夫デイヴィッド・デイヴィス (David Davis) が選んだものだった。デイヴィッドはキャンディスとは血の繋がりがなかったが、名前の通りに大事に思っていたようだ。アンジェラはキャンディスを妊娠中に、クラシック音楽を聞かせるなどの胎教を行ったという。家族にとっては宝石のような娘だったようだが、生い立ちも生活環境も良好とは言えなかった彼女たちの生活はやがて破局を迎えた。当局は夫婦を親として不適格であると見なし、夫婦の子供たちは里親に出されることになった。こうして、キャンディスも里親を転々とする生活を送ることになったという。

ペンシルバニア州ウォーレン

ノースカロライナ州ダラム

 1996年6月、当時5歳のキャンディスには「キャンディス・エリザベス・ニューメーカー」(Candace Elizabeth Newmaker) という新たな名前が与えられた。キャンディスを養子として引き取ったのはジーン・エリザベス・ニューメーカー (Jeane Elizabeth Newmaker) という名のダラムに住む42歳の未婚の看護師だった。ジーン・ニューメーカーはペンシルバニア州ウォーレンにルーツがあった。その祖父フロイド・ヘンリー・ニューメーカー (Floyd Henry Newmaker) は家具の事業で成功を収めた。ジーンはウォーレン高校では学生委員会などに参加する忙しい日々を過ごし、1971年に卒業した。そして、1975年にニューヨークにあるロチェスター大学を卒業し、バージニア大学では看護学を専攻して1980年に修士課程を修了した。ジーンはキャンディスに安定した暮らしをさせてあげるつもりだったという。2階建ての煉瓦造りの立派な家での生活。キャンディスが家に来た日、ジーンは2ヶ月の休暇を取った。一見して、以前と比べものにならないほど良い環境に見えた。しかし、結局それも破局を迎えることになる。

 ジーンによれば、キャンディスには精神上の問題があったという。ひどく怒りっぽく、自宅で火事を起こそうとしたり、家財を意図的に破損させたり、子供に性的暴行を加えたことさえあったという話である。ただ、キャンディスのことを知る近隣住民や教師たちはそこまで悪い印象を抱いていなかったらしい。とはいえ、人間というものは誰にも同じ顔、同じ声色で対応するわけではない。家庭と外で態度がまるで違うということはあり得る。キャンディスが実際はどのような人物だったのかは今となっては確認のしようがないが、少なくとも、ジーンが医師や専門家にキャンディスを診せたり、精神に作用する薬物で治療を試みたりしたことは確かである。どれも良い効果は出なかったようだ。

バージニア州アレクサンドリア

 ジーンは最終的に「反応性愛着障害」(Reactive Attachment Disorder: RAD) という言葉に辿り着く。ジーンはノースカロライナ州で開かれた愛着障害に関するワークショップに参加し、反応性愛着障害の症状がキャンディスの行動とよく似ていると考えた。ジーンはインターネットでさらに調査を進め、ATTACh (Association for the Treatment and Training in the Attachment of Children) という団体の存在を知った。1999年、ジーンはバージニア州アレクサンドリアで開催されたATTAChのカンファレンスに参加し、ビル・ゴーブル (Bill Goble) というセラピストに面会した。ゴーブルはキャンディスを直接診察したわけではないが、ジーンの話から極めて重度の反応性愛着障害であると判断し、コロラド州エバーグリーンのコーネル・ワトキンス (Connell Watkins) を紹介した。ワトキンスは免許があったわけではないがセラピストとして活躍していた。フォスター・クライン (Foster Cline) 医師の教えを受けていた。

 クライン医師の理論によると、愛着障害は幼少期に問題の源泉があり、幼少期に逆行させることで愛着障害を治療できるという。この理論を奉じたセラピストたちは、子供を拘束し、服従を強いることで、自身を支配できる存在を認識させ、そして、その存在の元にいれば安心できることを理解させるように「治療」を行っていったらしい。

コロラド州エバーグリーン
コーネル・ワトキンス (出典: Nicholson)

 2000年1月20日、ジーンはワトキンスと契約を結び、7千ドルを対価に2週間の「治療」をキャンディスに受けさせることにした。ワトキンスのセラピーは、助手が控えた仮住まいのサービス付きという魅力があったという。治療中のキャンディスはいつも以上に怒りっぽくなるだろう。2人きりでホテルに泊まるよりも、ワトキンスの助手と一緒の生活の方が安心できた。この治療が終われば、キャンディスはジーンを愛してくれるようになるはずだった。こうして、4月10日にセラピーが開始された。最悪の結末を迎えるとも知らずに。

 セラピーには2人の助手が参加した。ワトキンスの事務所のマネージャーであるブライタ・セントクレア (Brita St. Clair) は薬の処方と母子のもてなしを担当した。その婚約者のジャック・マクダニエル (Jack McDaniel) は治療の訓練を受けていない高卒の素人だったが、キャンディスについての報告書を書く仕事で700ドルで雇われた。また、セラピーを開始した日には、開業医であり、エバーグリーンのアタッチメントセンター (The Attachment Center) でも仕事をしていたジョン・オールストン (John Alston) 医師もキャンディスと面会していた。

