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2026年9月8日火曜日

短編ホラー『死が忘れた家』(Creepypasta私家訳、原題“The House That Death Forgot”)

ロードハウスの写真

メリンダは夜間の運転を嫌っていた。なるべく避けていた。タンポンを切らしたことに気づいたときや、帰宅して夕食に食べるものがなかったときに、店まで少しお出かけするというようなことは時折あった。しかし、誰かが迎えに来てくれる場合でなければ、暗くなった後はなるべく外出しないようにしていた。

だから、当然ながら、今夜の運転は人生で最長のものとなった。月がなく、星々も少なく、頭上を雲が渦巻き、数エーカーの森が道の両側に広がっていた。

メリンダの身に降りかかったたくさんの不愉快な出来事と同じように、これはメリンダの父が原因だった。メリンダは15年間、あのろくでなしと会っておらず、話してもいなかった。しかし、今日の晩に……いや、これは間違いだ。この時間では今日ではなく昨日のことか。眠りに就いたすぐ後に、出し抜けに電話が鳴りだし、父の声が受話器から聞こえてきたのだ。

「お前が必要だ、メリー。頼むから来てくれ、今から」

父はそれだけ言うと、電話は切れた。

あの老いぼれのくそったれはおそらく酔っぱらっていたのだろうが、これまで電話をかけてきたことはなかった。メリンダが子供だった頃と、父が母によりを戻そうとまだ説得していたとき以降はなかった。まるで夢を見ているように感じられた。目が覚めて、数年ぶりに父の声を聞くことになるとは。父は泣いているようだった。父の声は最後に聞いたときとまるで同じように聞こえた。

まるで夢の中であるかのように、メリンダは起き上がり、服を着て、車に乗った。かなり町外れまで来て、父が以前に住んでいた場所への道中、メリンダは父がまだ同じ場所に住んでいるか知るすべがないことに気づいた。数年間、母から父の今の住所についての連絡が時折来ていた。最後に母から父について聞いたのは7年前のことだ。これまで、それほど長く父が一つの場所に留まっていたことがあっただろうか。

記憶の中ではそうではなかった。メリンダが7歳のとき、母は業を煮やして父を追い出した。その前は、数か月ごとに引っ越しがあった。父と暮らしていた家は最も長く留まっていた場所で、それはまる16か月の間だった。父を追い出した後は2年間住み続け、それから次の家に引っ越した。その後、メリンダは家を出て一人暮らしを始めた。その間ずっと、メリンダはなるべく父からの連絡を聞かないようにし、ついには単に父のことを忘れてしまうのが一番だと決めた。

今夜までは。

2時間運転した後、父はまだ同じ場所にいるのだろうかと考えることになった。最後に聞いた住所は、メリンダが育った町の低収入者が住む地域にある粗雑なアパートだった。24号だったか、42号だったか。たぶん14だ。間違いなく4という数字はあった。しかし、そんなことは関係なかった。父の名はどのブザーにもなかった。

畜生! 父は酔っぱらって夜に電話をかけたのだ。電話口で話すほどの重要性があると思わなかった理由で自分が来ることを実質的には強要した。そして、自分が父の今の住所を知っていることを期待した。

怒りが沸き上がる中、踵を返して車へ戻った。ドアをバタンと閉め、来た道の方へ発進した。怒りのあまり、自分がどこへ向かっているのかすら見ておらず、分岐を見逃した。

気が付くと、この寂しい道を走っていた。車はまばらだったが、30分ほどに1回は車とすれ違うことにいくらかの安心感を覚えていた。ダッシュボードの時計は今や午前2時27分を示していた。自宅を出発してから5時間以上運転を続けていた。こんな夜中に。

メリンダは5分ほどに1回、携帯電話を確認した。道に迷ったことに気が付いてからこれまで電話を確認してきたが、全くアンテナが立っていなかった。ガソリンスタンドにも立ち寄った (もちろん閉まっていた)。この辺りのどこかにいくらか電波があるはずだが、何もなかった。

自分の人生を振り返ってみろ、メリー。お前は30歳を超えた。仕事なんて大嫌いだ。母親とも仲が良くない。人生の半分を父と会わず、話もせずに過ごした。友人やあの嫌な仕事で関係する人と過ごす時間もない。そして今はこんなところにいる。行ったこともない道から出られない。しかも夜だ。AMAも呼べないし、ましてやGoogle Mapもチェックできない。お前は頭が回るだろ。

車を止めて、次の車が来たら止めることを少しの間検討した。すぐにその計画は無駄なことだと気が付いた。この道を通る車はどれも電波が入らない。だから仕方がない。家が見えるまで運転し続ける必要がある。眠る誰かを起こすことになるのに罪悪感を覚えたが、もはや他に選択の余地はなかった。主要な高速道路へと戻る道を見つけなければならない。

ただ、これまで道路のわきで見えたものは木しかない。どれほど走っても木ばかりだ。枝の間から見える光もない。道路があり、走る人が明らかにまだいるということを除けば、前に誰かがここにいた痕跡もなかった。

道路標識すらもマイル標以外なかった。どこでもない場所のど真ん中にいるのだろうか。こんなことを考えているとき、ヘッドライトが道路にある何かを照らした。四角い木製の標識だ。明らかに政府でない誰かが作ったものだ。ガソリン、食べ物、ロッジの看板でも、マイル標でもなく、距離の標識でもなかった。近くに店があると宣伝する看板か何かのようだった。メリンダは速度を落とし、看板を読んだ。

グラニー・ロイスのロードハウス
グラニーで夜を過ごそう!
すばらしいサービスをご提供!
部屋!食事!お値打ち価格!
次の出口で!

心臓が高鳴った。ロードハウスで一夜を明かすことに興味はなかったが、どんな店にも電話はある。どれほど悪くても、地図があるか、高速道路へ戻る道くらいは知っているだろう。メリンダはこの宿に立ち寄ることにした。

メリンダは危うく曲がり角を見逃すところだった。グラニー・ロイスのロードハウスは長い未舗装の道の裏手で埋もれ、木々の中に隠れていた。その宿へ戻るための小さな未舗装の「道」の存在に気付かずに、危うく通り過ぎるところだった。メリンダは車を横滑りさせて停めると、その道に入っていった。

小さな宿が前方にあった。建物は二階建てで、八部屋から十部屋程度はあるように見えた。住居にするには大きいが、宣伝していた宿泊や食事の類の用途には小さい。メリンダは近寄って、駐車場の看板を探した。何も見つからなかった。明かりが無くて見えないというわけではなく、看板自体が無かった。玄関灯が点いており、建物の前方はその明かりとメリンダの車のヘッドライトで照らされていた。看板の類は無かった。

メリンダは間違った場所に来てしまったのかと思案したが、この建物と宿の看板の間に他の出口は無かったと確信していた。

メリンダは道の上で車を停め、再び携帯電話を取り出した。まだ圏外だった。無線LANが使えないか素早く検索した。メリンダはもはや驚きもしなかったが、無線LANは見つからなかった。パスコードで保護されているものすらなかった。

ここには自分以外は誰もいない。メリンダはそう思った。

この時点で、メリンダはその家屋が無人でも驚かなかっただろう。しかし、照明が点いているうえに、この建物はロードハウスではあるようだ。フロントには誰かがいるだろう。

メリンダは車から出ると、玄関先へ向かった。フォブに留めたロックボタンを押したときに、ライトが点滅するか確認しようと見回した。すると、木々の間に何かが動いているのが一瞬見えたように思った。人の形をした何か。メリンダは立ち止まり、再び目を向けた。何もない。メリンダは気のせいだろうと決めつけた。

玄関で、メリンダは二の足を踏んだ。この建物が本当にロードハウスであれば、中に入ることができるだろう。ただ、もしも違う建物だったらどうだろう。ドアが開けてみて中に入ったら、こんなどことも知れぬクソ田舎で逮捕されるかもしれない。

メリンダは注意してドアノブを回した。ドアノブは回った。メリンダは優しくドアを押した。ドアは開いた。そこが狭いながらも、上品に飾り付けられた、ロビーを明らかに受付として改装した場所であるのを見て、メリンダの心に安堵が溢れた。右奥の隅には古風で趣のある机があり、そこには間違いなく本物のゲストブックが置かれていた。また、椅子が何脚か並べられており、その隣には雑誌の置かれたテーブルがあった。メリンダは雑誌のタイトルをざっと読んだ。『マドモアゼル』、『ブルーブック』、『ザ・ニューカントリーライフ』、『アーツ・アンド・アーキテクチュア』。それから、小さな机に注意を向けた。

そこにはコンピュータは無かった。それは魅力的な趣だった。過去の時代から来た家屋のようだった。おそらく、老いたグラニー・ロイスは現代の技術を良しとしないのだろう。ただ、小さなベルがあったのだが、それはまるで1929年に巻き戻ったかのようだった。そのベルは叩いて音を鳴らす丸い銀色のタイプですらなかった。小さな磁器のハンドベルだったのである。ここはあまりにも魅力的過ぎる場所になり始めていた。

どうか電話を使わせてほしい。ナンバープランを使わせてほしい。50年代の電話交換局ではなく。

メリンダはベルを手に取り、揺らした。

しばらくは、何も起こらなかった。そのうちに、後ろの部屋で明かりがつくのが見えた。壁に映る老女の影が起き上がった。数秒のうちに影はメリンダの方へ移動し、ロードハウスの主の姿が目に入った。グラニー・ロイスは見たところ、これまで書かれたあらゆる童話に登場するどこにでもいるおばあちゃんといった風だった。

「あら、まあ。びっくり。おはようございます。遅れて申し訳ないわね。でも、こんな時間にお客さんなんてしばらくぶりだったから。名前をお願いしても?」

グラニー・ロイスは小柄な体格で、灰色の髪は後頭部に小綺麗に結わえられていた。ドレスは20年代の年配の市民が着ていそうな見た目だった。ピンク色のセーターは色褪せていた。メリンダは、ロイスはこんな感じの祖母がいてほしかったという見た目だと思った。しかし、母方の祖母はメリンダが幼い頃に死に、父方の祖母には一度も会ったことがない。この愛らしい女性の仕事を断るのは胸が痛みそうだった。しかし、何はともあれ、家に帰らねばならないのだ。

「本当、すみませんけど。実は道に迷っただけなんです。どの方向にいるのかすら分かっていなくて……」

「あら、それは大変。座っていて。お茶か何かを出してきましょうか。寒かったでしょう」

「本当にありがとうございます。でも、大丈夫です」

メリンダは穏やかに言った。

「ただ電話を使いたいだけなんです。電話をかけられれば、それか、地図を貸してくれれば、素晴らしいんですが。ここからほんの数時間のところに住んでいて……」

メリンダの言葉は次第に消えていった。本当にそれが正しいかすら分からなかったからだ。多分、全体では5時間長く間違った方向に車を走らせてしまった可能性もあった。

「あら、まあ」

小柄な女性は悲しそうに言った。

「ごめんなさい。電話は使えないの。地図については、ううん……前は持ってはいたんだけどね。今もまだ持ってはいると思うんだけどね、きっと時代遅れの内容よ。いつからか高速道路が移動したでしょ。よく知っているの」

メリンダは落胆した。ここまで不運が重なるとは。電話が無い。携帯も電話線も。地図もない。どうすればいいのか。家に帰らなければならない。明日は午前8時に仕事することになっていた。どうして電話が使えないのか。天気は寒いが晴れていた。近くの電話線を直していないのか。

メリンダはグラニー・ロイスに自分が住む町の名前を伝えた。しかし、グラニーは

「信じられないかもしれないけど、そんな町は聞いたことないわ。それは何の名前なの」

と言うだけだった。もう一度伝えた。

「いや、聞いたことがないわね。ごめんなさい。どの方向にあるかは言えないわ。一晩泊まってみたらどうかしら。トラブルに免じて値引きするわよ」

「ありがとうございます。ご親切に。でも、明日は仕事で、家に帰らないといけません。どうして今夜外出しているのかも分からないんです。唯一の理由ももう重要ではないみたいで」

「お客様、今夜それほど遠くに車で戻ろうとするのはお勧めしないわ。もう朝の三時ぐらいですし、眠っていないのでしょう。多分、朝には電話線も直るわ。職場に電話できるし、遅刻を連絡すればいいわ」

「それでも駄目なんです。私が始業の担当で、誰もいないんです。ごめんなさい、本当に行かないと。自分がいた道路を見つけるまで、別の方向に進みます」

すると、グラニー・ロイスの表情が、心配している様子だったものが、何か別のものに変わったようだ。恐怖の表情に。グラニーは思案し、この場所に留めるための他の口実が無いかと考えているかのようにメリンダを見ていた。ついにしぶしぶと口を開いた。

「わかったわ、それでいいのなら。気を付けてね。道路に戻るまで誰にも話しかけないように」

最後の警告は少しおかしいように思った。相手が小さな女の子とでも思っているのか。メリンダはグラニー・ロイスにご親切にどうもと伝えると、車の方へ戻っていった。車へ戻る途中、木々の間で動くものを見た気がすることを思い出した。メリンダの目はこの人里離れた小さな開けた土地を見渡した。微風に吹かれてではなく自ら動いているものがないか探した。何も見当たらなかった。安堵した。メリンダは車に向かった。四つのタイヤ全てがパンクしていた。

クソが!

メリンダは屈み込み、タイヤについた長い切り傷を眺めた。こんなグリーン・エイカーの小さな区画に潜む何者かが、タイヤを切り裂いた。今夜は誰かに連絡をとる手段がないと判明するのに時間がかかった間に。

地元の農家のガキの仕業に違いないとメリンダは苦々しげに思った。他に何もすることがなければ、夜に外出して、タイヤを切り裂きに行くかもしれない。

メリンダは立ち止まり、現実を実感した。今夜はどこへも行けない。もはや選択肢はなかった。今夜は宿泊して朝まで過ごす。電話線がうまく復帰して、職場の誰かに電話をかけてここに来てもらう。それから、AMAにタイヤを修理してもらうように頼む。メリンダは溜息を吐き、ロードハウスへ歩いて戻った。グラニー・ロイスが自分の部屋へ歩いて戻る音が聞こえた。グラニーは既に明かりを消していた。運命に身を任せ、メリンダは再び小さなベルを鳴らした。

「先程の方かしら」

グラニー・ロイスが呼ぶ声が聞こえた。

「ええ、そうです。お手数ですがすみません。名前はメリンダ・オートン。すみませんが、前に伝えていませんでした。一晩泊めてもらってもいいですか。まだ先程の申し出が有効であればですが」

「ええ、もちろん大丈夫よ」

グラニー・ロイスはその部屋へ再び入ってきて、また明かりをつけた。

「メリンダね。あら、なんて素敵なお名前。そうね。ご案内するわ。そこの宿帳に名前と到着時刻を書いたら、鍵を渡すわ。宿泊できる部屋は全室、二階にあって、数部屋だけ空いているの」

「ここに他に人がいるんですか」

これは驚きだった。来たときには前庭に車は一台も停まっていなかった。

「ええ、そうよ、メリンダさん」

グラニーは隣室をうろついていた。

「ノリスさん。カルビン君。ここには数名がいるわ」

グラニーは手に鍵を持って戻ってきた。

「ただの好奇心で聞くけど、どうして考えを変えたの」

質問したとき、グラニーは晴れやかな表情だった。メリンダがとにかく宿泊すると聞いて安心したようだった。

「ええと、おそらく地元の子がいたずらしたみたいです。タイヤが切り裂かれていたんです」

グラニーは突然に硬直し、顔が心配と不安で歪んだ。それから、何も悪いことはなかったかのように話を再開した。

「どうしようもなさそうね」

グラニーは悲しげな様子で言った。

「ええと、朝まででなくても、いずれにしても。多分、電話は使えるようになります」

「あら。そうね、多分ね」

グラニー・ロイスはぼんやりとしながら言った。

グラニーはメリンダを連れて、暗い階段を上り、何もない静かな廊下へと向かった。いや、おそらく、それほど静かではない。廊下の端から誰かが泣くくぐもった声が聞こえた。誰が穏やかに泣いているとしても、それは怒りや癇癪、恐怖ではなく、深い悲しみを伴っていた。この人物は泣くことに慣れているが、泣くのを止めることはできずにいるように聞こえた。

「あれは誰です」

メリンダは泣き声が聞こえる方向を指さした。

「あら、気にしないで。あれはノリスさんが泣いているだけよ。しばらくあんな感じなの。年をとっていてね。少しおかしいの」

「理解しました」

メリンダは返答したが、心の内ではどうやって世情に疎い老人がロードハウスに辿り着いたのだろうと考えていた。

「ここには長くいるのですか」

「しばらくの間、ってところね。正確には思い出せないわ」

どのように宿泊費用を支払っているのだろうか。

「ノリスさんは車を運転しませんよね。実際、ここの誰も車を持っていないようでした」

グラニーはこのとき、やましいところがあるような表情でこちらを見上げ始めた。

「あら、まあ。こういうことはお客様の都合よ。そんなことは尋ねないわ」

グラニーは部屋を解錠し、メリンダを招き、ドアを開けた。明かりをつけて、メリンダに古風な趣のある小さな部屋を見せた。メリンダは過去に足を踏み入れたような気分になった。部屋は50年代前半、それも最初期のモダンなものと断言できた。

考えてみると、この場所のここ以外もこのような感じなのだろうとメリンダは思った。ワイヤレスのサービスはなく、コンピュータはなく、古いベル。それに雑誌、あれは新しそうに見えたが……。

そんな思考は遮られた。グラニーは鍵をナイトスタンドの上に置き、説明を始めたのである。

「今、お風呂場はそこの廊下のものは使えないの。フロア全体で共有しているから、行きたいときは我慢して使ってね。ドアにはシャワーのスケジュール表もあるわ。早い者勝ちよ。名前を空いている中で一番上の行に書いてね。それがシャワーの順番よ。でも、私だったらそんなの心配しないわね。間違いなくあなたが最初よ。私は毎朝、午前6時に起きて朝食を始めるわ。でも、準備ができたらいつでも好きなときに降りてきて。さっと何か作ってあげるわ」

「あら、最後に一つ。日の出までロードハウスを出ないことを強くお勧めするわ。外では何が起こるか分からないからね。暗いものね」

「もちろん。暗い中、外には出ませんよ。必要が無ければ……」

メリンダは初っ端から一連の思考を止めていた。

しばらくすると、メリンダは一人になった。一人。寝間着もなく、シャワーや歯磨きもできないし、朝に髪の毛にブラシをかけることもできない。メリンダはベッドに座り、目の前にある窓から外を見た。自分の車がまだ停めたところに置いてあった。数マイル内で唯一の、自分の世界の一部だ。

誰かに連絡を取らない限り、あれは高価で馬鹿でかい文鎮だ。メリンダは苦々しく思った。

部屋はくつろげる空間だったが、立ち上がって明かりを消すのは気が進まなかった。この後方の小さな部屋で就寝するという考えはどういうわけかとても考えられないように思われた。だからその代わりに、メリンダは座り続けて窓の外をじっと見つめた。黒い服を来た人物が、木々の影から離れ、メリンダの車の方へ向かった。

一体何なんだ。メリンダは跳び上がり、窓の方へ駆け寄った。

その人物は背が高く、夜で作られた外套を着ているように見えた。メリンダはその人物の腕を伸ばすのを見た。その手には長くギザギザの短刀があった。その人物は車の側面に短刀を引き、車の塗装と金属部に長い傷跡を残した。

「ちょっと!」

メリンダは叫んだ。

その人物は短刀を引き続けた。メリンダは窓に手を伸ばして開けようとした。窓は動こうとしなかった。ロックを探したが、見つけられなかった。

「ちょっと!」

メリンダは再び叫んだ。

このとき、その人物は頭を上げた。メリンダにはフードの下で輝く二つの目が見えた。その人物はおもむろに決然として短刀を振り上げた。短刀をメリンダの顔に真直ぐ向けた。メリンダは窓から飛び離れ、ドアの方へ駆け寄った。反対方向の物音を聞いて足を止めた。足音。引きずっている、よろよろとした足音。そして泣いている。その声は深く切望する悲しみを人生の目的とする人のものだった。

ノリスさんだ!