 後に大問題に発展する治療法の前に、与圧 (compression) セラピーなるものも実施されたらしい。キャンディスをシートでくるみ (ただし、頭までは覆わない)、両脇にクッションを設置。その後、ジーンがクッションを支えにして、キャンディスの上に乗る。上から見れば十字型になる。そんな行為を続けた後、ジーンを椅子に座らせ、キャンディスをジーンの元まではいはいさせる。ジーンはキャンディスを赤子のように抱いて、食物を食べさせる。

 そして、運命の4月18日。時間はそろそろ午前10時になるという頃。キャンディスは前夜、幼い自分を産みの母が2階の窓から落として殺す夢を見たという。セラピストのジュリー・ポンダー (Julie Ponder) はキャンディスに、赤ん坊になりきって泣きながら母親の「子宮」から出てくるように指示した。青いフランネルのシートにキャンディスを横たわらせ、胎児のような姿勢にさせると、シートでくるみ、キャンディスの頭上の方で端をより合わせた。そして、その上に枕を置いた。フランネルのシートを「子宮」に見立て、キャンディスをそこから「再誕生」(rebirthing) させようという趣旨である。大人たちはキャンディスを周囲から圧迫してキャンディスの邪魔をし、狭くて苦しい子宮の中を再現する。ジーンはキャンディスの頭の方に位置取り、キャンディスの再誕を待つ。どういうわけか、セントクレアの養子である車椅子のタミー (Tammy) もセラピーに居合わせたらしい。タミーは精神や身体に障害があった。

 こうして準備を整えた後、ワトキンス、ポンダー、セントクレア、マクダニエルの4人はキャンディスの圧迫を開始した。キャンディスの体重は70ポンド (32キログラム弱)、4人の成人の体重は合計で673ポンド (305キログラム強)。堪らずキャンディスは死にそうだ、息ができないと訴えたが、4人は構わずに圧迫を続け、ときには寄りかかるようにしてさらに体重をかけた。ジーンはキャンディスの再誕を楽しみに待っているというようなことを言うばかりであった。「治療」を始めて20分頃、キャンディスはシートの中で嘔吐した。しかし、胎児が子宮内で吐瀉物に塗れようとも4人の大人たちは構わず圧迫し続けた。40分後にはキャンディスは完全に沈黙した。ポンダーは"quitter" (「意気地無し」、「臆病者」などの意) などと罵倒した。しかし、いくら蔑んでも、声をかけても、胎児は全く反応しなかった。

 そのうちに、ワトキンスとポンダーは様子がおかしいことに気が付いた。2人はジーン、さらには助手のセントクレアとマクダニエル (ついでにタミーも) を退出させた。4人を体よく追い払った後、ワトキンスとポンダーはキャンディスがいるシートを広げ、その様子を確認した。キャンディスは青ざめて、身動き一つしなかった。ジーンは別室でモニターを通じて部屋の様子を見ていたが、事態の深刻さを理解して愛娘の元へ駆け込んだ。ジーンとポンダーは心肺蘇生を始めたが、全ては後の祭りだった。翌朝9時にキャンディスの脳死が宣告された。死因は脳幹ヘルニアおよび脳浮腫。圧迫され、そして、窒息した。ただ、それだけの結末だった。「治療」の際、セラピストたちは「再誕生」しなければ「子宮」の中で死ぬだけだとキャンディスを脅したが、まさにその通りの結果に終わったのである。

 裁判の際には「治療」の様子が上映された。治療の様子を顧客に見せることがしばしばあったため、セラピストたちは治療の模様を撮影していたのである。ワトキンスとポンダーのセラピスト2人には16年の懲役判決が下された。2008年6月6日、ワトキンスは同種のコンサルタントやカウンセリングを行う職に就かないなどの制限を条件に釈放された。コロラド州ではこの類の治療法を禁止するCandace's Law (キャンディス法) と呼ばれる法律が制定されたという。

 「再誕生療法」という言葉でウェブ検索すると、我々の治療法は今回の事件で行われた治療法とはまるで異なるものですと説明する日本語のウェブページが出てくる。現在もこの事件はこの手の分野に暗い影を落としているようだ。なお、本ページで紹介した事件の内容は、ニュースによる伝聞を拙い翻訳で日本語化したものであるため、実際にあった事件とは異なる部分がある可能性を否定できない。ご了承いただきたい。

参考文献

  1. Crowder, Carla; Lowe, Peggy (2000年10月29日). Her name was Candace. Rocky Mountain News. 2019年6月22日閲覧.
  2. Gillan, Audrey (2001年6月20日). Controversial therapy that killed. The Guardian. 2019年7月8日閲覧.
  3. Excerpts from video of the 'birth' and death of Candace. Rocky Mountain News. 2001年4月6日. 2019年8月18日閲覧.
  4. Nicholson, Kieran (2008年8月1日). Therapist in ‘rebirthing’ death leaves prison. The Denver Post. 2019年8月18日閲覧.

2019年7月21日日曜日

"This Is A True Story"、トレジャーハンターとされた日本人女性の悲しき真相

この記事をゆっくり解説化しました。宜しければどうぞ。

 次の文章は、奇妙な事件に関するニュースを専門とするNews of the Weirdが2002年1月下旬に配信した記事から引用したものである。

Ms. Takako Konishi, 28, was found dead, of probable suicide, in Detroit Lakes, Minn., six days after being spotted in Bismarck, N.D., inquiring how to find the money that had been buried by a character in the movie "Fargo."

 この英文を訳すと「28歳のコニシタカコ (Takako Konishi) という女性がミネソタ州デトロイト・レイクスで遺体となって発見された。自殺のようだ。その6日前にノースダコタ州ビスマークで目撃されており、映画『ファーゴ』である登場人物が埋めた金のありかを尋ねていた」となる。

News of the Weirdの記事

 また、のテレグラフでの報道では、このコニシタカコという女性の事件についてより詳細に説明している。その記事の内容を要約すると次の通りである。一部、内容を補足している。

東京に住むコニシタカコという女性が1ヶ月前にノースダコタ州へ旅立った。コニシの姿がビスマークにあるゴミ捨て場の近くで目撃され、警察に通報された。警察が尋問すると、コニシは粗雑な出来の地図を見せた。コーエン兄弟製作の映画『ファーゴ』では、1987年に実際に発生した事件を元にしていると説明する演出があるが、実際は事実を元にしておらず、完全なフィクションである。コニシはどうやら映画が事実を元にしていると思い込み、作中でスティーヴ・ブシェミが雪の中に埋めた金を地図を手に探しに来たようだ。警察官たちは映画は単なるフィクションであり、埋められた金は実在しないと説明しようとしたが、コニシを説得することはできなかった。その後、ファーゴとブレイナードの間にあるデトロイト・レイクスの近くの森林で、狩人がコニシの遺体を発見した。警察によると、-3℃の寒い夜だったにも関わらず、コニシは軽装だったという。

 コニシの事件に関するニュースは大きな話題になったという。この奇妙な事件から着想を受け、ゼルナー兄弟が製作したのが、菊池凛子主演の2014年の映画『トレジャーハンター・クミコ』である。

映画『ファーゴ』
ある日本人女性が映画『ファーゴ』は事実を元にしていると勘違いして金を探しに行き、その結果死亡したと報道された。
映画『トレジャーハンター・クミコ』
そして、その事件から着想を得て映画が製作された。

 ゼルナー兄弟と同じように事件に関心をもった人物がもう1人いた。ロンドン在住のアメリカ人ポール・バーセラー (Paul Berczeller) である。バーセラーはこの奇妙な事件を再現したドキュメンタリー映画を制作しようと考えた。事前に警察から入手した資料の中には遺体発見現場の写真もあった。バーセラーは当時のコニシと同じ格好をした役者を連れて、事件の関係者とインタビューを行おうと計画した。さながら、血の通ったコニシの亡霊を現世に呼び出したかのように。こうして、コニシ役のオオモリミミ (Mimi Ohmori、ロンドン在住の音楽プロモータ) という女性、そして撮影スタッフとともに冬のアメリカへ飛んだ。本稿では、バーセラーが解明した事件の真実について詳細に紹介する。この不可思議な事件の真相は、全くもって奇妙なものではなく、ある意味ではありふれたものだった。

コニシの行動

ビスマーク、ファーゴ、デトロイト・レイクス

 事件は2001年11月にコニシがビスマークを訪れたところから始まる。辺りをうろついてたときに通りすがりの親切なトラック運転手が、助けが必要な様子だった彼女を見かねてビスマーク警察署へ送り届けた。

ビスマーク警察署

 コニシの格好は警察官たちにとっては異様なものだった。寒い冬のノースダコタで、ミニスカートを履いて歩いて回る女性などいない。警察官の中には娼婦ではないかと疑った者もいた。 警察官たちはコニシとの会話を試みたが、コニシは英語が分からず、警察官たちは日本語が分からなかった。コニシはポケット翻訳機を持ってきていたが、役に立たなかった。警察官たちは近くの中華料理店に電話をかけて助力を求めたが意味は無かった。

コニシの格好 (再現)
バーセラー制作のドキュメンタリーで再現されたコニシの格好。黒いミニスカート、黒いブーツ、黒いコート。このカットには写っていないが、髪も黒かった。 (出典: This Is A True Story)

 コニシは警察官たちに地図を見せた。地図は紙に道路を示す2本線と木が書かれているという代物だった。道路の側に木があるという光景がありふれていたノースダコタ州では役に立たなかった。 コニシは「ファーゴ」という言葉を何度も発言した。そのため、警察官たちは、コニシは映画『ファーゴ』を事実であると思い込んでおり、手に持った地図は金のありかを示すものだろうと解釈した。警察官たちはコニシの誤解を解こうとしたが、結局、コニシは金を探し出そうと決意を固めていると推測し、説得を諦めた。

 警察署へ来てから4時間後、応対した警察官の1人であるジェシー・ヘルマン (Jesse Hellman) はコニシを車に乗せてバス発着場へ送り届けた。 車の中で、コニシは腹を押さえる仕草をした。ヘルマンによると、コニシは"cancer" (癌) というような単語を発したという。"six months" (6ヶ月) とも発言した。癌を患って6ヶ月なのか、癌のために余命6ヶ月なのか。コニシの発言の意味は明確には分からなかった。 事件の後、デトロイト・レイクスの刑事から電話があった。ヘルマンの名刺を財布に入れた日本人女性の遺体が森の中で発見されたという内容だった。 ヘルマンはコニシを1人にしたことを後悔しているという。

 癌のために余命短い女性が、一発逆転を賭けて、映画『ファーゴ』の金を探しに来たのだろうか。しかし、実際はそうではなかった。遺体から癌は発見されなかった。コニシと警察官たちとの会話は成り立っていなかったのである。