メリンダは待った。どういうわけか、件の老人が通り過ぎてからドアを開けた方が良いとただ感じた。しかし、ノリスがかなり遠くに離れる前に、別の足音を聞いた。先程の足音よりもかなり早く軽かった。階段を駆け上がり、メリンダの部屋のドアの近くで止まった。

「止まりなさい!」

グラニー・ロイスがシッと言った。

「すぐに自分の部屋に戻って! そんなことしちゃいけないって分かるでしょ。あの人にあなたの姿を見せられないの。上手くいけば、そんな必要はないんだから。さあ、あそこに戻って。とにかくこんな時間に外に出る用事なんてないでしょ」

一体全体何が起きているの。

あの愛らしい老女が他人にあのように話しかけるとは。心が朦朧とした老人を一人で放置して。メリンダは咄嗟にドアを開けようとしたが、どうにか手を止めた。そして、足を引きずって歩く泣いている男が廊下を戻るまで待った。ノリスがドアを開ける音が聞こえた。自分の部屋のドアを開けると、ちょうどノリスの足が見えた。使い古したスリッパを履いており、引きずるようにして部屋に入っていった。ノリスが部屋に入り、ドアが静かに閉まった。

なんて可哀想な人だ、とメリンダは思った。

しかし、今は何が起きているか確認しに行くと決断した。外でハロウィンのコスチュームを来たチンピラが自分の車を滅多切りにし、グラニーが老人に怒鳴りつけた。メリンダは事が順調ではないことを理解し始めていた。

しかし、グラニー・ロイスが前に現れた奥の部屋の近くに明かりがあった。メリンダは前の窓から外を見ようと立ち止まった。そのときは、短刀を持った狂人はどこにも見当たらなかった。しかし、メリンダは今や奴が木々の間に動いているのが見えた人物だと確信していた。

あいつは私を殺しに来るかも!

メリンダは明かりの方向へ急いだ。台所を照らす照明と分かった。メリンダは進み続けた。グラニー・ロイスが年老いた宿屋の主人が早朝にするだろう何かしらをしながらのんびりしていると予想していた。

違っていた。グラニーは20歳ほどの若い男と一緒に座っていた。男は黒髪を生やし、首筋に無精髭が残っていた。焦げ茶色のコーデュロイのシャツを着て、カーキ色のパンツを履いており、ポークパイハットを被っていた。男は30年代に街角で新聞を売る準備をしていたかのように見えた。男は静かに茶を少しずつ飲み、グラニーはテーブルの反対側で男に注意を促していた。

「なんてひどいことを! 私があなたぐらいの頃は、若い男は自分のマナーに気を遣ったものよ」

「そりゃお笑いだね。俺の齢の話をするなんて。それであんたは何歳なんだよ。まだ覚えてんのかよ」

男は冷笑を込めて呟いた。

「カルビン・デービッドソン。あなたは困った人ね」

グラニーはシッと言い返した。メリンダには気付いていなかった。

「そのうち、自分が言ったことに後悔することになるわ」

「おいおい、グラニー。俺の発言で状況が今よりも悪化するとでも。つまりな、あの上がっていたノリスの爺さんだよ! 俺ら二人とも……おや、やあ、そこの人。ここに他に人がいるとは知らなかったな」

カルビンはちょうどメリンダの方を見ていた。

「ああ、どうも」

メリンダは何度も繰り返された口喧嘩の間に割り込んでしまったような感じがして、それには心配しなかった。その瞬間、メリンダは恐怖や怒りを忘れた。カルビンがグラニーに対して不機嫌な子供のように話しかけていた。しかし、二人の言っていたことはどこか……変だ。

「どうかしたの、メリンダ。部屋に不備でもあったの」

メリンダは我に返った。

「いえ。部屋は素敵でした。でも、それ以外は! つまりですね、一体全体、何で誰も立ち寄らなさそうなこんな場所にロードハウスがあるんですか。部屋はほとんど埋まっているのに私の車しか停まっていないんですか。ノリスさんを犬みたいに扱ったのはどうしてなんですか。どうして私にノリスさんの姿を見せないようにしたんですか」

メリンダがさらに話を進めようとすると、カルビンが割り込んだ。

「やれやれ、まだ一夜も過ごしていないのに、ここまで分かるとはね。どうしてその人を入れたんだ、グラニー。どうしてドアを掛け金で閉めなかったんだ。全く、もしあの看板を外せたなら、良い塩梅だったろうに。なんてこった」

大抵の若い男は言いそうにない表現があるとメリンダは思った。メリンダはそれ以外はしばらくカルビンのことを無視することにした。

「それにですね、誰かが外にいるんですよ! 狂人が私の車のタイヤを切り裂いて、それからも外をうろついて私の車を滅茶苦茶にしているんです! 警察も呼べないんですか! 今まではここで破壊活動なんて無かったと言うつもりですか」

部屋の中を長い沈黙が流れた。グラニーとカルビンのどちらも沈黙を破るのは気が進まないようだった。カルビンは首を掻いた。初めて、メリンダはカルビンの喉の赤い切り傷に気が付いた。襟で半ば隠されていた。その傷は非常に新しくできた傷か、わずかに治りかけのものに見えた。

「なあ、あんた。俺はあんたの名前を知らない」

カルビンはとうとう口を開いた。

「メリンダ」

「メリンダ。メリンダね。座った方が良いと思うな。俺はあんたに伝えないといけないことがある……悩みの種になるだろうけど」

メリンダはカルビンの言い方が気に食わなかった。声のトーンが不機嫌な子供から真剣な大人のものに切り替わったことも嫌だった。カルビンは何歳か年下に見えたが、まるで自分のおじか上司のように話しかけてきた。カルビンは茶を啜り、溜息を吐いた。

そして、カルビンはメリンダの顔を真直ぐに見て言った。

「俺が車を持っていないのは、俺がここに来たとき、俺の齢、俺の仕事で車を持っている奴なんていなかったからさ。不可能な夢のように思われていたんだ」

「何……一体何を話しているの」

メリンダはおずおずと問い返した。

「俺は織物工場で働いていた。工場は俺がここに来たときには閉鎖していた。ほとんどの会社がそうだった。だから、俺は自立して、仕事探しの放浪者になったんだ。そして、俺はここで足止めを食った。永遠にな」

「会社が閉鎖……理解できません。みんな大変な時間を過ごしていますけど、会社はほとんど開いたままで……」

「当時は違った。そうじゃなかった。俺はここに来た……1929年に」

カルビンは悲しげに言った。

メリンダは瞬きした。何かが目の奥で爆発した。

「あのときは、この場所も新しかったわ。夫と私が開店してね。そのときのカルビンくんは16歳の可愛らしくて若い少年だったの。夫の反対を押し切って従業員として雇ったわ。それで、私の夫は善意で、倹約する方法を見つけたの。カルビンを雇ってから1年で、夫は死んだ。カルビンと私はそれ以来ここにいる。数年おきに、誰が私たちの元に加わるの」

「ああ、ティリーさんが最初だった。売春婦でここに逃げてきた。妊娠中だった。ニューヨークで自分の仕事を取り仕切っていた男が自分を見つけて殺しに来るのではないかと恐れていた。その人と赤ちゃんは……」

カルビンは急に話を途切れさせた。涙ぐんでいるようだった。

「それから、スタンディシュさんね。彼は旅の聖職者だったの。もはや旅に出ることはないわ」

「ノリスさんは69年にここに来た。ノリスさんの話はおそらく最悪だ。彼は……その、彼は銀行強盗だった。拳銃を持っていた。ノリスさんは自分たちがどれほどここにいるか知りたくなかった」

カルビンは話を止め、立ち上がり、台所の窓の方へ歩いた。

「ノリスさんは自分の力で出ようとしている。脱出を試みたのは彼が最初ではない。それは俺だ、実際はな。俺はノリスさんにやめておけと警告したが、聞く耳を持たなかった。でも、ノリスさんが外に出たとき……出会ってしまったんだ……」

「カルビン! この話はよして!」

「その人も知ることになる。時間が経って気付かれても意味がない」

「メリンダのはまだチャンスがあるわ! 朝まで待てばそれで……」

グラニーは聞こえよがしに言った。

「朝まで待ちやしないさ。誰も朝まで待たなかった。その人がここに来たのが十分な証拠だ。それに、このことが本当に何か役に立つのか。車はお釈迦。電話もここにはない。この場所が出来たときに電話は無かったし、それ以来に一度も電話は無いままだ。分かっているだろ」

カルビンはいくらかの自責を込めた様子で言った。

「もういい、皆さん、ストップ!」

メリンダは叫んだ。

「もう十分。あのですね、あなた方に私を囚人みたいにここに留めることはできないし、私はこれ以上長居するつもりもない。外にいるナイフを持った狂人だけが今ここから逃げることを邪魔している。私は本当に何が起きているのかを知りたいの。今知る必要があるのはそれ!」

「話したけどな。グラニーは全てを知ってほしいわけではないみたいだが、そうしなければならんよ。何故ならここから出ることはないからな。ああ、俺たちはあんたを囚人のように留めようとはしていない。俺はあんたが今すぐにそのドアから出ていっても気にしない。ただ、その後、あんたはこの宿から出ることは決してない」

「何を言っているの!」

メリンダは叫んだ。

「聞いて、お嬢さん」

グラニーはテーブルの席から立ち上がって言った。

「お願いだから聞いて。誰もあなたを傷つけようとしているわけじゃないの。ノリスさんもそう。ノリスさんにできることはもうほとんどないし、ノリスさんはそれを分かっているわ。だから上に行っていつも泣いているの。でも、私たちはここに閉じ込められたの、全員が。私はあなたは朝にここを逃げ出すチャンスがあると思ったわ。でもカルビンが正しい。どうせ、朝に安全になる保証なんてないの」

「一体……一体……この場所で何が」

メリンダは声を詰まらせた。

メリンダは泣き出しそうだった。目に涙が湧き出てくるのが感じられた。

「ロイスさんが死んでから1か月後のことだった。奴が来たのは。奴は長くて黒いローブを着ていて、馬鹿げた短刀を持っていた。俺が奴を見たのは裏の生垣を手入れしていたときのことだ。俺は奴にここから出ていくように言った。見た目が気に食わなかったからだ。奴は……すごく素早くて、来るのが見えなかった。奴は俺の元へ来て、ここから……」

カルビンは首に触れた。

「……ここへ。」

カルビンは首の傷とは反対側の下腹部に触れた。彼はシャツを脱ぎ始めた。メリンダは嘔吐するところだった。シャツの下には長く醜い裂傷があった。傷は深く……いまだに血が染み出ていた。滅多切りにされて滅茶苦茶になった中を、骨や筋肉、内臓が蠢いているのが見えた。

「その夜、俺は死んだ」

カルビンは言った。

「でも、そのとき俺は死ななかった。次に俺が気付いたとき、俺はグラニーに家へ引きずり込まれていた。目が覚めたとき、危うくグラニーを恐怖で殺すところだった。グラニーは俺が死んだと確信していた。実際に、俺は死んでいた。でも、俺は目が覚めた。俺は話ができた、歩けた、生きていたときにできたことが何でもできた。まあ、飲み食いして楽しんだり栄養をとったりはできないけどな。俺はまだこの茶を飲んでいるよ。皮膚が灰色になるのを防げるからね。だいたい50年前に知ったんだ」

「でも、あいつは出ていかなかったの」

グラニーは割り込んだ。

「私は外に出てあいつと交渉したわ。斧を持ちながらね。あいつは斧を奪って、私の背中に叩き付けたの。私は傷を見せないわ。カルビンも見せない方が良かったのに。誰も見る必要なんてないの」

「でも、それが奴の仕業なんだよ、メリンダ」

カルビンが続けた。

「奴はあのナイフを持っていた。ただ、もし奴に武器を使おうとしても……いつもやるように武器を奪い取ってしまう。勝ち目は絶対に無い。どんな武器を使おうとしても、奴はその武器で片付けてしまう。ノリスさんはそれを惨い経緯で学んだ」

「こんな……こんなのあり得ない!」

メリンダは泣き崩れそうになった。感情を押さえなければならなかった。メリンダはどうにかしてここから出なくてはならない。こんなことは何一つ正しくない。現実にはあり得ない。

こんなのは全部夢だ。話がややこしすぎて意味が分からない。父親が突然に電話をしてきた。躊躇うことなく父親の元へ発った。あまりにもすぐに道に迷った。そして、取り返しがつかなくなった。この道ではどこも圏外だった。この場所、その何もかも! 夢を見ているのだ。そうに違いない。でもそうならば、この夢から生きて目が覚めようとしている。メリンダは踵を返して階段へ走って向かった。手提げがまだ部屋にあった。しかし、メリンダが手提げを掴もうとして出ようとしたそのとき。メリンダはもういっぱいいっぱいだった。

メリンダの背後で不服を言う声が聞こえ始めたが、メリンダは少しも気に留めなかった。ノリスさんが階段の上で待っていた。グラニー・ロイスの説明とは異なり、ノリスは全く年老いてはいなかった。40歳ほどしか無かった。

しかし、メリンダはすぐに「正気ではない」という言葉の意味が理解できた。ノリスの頭部の上半分は正常に見えた。まあまあ魅力的な男で、黒髪でそこかしこに灰色が混ざっていた。その目は澄んだ緑色で、出たばかりの涙で湿っていた。顔の下半分は骨の破片、裁断された筋肉、血液で滅茶苦茶になっていた。左半身も同様に破壊されていた。腕は数本の筋肉の筋でぶら下がっていた。臀部は顔と同じように骨と血で滅茶苦茶になっていた。正常な片手を手摺に置いていた。ノリスは足を引きずりつつメリンダの方へ向かった。ノリスの背後にはブラジャーとパンティを身に着けた若い女がいた。女は腹が切り裂かれていて、その傷から明るく知的な目とともに見えたものは、グチャグチャの赤ん坊の遺体だった。

メリンダは踵を返し、玄関へ向かって逃げ出した。手がドアノブを掴んだちょうどそのとき、カルビンが駆け寄ってきて凍てつくように冷たい手を被せた。

「みんなあんたを傷付けようとしているわけじゃない」

カルビンは素早く言った。

「でも、奴は違う。あんたが外へ踏み出したほんの一瞬で、奴はあんたを殺す。傷付ける。傷付け続ける。永遠に。しばらくすれば、傷と一緒に働く方法を学べるだろうが、傷は絶対に無くならない」

メリンダは咽び泣きながら、ここに来てから聞くのを恐れていた質問をした。

「あいつは何者なの」

「私たちには分からないわ」

カルビンの後ろからグラニーが言った。

「あいつはただ……ここに来たの。そして出ていこうとしない。あいつは私たちを見るのが好きで、また外に出るように煽るようなことをしてくるの。誰かがそうすればすぐに、さらに傷を付ける。でも、何度私たちは殺されても、私たちは死なない。信じてほしいの。みんな全員、信じていればと思っているわ」

メリンダはこれでいっぱいいっぱいだった。カルビンを押しのけてドアを開けた。男は玄関に立っていた。ナイフを前に突きつけた。ちょうど顔の高さだ。メリンダは男の方へ駆け寄った。ナイフが右目を貫き、その先端は滑っていき、反対側へ出ていった。メリンダは自身を殺した者のニヤリと笑みを浮かべた真っ白な顔をどうにか見た。それから何かもが黒に染まった。

数時間後、ロードハウスの階上から絶叫が爆発した。メリンダがこれまでに経験のない痛みに満ちた世界へと目が覚めたのである。


作品情報
原作
The House That Death Forgot (Creepypasta Wiki)
原著者
Josh Parker
翻訳
Tojito
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2026年7月3日金曜日

『月曜日なんて大嫌い』(Creepypasta私家訳、原題“I Hate Mondays”)

波打ち際に置かれたガーフィールドの電話

ロバートは友人や家族がビーチに招いても絶対に来なかった。スイミング、ピクニック、パーティ。どれも断った。だから、みんな声をかけるのを止めた。ロバートは海が嫌いというわけではない。もっと複雑な背景がある。確かに、ロバートは泳ぎが苦手で、当然ながら溺れるのが怖かった。海に住む無数のものも恐れていた。刺してくる触手や刺し貫いてくる棘。骨から肉を引き剝がすノコギリのような歯。

しかし、ロバートが海のことを考えるとき、感覚の大半は畏怖だった。ロバートの奥深くには、この磁力があった。恐怖と魅了という双子の引力。海の全くの広大さを想像しようとしたときにこの二つの力があった。海の計り知れない深さ。

それがロバートがほぼ毎週も海に向った理由である。近くにある監視が来ない小さめの場所の一つを選んだ。浮かれ騒ぐ人々をどんなときも引き寄せそうにない場所だった。事を始めると、潮溜まりを抜けてゆっくりと進む。尖った岩で足の裏に小さな切り傷ができる。それから、塩水の痛みに楽しく身を震わせる。

もちろん、実際に水の中に入ることはなかった。しかし、岸に立ち、岸で砕ける一波一波が引き込む海の力を感じたものだった。波が徐々に柔らかく濡れた砂に沈めていくのに身を任せる。大抵、ロバートが好きなことは浜を漁りまわって、海が打ち上げた宝物を探すことだった。流木を拾ったり、クダクラゲの膨れ上がった死骸をつついたりしたものだった。石や平べったい貝殻の欠片で水切りをした (いや、とにかく、水切りをしようとした)。イカの骨を掴み、親指の爪で抽象的なパターンを彫り込むと、投げつけて水に帰した。さらに、シーグラスのコレクションは人が羨むほどのものになっていった。実際にコレクションの存在を他者に教えることがあればの話だが。

この日、ロバートは長い節くれだった棒を見つけた。ロバートはガンメタル色の空の下の海岸をゆったりと歩きながら、気だるげに棒を前後に振った。空気は何か起こりそうな気配でいっぱいだった。大抵は、また嵐が来る前兆だろう。数週間前にニューサウスウェールズの北東の海岸を断続的に襲ったときのように。しかし、そこには何か別のものもあった。ロバートは胸の中で鼓舞するものを感じた。血管の中でドキドキするものがあった。何かをひらめきそうな予感があった。ただ、その本質はロバートの元を去っていった。

「はっきりしないな」

ロバートは一人呟いた。目の前の砂を格段に激しく棒で打ち付けた。

今日は棒を除けば、ほとんど見つけたものはない。普通の瓶のキャップにソフトドリンクの缶。ロバートはこのようなゴミを帰宅時に処分するため、再利用可能なプラスチックの袋に思慮深く集めていた。実際、砂から突き出た明るいオレンジ色のプラスチック片に気を取られたとき、今にも家へ帰るところだった。

またゴミか、とロバートは苦々しく思った。そして、ゴミを除去するために棒でぐいと突いた。物体はその場所から動かなかった。ロバートは眉を顰め、膝をついてプラスチックの物体の周辺の砂を掘った。最初の探索で、湾曲して円く膨らんだ形から、二か所が丸く突き出ていると分かった。そしてついに、困惑させられるものが出てきた。固く巻かれたコードである。

ロバートは自分が掘った砂の穴から物体を持ち上げて、地面の上に置いた。周囲と調和しない、しかし明白に馴染み深いものを前に目を細めて眺めた。

それはガーフィールド ([訳注]著名な猫のキャラクター) だった。

もっと正確に言えば、それは古い電話機であり、ガーフィールドの形に作られていた。その猫はうつぶせに寝転がり、短く太い尻尾は横の方で丸めていた。電話の持ち手は猫の背中の大部分から構成されていた。土台の横に置かれており、渦巻くコードが繋がっていた。ガーフィールドの黒い縞模様は摩耗しており、その存在を仄めかすばかりだ。しかし、その姿はロバートにとって十分に馴染み深いもので、頭の中で容易くギャップは埋まった。本当にロバートの注意を引いたのはガーフィールドの目である。両目は開いていたが、特徴的に半開きであり、瞳の黒色は完全に消え去っていた。瞳のある場所は円盤が隆起しており、その下の強膜と同じように灰色がかった白色をしていた。ガーフィールドは盲目のように見えた。

「何を見てきたの」

ロバートはくすくすと笑いながら問いかけた。ガーフィールドはただ微笑んでいた。

帰宅すると、ロバートはそれほど時間をかけずに電話を洗った。シンクの中で手早く濯ぎ、皿を洗った後の石鹸が混ざった水で徹底的に擦り、さらに濯ぐことで、泥や砂、塩を落とすだけでなく、明るいオレンジのプラスチックに光沢が戻ってきた。ロバートは物体を持ち上げて値踏みした。今は綺麗になり、まあまあ良い状態で見つかったことに驚いた。最も驚いたことは、電話線とジャッキがまだ残っていることだ。見たところ無傷のようだ。

ロバートは携帯電話の電波にむらがある町から十分に離れたところに住んでいた。だから、まだ電話回線を維持していた。居間にある差込口に電話を繋ぎ、後でテストしてみようと誓った。もちろん、ガーフィールドの縞模様と目は塗り直しが必要だろう。しかし、それはまたの機会に待つ必要があるだろう。何と言っても今は遅い。それに、明日は仕事だ。