 コニシはファーゴでバスを降り、Quality Innという安モーテルへ宿泊した。コニシは夜間担当の従業員と会話した。その従業員はイギリスのチジック出身で、彼によると、コニシは映画の話など一切しなかったという。コニシは星が綺麗な場所を探していたという。彼は地図を示して良い場所を教えてあげた。ただ、この辺りは特別星が綺麗という評判があるわけではないらしく、わざわざ寒い時期に星を見に行こうとするのは奇妙だとも思っていた。

 翌日、コニシはタクシーを拾ってデトロイト・レイクスへ向かった。デトロイト・レイクスはリゾート地らしいが、その季節はシーズンオフ。タクシー運転手は不思議に思いながらも、客の事情に不躾に深入りすることはしなかった。コニシは運転手に森の中に降ろすように頼んだ。人家も疎らなただの森に。

デッドショット・サークル

 タクシーを降りた後のコニシの足取りを知る人物がいる。コニシを目撃したのはデビー・クルーガー (Debbie Krueger) という女性だった。コニシはデッドショット・サークルの近辺で雪の積もった丘を登っていたという。普段、そのような場所を通る人はいない。黒い服に身を包んだコニシはさながら魔女のように見えた。クルーガーは自分の子供たちに外に魔女がいると話した。しかし、クルーガーは後にコニシを放置したのを悔やんだ。雪の中をさまよっていた彼女に手を差し伸べるべきだったのではないか、と。

 生前のコニシと関わった人物はまだいる。Jeff NemecとScott Manevaiの2人組が車を走らせていたところ、雪の積もった丘を下ってきたコニシに出会った。2人はこの奇妙なヒッチハイカーを車に乗せてあげた。コニシが止まれと指示した場所で車を停めると、コニシはそのまま立ち去っていった。

真相

 その後、デトロイト・レイクスの森林でコニシの遺体が発見された。遺体には他殺を示唆する外傷はなかった。遺体からは鎮静剤、精神安定剤、精神病治療薬といった少なくとも6種類の薬が検出された。コニシはシャンパンを飲み、積雪の中で凍死したようだった。そして、死から3週間後、コニシの両親の元に手紙が届いた。コニシがビスマークで警察官たちに出会った日に出したものだった。手紙の文面は次のとおりである。誤字は敢えてそのままにした (出典: This Is A True Story)。

新愛なるお父さん、お母さん、弟へ。
この手紙が届く頃には、私はもう
亡くなっていると思います。
先立つ不幸をどうぞお許し下さい。
二○○一年十一月十一日
誉子
両親に送られた遺書の一部

 真相は自殺だった。コニシは地方から上京し、東京にある旅行代理店で働いていた。しかし、勤務先が倒産して失職。その後は深夜に「仕事」に出て、朝に帰宅する生活を送っていたという。コニシにはダグ (Doug) という名の恋人がいた。恋人は既婚者で、彼女を置いてシンガポールへ行ってしまった。コニシが自殺を遂げた理由は、失職後の荒れた生活や失恋によるものだったようだ。コニシは過去にミネソタ州に3回行ったことがあった。恐らくはその恋人と一緒に旅をしたのだろう。ファーゴは元恋人の故郷だった。コニシが何度も言及した「ファーゴ」という言葉は映画ではなく地名だったのである。コニシは宿泊先でシンガポールへ国際電話をかけていた。その電話の相手も元恋人だった。40分間の料金88ドルの電話。これが元恋人への最後の電話だった。

当時の報道

この事件はテレビのニュースでも紹介されたようだが、真相は全く異なっていた。 (出典: This Is A True Story)

 この事件はインターネットなどで大きな話題になったという。若い日本人女性が存在しない財宝を求めて冬のミネソタ州を訪れ、その果てに死亡した。あまりにも奇妙な話。しかし、実際はそのような出来事など起こっていなかった。映画『ファーゴ』と同様に実在しなかった。単に、言語の壁によりコニシの話を警察官が勘違いして、その話が広まってしまっただけだったのである。苦しい生活と恋愛の問題で追い詰められた女性が自殺した、というありふれた悲劇に過ぎなかった。もっとも、ありふれた悲劇でも、彼女と関わり当事者になってしまった時点で、もはや拭いがたい後悔から逃れることはできないのであるが。

 この事件を取材したバーセラーは本邦へも訪れ、コニシが住んでいた家の大家にもインタビューを行っている。事件の際、大家の女性はコニシは故郷へ帰ったのだろうと思っていたが、それから少し後にコニシの母親から電話があり、遠い異国の地で亡くなったことを知らされた。大家はコニシに何もしてあげなかったことを後悔しているという。コニシの部屋にはカセットテープの入ったラジカセが残されていた。カセットにはテレサ・テンの『ふるさとはどこですか』が録音されていた。コニシのお気に入りの曲だったという。出来すぎた話のようではあるが、彼女はこの曲に突き動かされて、恋人との思い出の地で最期を過ごそうと考えたのかもしれない。

最後に

 バーセラーの取材の成果はThis Is A True Storyと題され、2003年にイギリスのチャンネル4で放映された。現在、上記のリンク先で無料で鑑賞できる。映画『ファーゴ』を意識した題名通りの真実の物語である。前述のとおり、コニシをオオモリという女性が演じているほか、事件の関係者本人が映画に出演している。 コニシの遺体発見の状況も再現されているが、実際にはコニシが亡くなった場所から少し離れたところで撮影されている。さすがに場所そのものまで再現する気にはならなかったようだ。オオモリはコニシが亡くなったところにあった木のそばにオレンジをお供えしたという。

余談

 同じ事件を扱っているNewSphereの記事では、Paul Berczellerを「ポール・バークゼラー」と紹介しているが、これは誤りである。本人が出演したラジオ番組での自己紹介から、"Berczeller"は「バーセラー」と発音すると分かる。

 ついでに個人的な経験談を付け加えると、日本人女性が雪の中をミニスカート姿でさまようのはそこまで不思議な話ではないと思う。私の故郷は北国で、冬になると嫌でも雪が降ってくる。そのような環境下でも、女子高生たちはミニスカートを履いて学校に登校する。もちろん、除雪されて歩きやすくなっている道路を通るが、ストッキング1枚で寒さを凌げるとは思えない。もしも雪の中で自殺しようと計画したとしても、日本人女性というものはせめて可愛らしい格好をして死のうとするのではなかろうか。

参考文献

  1. Berczeller, Paul. This Is A True Story. Vimeo.
  2. Berczeller, Paul (2003年6月6日). Death in the snow. The Guardian. 2019年6月22日閲覧.
  3. Fargo. NPR. 2015年4月24日. 2019年6月22日閲覧.
  4. Fenton, Ben (2001年12月11日). Cult film sparked hunt for a fortune. Telegraph. 2019年7月13日閲覧.
  5. Vincent, Alice (2015年4月14日). The truth behind Fargo's 'true story'. Telegraph. 2019年7月13日閲覧.
  6. Storr, Will (2015年2月25日). Did a woman die trying to find Fargo's buried treasure? Telegraph. 2019年7月13日閲覧.
  7. Powell, Mike (2015年3月18日). The Woman Who Froze in Fargo. GRANTLAND. 2019年7月21日閲覧.
  8. Macfarlan, Tim (2015年4月3日). Kumiko, the Treasure Hunter tells of woman who died 'trying to find Fargo suitcase with $1m in'. Daily Mail Online. 2019年6月22日閲覧.
  9. Shepard, Chuck. News of the Weird. Santa Monica Daily Press. 2002年1月31日. vol. 1. iss. 69. p. 6.
  10. About News of the Weird. uexpress. 2019年7月20日閲覧.
  11. 米国では有名な、亡き日本人女性の都市伝説 菊地凛子主演の映画化で好評価 その内容とは? NewSphere. 2014年2月2日. 2019年7月13日閲覧.
  12. 菊地凛子主演の日本未公開アメリカ映画、「トレジャーハンター・クミコ」初放送. 映画ナタリー. 2015年9月10日. 2019年7月20日閲覧.

2019年7月7日日曜日

「スレンダーマン・スタビング」、心に巣食った影 (2019年12月1日追記)

この事件のゆっくり解説を制作しました。宜しければどうぞ。誤植がありますが……。

 2014年5月31日、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ウォーキショーの森の中で、12歳の少女が同い年の少女2人に包丁で19回刺された。幸いなことに、被害者は負傷から立ち直り、秋には学校に復帰した。2人が親友を殺そうとした理由は意外なものだった。架空の存在である「スレンダーマン」(Slenderman) に捧げ物をするためだったのである。本稿ではアメリカで"Slenderman Stabbing" (スレンダーマン・スタビング) と呼称されるこの事件について解説する。

 2019年10月下旬、事件の被害者が初めて重い口を開いた。詳細は「追記: 2019年10月下旬の続報」にて。

そもそもスレンダーマンとは?

スレンダーマンの初出
白黒の写真。奥にスレンダーマンがいる。
白黒の写真。子供たちが遊んでいる。その奥にスレンダーマンがいる。
Victor Surgeが創造したスレンダーマンが登場する最初の作品 (Create Paranormal Imagesより引用)

 「スレンダーマン」のことを全く知らないという読者のために説明するが、スレンダーマンとはフィクションの怪物である。異常なほどの高身長、痩せぎすの体躯、のっぺらぼうの顔、身にまとったスーツが特徴である。 起源は2009年6月に遡る。Something Awfulという海外のウェブフォーラムのCreate Paranormal Imagesというページで、超常現象を題材とした写真を「作る」試みがあった。 様々な画像が投稿されたが、その中でもVictor Surge (ヴィクター・サージ) ことEric Knudsenが制作した2枚の画像が好評になった。それがスレンダーマンが最初に登場した作品である。 それ以来、ファンたちは数多くの二次創作を制作していき、知名度を増していった。本邦でもホラーや創作を好む人々の間では有名で、「スレンダーマン」というキーワードでウェブ検索をすれば様々な作品を見つけることができるだろう。

 スレンダーマンはいわゆる「クリーピーパスタ」(Creepypasta) の1つでもある。クリーピーパスタは元は「怖いコピペ」程度の意味であり、現在ではホラーを中心とした広範囲の創作ジャンルを意味するらしい。本邦で言うところの「洒落怖」(匿名掲示板「2ちゃんねる」のオカルト板の名物スレッドに由来する言葉) が近いかもしれないが、クリーピーパスタほどの勢いはない。スレンダーマンは本邦での「くねくね」や「八尺様」の立ち位置に近いと思われる。クリーピーパスタは海外が中心であり、日本語での資料は不十分である。私のおすすめはCandle Coveという作品である。スレッドを模した形式であり、多少英語が読めれば問題なく読める。簡潔にまとまった傑作である。