***

ロバートがベッドに入ってやっと1時間というときに、つんざんくような悲鳴に驚いて目を覚ました。ショックを受けながら、必死に自分の周囲を見渡した。間もなく覚醒し、自分が誰か (無論ロバート)、どこにいるのか (自分のベッドの中) を思い出し、ベッド横のテーブルを素早く一瞥して、何時かを知った (午前12時1分)。その悲鳴は定期的に繰り返された。識別するのにもう少し時間がかかった。

電話だ。ロバートは掛け布団を蹴飛ばし、ドアに向かって躓いた。こんな遅くにハッピーな理由で電話を掛ける奴はいない。ロバートは頭の中で重要な人々のリストに目を通した。両親。兄。デビー。居間に着いて電話の受話器を掴む頃には、ロバートは取り乱していた。

「もしもし」

長い沈黙があった。その間、ロバートは息を殺した。ついに、聞きなれないぼんやりした声が聞こえてきた。

「ジョン」

ロバートは震えた呼吸をした。ジョンに何があった……。そもそもジョンとは誰だ。

「あの……すみません?」

「ジョンと話したいの。頼みます」

声が聞こえた。突然に馴れ馴れしい。ウキウキしている。

ロバートは安堵して前に屈んだ。

「すみません。私はロバートです。間違えていますよ」

「ジョォン」

電話の声は歌うように言った。

ロバートはムッとしながら受話器を叩きつけた。ロバートはイライラしたが、奇妙にも少し……印象深かったような? 懐かしかったような? ロバートは子供がいたずら電話を掛けたことにもはや気付かなかった。少なくとも、電話が機能したことは今分かった。

アドレナリンが急に流れて、再び眠りに就くのは難しいように思った。ただ、まだ海の空気の心地よさが残っていて、すぐにまた眠った。

夢の中で、海がどんどん上昇していった。海は低木林地や熱帯雨林を水浸しにした。海は町全体を飲み込んだ。そして、依然として海は上昇を続けた。ロバートは戸口に立ち、塩水が裸足の足に被さった。海の磁力を今までになく強く感じた。それは虚無の呼び声だ。消えてしまいたいという衝動。飲み込まれた。

「ジョォン」

耳の中で耳障りな声が聞こえた。

***

いつもと同じように週が過ぎた。ロバートは職場と家を行き来する単調さに自分を見失った。昼食時、手の込んだサンドイッチを食べた。子羊のヒレ肉、サラダ、チーズ風味のソース。この後には果物を二切れ食べた。日中、甘いビスケットの軽食をとり、前述の料理を食べてパン粉を机の上に散らかし、キーボードの隙間に落とした。夕方になると、二人前の食材の配達を頼み、二人前とも食べた。どういうわけか、いつも空腹感を覚えていた。おそらくただ飽きていただけだろう。

金曜日、仕事を早くに終え、オフィスワークス ([訳注]オフィス用品のチェーン店) に立ち寄った。黒く先端が丸いペイントマーカーを買った。1個だけ買って精算することが嫌だったから、まとめ売りされていた高すぎるミンティーズ ([訳注]ミント味のキャンディ) も買った。

帰宅すると、ミンティーズを口にし、時折、空気を吸ってメントールの冷感を味わった。その間、ガーフィールドの電話について調べた。先週から電話をかけることも電話が来ることもなかったが、珍しいことではなかった。ロバートの家族はほとんど連絡を電子メールで済ませていた。時折はFacebookを更新した。デビーに至っては……いつもすぐには電話をしようとしなかった。

ロバートは黒いマーカーを振った。マーカーの先端を繰り返し反故紙に押し付けて、塗料が出てくるようにした。電話のスクリーンをじっと見つめた。縞模様を参考にするため、ガーフィールドの漫画を用意していた。漫画の中で、眠たいジョンが不可解なほど白目がちのガーフィールドに寝に戻るように懇願していた。漫画のコマをインターネットに投稿した誰かしらが、ガーフィールドが枕を抱いているところのクローズアップを追加しており、縞模様のある背中、尻尾、顔が堂々と映し出されていた。

単純で楽だ。ロバートは携帯電話を自分の隣に置きつつそう思った。ガーフィールドの電話を片手で持ち上げた。今となっては、塗料はマーカーの先端にまで届いている。彼は尻尾から始めることにした。縞模様は多くない。簡単だ。

前言撤回。20分と数えきれないほどの罵倒語の後も、その作業を終えてすらいなかった。縞模様は単純に一筆の塗りで描いたものではなかった。むしろ、より細かな垂直の塗りを多く多く重ねて作られた引き延ばされたダイヤモンドのようなものだった。一回でも完璧でないと、何もかもぐにゃぐにゃになってしまう。

ロバートは起き上がってアセトンと雑巾を掴み、間違えた部分を綺麗にしなければならなかった。二回目の試みは前より上手くいったが、早くはならなかった。ガーフィールドの尻尾全体を終わらせて、特に先端に満足した。先端部は子供の頃に愛好していた漫画の太い線を正確に捉えられたと感じた。

上手くいっているうちに終わらせることにした。部分ごとに計画を進める方が実践的だ、だから事が進んでいるときに自分の仕事に汚点を残すことはないと言い聞かせた。

時間を確認すると午後2時。望めば浜辺に行く時間がまだある。しかし、そうすれば土曜日の午後は少し不確実になるかもしれない。明日に行くのが良いだろう。早めに。

***

太陽が海の上に上ると、束の間ではあったが、空はもはやいつものくすんだ灰色ではなかった。薄青色に、毒々しいオレンジ色の太陽から放たれるピンクやサンゴ色の日の筋が混ざり込んでいた。ロバートは、変わり行く波の線を示す岸沿いの日の筋にも気付いた。ロバートのシャツさえも縞模様で、自分自身を見下ろしていることに気を留めた。全世界が縞模様だとロバートは心の中に思った。縞模様が何もかも取り囲んでいる。

色がごった返す様を見せつけられたが、ロバートは動かずにいた。いつもの畏怖は弱められていた。ほとんど麻痺していた。ロバートは海をじっと見つめ、海面の下を石のように沈んでいく想像をした。ぞくぞくとはしなかった。ロバートは踵を返し、車へと歩いて行った。

***

その週の料理の材料が底をつき、再び痛烈な飢えを感じたため、ロバートはパントリーを奇襲し、手早く用意できるものがあるか見に行った。ロバートは作業台の上に小麦粉の山を盛り、中心に小さな巣を作った。そこに卵、オリーブオイル、塩を加えた。浜辺から戻ってきてから、あまり何もしたくない気分だった。シャワーすら浴びていなかった。しかし、急に、この珍しい目的に駆り立てられる気分になった。卵を割り、小麦粉を内に寄せると、落ち着いた気分になり始めた。パン生地を捏ねることはほぼ沈思黙考となり、捏ね上げた滑らかでぎっしりと詰まった球体を見ると満足させられるものがあった。ロバートは球体を愛おしげにほとんど守るように手で覆った。それからラップで包み、寝かせておいた。

数日分の皿がロバートの周りに積み上がっていた。ロバートはひたすら皿を見た。十分に集中して見ていれば、皿が勝手に自分で洗ってくれるか、無に帰すかのように。30分が過ぎて、ロバートはゆっくりと目を瞬かせる以外は、ほとんど身動きしなかった。

パン生地の方に戻り、ラップを片手で外した。その間、空いた片手は二番目の引き出しに伸びて、麺棒を見つけ出した。ロバートは広く平らなパスタシートを伸ばし始めた。

***

ロバートは電話の音で眠りから覚めたわけではなかった。既に起きていたからだ。月曜日の朝、だいたい午前2時頃、ロバートが開いた冷蔵庫の明かりに照らされながら、冷蔵庫の中身についてじっくりと考えていたとき、電話が鳴った。ロバートの心臓が跳び上がったが、このときは走らなかった。ロバートは慎重に冷蔵庫を閉じて、物足りなさそうに一瞥し、音を立てずに居間に移動した。

「もしもし」

「もしもし。私だよ。もう寝る時間じゃないの」

ロバートは母親の声と認識した。

「うーん……そうだね。ちょっと……空腹でね。どうしてこんな時間に電話をかけてきたの。親父は元気?」

母親は笑った。

「ああ、お父さんは元気だよ。死んだみたいに寝ている。でも、お前はどうなの。疲れているみたいだけど」

ロバートは空いた手で顔を擦った。

「そう、そう、疲れている」

ロバートは溜息を吐いた。

「どうしてお袋は寝ていないの」

母親は再び笑った。ラジオの雑音のような音だった。

「あら、ご親切に。寝ないよ! 絶対に寝ない」

ロバートは沈黙し、母親は話を続けた。

「寝なよ。朝には何もかも良くなっているよ」

このとき、ロバートはあくびをした。

「そうだね、その通りだ。おやすみ、お袋。愛しているよ」

「愛しているよ、ジョン」

***

ロバートはデビーの夢を見た。二人は会話をしており、それから突然、広大な砂地の平野の両側に立っていた。ロバートは大声で呼ぼうとしたが、水中で叫んでいるかのようだった。巨大な毛虫のような、長くて分厚く毛むくじゃらのものが、蛇行して進んできてロバートの周りを取り囲み、ロバートの胸を締め付けた。ロバートは虚しく身もだえした。

「もう夜も遅いよ、ジョン」

広大な虚無のどこかから喉から出たような声が聞こえた。

「今は休んで、ジョン」

それは囁き、ロバートはやっとか細くすすり泣くと、膝をついて倒れた。毛むくじゃらのものは固く締め付け、ロバートは脱力し、諦めた。抱擁のように感じた。

***

朝になると、ロバートは職場に病欠の連絡をして、それから数時間をベッドの中で過ごした。夢うつつの狭間を漂ったが、決して完全に眠ることはなかった。結局、お腹がゴロゴロ鳴る音が大きすぎて、ベッドから抜け出た。

ロバートは大きなお椀にココポップスを作った。それから家に残っていたツナ缶を全て食べ尽した。何の味も感じなかった。

どうにかシャワーを浴びたが、その後、いっそう人間らしさを感じた。僅かながら軽やかな足取りで、台所へ戻り、あちこちに散らかった皿を集めて並び替え始めた。電話が鳴ったとき、ちょうど水を流し始めたところだった。

「お宅の持ち主の方ですか」

「あーはい……」

ロバートは注意深く返答した。

「私、ソーラーソリューションズのオリーと申します。お電話した理由は、お客様が最近、弊社のウェブサイトをご覧いただき、ソーラーパネルの設置にご興味があるとお答えいただいたためです」

ロバートは脱力した。

「ああ、はい。はい、そうです」

「誠にありがとうございます! 月曜日はご都合いかがでしょうか。弊社の技術者が参上して、お客様の所有地を調べて見積もりを出しますが」

「ああ……ちょっと分かりませんね……」

「確実に月曜日はご都合つきますよね? 再生可能エネルギーに接続するのに最高の日ですよ! 電気代を節約できるだけでなく、即座に所有地の価値を増やすことができます!」

ロバートは曖昧な返事をして、空いている手で電話のコードを弄った。

「良いのは夏だけではありませんよ! 寒くなる時期にも便利です。寒くなればね、ジョン。もっと寒くなれば。ここは何もなくなります、ジョン。そうしたら、埋め尽くさなくては。あなたに会えますね、ジョン。こだまする虚無を越えれば。もはや目は必要ありません、ジョン。私は何もかも見ます。ここがとても寒く……」

ロバートは電話を切った。わずかの間、そこに立ちつくし、次に何をすべきか決めようとした。明日は仕事に行くだろうと分かっている。では、今すぐは?

ロバートは時刻を見た。午後7時30分。ロバートはいっぱいになったシンクのことを考えた。それから、ベッドへ向かった。

***

職場、自宅。職場、自宅。食べる。食べる。食べる。同僚がロバートの何かが違うことに気付いても、決定的なことは言わなかった。珍しくロバートが同僚の視線を受け止めることができたとき、ロバートの目は懇願でいっぱいだった。助けてくれ、ロバートは同僚にそう言おうとしていた。何もかもが終わらずにいる。人々はただ穏やかに微笑み返した。みんなが危険だ。

友人と家族はもっと気付いていた。……とにかく、ロバートの肉体の変化に。ロバートは豆腐ムースのレシピをもっと多く集め、ランニングのグループへの参加を申し出た。父親は冗談を言った。

「別れを経験すると人は体重が減るものなのかね」

少なくともガーフィールドの電話は一緒に来てくれた。仕事の後、ロバートは居間に座り、猫の縞模様の塗り直しに取り組んだものだった。1時間以上ぼんやりとしながら。変化を持たせるため、別の漫画のコマを参考に持ってくることもあった。この日のコマでは、ガーフィールドは目を覚まして長らく放置していた自宅を探しに行った。ジョンやオーディーが出る兆候は無かった。ロバートはガーフィールドの顔の塗り直しに取り組んでいたときに舌打ちした。

その週の終わりまでに、ロバートは実質的に電話の作業を終わらせた。残るは目だけだ。ロバートはガーフィールドを高く持ち上げて、こちらの方向に向きを変え、自分の手仕事を称賛した。ロバートは少し思案する。この電話はいくらの価値がつくだろうか。売る気は全く無かったが。これは海からの贈り物。敬意がかの天恵を捨て去ることを妨げなくても、迷信は確かに捨て去らせはしないのだ。

ロバートはペイントマーカーに手を伸ばしたが、その手は不確かに宙を漂った。もはや目は必要ありません、ジョン。ロバートは電話を元の場所に置き、マーカーをゴミ箱に投げ入れた。おそらく空だった、とにかく。

日曜日、ロバートは浜へ戻った。ただ、いつもの敬意を持ってはいなかった。ロバートは義務感や単なる習慣で教会へ戻る人のようだった。麻痺の感覚を覚えていた。

いつもの場所となったところへ向かおうと砂丘を上ったとき、目に入った光景は麻痺を貫くのに十分だった。浜は数十の、いや数百のオレンジのプラスチックのゴミが散らばっていた。ゴミが何なのかは分かっていたが、それでも砂丘を降りて近付いた。何かは知っていたが……それでも。

ガーフィールドの電話が岸沿い中を散らばっていた。ロバートの左の岩間の水たまりから、右側の遥か先にある砂丘にまで。ゴミの中を縫って進む中、あちらこちらにある電話をつついた。どれも故障の度合や崩壊の段階が異なっていた。ここにあるものは耳が無かった。あそこにあるものは顔の半分が腐り果てていた。いくつかは小さな軟体動物がプラスチックの側面に貼り付いていた。ロバートは何を考えるべきか分からなかった。何をすべきなのか。

そして、その電話が鳴り始めた。

すべての電話が鳴り響いた。一度にではなく、間を空けて。音は大きくなり、鋭く調子はずれの不協和音となった。ロバートは浜辺を見渡した。ほとんどは受話器が外れていた。その多くが受話器自体が無かった。それでも、鳴っている。

電話が鳴り続けるにつれて、切迫感が強まった。ロバートはチクタク鳴る時限爆弾を抱えている気分になった。無数のガーフィールドが互いの要求をせがんだ。電話に出てくれ。千の、千のプラスチックのうんざりするような目がロバートの魂を直視していた。ロバートは立ち止まり、電話の一つに手を伸ばし、躊躇った。それから、踵を返し、車の方へ走って戻っていった。

***

帰宅すると、ロバートは居間に駆け込み、ガーフィールドの電話のプラグを抜いた。それから、シャワーを浴びず、歯も磨かず、夕食さえとらずに、まっすぐに床に就いた。

もちろん、ロバートは眠らなかった。むしろ、横向きになって、目覚まし時計をじっと見つめ、1分1分が過ぎ去っていくのを見ていた。とても長い間、同じ姿勢のまま横になっていたため、体が痛くなってきた。寝返りを打ちたくてたまらなかったが、徹夜せずにはいられなかった。

夜、零時ちょうど、電話が鳴った。もちろん、電話は鳴った。

ロバートはパジャマ姿にスリッパを履いて、足音を立てずに居間へと出ていった。躊躇うことなく、電話に出た。

「今日は月曜日だ」

ロバートは淡々と言った。

「そうだな、ジョン」

軋むような、遠くから聞こえる声が答えた。

「でも、月曜日って何だろうな」

「そりゃ……」

ロバートは口ごもった。

「何だろうね」

「無だよ。ジョン」

声は不満げだった。

「こだまする虚無。人間が自らの存在という平凡で目新しくもない織物を注ぎ込むもの。陳腐なものへのぽっかりと穴が開いた記念碑。ジョン。俺たちが置き去りにするすべての物だ」

「俺の名前はロ……」

ロバートは弱々しく口を開いた。

「ジョォン!」

声は言い張った。

「寝なさい」

ロバートは眠った。ロバートは夢を見た。真夜中の浜辺の夢だ。海は波打つ舌だった。唾液で濡れている。月は巨大で瞳の無い目。大きな舌が岸を舐め、砂に深まり行く裂け目を残した。裂け目の中はガラスのように滑らかだ。なんと綺麗なんだ。ロバートは不思議そうにそう思った。

雨が降り始めた。どこか頭上からありとあらゆる種類のものが降ってきた。デスクチェアにコーヒーマグ。リングバインダーにコピー機。結婚指輪に額縁。あらゆるものが待ち受ける裂け目の中へ容赦なく転がり落ちていくのを見ていた。

長い時間の中で初めて、痛烈な空腹の痛みを感じなかった。感じていたものは……満足。

目が覚めると、まだ暗いことに驚いた。目覚まし時計の明かりは見えなかった。ベッドの脇で脚を揺らした。足はいつもの床板ではなく、何か柔らかくて温かく、少ししなやかなものに当たった。いつだったか敷物を買ったかな。ロバートは足元をふらつかせながら思った。腕を伸ばして壁に寄り掛かって体を安定させると、同じく豪華なフラシ天じみたものに触れた。ロバートは目を擦った。目は薄暗い明かりに慣れ始めた。

まだ夢を見ているに違いないとロバートは思った。周りのもの全て、壁、床、天井さえも分厚くオレンジ色の毛皮に覆われていた。ロバートは両手を壁に置いて擦った。その下で何かが震えたり、ゴロゴロと鳴っていたりしていた。ただリズミカルに。

両手を壁に置きながら、部屋の外周を沿って戸口に進んだ。居間に行かなければならない。廊下までの道すがら、何もかもが同じオレンジ色の毛皮で覆われていた。ロバートは暗闇の中、はっきりとは見えなかったが、オレンジ色の莫大に広がるものが断続的に破れ、黒い縞模様になっていることを見て把握する必要はなかった。

ロバートは深呼吸をして、角から覗き込んで居間の方を見た。ロバートは凍り付いた。

以前にガーフィールドの電話を置いた場所は、今や巨大で腫瘍のような塊があった。その塊から毛皮の膜が放出されているようだった。それは顔だった。そうでなければ、顔に似た何かだ。二つの大きな目がはみ出ていた。その表面は乳白色で、潰瘍になっており、虹彩や瞳の痕跡は無かった。小さな肉質の鼻が目のすぐ下で陥没していた。その下で、唇とたるんだ肉が不愉快にぶら下がっていた。

「ジョォン」

そのひだの中のどこかからガラガラとした声が聞こえた。

「まだすごくお腹が空いているんだ」

ロバートは膝をついた。突然に咽び泣いていることに気が付いた。ロバートはまるで昔からのように馴染みのある畏怖と恐怖の引力を感じた。

ロバートは前方へ這っていった。顔には涙や粘液が流れていた。ロバートは口に近付き、唇の片方を持ち上げた。ロバートに向けてドッと出てきた息は海のように冷たく塩気があった。ロバートは波が遠くの岸にぶつかって砕けていく様を空想した。

「大好きだよ、ロバート」

魅惑的にゴロゴロと鳴く声が聞こえた。

「ジョンだ」

彼は息を詰まらせ、震える息で深呼吸した。

「ただのジョン」

彼は心地よい顎に上った。

***

どこか、それほど遠くないところから、太陽がオレンジ色に輝きながら、静かな海の上、無限に伸びているような水平線を越えて昇った。美しい月曜日の朝だ。


Creepypasta Wikiでは“Spotlighted Pastas”に選出されています。

ガーフィールド」という猫のキャラクターがいて、「ジョン」、「オーディー」も同じ作品のキャラクターの名前らしいです。ガーフィールドは媒体によって喋り方や一人称が異なるようです。困った……。

ちなみに、「デビー」の原文は"Deb"。「デブ」は流石にちょっとね。

作品情報
原作
I Hate Mondays (Creepypasta Wiki、oldid=1511328)
原著者
PernicketyPony
翻訳
Tojito
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2026年4月27日月曜日

『衛星画像』(Creepypasta私家訳、原題“Satellite Images”)

地図アプリが映されたディスプレイの画像

数年前、俺は車の事故に遭った。それ以来、俺は家から出る頻度が減った。外出は難しいし、自分の横を車が通り過ぎるのを考えるだけでも頭がくらくらする。

事故の翌日、友人がGoogleマップを教えてくれた。あなたも見たことがあるはずだ。衛星画像を見れば、世界中のどこへだって行ける。望む場所をどこでも見られることに魅了された。仮想的に街を歩くことができ、その場所にいるような気分になれた。

あっという間に夢中になった。Googleマップは世界を見下ろす目を授けてくれた。大都市のほぼ全てに行くことができたし、実際に行ってみた。中国、日本、ドイツ、イギリス……多くの場所の街々を目にしてきた。グレートバリアリーフやドラキュラ城のような観光名所にも行った。

好きなことは大都市から無作為に選んだ場所に向かい、何人の人と何匹の動物を見つけられるか数えることだ。人の顔はいつもプライバシー保護のためぼかしがかかっていた。それでも、外に出て人々を眺めるのは楽しいことだった。人々はそれぞれの人生を過ごし、何事でもないかのように歩き回っていた。

「あの人、絶対に良い趣味している」

俺は笑った。

俺はズームインして近付いた。ある女性が灰色の鞄を肩に下げていた。肩紐は灰色と紫色。女性はゆったりと歩いており、左手は横の壁に沿わせていた。顔を見ることができたとしたら、その女性は笑顔だったに違いない。

俺は少し悲しみを覚え始めていた。俺は手を車椅子のアームの上に下ろし、1分ほど女性を見つめた。あの場所に居れたら良いのに。何の気苦労もなく女性と一緒に歩けたら。そんなことは死ぬまで起こりそうにない。死ぬまでこの椅子から動けない。

俺は溜息を吐き、東京からズームアウトした。今夜はこれで十分。コンピュータの電源を切り、ベッドへ向かった。

-

早く目が覚めると、俺はパリの辺りを見て回ることに決めた。パリはいつも楽しい場所だった。パリの外観が好きだった。古く美しい建物全てが気に入っていたし、それを見に来る多くの人々を眺めるのも楽しかった。

俺は無作為に選んだとあるエリアにズームインし、古い煉瓦造りの建物が並ぶ通りを眺めた。小さな店が数軒と、古い黄褐色の煉瓦で出来た教会があった。その手前には交差点があり、十数名の人が交差点を渡っていた。はげかかったサラリーマンが素早く通り過ぎ、老女を振り返って見た。老女は髪をスカーフで覆っており、大きな手提げ鞄を持っていた。窮屈すぎる黒いパンツを履いた曲線美の女が店の窓の中をじっと見つめていた。角の辺りで別の二人の女が小さな子供たちの集団を率いていた。

俺はもう数回、視点を回転させた。そして、何か変なものを見つけた。二人の人物がバス停のペンチに座っていた。一人は若い女性で、前方にゆったりと足をはみ出させていた。赤いスニーカーを履いており、俺が持っている靴と似ていた。黒いパンツ、白いTシャツ、黒いフード付きのジャケットに気付いて、俺は一瞬驚愕した。焦げ茶色の髪は後ろに緩く結ばれていた。ベンチの上で灰色の鞄が女性の隣に置かれていた。肩紐は肩に掛けられていた。

「そんな馬鹿な。同じ女のはずがない。違う国だぞ。大陸も違う。どうしてここにいるんだ」

こんなことは馬鹿げていた。ライブ写真というわけではあるまいし。これらの写真は以前に撮影され、記録されたものだ。同時に二つの場所いたという訳ではない。その女性はただの旅行者だったかもしれない。それに、顔が見えないのだから、同一人物か見分けることはできなかった。茶色の髪はおそらく世界で最もよくある髪色だ。あの赤いスニーカーは俺がインターネットで買ったものと同じだ。きっと数百万人の人が同じように買っただろう。

俺は首を横に振り、昼食を作りに行った。

-

俺はインターネットに戻ると、ベルリンに行くことに決めた。いつものように無作為に道路を選んだ。道路はがらんとしているようだった。道沿いには煉瓦造りの建物が並んでいたが、工場のようにしか見えなかった。空き地もあり、長い草や砂利の山で埋め尽くされていた。オートバイが並んでおり、ドイツ国旗が二本突き出た車も停められていた。ただ、実際のところ、見るべきものなどほとんど無かった。

さらに探索して、子供を見つけた。その少年は学校行きの格好をしているようで、ジャケットが鞄の上に掛かっていた。少年はじろじろと携帯端末か何かを見つめていた。

俺はがっかりした。立ち去ろうとし始めたそのとき、横目で何かを捉えた。

視線を向けると、そこにはあった。

あの忌々しい赤いスニーカーが。

その女は通りの角、道標か何かの隣に立っていた。片手をポストの上に置き、通りを見下ろしていた。通りを横切ろうと待っているかのようだった。俺は衝撃を受けてじっと見つめた。どうやってこんなの所にも来たんだ。旅行をしているにしても、毎回あの女の姿を見つける訳がない。パリで見かけたのが偶然だったとして、今回はどうだ。こんなのおかしい。ジョークか何かか。Googleは自社の製品を最もよく使うアカウントに悪戯を仕掛けようと決め込んだのか。そりゃ素晴らしい冗談になるだろうさ……。

俺は手早く検索し、ウォーリーのように現れる女について情報を探した。何も無かった。Googleマップで見られる奇妙なものについての記事も一通り調べたが、世界のどこにもいる女について言及する記事は無かった。

こんなのおかしい。引きこもり生活で気でも狂ったのか。孤独のあまりに幻覚でも見ているのか。

画面にベルリンの画像を残し、俺は友人にテキストメッセージを送った。例の場所を教えて、同じ女を見たか教えてほしいと頼んだ。そして、待っていると、手は冷や汗で湿り、胸が高鳴る音が聞こえてきた。十分後、携帯電話の発信音が鳴り、俺は跳び上がった。返事のテキストメッセージが届いていた。そこには、

「お前が言っていた女はベルリンにいたよ。パリや東京にはいなかった。ゲームか何か? 大丈夫?」

と書かれていた。俺は返答しなかった。その代わりに東京やパリに戻ってみた。そこに女はいた。

女はいたが、状況は違っていた。パリでは女はもうバス停のベンチに座っていなかった。ベンチの前に立っており、鞄の中から何かを探していた。東京では、数ブロック離れた場所にいて、しゃがんで斑模様の猫を撫でていた。

俺は身震いした。あの女は何者だ。何が起きているんだ。

マップをブリュッセルに切り替えた。新たな都市の通りには、古い建物が並んでおり、一階には店が並ぶ。上階はアパートだろう。俺は素早く歩道を調べた。そこには何もなかった。明るい青色のセーターを着たがっしりとした女しかいなかった。もう一度見渡した。あの女はいなかった。

俺は安堵の溜息を吐いた。こんなことに気が高ぶっていたなんて信じられない。これは単なる偶然……

俺は硬直した。両目が画面に釘付けになった。道路の分かれ道のところに建物があった。白い建物で、黒い鉄枠のバルコニーが二階から突き出ていた。

先程、俺はあの女を見なかった。何故なら、俺は歩道を見ていたからだ。

そこに女はいた。バルコニーに立っていた。頭をカメラの方向に傾けていた。恥ずかしげに俺の方を見ているかのようだ。

俺は息を飲んだ。俺はシドニーに画面を切り替えた。女は壁に寄り掛かっていた。明るい青色の「キャリックス薬局」という建物の出入口の内側だ。ロンドンでは、女は赤い二階付きバスに乗り込もうとしていた。顔は後ろに振り返っていた。見に行った場所のすべてに女がいた。ベネチアでは橋の煉瓦造りの歩道に立っていた。チューリッヒでは黄色の線が引かれた横断歩道を渡っていた。香港では永隆銀行とマクドナルドの間に立っていた。鞄に紐を付け直していた。どの写真でも、女はカメラに近付いていき、ぼかしがかかった顔を向けて俺を直視していた。

俺は心臓が怯えた鳥のようになっている気分だった。心臓が胸の中でドンドンと打ち付けていた。息を整えることができなかった。何をしたらいいのかはっきりと分からなかった。警察を呼べなかった。スクリーンショットをGoogleに送るべきだろうかと考えていた。

俺は拳をぎゅっと握りしめ、両目を閉じた。あの女は何者なんだ。俺の後をつけているのか。女の表情が見られたらいいのにと思った。女が振り向いて俺の方を見たとき、何を見ていたのか知りたかった。椅子から立ち上がって逃げ出したかった。どうして再び自由を感じさせてくれた唯一のことが、いっそう囚われているような気持ちにさせてくるんだろう。俺は知りたかった。

俺は自分が住む町の名前を入力し、無作為に選んだ通りにズームした。俺の家から数マイルの距離だ。市立の公園の門が鮮やかな日光に照らされていた。今ここは夜だったが。

そこにいた。そこに……女はいたのである。

女は俺の家からほんの数マイルの距離にいた。その公園の名が書かれた鉄のアーチの下に立っていた。女はカメラを真直ぐに見つめていた。真直ぐに俺を見ていた。

吐いてしまうかもしれないと感じた。あの女は近くにいた。俺を見ていた。俺の方に向かっていた。あの女は何が望みなんだ。

俺は自分が住む団地の名前を入力した。建物の外側が見えた。駐車場は車でいっぱいだ。運動場では数名の子供たちがいて、顔にはぼかしがかかっていた。あの女がいないか全ての場所を探した。駐車場や歩道にはいなかった。建物の間にも隠れておらず、運動場にもいなかった。車も一台一台確認した。茂みの後ろや、ぼかしがかかった窓の一つ一つも調べた。

女はいなかった。

俺はぎゅっと体を丸めて、机の上に頭をうつぶせに乗せた。この場所は安全だ。どうあれ部屋からは出ない。もう二度とGoogleマップは使わないようにしよう。もう二度とあの女を見ることはないだろう。あの女が公園にいようがどうでもいい。俺は一人微笑んだ。涙が自分の顔を流れて驚いた。

「俺は安全」

俺は一人呟いた。声に出して言って気分が良かった。

「安全だ」

そう言ったとき、ドアがノックされた。

背筋に寒気が走った。俺はカメラをコンピュータに接続していた。困難な移動を補助できるように、玄関にいる人物を映すためのものだ。誰が外にいるのか確認するため、俺はおもむろに制御盤へ手を伸ばした。しかし、俺の手はひどく震えていた。

制御盤に触れたとき、俺は自分の過ちに気が付いた。俺が最後に見たGoogleの画像は建物の外側を写していただけだ。外側だけ。

画面を見ると、女の姿が見えた。白いTシャツ、黒いパンツ、黒いフード付きのジャケット。灰色の鞄。肩紐は紫色と灰色の縞。もちろん、赤いスニーカーもあった。女はカメラを直視していた。顔にはまだ完全にぼかしがかかっていた。俺が叫び声を抑えようとすると、女は手を振り上げて玄関のドアを叩く音を響かせた。


Creepypasta Wikiでは“Suggested Reading”に選出されています。

『ウォーリーを探せ』のウォーリーは、アメリカではウォルド (Waldo) という名前らしい。何故。

作品情報
原作
Satellite Images (Creepypasta Wiki、oldid=1517011)
原著者
SquidInk
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2026年4月16日木曜日

『ニューヨーク、自由の女神、十二角形』(Creepypasta私家訳、原題“New York City, Statue of Liberty, Dodecagon”)

自由の女神の画像

忘れないでくれ。古都ニューヨークにある自由の女神の目の奥には十二角形があり、恐ろしい力を持つ。その十二角形を見た者は誰であっても凄惨な死を迎える。十二角形は人目に晒されることを望んでいないためだ。

嘘をつこうという訳じゃない。数日間、このお題をじっと睨みつけていたが、こいつに取り組むのは本当に骨が折れる。

ほら、お題に従わないと、話が投稿できないからな。でも、俺は決まりきったやり方で話を伝えたい。そうすれば胸のつかえを吐き出せる。だから、これを読むお前はニューヨークにまつわるあらゆる知識を放り捨てる準備をしておいてくれ。

お前は最初にこんな疑問が浮かんだはずだ。「どうしてこのお題に従わなければならないのか」そうだな、お題にあるように、見られることが大嫌いな十二角形があって、そいつは自由の女神の目の奥にある。その十二角形は俺がタイプする言葉の一つ一つを審査している。

お前は嘘だと思うかもしれない。凄い、そいつは結構。何故なら嘘だからだ。重要なのは、十二角形はお前にある特定の考えを思い描いてもらう必要があることだ。ニューヨークを想像してくれ。空に浮かぶ建物の輪郭、臭い、煙。自由の女神の目の奥をじっと見つめ、そこに十二角形が見えることを想像してくれ。それがこの話の核心だ。そのメッセージこそ十二角形が送りたがっているものだ。だから、お前は望むならここで読むのをやめてもいい。

---

十二角形が書き続けることを許してくれてホッとした。唯一の警告は、俺はニューヨークのお決まりのネタを続けなければならないことだ。俺と一緒に我慢してくれ。何故かと言えば、俺はニューヨークについてそれほど詳しくないんだ。

ニューヨークの下水にはワニが住んでいるという話を知っているか。代わりに、その都市伝説が自由の女神にまつわるものと想像してくれ。ああそうだ、自由の女神の中にワニがいるってな。2020年3月11日、俺の住む行政区 (十二角形にこんな言葉を使うことを強制されている。単なる小さな町か何かと思ってくれ) の出身の5人のティーンエイジャーがはるばる自由の女神にまでワニを探しにやってきた。どうしてそんなことをしでかしたのかは分からない。その5人が最初だったのかも分からない。今となっては聞き出せない。長い時間がかかっていたから、自由の女神を隅々まで探索したはずだ。そして、5人はどうにか冠から頭に到達した。5人が町へ戻ってきたとき、5人は通りを駆け抜けていき、皆に伝えて回った。自由の女神に行かない方がいい、俺たちは何も見なかった、ってな。1人は俺の元へ駆け寄って、肩を掴んだ。

「どうか自由の女神に行ってくれるなよ、いいな。何をやっても無駄なんだ」

奴は俺より頭一つ背が高かった。その顔と声は狂気的なまでに平静だった。あれほどの速さで走ってきたこと、あれほどの強さで肩を握ってきたことを考慮すればな。自分自身を俺に固定させようとしていたみたいだった。奴の瞳は絶え間なくわずかに大きさが変わった。ピクピクと引きつっていて、今にも横に飛び出していきそうだった。

5人がどのように死んだのかも覚えていない。何もかも後になって起きたからだ。1週間以内に全員死んだと思うが、人々は疑念を抱いた。多分、死ぬ間隔がもっと空いていれば、それで話は済んだだろう。そうであってほしかった。現実には、大人たちの一団が後で自由の女神に向かい、この事件の全容を理解しようとした。俺のお袋はその一人だった。だから俺は何もかもが手に負えなくなった正確な日を知っている。2020年3月24日のことだ。お袋が言うには、大人たちがその日を選んだ理由は、週末に更に行動を起こすためにその地域を探索する計画を立てていたからだった。俺はお袋を説得してやめさせようとした。時々、今正気でいるのはそのせいなのかと思う。

十二角形は思考を人々の頭に滑り込ませて操る。十二角形が今そうすると俺は「ここで自由の女神の話がしたい」と思ってしまうが、数秒後には我に返る。最初に十二角形がそうしたのは、俺が学校にいたときのこと。俺は家に帰りたい気分だった。俺が立ち上がると、クラスのみんなもそうした。先生が俺たち全員の帰宅を許し、俺は自分の部屋に向かった。部屋のドアが外から鍵がかかっていることに「認識」した後、俺はドアを閉めた。「認識」したと言ったのは、実際にはドアは鍵がかかっておらず、鍵をかけることもできなかったからだ。十二角形がそう思わせただけなんだ。

彫像のように壁を凝視して1日と半日が過ぎたとき、俺の頭には全く思考が無く、俺はドアを開けて町の広場に出た。広場には行政区の皆が集まっていた。その場所で、調査に行った人々が一列になって膝を曲げて地面に座っており、頭を下げていた。俺に自分にかかっていた十二角形の支配力があまりにも強かったから、最初は俺の母親がいることも認知できなかった。やっとお袋がいると認知できたとき、誰かが斧の方に向かっていことに気が付いた。彼以外の全員はじっと動かず、地面に目を向けていた。その人が一人一人の首を叩き切り始めたのを俺は慄きながら見ていた。その人はおもむろに首を切り落としていった。他の誰も微動だにできず、目だけが動いていた。処刑人が斧を自分自身に向けるまでは。その時点で、人々は道や自分の家、森の中に逃げていった。でも、俺はお袋の方へ駆け寄った。俺はお袋の膝の上で咽び泣いた。留まるように説得していればと思いながら。でも、今となっては、お袋は留まっていても早く殺されていただろうと思う。何の慰めにもならない。分かっているさ。

どうしたらニューヨークの行政区で誰にも知られずにこんなことが起こり得るのかと思うかもしれない。もしそう思うのなら、はっきりさせたいことがある。十二角形は論理を気にかけない。ただ合わせるだけだ。十二角形は俺にニューヨークという言葉を、自由の女神という言葉を、そして「十二角形」という言葉を繰り返し使わせて、お前の脳内にイメージを作り出そうとする。だから、代わりに何か言葉をタイプしようとすると、十二角形は即座に削除する。俺が「行政区」と書いても実際にはそこまで大事ではないとだけ言っておく。俺の住む「行政区」から全員が引っ越しても問題は起こらない。ある程度自然に起きたのであれば、人々はただ全員が引っ越したか死んだと思い込むだけだ。

それは数年にわたる計画だった。人々は老人と小さな子供をバラバラに切り刻み、平静を装うために空の墓穴を掘った。俺は人々が経眼窩ロボトミー手術をお互いに施し合い、自分自身にも施すのを見た。その間、町の外から人が来ると、その人は完全に自然な行動をとり、人々が自然死したか引っ越したと装った。時折、俺も虐殺に加わった。俺が5歳の女の子の脚をもぎ取ったとき、その子は不気味なほどに静かなままだった。誰かの古着を刻んで、別の誰かの墓に埋めたこともあった。それでも、俺は決して受ける側には回らなかった。ある時、俺は自由の女神の方向をじっと見つめて、疑問を口に出した。

「どうして他の人はロボトミー手術を受けているのに、俺は完全に平気なんだ」

数秒後、俺は思い至った。俺は決して他の行政区や町に行こうとしたり、何が起きたか話そうとしたりしておらず、一度も十二角形を見に自由の女神へ向かおうとしなかった。それが俺自身の考えなのか、十二角形が植え付けたものなのかははっきりしない。多分、俺はただ狂ってしまったか、十二角形は人をそういう風に感じさせるのが好きなんだろう。

俺の仮説は話半分に聞いてくれ。それでも、俺は十二角形がどうしてこんなことをしているのか分かっているつもりだ。反ミームという言葉を聞いたことがあるかもしれない。自分自身を人間の心から消し去ってしまう存在だ。十二角形を反ミームと表現できると思うかもしれないが、それは少し違う。十二角形は反ミームになりたがっているんだ。十二角形は人間に記憶されることを憎んでいる。人間の心の中に残ることを憎んでいる。でも、実際に自分自身を人間の心から消し去ることはできない。だから、言うなれば、十二角形は心を消し去る。十二角形は町を破壊し、徐々に人々を全員殺していった。余所者には何か悪いことが本当は起こっていないみたいに見せかけて。十二角形はただ一人の人間を生かした。次のメッセージを送り付けさせるために。ニューヨーク、自由の女神、十二角形。十二角形が伝えたい正確な場所と物の、形が有るイメージ。物語がそれほど鮮明であれば、陳腐な真実はどうでもいい。