 ここで注意すべきなのは、スレンダーマンは単なるフィクション上の存在であり、面白い創作物として創造されたコンテンツに過ぎないということである。本稿で説明するような悲劇を望んで作られたわけではない。スレンダーマンはクリーピーパスタというジャンルの中で極めて重要な存在であった。被害者へ手を差し伸べるため、そして、スレンダーマン、さらにはクリーピーパスタの存在を守るため、関係するインターネット・コミュニティのメンバーたちは、6月13日から24時間、YouTubeで被害者に向けての募金活動を目的とした生放送を配信した。

 詳細は後述するが、実は加害者にはある特別な事情があったらしい。スレンダーマンは多くの人々から愛され恐れられる人気者だった。作品として非常に出来が良かった。質が良かったからこそ、このような悲劇に繋がってしまったのかもしれない。良いフィクションは良くも悪くも人間の精神や感情に働きかけるものである。今回のような事件は滅多に起こるものではない。とはいえ、人々が創作活動に勤しむ限り、ごく稀ではあっても、社会を揺るがすような大事件という「副作用」もまた生じてしまうのかもしれない。

事件の経緯

サンセット・アパートメンツ

ホーニング・ミドル・スクール

 アニッサ・ウェイアー (Anissa Weier) はこの事件の主要人物の1人である。猫が鼠をいたぶって殺す映像、棒付きキャンディーの柄で人を殺す方法、「サイコパステスト」なるものなど、悪趣味な話題を好んでいた形跡がSNSに残っていたが、新たな友人に出会うまではその程度の凡庸な少女のままでいられたのかもしれない。その友人の名はモーガン・ゲイザー (Morgan Geyser) といい、ハリー・ポッターシリーズなどのファンタジーが好きな空想家だった。特にヴォルデモートのことがお気に入りだったらしく、"Voldie"というペットにでもつけるようなニックネームで呼んでいた。アニッサとは同じサンセット・アパートメンツ (Sunset Apartments) に住み、同じバスでホーニング・ミドル・スクール (Horning Middle School) へ通うという縁があった。2013年12月、アニッサはモーガンにCreepypasta Wikiを紹介した。そのウェブサイトではスレンダーマンも紹介されていた。アニッサはモーガンを「チャイルド」(Child) と呼んでいた。2人は仲良くスレンダーマン関係の創作を鑑賞していった。事件後にモーガンの寝室を捜索したところ、スレンダーマンを描いたと思しき落描きが50以上発見された。夢見がちな少女だった2人は、次第にスレンダーマンの存在を信じるようになった。モーガンはアニッサにスレンダーマンを幼い頃に見たことがあると語った。こうして急速にのめり込んでいき、12月下旬にはスレンダーマンに「捧げ物」をする計画をたて始めていたという。スレンダーマンはニコレット国立森林公園の中心にある邸宅に住んでおり、捧げ物をしなければ自分たちや家族を殺そうとすると信じた。

モーガンが描いたスレンダーマン
ナプキンに描かれたスレンダーマンの落描き。触手が生えている。
モーガンが外食の際にナプキンに描いたスレンダーマン。父親がInstagramに写真を投稿した (Wisc. judge orders ‘Slender Man’ girls to stand trial as adults for attempted murderより引用)。

 2人は贄として敢えてモーガンの親友を選んだ。ペイトン・ロートナー (Payton Leutner) は同じクラスにもう1人ペイトンという名前の人物がいたため、ベラ (Bella) と呼ばれていた。ベラとモーガンは4年生の頃からの親友だった。モーガンとアニッサはスレンダーマンの「代理人」(proxies) となり、スレンダーマンの実在を証明しつつ、彼の存在への奉仕を身をもって示すため、ベラを殺すことを決断した。

 2人は「キャンプ旅行」(camping trip) という隠語を使いつつ、ときには学校へ向かうバスの中でも殺人の計画をたてた。スレンダーマンが暮らす (と2人が信じていた) ニコレットへのキャンプである。2人は5月30日のモーガンの誕生日にお泊まり会を開き、眠っているベラを殺害することにした。ベラの口をダクトテープで塞いで首を刺し、死体を寝具で隠してそのまま逃亡するという作戦だった。

 そして5月30日金曜日、すなわちモーガンの12歳の誕生日、3人はローラースケートを楽しめる「スケートランド」(Skateland) という施設で遊んだ後、モーガンの家で夜を過ごした。計画では午前2時にベラを殺すつもりだった。しかし、計画は延期になった。モーガンがベラにもう1日猶予を与えたくなったためである。もしかしたら、単に怖気づいただけかもしれない。

スケートランド

サンセット・アパートメンツとデーヴィッズ・パーク周辺の地図

デーヴィッズ・パーク (中央の建物が公衆トイレらしい)

 翌日、2人はまるで昨日の殺意がなかったかのようにベラと仮装遊びをしたらしい。モーガンは『スタートレック』のデータという登場人物に、ベラはピンクの衣装のお姫様に、アニッサは"prosti-troll"なる自身が創作したキャラクターに扮したという。しかし、その裏で2人は新たな計画を実行しようとした。ドーナツと苺という朝食の後、モーガンは台所から包丁をこっそりと持ち出した。近くのデーヴィッズ・パーク (David’s Park) という公園の公衆トイレでベラを殺すという算段である。アニッサは排水管があるトイレは血液の処分に都合がいいと考えた。ベラをトイレで刺し殺して逃げるという計画だった。2人はベラを眠らせようと誘導したり、気絶させるために煉瓦の壁に頭を叩きつけたりした。組み付いて押さえつけようとしたとも言われている。しかし、上手くいかず、モーガンも取り乱し始め、また計画を変えることになった。