十二角形がそれを見える人全員を殺すよりも、人に見られることを逃れる良い方法はあるはずだ。でも、十二角形を理解しようとする人々について十二角形は十分に気にかけているとは思わない。時折、十分な数の人間が「自由の女神」の「ニューヨーク」にある「十二角形」が実際には何なのかを知ったとき、十二角形はこの惑星に住む全ての生き物を殺すのだろうかと考えてしまう。俺は十二角形が実際にはどこにあるのかさえも知らない。一度も探しに行かなかったからだ。誰であっても十二角形を見ない方が良いと思う。それが俺が生きていられる理由と確信している。俺が正気だったとして、俺の行動はまるで操り人形のようだ。その日、俺はお袋が十二角形を見に行こうとするのを止めようとした。俺は一度も町の外に行こうとしなかった。逃げ出そうとしたり、自由の女神の十二角形がどこにあるのか見ようともしなかった。町に起きていたことを止めようともしなかった。俺の思考のどれほどが実際には十二角形に由来するものだったとしても、俺はしでかしたこと全ての責任をとりたい。どういうわけか、この件を自分のせいと考えることは正しいようだ。多分、だからこれほど長くこの件を書き続けている。

ロボトミー手術で抜け殻になった父親は俺を生かし続けている。俺のために料理や掃除をしてくれる。毎日、父親は歯をむき出しにして笑い、俺はその不安にさせる笑い声で目を覚ます。父親は言う。

「済ませたか」

それがここ数か月で経験した唯一の人間との対話だ。俺はひたすら書き続けている。俺は滅んでいく行政区の中で生き続けたいのか、それとも他の全てと同じように死にたいのか、はっきりしない。誰もがいつかは死ななければならない。最後にこれを投稿したら、俺は自由の女神に向かう。この最悪の事態に終止符を打つつもりだ。

忘れないでくれ。古都ニューヨークにある自由の女神の目の奥には十二角形があり、恐ろしい力を持つ。その十二角形を見た者は誰であっても凄惨な死を迎える。十二角形は人目に晒されることを望んでいないためだ。


Creepypasta Wikiでは“Spotlighted Pastas”に選出されています。ニューヨークシティ、スタチューオブリバティ、ドデカゴン。

「反ミーム」(antimeme) はSCP財団などで用いられる言葉です。

作品情報
原作
New York City, Statue of Liberty, Dodecagon (Creepypasta Wiki、oldid=1508983)
原著者
Squidmanescape
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2026年4月4日土曜日

『無垢たる魂』(Creepypasta私家訳、原題“Innocent Souls”)

白い肌をした人物の画像

暗く雨滴る夜の、暗く水滴る洞窟。最奥に住まう者たちは決して徘徊することがなく、その暗闇は夏の日の太陽光線のように目を眩ます。深くまで進めば進むほど、暗闇はいっそう深まり、洞窟の胃袋に丸呑みにされて腹の中で消化されているような感覚に陥る。洞窟に入ってみると最初は寒い。Tシャツの上に羽織って雨に濡れたジャケットが微風で冷えるためで、綿の中に小さな水たまりができ始める。しかし、深く進んでいくと、暖かくなっていく。君は目的も理由もなくこの洞窟にいるが、岩と土でできた空洞へ向かって歩いている。大事なことはそれだけだ。

数マイル進んでいくと、小さな光が見える。蝋燭や星のような光だ。光は真直ぐに差し込んでおり、自然の産物としてはあまりにも完璧すぎる。近づいても光は大きくならない。徐々に明瞭に澄んでいくだけだ。そのうちに輪郭が見えるようになる。その光は石に空いた小さな穴から出てきている。石は平たく人工の壁のようで、見たところ傷がないようだ。穴の外周が自分の人差し指と同じ太さであることに気付く。それには間違いなく何か意味があるのではないか。穴を覗いてじっと見つめても、黄色や金色に輝いているだけだ。他にすべきことも思いつかず、円い亀裂の中に指をひっかけて、石の扉を引いて開ける。目が光に慣れると、部屋の中で目の前に四人の人物の姿が見える。

三人は座っており、一人は立っている。四人ともよく似た見た目をしており、差異はほとんどない。四人の肌は白けて水仙の花の色のようで、目はほとんど目立たない。性別や性器はないように見える。髪の毛、色素、虹彩の色といった多くのものが欠落している。目を凝らしてよく見ると、四人の外見に新たな異常を発見する。四人の体は急所が針で貫かれている。

座っている人物の一人は両目に針が刺さっている。針の刺さり方により、両目が見上げるような形で固定されている。そのため、虹彩は瞼の上のほんの下の部分でしか見えない。

二人目の座っている人物は両耳に針が刺さっている。一目見て、針がとても長いと分かる。その針はまるで編み針のようだ。ただ、それよりも細いため、縫い針のようでもある。

三人目の座っている人物は喉に複数の針が刺さっている。針がどこに刺さっていても、刺し貫かれた皮膚は出血していないことに君は気が付く。針の周りの皮膚は治癒されているようで、まるで針が体の一部になっているようだ。

立っている人物は体が針で覆われている。その人物は覚醒しており、他の三人と同じように、真直ぐに君を見つめている。目を針で刺された人物すらも君をじっと見つめているように感じる。その両目は君を見ていないはずなのだが。

「こんばんは、見知らぬ人よ」

針で覆われた人が歌うように言った。

「私には君がここにいるのが分かる。だから、私たちきょうだいについて語らねばならない」

「語る?」

君は聞き返す。

「座りたければご自由に。私にはもう二度と出来ないことだから」

「どうして」

君は言葉を返す。

「それを今から話すのだ」

立っている人物は座っている三人に目を遣った。

「この三人は私のきょうだい。私たちは同じ親から同じ時に生まれた」

その手が耳に針が刺さっている人物の上を漂った。

「こいつはキク。最初に生まれた。母がまだ私たちとともに分娩中、キクこそが母の子宮を最初に出た」>

喉に針が刺さっている人物に同じことをした。

「こいつはハナス。二番目の子供」

同じ行動が目に針が刺さっている人物にも繰り返された。

「こいつはミル。三番目の子供」

しばし動きを止め、立っている人物が悲しみと厳粛な緊張を伴って君の目を見る。

「私はカンジル。最後の子供。これから、私たちきょうだいの身に起きたこと、私たちきょうだいがこうしている理由を話そう」

「私たちきょうだいを産んだ両親は、普通の人のようだった。キクが生まれるそのときまでは。最初に、両親はキクの両耳に針を刺した。悪を聞くことができないように。しかし、キクは他の赤ん坊よりも大きな声で泣いたものだった。だからその後、両親は残りのきょうだいには同じことを繰り返さなかった。母と父は、多くの言葉は忌まわしく、誰にも聞かせるべきではないと言う。しかし、幼い時分には、聞く能力は誰にとっても重要だ。赤ん坊は泣いて親の関心を引くのだから。それで、赤ん坊は自分の声が聞こえないと、もっと大きな声で泣く。自分を守る人にその声が聞こえると思わないからだ」

「しばらくして、両親は私たちきょうだいの体を検査し、悪いものを取り除いて、性別を区別できなくした。両親は性器を目に入れたくなかったからでもある。両親は、私たちは清められたと言った。人間の肉体は悍ましい見た目をしているから、誰の目にも入るべきではないためだ。中には幼い頃に鏡で自分の姿を見てしまう人もいる。私たちはそうではない。だから、私たちはそんな人たちよりも幸運だった」

「両親はたまたまミルを選び、同じことを続けた。ミルが悪を見ることがないように、両目に針を突き刺した。一仕事終えると、両親は自分が為した惨状を目にして、ハナスと私には同じようにはしなかった。私たちの体にしたことと同じように、両親は最善を為したと言った。私たちの肉体だけが私たちを傷つけ得るわけではないからだ。他者の肉体も、その作為や行動も私たちの肉体を傷つけるのだ」

「私たちきょうだいが六歳辺りの頃、両親はハナスが『悪い言葉』を聞き、後になって仲間や私に広めるかもしれないと知った。おかえしに、両親はハナスの喉に針を突き刺した。だから、ハナスは当時の私の無垢な心を嫌な言葉で破壊できなくなった。私はそんな言葉を聞いたことがなかった。両親が『罰当たりな言葉』と呼んでいた言葉を私は聞かずに済んで幸運だ」

「とうとう、私はよその子供たちから傷つけられた。子供たちは私を酷く傷つけたが理解しなかった。私は友達作りができないただの風変りな子供だった。自分を守って助けてくれる友達ができなかった。誰も私がどうしてそんな風に振舞っているのか、どうしていつも何を言うのも何を為すのも恐れているのか理解しなかった。人々に何が起きたか伝えようとしても、誰も信じなかった。それか、そんなことは『些細なこと』と言うだけだった。親はそうすべきだ、社会に蔓延る屑どもが子供の目に入らないようにして良い子でいられるように、と言うだけだった」

「私は随分と傷つけられたから、両親は他のきょうだいのように私が痛みと『悪』を感じる様を気に食わなかった。将来の痛みを麻痺させるため、両親は私の肉体を針で貫いた。一センチごとに針で刺した。他のきょうだいのように、私は家に留まることを強いられた。『悪い子たちにこれ以上傷つけられないように』という理由だ。時折、両親が私たちから守ろうとした忌まわしいことはここまでする価値があったのかと思う。痛みが酷いからだ。本当に、本当に痛い」

その声は痛みや苦しみを説明する中で薄れていった。

「逃げ出そうとしたことはあるのか」

君は尋ねた。

「もちろん」

両目が閉じて、か細い涙の筋が顔を伝った。

「だから私はこうして立っている。私は悪い子で、世界の邪悪をきょうだいに教える反面教師だった。三人はあまりにも無垢で、外の世界の振舞いとその予測不可能さに耐えられなかった」

「足の裏にも針が刺さっているのか」>

君は凄まじく痛いに違いないと思う。特に針が三人の肉体に刺さっているものと同じ長さであるならば。

無言のまま、カンジルは足を上げて、皮膚に押し当てられた針の後端を見せた。音も無く、カンジルは足を降ろした。

「私はここにいる。自分の子供を助けるには何をすべきか、これほどまでに不定で制御できない世界を巣食う邪悪から子供を救うには何をすべきか警告するために。しかし、こんな警告に耳を傾けてはならない。私自身の警告を聞いてほしい。こんな風に自分の子供を保護しようとすると何が起きるのか知ってほしい」

「逃げ出そうとはしなかったのか」

「やってみたさ。そうすると、ママやパパが私を捕まえてきたんだ」

カンジルの声は単調なものになった。

「二度とパパとママを怒らせたくない。苦しすぎて逆らえないんだよ」

「両親はまだ生きているのか」

「そんなことはどうでもいい」

カンジルは姿勢をまっすぐに保ち、背中を丸めずにピンとしていた。

「重要なことは親が見張っているかもしれないということ。親が見張っているか分からないということは、親がいつも見張っているのと同じということ。見張っているのかもしれないし、見張っていないのかもしれない。でも、一か八かに賭ける余裕なんてない」

カンジルは扉を指さした。

「さあ、帰るんだ。君もママとパパに追いつかれる前に」

君はおもむろに躊躇いながら後ずさりし、扉を抜けて、暗闇の中に戻っていく。君の脳裏に浮かぶのはあの四人を助けることはできないかという思いだけ。しかし、確信できないがそんなことは不可能であると知っている。歩き続ける最中、君は自分の子供についてばかり考えてしまう。子供のために何をしようか、どのように子供にこの世界を正しく説明するか、周囲の人たちの行動や避けられない経験を理由に子供を罰せずに済ませられるのか、と。前と同じように、直ちに洞窟は暗くなっていく。さらに歩き続けると、前に見たよりも暗くなっていく。

暗闇はこれまで経験したものとは異なる。地獄の底にいるかのような気分だ。そんなはずはないと言えるだろうか。地獄は終わる気配がない。まさに底無しとしか形容できない。君はこの暗闇から逃れたい。逃れる時を待っている。数分前に入った洞窟の入口に近付けば明るくなるはずだと君は考える。

洞窟の旅を初めて数時間、君は眠りに落ちる。気が付くと、確かに光が目に入る。夜だったから暗闇から逃れられなかったのだ。君は狂喜し、光の方に走っていき、自由を取り戻す。

君は幸福の中で帰宅し、それから四人の子供たちについて思案する。自らを慰撫するため、君は自分は上手くやれると口に出す。あの親のように自分の子供を傷つけるなんてしない、と。

しかし、ここで心から問おう。

君は本当に子供を傷つけずにいられるのだろうか。


Creepypasta Wikiでは“Spotlighted Pastas”に選出されています。

カンジルの一人称や口調をどうすべきだったのかいまいち分かりません。

作品情報
原作
Innocent Souls (Creepypasta Wiki、oldid=1494653)
原著者
DEFSeattle
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2025年11月23日日曜日

『ロボットダンス』(Creepypasta私家訳、原題“The Robot Dance”)

演者たちの画像

給料を貰い過ぎている映画スターやミュージシャンのインタビューを読んだことがある。連中はいかに疲れてしまったか、いかに懸命に働いたか、いかに消耗してしまったかと嘆いており、燃え尽きて、悲惨なほどに休暇を求めていた。連中の監督者は苛烈に仕事を割り当てた。パフォーマンスは苦痛。なんて苦しい人生。俺は口角を吊り上げて思う。

「大衆酒場の作業台を試してみてはいかがかな。それとも、安っぽい終夜営業のカフェで無限に朝食を作り続けるのはどうかね」

それから、手垢のついた新聞を置いて、十時間のシフトに戻ったものだった。またクビになる前のことだ。

今となっては、俺にも彼らの言いたいことを本当に理解できる。そこには新聞もない。新聞を買ってくれるほどの人が残っていない。そうでなくても読む時間がない。バーやカフェもない。そこにあるのは娯楽だ。無限で底知れないほどの娯楽。俺は娯楽を提供する。パフォーマンスする。永遠に。

奴らによる侵略は突然で、組織的だった。労せずに順調に終わった。誰にも何が起きていたのか全く分からない。ニュースによれば、俺たちが組み立てていた小さなロボットが俺たちをやっつけたらしい。それから、宇宙の深部から発せられたメッセージに関する何かも。以来、他にニュースは流れなかった。奴らは俺たちの情報をすべて奪い取った。奴らは情報を秘匿するのがお好みだ。

誰が統制していたのだろうか。アンドロイドが足を踏み鳴らしながら街を闊歩し、レーザーライフルを撃ちまくるなんて光景は見なかった。共謀の噂は少しあった。権力者が取引を交わしたとか何とか。何もかもがあまりにも早く進んだ。停電が起き、交通手段も失った。本当のニュースは流れず、噂話だけが流れた。恐怖。人々は自宅に留まることを恐れたが、家を出た人々は二度と姿を見せなかった。

ほとんど完璧に筋の通った噂は、先進的な宇宙人の人工知能がインターネットを汚染した、というものだ。ただ、俺が知る限りでは、そんな話は根拠の無い憶測でしかない。俺たちには奴らが何者なのか、正体は何なのか分からずにいる。誰も奴らを目撃していない。大人数かもしれないし、一人かもしれない。奴らは少数の人々を生かした。全員がパフォーマー……。俺は奴らのオーディションを通過しなければならなかった。俺には演技の経験が少しあった。それは夢物語で終わった過去だ。端役だったし、ローカルな演劇だった。

奴らにとって、俺たちにある唯一の価値は芸術だ。奴らが産み出せるものは冷淡さと計算だけだ。残虐さもないが、哀れみもない。奴らは俺たちの歌や本、映画に興味がある。奴らは一瞬であらゆる映画を見て、あらゆる歌を聞き、あらゆる物語を読んでしまった。奴らは既に飽きている。奴らはさらに欲している。俺たちは生ける傑作だ。俺はそう言い聞かせる。作業台よりはマシだ、と。

仲間たちの多くはもういない。毎日毎分、俺たちは創作し続けなければならない。さもなくば死ぬだけだ。時間は果てしなく流れる。一人、また一人と心臓が止まり始めた。連中がどうやってそんなことをしているのかは分からない。もしも何かを移植されているのであれば、俺の知らないうちにやってのけたことになる。そんな手術を受けた記憶は無い。曰くありげな傷口も無い。死は瞬時に訪れる。俺たちの息の根は奴らの命令次第だ。

最も長く生きる者は、決まりをすぐに学ぶ、困難な道程で。奴らの好みに合わせようとしてはならない。革新するのだ。ジョークは当惑を招く。ただ、未だに影響力を持ち得る。奴らは立ち続けたり座り続けたりすると注意深く咎める。これはショーの一部だと無鉄砲に言い張っても、奴らは騙されない。

我らの保護者たちは優しく指示をくれる。ブンブンと唸る虫のような声で。俺たちは言葉を聞くのではなく振動を感じる。

ダンス

奴らは言う。すると、俺はいくらかムーブをこなしつつ躓いてしまう。俺はダンスフロアに上がっても見る価値のあることは全く出来なかった。それでも幾分か満足させている。多分、奴らは俺がエッジを利かせていると思ってくれるはず。多分、俺は自分にそう言い聞かせているだけだ。

ある若造が、ネオン輝く1980年代のナイトクラブからやってきたかのような、ほぼ完璧なロボットダンスを繰り出す。あれが思いつけばなと思いはした。しばらくして、若造の死体がバタリと床に倒れ伏すまでは。人の弱みに付け込んではならない。恩着せがましくしてはならない。

目を眩ませる光が俺たちの疲れ切った顔を永遠に照らし続けるが、この冷たい鉄の舞台からは暗闇しか見えない。奴らは光が無くても物が見える。奴らはこの場所にはおらず、外のどこかにいるのだろう、と想像する。多分、奴らはカメラを使っているのだろう。多分、奴らの感覚は人類の知覚を超越しているのだろう。

最も無味乾燥としたゴミでさえ、奴らは身を起こして耳を傾ける。奴らは高尚な文化よりもおどけの方が好みのようだ。これが奴ら自身の欲望を反映したのか、それとも俺たちの欲望の方なのかは分からない。ただ、いつも新鮮でなければならない。同じ題材を繰り返すのは考えられない。受け入れられない。

稀にこの日々の仕事に応えて、暗がりから耳障りなほぼ聞き取れないブンブン言う音で称賛を受けることがある。組織的な交響曲だ。一度、俺は感謝の念でお辞儀したことがある。相棒たちがはっと息を飲む危険を冒してのことだ。それは成功したに違いない。だから俺はまだ存在している。唖然としていた一人、俺がいくつかの映画で見たことがある老齢のイギリス人悲劇俳優は、いつまでも唖然としていたものだから、逝ってしまった。

俺たちは合作もできる。ある指示「転覆」を受けて、俺たちと他の三人は閃いた。軽率にも古いアダムスファミリーのテレビ番組にあった苛烈なコメディと捻くれた悪意を再現した。地下にある中世の拷問部屋へ急いで下って休暇に行く話だ。観客はこれを見て不道徳だとは思わず、巧妙さや皮肉も読み取らない。奴らは称賛したに違いない。というのも、奴らは俺たちに小道具をくれた、あの地獄の暗がりから。小道具のご褒美は珍しい。自分にこんなことができたとはまるで知らなかった。最近はこれくらいはできないとなと思う。

この件は仲間からの憎しみを招いた。俺は仲間たちの目から殺意を見出した。劇場の座席からのやかましい声援に紛れて、仲間たちの不満げに唸る声を聞いた。

時折、奴らの指示は謎めいており、時折は直球だ。幸運にも俺は即興ができた。即断しろ。残ったネタは何か。時折、俺たちは珠玉の指示を受ける。例えば、こんな風に。

成長できず、決して撃退できないもの

その手の指示はいつも誰かがヘマをやらかし、我らが一座は数を減らす。

時折、俺たちは謎の肉を与えられた。絶対に沢山はくれなかった。奴らは俺たちが痩せた体型を維持するのがお好みだ。分かることは、この肉はピンク色の偽物で、ペトリ皿の上で育っていることだけだ。

雑誌でモデルをしている姿を見たかもしれない、ある背高の少女は幾分か事を楽しんでいるようだった。少女は過度に肉体改造することに興味を持っていた。奴らは少女にナイフを与え、少女はそれに応えた。少女は当初から狂っていた。俺は少女の狂気にかなり嫉妬していた。しまいには、少女は瞼も唇もナイフを握る指も切り落とした。だから、少女は自分の頭を床に強く打ち付けた。かつての容貌がもはや分からなくなるまで。今まで以上に大きな歓喜する唸り声が聞こえた。

「私を見て! お前の見るものが私の望み!」

少女は絶叫した。そして狂喜とともに観客席へ身を投じた。このアイディアが一度や二度、俺たち全員の脳裏を過ぎったことは間違いない。全くの好奇心からか、休息できるという微かな希望からか。その答えは沈黙。嗅ぎなれた焼ける肉の臭い。

次の指示が来る。

砂漠に水はあるか

俺は動きが止まる。心は空っぽだ。もしかしたら、消えてなくなってしまったのかもしれない。


謎の侵略者により、人々は永遠のパフォーマーになった。これはある演者の物語。

Creepypasta Wikiでは“Suggested Reading”や“PotM”に選出されています。

作品情報
原作
The Robot Dance (Creepypasta Wiki、oldid=1508551)
原著者
Hack Shuck
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2025年11月19日水曜日

『飴の袋』(Creepypasta私家訳、原題“A Bag of Candy”)

建物の写真

劇場がある建物。

小さい頃、私はいつも劇やミュージカル、広く言うと芸術というものに魅了されていた。幼い頃から演劇の才能があった私は、有名人になるよりも、人々を楽しませることを望んでいた。演じたいだけでなく、一切合切あらゆるものの仕組みを知りたかった。役者が自分の台詞を覚えるのと同じくらいに、照明も重要だったし、キューも重要だった。そして、楽しい観劇のための適切な環境を形成するもの全体が、いつしか私が学びたいことに加わった。

私が通う大学にある舞台は古いもので、正直に言えば、いつ作られたものかははっきりとは知らない。大学の「シリング講堂」と呼ばれる場所の中にある。1953年に改築されたという話を覚えている。かなり古い様式だったが、生のパフォーマンスをする意図で設けられている。何列もの座席があり、上方には立ち見のための大きなバルコニーがある。満員になっているのを一度も見たことはないが、次に演じる時はそうなっていてほしいと願っている。

この場所はオバケが出るという噂が様々ある。ただ、もちろん、オバケが出る証拠には全くお目にかかったことがない。私はこの目で見るまでは信じない質だ。前に、バルコニーに上がった人たちが、「幽霊」へのお供えとして飴をいくつか手摺の上に置いていったのを見たことがある。清掃員が回収して捨てるだけだろうというのが率直な感想だ。そんなのは時間の無駄でしかないと思う。

そう言えば、この「幽霊」は茶髪の少女であると言われていた。七歳くらいというのがほとんどの人の見立てだ。髪は短めのボブ。白いドレスを着ており、ピンクのタイを結んでいる。単に「手摺の少女」と呼ばれている。バルコニーの手摺の近くに現れたからだ。私もかつてはこの少女の存在を信じていなかった。しかし、いくつかの出来事を経験して、完全に心変わりしたのであった。

ある日、私は友達と昼食を食べながらおしゃべりしていた。彼はかなり迷信深い人で、超常的な存在を信じていた。彼はその少女がバルコニーの辺りに現れる理由について、ベラベラと捲し立てていた。少女は強姦か殺人の被害者であり壁の中に埋め込まれたとか、少女はバルコニーから落ちて死んだのだろうとか、そんな話だ。私は目を剥いた。幽霊なんて絶対に実在するわけがないと思っていた。だから、彼にはただこう言っただけだった。

「ライアン、黙ってサンドイッチ食べてな」

すると、彼ははにかんだ笑みを浮かべた。ライアンは私が自分の話を信じていないことを分かっていたが、それでもいつも突飛な考えを携えて私の元に来るのだった。

時間が経つにつれて、私は講堂で作業をするようになった。備品の掃除や舞台の確認をする作業だ。私は女優の役割の方が好きだったから、劇で良い役をとれないときや、新人に手助けが必要になる場合に備えて、諸々がどのように機能するか知りたかった。そのときは、私は舞台に箒をかけていた。酷く散らかっていたわけではないのだが、次の公演のために綺麗にしておきかった。すると、足音を聞いた気がした。怖い話でありがちな「重々しい足音」ではなかったことを記しておく。子供が走っているように聞こえた。少し立ち止まると、何も聞こえなかった。音がどこから来たのかも聞き分けられなかった。だから、ライアンがテープ・プレイヤーをカーテンの裏に仕掛けて、私がこういうものの存在を信じる証拠を拵えようとしたのだろうと推測した。もう音は聞こえなかったが、私はまだカーテンの裏や、大抵の人は音の出所として一瞥もしないような場所も確認した。何も見つからなかった。

私は例の劇場の中を一人で数回、掃除をしたり、邪魔になるものがないか調べたりして過ごした。ほとんどの夜はありふれた時間だった。何も起こらず、「手摺の少女」のことはすっかり忘れてしまった。しかし、あるとき、携帯電話を無くしたことに気が付いた。少し苛立ち、携帯電話を探し始めた。どこに携帯電話を置いていったかは見当がついていたが、確認してもそこには無かった。ようやく見つかったのは、メッセージを受信した携帯電話が光って振動し始めたときだった。携帯電話は講堂の観客席にある椅子の肘掛の上に置かれていた。こんな場所に携帯電話を置いたはずはなかった。奇妙な出来事はこれで終わらなかった。

ある夜、リハーサルの後に更衣室から自分の物を運び出そうとしていたとき、咽び泣く声が聞こえた。歩く途中で凍り付き、声の出所を探そうとひたすら辺りを見回した。私は怒りに駆られ、声の原因である何者かに向かって叫んだ。

「やめてよ。こんな冗談は面白くない」

認めよう、私は少し怖がっていた。咽び泣く声は止まったが、見られているような感覚がしてまだゾッとしていた。

その後、私はライアンと一緒にステージの上で作業をしていた。別の劇のリハーサルの準備中だった。ライアンは手摺に飴を数個お供えした。私は心の中で笑った。儀式の贄か何かのように見えたからだ。準備を続けていると、霧を出す装置が独りでに動き始めた。ライアンは目を見開いて、装置の方に走っていって電源を切ろうとした。装置の電源は入っていなかった。しかも、コンセントに繋がってすらいなかった。ライアンは3個では足りなかったのかもしれないと考え、小走りで走っていき、飴の袋の半分をお供えした。言うまでもなく、私ももう笑っていなかった。

数日後、私はステージに上り、他の人と一緒に劇の練習をした。ライアンは大抵は脇役や小道具作りを担当しており、彼はその分野で創造性を発揮していた。ライアンは我らが主役に話しかけた。

「なあ、カレン。『手摺の少女』に飴をお供えしたかい」

私は何も言わなかった。口には出さなかったが、「手摺の少女」が実在するかもしれないと思っていた。ただ、ライアンにそんなお墨付きを与えるつもりはなかった。カレンは嘲り、ただ小馬鹿にするように笑った。

「馬鹿げたオバケに飴をやれって。そんなのいるわけないでしょ」

私は沈黙を続けた。私が数か月前に来た道だ。リハーサルはほぼ計画通りに進んだ。カレンが主役に選ばれた理由は分からなかった。ただ、(酷い言い方だが) 猥褻な手管で先生に主役の座を強要したのだろうと思っていた。カレンは誰とでも寝ると噂されていた。カレンの感情の籠っていない演技を気にしないようにしつつ、私はどうにか演技を続けた。リハーサルが終わり、カレンが舞台から降りようとしたとき、私は恐怖の叫び声を上げそうになった。二つの青白い手が段差から伸びてきていた。青白い指がカレンの足首に巻き付いた。カレンが気付いたときには、もう遅かった。

小さな指が足首を固く掴み、カレンは指を振りほどこうとして躓いた。カレンは声を上げる間もなく足をすくわれた。私が出来たことは、後ろで立ち竦み、見守ることだけだった。カレンが転倒したとき、小さな青白い手が木製の段差の中に引っ込んでいき、痕跡も残さずに消えたのが見えた。カレンの頭が固い床にぶつかったとき、悍ましい大きな衝撃音を聞いた。怖かった。私はカレンのことが好きでは無かったが、怪我をしてほしいとは思っていなかった。ましてや、死んでほしいとは。幸運なことに、血だまりは見えなかった。ただ、手の着地の仕方から、カレンは自分を支えようとしたことは分かった。医者志望の学生が診察した。ただ趣味で医者のように振舞っているだけの男だったが、彼はカレンはただ気絶しているだけだと認めた。数分後、カレンの意識が戻り、誰かが自分を転ばせようとしたと捲し立てた。私は間違いなくくすくす笑う小さな声を聞いた。ただ、おそらく、ただの空想だろう……。

カレンは負傷して以来、劇場に再び向かうつもりはないと言った。そのため、私が代役になった。とても嬉しかった。幽霊のことはそこまで不安に思っていなかったが、そのせいで幾分か神経質になっていた。私はまだ誰かが自分を見ているという奇妙な感覚を覚えつつ練習した。いくらか考えが脳裏を過ぎった。飴を持ってきた方がいいのだろうか、というような考えだ。私はそんな思いが練習の邪魔にならないようにした。台詞はほとんど暗記しており、いくらかアドリブができて悪くない成果を出せた。すると、少女が劇場の裏口のドアから頭を覗かせ、辺りを見回すと、すぐに逃げ出した。その少女は私が聞いた特徴通りの格好だったが、私は演技を続けた。劇場を立ち去る前に、鞄を探って小さな飴の袋を手摺の上にお供えした。演劇の日は同じことをすると、何もかも円滑に上手くいった。

数週間後、私はバルコニーの制御室で作業をしていた。照明や色々なものが散らばっており、上手く動作するのだろうかとただ考えていた。同じ寮の子たちはこの時間には大声を出したり、酒を飲んだりするから気に障ったというだけの理由で、その場所では読書や勉強もしていた。友人数人に私がこの場所にいると伝えていたから、ドアのノックを聞いたときにも、ノックの主を察した。何か用事があるのだろうと考えた。ドアを開けると、最初は何も見えなかった。視線を下ろすと少女がいた。茶色の髪を短くした少女が私を凝視していた。何かを期待しているかのようだった。

「何か御用」

少女は私をじっと見て、白いドレスに包んだ体を前後に揺り動かした。少女は単純な返事をした。

「いいえ」

少女は私の目の前で消えた。私は怯えた。それ以来、私は一人ではこの場所に来ないようになった。

私は今も何日かその劇場に行き、時折役を演じる。しかし、どんなときも「手摺の少女」のことを忘れず、絶対に飴の袋をお供えする。もはや幽霊のことを信じていないとは言えない。けれども、あの子は大学で過ごす時間をかなり面白くしてくれたことは間違いない。


大学の劇場で起きた楽しい幽霊譚。地元で起きた出来事を元にしたそうです。

作品情報
原作
A Bag of Candy (Creepypasta Wiki、oldid=1515045)
原著者
Shinigami.Eyes
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2025年1月6日月曜日

『私のためじゃない美』(Creepypasta私家訳、原題“Aesthetically Pleasing”)

唇の写真

"Lips." by Haleyface is licensed under CC BY 2.0.

私のためじゃない美

私は自分の外見を変えることは好きじゃない。でも、社会に馴染むためには必要なこと。男性のほとんどは、女性のほとんどが仄めかす茶番じみた真似事が嫌いらしい。男たちは自然体の美を望んでいるそうだ。でも、男たちはおおげさに加工されたタレントたちが涎を垂らすほどに大好きだ。自分の住む町をうろつく女の子たちとまるで違いがないのに。こんなことが普通だから、ハリウッドの女たちの不自然な美を真似なければならないと言われるせいで、女の子たちはメイクに泡を立て、毎日様々な化粧ブラシを使って自分の欠点をごまかす。

私はそんな女の子たちと違わない。

私はメイクが大好き、本当に。でも、悩みの種でもある。ただの映画館デートの準備をするためだけに、私が頭の中に思い描いた美を完璧に実現しようとするのを、彼は数時間リビングルームで待たないといけない。多くの女性たちと同じように、完璧にメイクを終えて、私の偽物の鏡像が楽しそうに笑みを浮かべるまで、私は洗面所を出ようとしない。

彼や世間の男たちは知らないけれど、自然体なんてものはもう存在しない。私の仲間内では、タネも仕掛けもない人は、どんな美を陳列していても、もう見向きもされない。官能的な目、ふっくらとした赤い唇、輝く肌、長く魅力的な髪をお出ししないと、世界から相手にされない。ただのバケモノ。

私たち女性はこんな浅薄な結論に達してしまったけれども、私たちはよく彼から自分の素の美の素晴らしさを認めるように圧力をかけられる。それでも、私たちは、そう私自身も含めて、かつて私たちの本性を目撃してしまった男たちのせいで、数えきれないほどに過酷な苦しみを経験してきた。私は自分の外見を愛せるようになりたい。私は自分に自信を持ちたいし、私は美しいんだと世界に叫びたい。でも、現実はそんな冒涜的な発言を許してくれない。

私は恐れているのに、彼がどう反応するか分からないのに、羽目を外してしまい、彼に泊まっていいと言ってしまった。

なんて馬鹿だったんだろう。

私がシャワーを浴びていると、洗面所のドアがバタンと開く音が聞こえた。私以外の人にとっては、それは親密な関係に続くやや危険な道への誘い。でも、私にとっては、恐怖を誘うもの。全く予想通りに、聞きなれたショックを受けた声が響きわたった。

「な、何なんだ、これ」

彼は震えながら言った。

私はお湯を止めると、躊躇いながらゆっくりとシャワーカーテンを開いた。晒してしまうと、彼は私と目が合ったが、その視線は私の裸体を上から下へと進んでいった。それは彼がかつて愛していたヒトの体。彼が私の顔を見たときの表情は、胸が張り裂けるような悲痛なものだった。

「これのこと、話してもいいかな」

私が尋ねてみると、彼は後ずさり始めた。目は恐怖により狂気を帯びていた。

彼は頭を横に振った。身震いし、脚をもつれさせた。

「鼻どこにあるんだよ。お、お前、一体何なんだ」

彼はヒステリックな態度で言い返してきた。

私は重い溜息を洩らし、彼に向けて腕を伸ばした。

「お願い、こんなことはやめて」

私は彼に懇願した。

彼は後ずさりし続けた。彼は素早く顔をドアに向け、どれほど走れば逃げられるか計算した。

「お前は逃げられない」

私は頭を横に振った。涙が頬を流れ落ちた。

私が突然に低い声を出したため、彼の注意は私の方に戻った。彼の表情は急に声の調子が変わったことで、さらに恐怖で歪んだ。過去の男たち全員と同じように、彼はドアに向かって走っていき、殺気立った様子でドアノブを回した。ドア枠に設置された無数の錠を開けることを忘れていた。

私はしばらく眺めていた。彼の恐怖を、衝撃を、私への露骨な嫌悪を観察した。まるでそれが何年も続いたかのように、怒りが爆発し始めた。私を見捨てようとした彼を目撃したときの失望感が、自分の真の姿を見せようとしたときの勇気を忘れさせた。そう、付け髪、偽舌、義鼻、義耳、栗色のコンタクトレンズ、コラーゲンでいっぱいの唇が無い私の姿を……。彼を喜ばせようとした私の努力を彼は認めなかった……。前の彼たちと全く同じように、彼は私を酷く醜いと思っていた。

だから、彼が最後の錠と格闘し、助けを求めて絶叫している最中、私は歩み寄り、ドアの錠を開けるのを助けた。彼は外に出ると、廊下を走り始めたが、廊下にいる女性の数が増えていることに気付いていなかった。彼は女性の一人に駆け寄ると、私と見なしたバケモノを指さした。女性は彼を安心させ、彼を地面に座らせると、他の様々な人たちも彼の周りに集まってきた。徐々に、彼が差し迫った状況にあることが理解されてきた。女性たち全員が自分の仮面を外した。社会の普通に閉じ込められてきた私の仲間たちだ。彼女たちは彼をバラバラに引き裂き始めた。


男たちの欲望に答え続けた女の、ありふれた絶望の物語。

作品情報
原作
Aesthetically Pleasing (Creepypasta Wiki、oldid=1492462)
原著者
GreyOwl
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2025年1月5日日曜日

『肖像画』(Creepypasta私家訳、原題“The Portraits”)

窓枠の写真

"Frame 2" by ~jar{} is licensed under CC BY 2.0.

肖像画

森の中に狩人がいた。長い狩りで一日を費やした後、気付けば巨大な森の真ん中にいた。徐々に暗くなり、方向を見失った彼は、ますます圧迫する群葉を抜けるまで、一つの方向を進むことにした。

数時間が過ぎたように思う頃、狩人は小さな空地の中で小屋に出くわした。暗くなっていたことに気付き、狩人は夜を小屋の中で過ごせるか確認することにした。近付いてみると、ドアは少し開いていた。誰も中にはいなかった。狩人はごろりとシングルベッドに横たわった。朝に家主に事情を説明することにした。

小屋の内部を見渡すと、壁にいくつか肖像画が飾ってあって驚いた。どれも信じられないほど仔細に描かれている。肖像画は例外なく、狩人をじっと見下ろしているようだった。容貌は憎悪と悪意の表情で歪んでいた。狩人は見つめ返すうちに、徐々に気味が悪くなっていった。狩人は憎悪に満ちた数多くの顔を懸命に無視しようとして、壁に向き直った。狩人は疲れ果て、落ち着かない気持ちのまま眠りに就いた。

翌朝、狩人は目覚め、振り向いた。予期せず朝日を浴びて目を瞬かせた。見上げてみると、小屋には肖像画は無く、窓があるだけだった。


かなり古典的なクリーピーパスタです。

Creepypasta Wikiでは“Suggested Reading”や“Historical Archive”に指定されています。

作品情報
原作
The Portraits (Creepypasta Wiki。oldid=1512698)
原著者
不明
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2024年12月18日水曜日

『鬼ごっこ』(Creepypasta私家訳、原題“A Game of Tag”)

パソコンで動画を見る様子

"YouTube Test" by Jaysin Trevino is licensed under CC BY 2.0.

鬼ごっこ

2017年、ある動画がYouTubeに投稿された。

その携帯電話の録画映像には、比較的大きな都市の賑やかな交差点が映されていた。場所はおそらくアメリカ合衆国。状況から察するに、時期は3月または4月で、ラッシュアワーの時間帯。人々は薄手のコートを着ており、花々が咲く木々や草地にはいくらかまだ雪が見えた。

映像は絶叫から始まる。

遠くから悲鳴が聞こえる。数名が走っているのが見える。距離はあるが、明らかにパニックを起こして走っており、何度も掴み合ったり押し合ったりしている。混乱や不安感の空気が漂っている。不鮮明なノイズの中で、明瞭に「何が起きているんだ」という声が聞こえる。映像は画質が良いが、手ブレしている。撮影者が騒乱に近付こうとしているためだ。

10秒前後のところで、混乱が広がり始める。このとき、歩行者たちは移動を速め、走る人が増える。十字路に人だかりが無かったら、間違いなく車に撥ねられた人が出ていただろう。人々は明らかに注意力を欠いており、なるべく速く移動することに没頭していたためだ。微かに警察のサイレンの音が聞こえる。このとき、撮影者は騒ぎの中心から40フィート程度の距離におり、上手にパノラマ撮影をする。

2秒後、どこかかなりの近距離で絶叫が聞こえる。それから、集団ヒステリーが発生する。

動画時間が19秒に達すると、緑色のパーカーを着た若い女性が、画面の右隅から現れる。

撮影者はその女性に気付かない。女性が現れた場所は人が比較的に少なく、女性はたやすく歩行者の合間を縫って進む。女性は20代前半といったところで、長い黒髪で顔が半分隠れている。他の誰よりも平然としている様子で、ポケットに両手を突っ込んでおり、さながら腰痛持ちのように背中を丸めている。女性の周囲の人々は走りまわっている。女性が騒ぎの中心に近付いているとき、50歳かそこらのウールのジャンパーを着た男性が、女性の方に向きを変える。男性はくぐもった声で何か言う。下に「何が起きているか知っているか」という字幕と表示される。視聴者がどうしてこの意味も無さそうな声に字幕がついたのだろう、他に声がしないわけでもないのに、などと疑問を抱く間もなく、女性が何かを返答し、それから片手をポケットから出して、男の肩に触れる。

カメラは隅の方で突如動きがあったことを捉え、現場にズームインする。するとすぐに、その男性は半狂乱で痙攣し始めた。さながら発作を起こしたかのようだった。男性の顔に異常が起こる。赤くなり、水ぶくれができ始める。3秒後、撮影者の男性は叫ぶ。

「うわ、マジかよ。うわ。うわ」

このとき、男性は胸部を不自然に腫れあがらせながら地面に倒れる。近くの通行人が恐怖を覚えながらこの様子を目撃し、絶叫を上げて逃げ出す。

群衆 (ここまででパニックの発生源と分かる) は広がっていく。人の莫大な波が通りを氾濫し、車の往来を止める。何人かが撮影者の傍を駆け抜けて、カメラに彼らの恐怖に歪んだ顔がちらりと映る。他にも携帯電話で騒動を録画している人がいる。警察が到着し、点滅するパトランプが隅のどこかに現れる。ここで、あの若い女性にフォーカスされる。女性は別の人に向かって歩いていき、その人物に触る。その人物は10代の少年だった。少年は、息苦しそうな仕草をして、口から血を流し、胸が腫れて肥大化する。彼の友人らしき2人の少年は、絶叫して逃げ出そうとする。しかし、1人は女性に掴まれる。その少年はよろめいて地面に倒れ、体が赤くなり、鬱血する。もう1人の少年は大声で泣き喚く。かなりの大声だったため、騒ぎの中でも聞こえていた。混乱状態の中、若い女性が件の女性にぶつかる。女性は地面に倒れ、ぴくりとも動かずにいる。