 次の、そして最後の計画は、ビッグ・ベンド・ロードの外れの森の中でのかくれんぼだった。かくれんぼの最中、アニッサがベラを押し倒して動きを封じた。モーガンがとどめをさしてくれるだろうと期待してのことだった。しかし、ベラが息ができないと騒ぎ始め、アニッサはベラから離れた。モーガンはアニッサは人体の急所にくわしいだろうと言ってアニッサに包丁を渡した。アニッサは躊躇してモーガンに包丁を返した。2人が包丁を押し付けあっている一方で、ベラは命を狙われているとも知らず、しゃがんで花を弄っていたらしい。結局、アニッサの合図でモーガンがベラを刺すことになった。アニッサの“Go ballistic, go crazy.”、“Now.”という言葉とともに、モーガンはベラに組み付き、同い年の少女の体を何度も切り付けた。

ベラが刺されたときに着ていたシャツ
血染めのシャツ。ハートのプリントが施されている。
犯行現場に残されたベラのスリッパ
草叢の中に落ちたスリッパ。僅かに血液が付着している。
逮捕されたモーガン
モーガンの写真。身につけたジャケットには血液が付着している。
発見時、モーガンのジャケットには血液が付着していた (Haunting images show the aftermath of the Slender Man stabbing sceneより引用、一部加工)
包丁が入っていた鞄
ハンドバッグ。中には包丁やノート、食物の包装などが入っている。

 2人はベラの傷に葉っぱを当て、出血を抑えるために横たわって安静にしているように指示した。2人は助けを呼んでくると言ってベラを置いて立ち去った。しかし、2人にはベラを助ける気などなく、騒がずに静かに死んでほしかっただけだった。2人の少女はスレンダーマンに会いにニコレットへ向かった。一方で、ベラは血塗れの体を引きずってどうにか道路まで這っていった。そこを自転車に乗った男性が通りがかり、ベラはウォーキショー・メモリアル・ホスピタルに搬送された。ジョン・ケレマン (John Keleman) 医師が手術を担当した。包丁は腕や脚を傷つけ、肝臓や膵臓、胃を貫いていた。心臓の近くの重要な動脈をぎりぎりで逸れていた。髪の毛1本程の差がベラの命運を分けた。

ニコレット国立森林公園への経路
事件現場の近くのデーヴィッズ・パークからニコレット国立森林公園まで。あまりにも遠い距離だが、スレンダーマンの加護があれば無事に辿り着けたのだろうか。

 警察は4時間以上後に州間高速道路94号線の近くで2人を発見した。2人はウォルマートに寄ったり墓場を通り抜けたりと辺りを彷徨っていたらしい。モーガンが自宅から持ち出したハンドバッグには、親友の命を奪った (と2人は信じていた) 凶器が収まっていた。これからは永遠にスレンダーマンと一緒に暮らすことになる。家族とは二度と会えないが、持ってきた写真が慰めになるだろう。しかし、スレンダーマンは迎えに来てくれなかった。 2人はウィスコンシン州の法律に基づき、成人として裁判を受けた。結論を言えば、2人とも精神疾患により無罪という判決だったが、自由な生活を取り戻せたわけではない。アニッサの裁判が先行し、2017年12月21日、25年間精神病院の監督下に置かれることになった。続いて2018年2月1日、モーガンは40年間精神病院の監督下に置かれるという決定が下った。

 19箇所も刺されたベラはその後にどうなったか。ベラは入院してから1週間後に退院し、9月頃には学校に復帰した。善意ある人々からの援助も受けた。しかし、治療の後も数多くの傷跡が体に残った。そして、精神の傷は簡単には癒えなかった。事件から数ヶ月間、眠るときは近くの枕の下に鋏を置いていた ([追記] 2019年10月24日のABC Newsの記事によれば、枕の下に鋏を置いて眠る習慣は今日に至るまで続いているという)。2018年の記事によれば、高校に通うようになった今でも、家族揃ってセラピーを受けているという。

加害者の事情

モーガンのバービー人形とノートの落描き
裸のバービー人形。落描きが見られる。
ノート。必要な物品が列挙されている。
スレンダーマンの顔と思しき落描き。"HE Still SEES YOU"とも書かれている。

 2人がスレンダーマンの存在を信じ込んでしまったのには理由があった。実はモーガンは統合失調症を患っていた。幼い頃から他人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえたらしい。幽霊や好きな本のキャラクターなどの幻覚を見ていたという。裁判を受けた時期のすぐ前にも「マギー」(Maggie) という存在の声を聞いていた。モーガンは両親に自分の状態について上手く隠し通していた。犯行の後に初めて判明したのである。 実は、モーガンの父親も統合失調症を患っていた。しかし、子供の発症は珍しいこと、まだ子供のモーガンに話すのは早いと判断したことから、両親は父の病について黙っていた。両親はこの決断を後悔しているという。

 一時期、モーガンは自分の背後に影のような男の姿を見ていたという。男は痩せぎすで、ぼんやりとした姿をしていた。モーガンはこの存在を「イット」(IT) と呼んでいた。スティーブン・キングの『IT』と似たような呼称だが、偶然の一致らしい。いつしかそれは姿を現さなくなったが、モーガンはそのときの恐怖を忘れることはできなかった。 アニッサからスレンダーマンについて教えてもらったとき、モーガンはITの正体を知ったと思い込んだ。ITがいつの日かスレンダーマンとして自分の元に帰ってくることを恐れた。 モーガンは幼い頃にスレンダーマンを見たことがあると語り、アニッサはそれを信じた。アニッサはモーガンの妄想に感化されてしまったようだ。当時、アニッサの家庭は両親の離婚などの問題があったらしく、家庭環境でのストレスも妄想へ引き寄せられた要因なのかもしれない。親友同士の内緒話が効果的に妄想をかき立ててしまったようである。

 こうして、2人は架空の怪物の従者となるべく、親友を罠にはめることにしたのである。19回も少女に包丁を突き立てたのは残忍な犯行であると同時に、蛮勇を発揮して必死になって殺そうとした結果でもあるのだろう。怖気づいて何もせずに帰宅すれば、楽しい誕生日の影であった嫌な思い出で済んだのである。何事もなく日々を過ごした後、統合失調症のことを知って、病気と付き合って人生を穏やかに過ごすこともできたのかもしれない。

 残酷で悪趣味ではあるものの、人々に非日常のスリルを与えてくれていたオープンな創作が、運悪く知ってはいけない人にまで知られてしまい、凄惨な事件へと発展した。被害者が生還してどうにか日常に戻ることができたのはせめてもの幸いである。創作の愛好者から、被害者と加害者、その家族まで、全員にとって不幸な結果に終わった事件であった。

追記: 2019年10月下旬の続報

 これまで、被害者のベラ本人が公的に発言することはなかった。被害者の立場から公的に発言していたのは、ベラの両親、あるいは一家のスポークスマンであるSJL Government Affairs & CommunicationsのSteve Lyons氏だけだった。しかし、、ABCの番組20/20で初めてベラ本人が重い口を開いた。そのためか、事件について扱う記事が2019年10月下旬に改めて投稿された。当時、事件を担当した捜査官たちが本件について語る記事や、事件の影で苦悩したベラの弟ケーデン (Caden、当時10歳) を主題とした記事、テレビ番組20/20でのベラの発言をまとめた記事などを確認している。これらの記事から新たに発見した事実を下記に挙げる。もっとも、2019年10月下旬以前の記事やテレビ番組でも既出だったが、私が知らなかったから新事実と思い込んでいるという情報もあるかもしれないが……。

  • ベラがモーガンと友人になったのは4年生のとき。当時のモーガンは友達がいなくて独り淋しく過ごしていたらしく、孤独なモーガンを気遣ってのことだった。
  • モーガンがアニッサと友人になったのは6年生のとき。アニッサはベラに対しては態度が冷たく、ベラはアニッサを好ましく思っていなかった。ベラはアニッサとも交友関係をもったが、それはモーガンがアニッサを大事に思っていたため。あくまで親友の親友という位置付け。
  • モーガンとアニッサはスレンダーマンに夢中になっていった。ベラはモーガンの変化に戸惑った。スレンダーマンに悪い印象を持っていたこともあり、モーガンとの友達付き合いを止めることも考えた。しかし、罪悪感があり、事件の日まで親友として接し続けた。
  • モーガンとアニッサは人前で殺人計画について相談していた。その際に、物騒な言葉を隠語に置き換えている。「ナイフ」は"cracker"に、「殺人」は"itch"に。
  • モーガンはアニッサにブラウザの履歴を削除するのを忘れないようにと指示する電子メールを送っている。モーガンは事件を起こす前にパソコンで、殺人後に逃亡するための方法や、自分がどれほど正気でないか、というような事柄をインターネットで調べていた。
  • モーガンとアニッサは最初、モーガンの誕生日のお泊まり会でベラが眠っているところを襲撃するつもりだったが、当初の計画は実行されなかった。アニッサの話によると、計画を一旦取り止めた理由は単純なもので、その日にスケートランドで遊んだ疲れで眠かったためらしい。
  • モーガンは家では夜更かしが禁止されていたため、お泊まり会のときはいつも夜遅くまで起きていた。しかし、件の誕生日でのお泊まり会では夜更かしせずに眠ろうと提案してきた。普段とは異なる行動をとっていたとはいえ、ベラはそれが自分を殺すためだったとは気付けなかった。
  • 森でのかくれんぼの際、アニッサはベラに、地面に伏せて、木の枝や葉っぱで身を隠すように指示してきた。それはベラを襲いやすくするための罠だったが、やはり事が起こるまで気づくことはなかった。
  • 事件以来、ベラは念のために自分の近くの枕の下に壊れた鋏を置いておくようになった。その習慣は今日まで続いている。
  • モーガンとアニッサは州の法律により成人として裁判を受けた。2人の扱いについては異論もあるが、ベラ本人は2人が成人として裁かれたのは正当な扱いであると考えている。お菓子を盗んだというような軽微な罪ならば話は変わってくるが、殺人未遂は子供の犯罪ではなく大人の犯罪であるというのがベラの意見。
  • ベラは現在は高校生。2020年秋に大学入学の予定。事件での経験からか、医療の分野に進みたいと考えている。

参考文献

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