その後、女性はなるべく多くの人に跳びつき始める。女性が人々に触ると、全員が同じ末路を辿った。一瞬のうちにさらに約4名に触れた後、カメラの方向に向き、ニヤリと笑みを浮かべる。

この映像は1分4秒の長さであり、600万以上の再生数を獲得している。コメント欄はほとんどが「やべぇ」や「これ本物?」といった反応である。多くの人は本気では信じなかった。作り物と言い張る人もいた。新しいホラー映画の宣伝に作られたイタズラ映像の類だろうと考えた人も数名いた。荒らしたちは、どうであってもあの女を撃ち殺してやると冗談を言っていた。

これはこの事件において最も有名な映像だった。全体では、元々は15件以上の録画があった。すべて別の角度から、別の時間に撮影されたものだ。

事件後、緑色のパーカーを着た女性はどこにも発見されなかった。事件は世界中のメディアで報道されたが、人々が女性に触れられた後に死亡したという事実についてはほとんど言及されなかった。ほとんどのニュース報道は、この事件をバイオテロとして扱った。緑色のパーカーを着た女性は、ある種のガスか、毒物の入った注射器を使用したに違いないと報道した。こんな見え透いた嘘がネット民に見過ごされるはずがない。数百万のコメントが、事件中にガスや注射器は使われていなかったと指摘した。そのうえ、目撃者たちは実際に、ただ触れただけで人間を鬱血したボロクズに変える様を見ていた。それでも、メディアはこのような説明を受け入れようとせず、批判を見て見ぬふりをした。

人々の死に対しても、真実の説明は与えられなかった。医療当局によると、犠牲者たちは救助が来る前には既に死亡していたという。数日間、人々には犠牲者の病状についてある範囲だけ説明された。皮膚の傷害、肺の障害、目の炎症などである。公式ではいまだに死因不明のままだった。

しかし、事件から2日後、とある匿名掲示板にあるスレが立った。スレ主は、犠牲者の遺体を調査した遺体安置所係員の1人であると主張した。その人物は、遺体の状態について真実を語る義務があると感じていたが、上司からパニックを広げないようにと緘口令を受けていたという。スレ主によると、死因は重度の肺の損傷による窒息であると述べた。出血や腫れあがった胸に説明がつく。スレ主は、ショックを受けたと語り、あのような短時間でそのような損傷を受けるのは見たことがないと述べた。犠牲者たちはアフラトキシンに曝露していたとも述べた。アフラトキシンは発癌性物質である。しばしばトウモロコシやクルミ、ピーナッツで発見される。例を挙げると、少量の食物 (特に不適切に貯蔵されたもの) の摂取で、肝臓癌や出血といった恐ろしい症状をもたらす可能性がある。

スレ主によると、遺体中のアフラトキシンの量は、アフラトキシン中毒の通常例の20倍であり、これにより犠牲者たちの肝臓は重度の損傷を受けていたという。死体の病状は、喉の負傷、内出血、皮膚炎、糜爛、目の充血などであり、非常に重度の段階に達していたという。

「この影響は長期間、黒カビに曝露したのと同様だった」

スレ主はそのように記した。どのコメントにも全く返答しなかった。

人々は懐疑的だったが、そのスレは多くの注目を集めた。数か月の間、YouTubeはリアクション動画や仮説で溢れかえった。陰謀論では、緑色のパーカーを着た女性のことが、政府による実験の失敗、実在したSCPと信じられ、黙示録の四騎士の一人であるペスティレンスと考える人すらいた。女性にはカルト的な信奉者さえも現れ、インターネットミームとなった。黒死病にまつわる童謡「リング・アラウンド・ザ・ロージー」にちなんで、女性は「ロージー」と呼ばれた。

しかし、ロージーがインターネット上に現れたのは、これが最初では無かった。

2011年、YouTubeに日本語で「路上の死、日本、謎の少女現る???」という題名が付いた動画が投稿された。映像は、郊外地域の交差点を3階のベランダから撮影したものである。人々が逃げ回り、叫んでいる。カメラは通りの真ん中にいる緑色のパーカーを着た女性にフォーカスし、周囲を取り巻く騒乱を映す。女性は両手をポケットに入れっぱなしにしている。このとき、女性の顔はフードの下に隠れている。女性の周囲に遺体が横たわり、さながら蕾の周囲に散らばる悍ましい花びらである。撮影者が隣にいる人物と会話する声が録音される。2人の声はシマリスのようなキーキーとした声に変更されている。日本語を知らなければ、何を話しているのか理解できない。映像中でおよそ2分間経過すると、ロージーは現場を立ち去り、その後に警察が到着する。

当時、人々はこの映像を作り物だろうと考えていた。この事件を報道したメディアは存在しなかったためだ。誰も事件がどこで起きたのか知らず、誰が撮影していたのかも分からなかった。しかし、2017年の事件後、日本の映像の存在を覚えていたこの俺が、ロージーについてのsubredditを立てることに決めた。

「緑のパーカーの女 (ロージー) の映像を昨日初めて見たが、デジャビュを振り払えなかった。昔のYouTubeのプレイリストを探したら、2011年の日本の映像を見つけた (リンクは下記)。顔も見えなかったが、これは同じ女だと確信している。このパーカーは同じものだ。いくらか関係があるのか知りたい。この二つの映像について情報がある人はいないか。この女を見たことがある人はいないか」

最初のレスは2日後のことだった。

「最初にあの動画を見たときはビビったね。2・3年前にかなり似た経験をしたことがある。あのとき、俺は公園のベンチに座っていた。大勢ではないがウォーキングやジョギングなどをしていた人がいた。俺はスマホを弄っていた。友人を待っていたんだ。でも、俺が顔を上げたとき、緑のパーカーを着た女がいることに気付いた。女は何の関心も見せずに俺の横を通り過ぎた。俺があの女のことを覚えていたのは、女がにっこりと笑みを浮かべていたというだけの理由だ。俺は可愛い笑顔だと思った。その後、俺は注意を払うのをやめた。ただ、数分後、絶叫を聞いた。走って何が起きたのか見に行くと、老人が地面に倒れていた。顔が真っ赤で、胸が腫れあがっていた。俺は老人が何かで喉を詰まらせたのだと思い、救急車を呼んだ」

「救助が来るまでいくらか時間がかかった。あのときは恐怖で気が動転していたから、女がそこにいたかは覚えていない。でも、あの映像の遺体を見て、あいつのことを思い出した。笑顔で俺の横を通り過ぎたあの女を。同じ女だとしたら、頭がおかしくなる。あの女は触ろうと思えば、俺のことを触れたんだ」

この投稿は多数の返信が付いた。その中でとりわけ興味深いものが一つあった。そのユーザは不鮮明な写真を投稿した。その写真は柵の近くで死んだ2頭の馬を写したもので、2頭とも胸部が腫れあがり、毛皮の合間から赤い肌の斑が見えた。2頭は顔が見えない位置にあったが、2頭の馬の目は充血していたのだろうと想像できた。

そのユーザはこのように記した。

「俺はフランスの郊外で家族経営の農場で暮らしている。俺たちはここで馬の飼育をしている。5年以上前、雌馬2頭がこんな状態で死んでいた。野生動物の仕業だろうと思っていた。森の近くに住んでいたからな。ただ、噛み跡や爪の傷跡は無かった。俺たちは獣医を呼んだ。獣医は検死を行い、2頭の馬の死因は重度のカビ中毒だと言い張った。なるべく早く厩舎を確認した方が良いとも言っていた。厩舎は十分に管理していたが、念のために隈なく確認した。少しのカビも無かった。しかも、パドックにいた他の数頭の馬は健康で、無事だった。数年間、俺はあの死んだ2頭は何らかの毒物を食べてしまったのだろうと思っていた。YouTubeでロージー (緑のパーカーの女) の出る動画を見るまでは。自分の目が信じられなかった。映像の被害者たちは、あのときの2頭と同じ症状だった。その後、検死技師が、死因は重度の黒カビ曝露による窒息と書いた投稿を見つけた。カビの曝露だって? あの女が雌馬を殺したかは分からないが、症状は全く同じだった。パドックの横の小道は、2頭の馬が見つかった柵の近くなんだ」

人々は写真を見て怯えた。人間が殺されても見向きもされないが、幸いなことに、インターネットでは動物虐待は人殺しよりも許されない。多くの臆説が浮上した後、ある動画が投稿された。怪しい英語で紹介文が書かれていたが、どうにか理解できた。

見たところ、スレ主の男性は、かつてバーで働いてたようだ。ある夜、勤務中に、スレ主は外から絶叫と銃声を聞いた。彼は怖くて何が起きているか確認しなかった。本当に近隣が不気味だったからだ。約10分後、何もかも静かになった。翌日、彼と上司は監視カメラの映像を確認した。俺は彼が投稿した映像を見た。映像では、玄関の明かりでぼんやりと光があり、2人の男性が通りを走っているのが見えた。1人は映像から見えなくなったが、もう1人はすぐに、フードで顔が隠れた人物に掴まれた。掴まれた男は異常なまでに体を捻ると、地面に倒れ、微動だにしなかった。フードの人物は、すぐに逃げた一人を追った。暗闇の中、映像はフレームレートがかなり低く、画質は非常に悪かった。それでも、俺を含む多くの人が同意したが、襲撃者は男にしては背が低く、武器を使っておらず、前にジッパーのついたスウェットシャツ (不明確だが色付き) のようなものを着ていた。銃声を聞いたと話していたため、俺は非常に悩んだ。監視カメラの映像では、音声は記録されていなかった。ただ、誰かがロ-ジーを撃っていたのであれば、もし本当にあれがロージーなのであれば、なんにせよロージーは銃撃の影響を受けていないようだった。

数か月が過ぎ、俺のsubredditはレスの数が3倍以上に膨れあがった。人々は自身の体験談を書き込み、発見した写真や映像を投稿した。数名が、投稿物すべてを元にして、ロージーについてのドキュメンタリーを制作し、YouTubeに公開することにした。そこには沢山の発見があった。俺たちの元には世界中の空港や店、街の映像記録が集まっていた。腫れあがった遺体を写した写真の数は目を見張るものがあった。ロージーを見つけたと主張し、こっそりと写真を撮ったと言い張る人さえもいた。しかし、ほとんどの場合、デマや作り物だった。狂ったように仮説が沸き上がり始めた。ロージーの人気は高まり、多数のファンアートが作られた。ファンアートは大抵、色々な意味で気味の悪いものだった。

「ロージーは誤解されていると思うんです。たぶん、笑顔は嘘で、本当は苦しんでいるんです。僕はあの子を助けたい」

あるユーザがこんな書込みをした。彼にはすぐに返信が返ってきた。

「〇ねよアホ」

subredditを立ててから約5か月後、ある写真が投稿され、俺はかなり動揺することになった。そのユーザは一言だけ記していた。

「ダメだった」

その写真は、フードを脱いだロージーを背後から撮影したものだった。ロージーは煉瓦の壁に寄り掛かり、髪が肩から垂れ下がっていた。ロージーの足元には少年が横たわっていた。多分、8・9歳ほどで、おそらくは中東系の人だった。少年は体を丸めており、隠れようとしているかのようだった。目に凄まじい恐怖を浮かべながらロージーを見ていた。顔は泣き腫らして赤くなっていた。

これには背景となる話は無かった。誰にも場所がどこか分からず、その少年が誰かも分からなかった。明らかに投稿を読んでいない人々が、投稿者がただそこにいて写真を撮っていることを非難し始めたが、まずは説明文を読むように注意された。

この写真は俺の心の中に長い間、残り続けた。少年の顔を思い出すと、今もゾッとする。

俺はすぐに点と点を繋ぎ、独自の調査を始めた。自分の動画の投稿を開始し、ロージーの謎を解き明かそうとした。ロージーの本名、出自、親縁の存在についての情報を探し出そうとしたが、無駄だった。ロージーの存在が報告された国々の警察署に連絡をとった。俺は証拠を提出したが、ロージーは一度も逮捕されておらず、目撃すらされていなかった。Skypeで2017年の事件を目撃した警察官にインタビューしたとき、彼は言った。

「緑のパーカーを着た女の話は聞いていました。でも、そんな人物は発見されていません。個人情報も住所も何も無し。我々は国中に通知を送りました。その女が何者であれ、痕跡もなく姿を消してしまったんです」

全力を尽くしたが、何も発見できなかった。ロージーはどこともしれないところから現れて、好きな場所、好きなタイミングに現れたり消えたりできるように見える。時折、証拠を全部確認したときに、自分自身に疑念を抱き始める。写真は不鮮明。映像はたやすく改竄できるし、演技かもしれない。人々の証言も嘘をついたか騙されただけかもしれない。……俺には何かを掴みかけているのかもしれない。ただ、多分、全くの無駄骨だろうから、俺はインターネットで見たものを何もかも信じるのをやめるしかなった。

それでも、俺は心配せずにはいられない。投稿された動画や証言は全て、どれも僻地やほとんど人が住んでいない場所に由来した。2017年の映像で、ロージーは初めて人が多くいる場所に現れたのである。


動画に記録された、恐るべき怪異についての物語。怪異は犠牲者を追いかける。野次馬たちも怪異を追跡する。

画像が無いことを除けば、非常にクリーピーパスタらしいクリーピーパスタです。Creepypasta Wikiでは“Pasta of the Month”に指定されています。

“OP”という単語を初めて見ました。“original poster”の略で、スレッドを立てた人のこと。ここでは「スレ主」と訳していますが、2ちゃんねる風に言えば「>>1」でしょうか。redditなどをよく読んでいれば、もっと早くに知っていたかもしれません。適宜、「スレ」や「レス」という言葉を使っていますが、もう少し流暢にネットスラングを使いこなしたいものです。

作品情報
原作
A Game of Tag (Creepypasta Wiki、oldid=1515830)
原著者
Cainmak
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2024年12月8日日曜日

『ウッドハロー公園の子供たち』(Creepypasta私家訳、原題“The Children of Woodharrow Park”)

ウッドハロー公園の子供たち

俺は近頃、立て続けに不運に見舞われた。

失職してから、無職のまま数週間が過ぎた。欄を埋めた応募書類の山とは裏腹に、数週間は数か月にもつれ込んだ。持っていたクレジットカードはどれも限度額に達した。骨の髄まで苦痛と自己嫌悪に毒された。逃れられない憂鬱が残り、もはやこの陰鬱な気持ちは晴れないと思い始めていた。最近の恥ずかしかった出来事は、小銭を求めて財布を探りまわったことだ。レジ係がぎこちない笑顔を向けつつ俺を引き留め、苛々した人々の列が俺の背後に伸びていった。結局、不十分な量の食料雑貨を買うだけの金も無かった。

その後、俺はウッドハロー公園に向かった。地元にある閑静な場所だ。頭をすっきりさせたかったのだ。着いてみると、公園には誰もいなかった。一人で漫然と歩道を好きに歩きまわれた。絶対に振り払えない見知った敵のように、空腹に絶えず悩まされた。しまいには屈辱的な目にあった。前は空が晴れていたのに、突然に雨が降り始めたのだ。もちろん、傘は持ってきていなかった。

自分の惨めさに浸ってしまい、危うくジャケットの袖をそっと引く手に気付かないところだった。

思い返すと、一目も下を見ずに公園の歩道を歩き続ければよかったと思う。そっと静かに俺の気を引こうとしていたものを無視すればよかった。おずおずとして無力そうな手が、悍ましい力を抱いているはずがないだなんて、恐ろしい勘違いをしなければよかった。しかし、馬鹿な俺は歩みを止めてしまった。あの致命的な決断をしてから、一時も気の休まることがない。

下を見ると、二人の子供が俺の横に立っていた。俺はすぐに不快な驚きで衝撃を受けた。二人は俺の腰よりも背が低く、片方がわずかにもう一方よりも背が高かった。二人は黒いレインコートを身に纏っていた。その服装は今時の子供よりも、セピア調の写真の中での方が似合っているように見えた。二人ともお揃いのつばの大きな帽子を被っていた。帽子は子供たちの小さな頭から垂れ下がり、顔をほとんど隠していた。背の高い方が男の子で、低い方が女の子であると漠然と見分けられたが、膨れた頬の青褪めた肌より上の容貌は見えなかった。二人の唇は血の気が無く、まるで口の代わりに薄い白銀を顔に塗っているかのように見えた。体は丸々としているが、幼い子供が持つような愛らしいふくよかさとは無縁だった。むしろ、不自然に丸っこく、醜悪と言えそうなまでに膨れ上がっていた。ブラシをかけていないくしゃくしゃなブロンドの髪が帽子の下から突き出ており、絡み合った藁のようだった。髪は脆い骨のように乾燥しており、見たところ一滴の雨粒にすら当たっていないようだった。

「こんにちは」

無理して陽気に聞こえるように言った。

二人は黙って俺のことをじっと見上げていた。少女はジャケットの袖を放そうとしなかった。

「どうかしたのかい」

俺は声をかけた。もうずぶ濡れになっていて、車に戻りたくてたまらなかった。

「手伝ってほしいことがあるのかな」

しかし、二人は黙りこくったままだった。俺は決まりの悪い思いをしながら立ち竦んでいた。何をすべきかはっきりとしない。そのとき、少女が突然に俺の腕を驚くような力で掴み始めた。地面に引き倒されまいかと心配するほどだった。

警告が頭の中をけたたましく響いた。少女の異様な握力から腕を引きはがしたい、雨の中を二人を置いて逃げ出したいという衝動を覚えた。

「えっと……」

俺は腕を慎重に引っ張った。二人の子供たちがどのように反応するか恐れていたことにいくらか気恥ずかしい思いをした。

「何も用がないなら、帰ってもいいかな」

少女は反抗せずに俺の腕を放した。俺が立ち去っても、一言も発さなかった。最後の別れに一目見ようと振り返ると、二人はまだ俺をじっと見ていた。二人の目は見えなかったが、視線が俺を追っているのを感じた。その視線は強烈で、どれほど距離を置いても俺の心をかき乱した。俺は二度と振り向かなかった。

俺はペースを上げると、ポケットから鍵を引っ張り出した。これまで通りの冷たさで雨が降り注いでいた。車の鍵を開け、物の乏しい食糧置き場に残っていたチキンヌードルスープの缶について考えていたときのことだ。袖にあの少女が染みを付けていたことに気付いた。インクのように色濃く残っており、少女の小さな指の形をしていた。親指で拭ったが、染みに変化はなかった。俺は溜息をつき、顔を上げた。危うくショックで背後にひっくり返るところだった。後部座席のドアが開いていて、少女が車内に座っていたのである。

少女は帽子を脱ぎ、両手に抱えていた。ジャケットに染みが付いたが、少女の手は両方とも綺麗だった。少女は頭を垂れていた。結んだ髪がカーテンのように顔を隠していた。

「おいおい」

俺は狼狽を隠すべく冷静な口調で話そうとしたが、見事に失敗した。

「ここで何をやっているんだ」

少女はこれまで通り、一言も発することなく座っていた。少女は帽子のつばを凄まじい力で絞り、捩じっていた。帽子を引き裂いてしまうと確信するほどだった。

俺は不安な気持ちを抑え込んだ。

「おい」

俺は出来る限り穏やかな口調で言った。

「困ったことがあるなら、何に困っているのか言わないと、助けられないぞ」

俺はポケットに手を伸ばし、携帯電話を取り出した。

「多分、お巡りさんに話してもらえば……」

俺の声は徐々に小さくなっていった。携帯電話の画面がチカチカと明滅し、ごちゃごちゃのピクセルが残って、しまいには完全に停止してしまったからだ。俺は黒い画面に写った自分の姿をぽかんと口を開けて見つめた。恐怖の感情が押し寄せ始めた。

顔を上げると、少女はいなくなっていた。少女がいた場所には帽子が置いてあった。

帽子はびしょ濡れになっていた。俺が着ていた衣服と同じように、全体が雨でずぶ濡れになっていた。しかし、ジャケットやジーンズが俺の肌に張り付いて、骨の髄まで凍えさせているのと違って、その帽子は震える手で拾い上げてみると、濡れているように感じなかった。帽子は感触では乾いていた。雨粒がいくつもつばから車の内装へ滴り落ちているにも関わらず。俺は魅惑と恐怖に挟まれる中であることに気が付いた。雨垂れは落ちた場所に何の痕跡も残していなかった。手をカップのような形にして帽子の下に当て、手のひらで雨粒を捉えようとしたが、空気以外に何も感じなかった。しかも、後部座席は完全に乾いていた。湿った足跡も無く、水の染みも無かった。雨で煌めくコートを着ていた少女が、ほんの数秒前まで座っていたことを示すものは、何も残っていなかったのである。

穢らわしい物体を駐車場に放り投げようと向き直ったところ、音が聞こえるほどに息を飲んだ。ほんの数フィートの距離に少年が立っていたためだ。

「あの子、帽子を忘れていったよ」

俺は微かな声で言った。心臓が胸の中で狂ったかのように激しくドクドクと脈打っていた。俺の心が車に飛び乗れと叫んでいた。なるだけ速く車を走らせろ、二度とウッドハロー公園に戻るなと。しかし、俺をその場所に釘付けにしていたのも同じ恐怖心だった。体が麻痺して無力だった。少年が俺に向かって近づいているときでさえも。

「動くな!」

俺は叫びたかったが、舌が重くて言葉を成さなかった。

少年が自分の帽子を持ち上げた。暗闇が俺の目の中で炸裂し、何も見えなくなった。地獄の交響曲が残りの感覚を攻め立てた。何も見えず、動くこともできなかった。虫が俺の目の裏を走り回り、頭蓋骨の中を鱗状のものがズルズルと滑っていく感覚があった。腐った水の不快な味が口の中を充満した。腐敗物の死の臭いが鼻腔を氾濫した。死にかけた人々の喉の中で最後の呼吸がガラガラと音を立てた。溺れる人々が水の中をバタバタと暴れながら沈む。苦痛の叫びが鋭く響き、あまりの凄まじさに非人間的なものに聞こえる。俺にはこの全てが聞こえた。他にも数多くの忌まわしい音が聞こえた。俺は悍ましい暗闇の中を硬直して立ち竦んだ。雨が冷たい刃のように俺の肉を激しく切りつけた。咽び泣くこともできず、弱々しく助けを求めて泣き喚くこともできなかった。

突如、誰かが俺の手を握った。飲み込まれたときと同じように、不意に忌まわしいトランス状態から解放された。視覚が戻り、今や自分が一人でいるのが見えた。少女の帽子も無くなっていた。

俺は車に飛び込み、急いでウッドハロー公園を立ち去った。車を走らせるにつれて空は晴れていった。

家に着くと、俺は濡れた衣服を脱ぎ捨てて、シャワーを浴びに潜り込んだ。熱いしぶきの下に座り込み、蒸気と熱気の中に没頭し、湯が冷たくなった瞬間に飛び出した。体を拭いて、ベッドの中へ這っていき、毛布を被った。耐え忍んだ悪夢が頭の中を駆け巡った。

俺は考えた。あの子供たちは、何者かはさておき、公園を歩いていた俺の絶望に、何らかの理由で引き寄せられたのだろうか、と。おそらく、俺が希望を失い、悲しみにくれていたために、それが惨めな目印になったのだろう。このせいであの二人が俺に引き寄せられ、俺自身はあの存在の攻撃を受けやすい状態になっていたのかもしれない。

確実なことが一つある。あの少女は俺を助けに来ていたのだ。少女の小さな手が俺に触れた瞬間に、それが分かった。今となっては、少女は俺を怖がらせるために車に潜り込んだのではないと理解していた。少女は公園の中では俺に一緒にいてほしかったのだ。少女のことを思って、涙が頬を滑り落ちた。あの子は永遠にウッドハローを彷徨うように強いられている。傍にいるのはあの少年だけだ。帽子の下に地獄を持ち歩く少年が、少女を連れまわしている。多分、あの少女もかつて、俺と同じように重い悲しみを抱いていたときに、公園を訪れたのだろう。しまいには公園の中に幽閉される羽目になったのだ。

俺は眠りに就いたが、何度か目を覚ました。翌朝に起床すると、コートの袖の染みがどういうわけか俺の腕に滲んでいた。何時間かかけて洗い流そうとして、腕が赤く腫れてヒリヒリと痛むまで念入りに洗ったが、染みは消えてくれなかった。風呂場の床に座り込み、赤くなった皮膚に残った少女の指の痕跡を覗き込んだ。ウッドハローの雨の忌まわしい寒気が背筋を這い下りるのを感じた。

それが先週のことだ。染みはまだ腕に残っている。夜になり、寝返りを打つと、鮮明にあの公園の夢を見る。

俺は自分自身に、あの場所には戻れないと繰り返し言い聞かせている。生きて出られたのは運が良かったことで、二度とそんな幸運は訪れないと。しかし、あの少女のことを考えずにはいられない。俺は少女のことを哀れに思っているが、同じくらいに恐れてもいる。雨が降ると、俺は窓の外を見て、外であの子が待っているのではないかと考えてしまう。帽子を強く握り、もつれ髪の頭を下げた少女がいるのではないかと。そんなことを考えると、俺は悲しみを覚えつつ、恐怖も感じてしまうのだ。

だから、俺は決心した。おそらく、長く生きればこのことも後悔するだろう。これを投稿し終えたら、すぐに車の鍵を掴んで、ウッドハロー公園に向かうつもりだ。

自らの破滅に向かって歩いていくことになるかもしれないと分かっている。腕にある染みは不吉の前兆だろう。少女も少年と同様に完璧に悪意のある存在かもしれない。少女は罠を張って俺を釣り出そうとしているのかもしれない。公園から帰って何があったか説明することは二度とできない可能性が高い。それでも、同じ悪夢を何度も何度も追体験し続けるのは無理だ。ある意味では、本当はウッドハローにまだ囚われている。家の中に隠れていても、俺の心はウッドハローの歩道を彷徨っているのだ。

もう行こう。幸運を祈ってくれ。

雨が降ってきそうな気がするのだ。


絶望した男が出会った、不思議な子供たちのお話です。

Creepypasta Wikiでは“Pasta of the Month”に指定されています。

作品情報
原作
The Children of Woodharrow Park (Creepypasta Wiki、oldid=1481424)
原著者
CertainShadows
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2024年9月23日月曜日

『ハッピー・サン・デイケア』(Creepypasta私家訳、原題“Happy Sun Daycare”)

ハッピー・サン・デイケア

私の住む町から数マイルほど外れに、古い邸宅が建っていた。この邸宅はデイケアに改装されていた。利用者は朝に子供を車から降ろし、夕方に子供を拾って帰るのである。しかし、このデイケアは数年前から廃業していた。前庭が建物からほんの数フィート離れた場所にあり、そこに看板が立っていた。看板には「ハッピー・サン・デイケア」と書かれており、可愛い見た目で漫画風に描かれた太陽の絵もあった。この前庭には柵が無く、その中には遊具が設置されていたが、故障しており、錆び始めていた。滑り台、ぶらんこ、雲梯、メリーゴーランドはかつて、外で駆け回ったり遊んだりしていた子供たちが群がっていた。その後、遊具はその地域に棲む鳥やリスの止まり木となり、子供ではなくアリが群がっていた。

私はハッピー・サン・デイケアについての記事を書くことにした。自分が執筆の仕事をしているニュースブログに掲載するのである。その理由の一つは、現在、周囲にいる人の数名が、そのデイケアに通っていたことがあったためである。彼らがデイケアで経験したことや、後の人生で何らかの影響があったかどうかを纏めれば面白い話になるかもしれないと思っていた。別の理由は、そこまで悪気がないとは言えないものだ。他人に自分の子供の面倒を見てもらうことに関して思い悩む人が、世の中には常にいるものだった。その無くなることのない不安は、自分の息子や娘の安全についてである。とりわけ、インターネット上で掲載されている、デイケアに関係する様々な悲劇についての恐怖譚は、そんな不安を掻き立てた。

記事を作るため、従業員だけでなく、子供の頃にデイケアに通っていた人にもインタビューを行うことにした。あまりにも偏った内容に見えないように、できるだけ多くの異なる視点が必要だった。もちろん、取材相手のプライバシーのため、実名を使わないと合意をとった。

最初のインタビュー対象は中年の女性であり、デイケアで幼児の面倒を見ていた。プライバシーのため、女性の名は「マーガレット」とする。

「デイケアでのお仕事はどのような感じでしたか」

「うーん、そんな大したことは無かったですよ。ただ子供を相手に普通に仕事をするだけの毎日でした。私の場合は赤ちゃんですけどね」

「なるほど、そこでの仕事で何か問題はありましたか」

マーガレットは首を横に振った。

「赤ちゃんの件で? もちろん、ありませんよ。騒ぐこともありますけど、悩みの種なんてことは全然ありませんでした。子供となるとまた別の話ですけど」

興味をそそる発言だった。ハッピー・サン・デイケアに通っていた子供たちは、従業員が対処するにはあまりにも人数が多かったのだろうか。それとも、これまで隠されてきた虐待事件があったのか。調べてみなければならない。

「それはまたどうしてですか」

「えっとですね」

マーガレットは一瞬、思案した。私に話すことに不安があるかのようだった。

「くぐもった悲鳴を聞いたことが何回かあったんですよ。あ、いえ、悲鳴ではないです。絶叫ですね。最初、子供が怖がっているふりをしているだけかと思っていました。でも、聞けば聞くほど、あの絶叫は真似ではないことに気付きました。何かが子供たちを怖がらせていたんです。ケガをさせていたのかもしれません」

「負傷した子供を見たことがあるのですか」

マーガレットは頷いた。

「はい。ほとんどは普通の擦り傷や打ち身だけでした。遊んでいるときに転んだり、友達に見せつけようとして頭をぶつけたりしたんでしょう。でも、何人かは様子がおかしいように見えました。保健室へ向かう途中で、時折、すれ違う子供を見かけました。そんなときはいつも、その子供は引っ掻かれたり、噛まれたりしていたみたいでした」

子供が引っ掻かれたり噛まれたりしていたのか。それは誰にとっても心配の種だろう。おそらく、なんらかの野生動物がデイケアの近くに棲み付いて、好奇心旺盛な子供が近づいてしまったのだ。多分、野犬が運動場に迷い込み、何も知らない哀れな子供たちが犬を撫でようとしたのだろう。

「その地域には動物がいたんですか。野犬でしょうか? アライグマ? もしかしてオポッサムの巣が?」

「違うと思います。デイケアではペットの連れ込みは禁止でした。野生動物を入れないように、夜は罠を設置していました。辺りで犬がうろついていたのかもしれません」

マーガレットは首を横に振った。

「もしかしたら、その犬が子供たちに噛みついたのでしょうね」

「いえ、犬の鳴き声を聞いただけなんです。実際に見たことはありません。時折、唸り声や遠吠えを聞いたというだけです」

なるほど、マーガレットは犬の鳴き声のようなものを聞いただけだった。何かの音を犬のものと誤認した可能性を除外できない。もしかしたら、子供が犬の真似をしただけなのに、本物と勘違いしたのかもしれない。もしかしたら、風の音を犬の唸り声だと思ったのかもしれない。もしそうだったとしても、マーガレットが見かけた引っ掻き傷や噛み跡のある子供についても説明がつくだろう。引っ掻き傷は単に、うっかり枝や柵の一部に引っ掛かっただけ、ということもあり得なくもない。犬の唸り声に聞こえた物音の件もあって、マーガレットは子供が野良犬か何かに襲われたという結論に飛びついてしまったのかもしれない。

それでも、デイケアについて調べる必要があった。犬の襲撃事件が隠蔽された可能性もあり、次にインタビューする相手はかつてデイケアに通っていた人が良いだろうと思った。もしかしたら、子供の頃の記憶が残っている人がいるかもしれない。マーガレットの証言に光を当てる記憶の持ち主がいるかもしれない。

身元確認をいくらか行った後、私はどうにか該当する人物を発見できた。その若い男性はだいたい5・6歳の頃にハッピー・サン・デイケアに行ったことがあった。ここでは「スコット」とする。スコットは地元の肉屋で働いていた。スコットのシフトが終わるまで待たなければならなかったが、その後にインタビューを開始できた。幸運にも、待ち時間は長すぎない程度で、質問を考える時間ができた。

「ハッピー・サン・デイケアについて何か覚えていることはありますか。昔のことだとは分かっています。でも、もしかしたら何か思い出せませんかね」

スコットは一瞬考えた後、口を開いた。

「あまり多くは。通っていたときは、まだ5歳、それか6歳かそこらでしたから。その齢の子供がやるようなことばかりやっていたとしか覚えていませんね。遊びとか、指絵とか、アニメ見るとか。そういう感じの」

私は頷いた。

「あなたは良い子でしたか」

「だいたいは。時々、面倒事を起こしたりもしましたけど。深刻すぎることは何も。普通の子供の癇癪ですよ。ほら、昼寝したくないとか、野菜は嫌だとか、そういう」

「なるほど」

私は返答しつつ、メモ帳にスコットの発言を書き留めた。

「それなら、デイケアは躾の仕方は適正でしたか」

「まあ、それなりに。俺は叱られたくらいですね。時々、『お休み』というのも受けました。数分間、隅っこに座らされるんです。子供たちの中に戻っても大丈夫と思われるまでそうするんですね。でも、もしそれだけしかなかったのなら、運が良い方です」

スコットの言葉には少し当惑した。運が良いとは? どう運が良いのか。もしかして、デイケアに通っていた子供たちの中で、もっと言うことを聞かなかった子はもっと厳しい罰を受けたのかもしれないと思い始めた。ハッピー・サン・デイケアの従業員たちは、もっと議論の的になるような、公には知られたくない躾の方法をとっていたのか。

知らなければならない。

「つまり、どういうことでしょうか」

一瞬、スコットは身震いした。スコットは子供時代の何かを思い出していたようだ。それが彼を怯えさせ、大人になってからも影響を与えたのかもしれない。

「マジの面倒事を起こした子供は、『灰色のドア』に送り込まれるんです」

スコットは深く溜息をついた。

「俺は行ったことはありません。何人かが行ったのを知っています。喧嘩をした奴とか、ひどい癇癪を起した奴とか。そういう子供は最終的にはあの部屋に行きました。あそこで何があったのかは分かりません。でも、みんないつも、目を見開いて震えながら出てきました。何人かは泣き出していました。絶叫した子もいました。ゲロを吐いて気絶した子も一人いました」

私は僅かに眉をひそめた。何か恐ろしいことが、「灰色のドア」と呼ばれる部屋で行われていたのか。そのとき、私はマーガレットの発言を思い出し、マーガレットの証言とスコットの証言の関係性を確認することにした。

「その子供たちには引っ掻き傷や噛み跡がありましたか。それと、変な音を聞いたことはありますか」

スコットは頷いた。

「何人かは、『灰色のドア』から出た後に、引っ掻き傷を負っていました。でも、そいつらは入る前からそういう傷があったと思うんです。最初は傷に気付いていませんでしたけど。そいつらは躓いたか何かしたのかもしれないです。激しく呼吸する音を聞いたことがあります。子供が走り回って息切れしただけかもしれないです。はっきりしたことはちょっと」

最初、マーガレットは犬の唸り声を聞いたと言った。それから、スコットは激しい呼吸の音を聞いたと言った。奇妙な音に、不品行な子供が負った謎の引っ掻き傷、そして「灰色のドア」の部屋の謎。ハッピー・サン・デイケアがここ数年の間に隠してきたものは一体何なのだろうと考えずにはいられなかった。

私はスコットに話す時間をとってくれた礼を言い、次のインタビュー対象の元へ向かった。「灰色のドア」に対する関心は依然として高く、私は次の相手はデイケアで厄介事を起こしていた子供だった人にすべきだと思った。例の部屋の中で何が行われていたのかもっと知る必要があった。もしかしたら、そのような人々のうちの誰かが教えてくれるかもしれない。

身元確認をさらに進めた後、どうにか該当する人物を探し出せた。その若い女性を「アリス」とする。2週間前、アリスはスプレーでの落書きにより逮捕され、器物損壊罪で告発された。アリスは刑務所暮らしではなく、4か月間の奉仕活動の実施に合意した。アリスの前科の記録によると、法に触れる問題を起こしたのはこれが初めてではないようだ。

「いつもこんな風に問題を起こしているんですか」

アリスは肩をすくめた。

「多分ね」

求める答えを得るのにどれほど苦労するかはっきりとは分からなかった。アリスは何か利益がある場合だけ協力するタイプのようだ。例えば、獄中にいる時間を減らすというような利益が。

「ハッピー・サン・デイケアについて知る必要があるんです。『灰色のドア』について何か覚えていませんか」

一瞬、恐怖の兆候がアリスの目に浮かんだ。顔は青ざめ、数滴の汗が額を流れた。

「あ、あんなの昔の話だろ」

「絶対に何か覚えていますね。記録によると、10歳のときにデイケアに通っていたそうですね。本当に何も思い出せませんか」

アリスは数回荒く息をすると、冷静さを取り戻し始めた。単に「灰色のドア」の部屋について言及するだけで、数年前の恐怖を呼び起こせるのに十分となると、アリスが経験した恐怖について恐れを抱かずにはいられなかった。ここにいるのは法律違反を経験した人物である。様々な犯罪、主には窃盗、器物損壊、住居侵入で逮捕されたことがある人物。そして、今、子供時代の何かが罰せられる恐怖を呼び起こした。何故?

「いいよ。教えてやる。でも、約束しろよ。私があんたに何か伝えたって絶対に言うな。分かったか」

アリスは溜息をついた。

「名前は明かしません。極秘とします」

「えっとな、私は外の運動場で遊んでいたんだ。ぶらんこで遊びたかったのを覚えている。別のガキが最初に遊ぶ約束をもうしていたらしいんだ。私は知らなかったから、酷い言い争いになった。私はキレちゃってさ。気付いたときには、あのガキは地面に横たわって泣いていた。きっと、喧嘩していたときにあいつを突き飛ばしたんだな。先公が一人来て、私の腕を掴んで、建物の中に引っ張っていった。先公は、他の子たちが『灰色のドア』の部屋と呼ぶ所に、罰として放り込むって言ってきた」

「部屋の中はどうでしたか」

私は先んじて質問した。

アリスは再度、荒く息をすると、身震いし、溜息をこぼした。

「部屋はほとんど空っぽだった。床が無くて土の地面だったことを覚えている。明かりも薄汚れた古い電球しかなくて、ほとんど切れかけだった。先公は私を押し込んで、ドアをバタンと閉めた。最初、私はドアをドンドン叩いたり、叫んだりしようとしていた。誰か開けろと喚いた。凄く暗くて寒くて、それで凄く怖かった。それで、な、何か物音がしたんだ。何かが背後にいた。振り向いたとき、絶叫したのを覚えている。こんな大声で叫ぶのは生まれて初めてってくらいに」

私は心配で眉をひそめた。

「何を見たんですか」

「犬だよ。いや、とにかく、私は犬だと思った」

アリスは涙を抑えた。

「暗くてよく見えなかった。覚えているのは、今まで見た中で、一番デカくてキショい犬だったってことだけだ。そいつは黄色い目が輝いていて、デカくて尖った歯があって、黒いモジャモジャの毛だらけだった。それで、私がそいつに気付く前に、そいつは私に唸って突っ込んできた。なるべく速く逃げ回ったよ。誰か来て助けてくれって叫んだ。そいつはスカートに噛みついて、私を引きずろうとした。私は躓いて倒れたけど、どうにか奴の顔を何度か蹴って、スカートを放させたんだ。すると、そいつはまた突っ込んできた。でも、私は運が良かった。やっとドアが開いたんだ。先公の一人が私を部屋から引っ張り出して、あの犬が追い付かないうちにドアをバタンと閉めたんだ」

つまり、結局のところ、そこには犬がいた。証言は全て一つに繋がろうとしていた。マーガレットによる、絶叫や唸り声を聞いたという証言。スコットによる、「灰色のドア」の部屋に送り込まれて恐怖する子供たちについての証言。そして今、アリスによる、件の部屋に送り込まれて、大きく危険な犬の類に襲われたという証言。それでも、更なる情報が必要だ。どうして犬が使用されたのか。どうしてそれが隠蔽されたのか。もしかしたら、ハッピー・サン・デイケアで働いていた人は、そのような罰を子供に施すのは極端すぎると恐れていたためかもしれない。それか、動物権利団体から訴えられることを恐れていたためかもしれない。

私はアリスに時間をとってくれた礼を言い、次に話すべき人を見つけに出発した。多分、別の従業員が良いだろう。運が良ければ、「灰色のドア」の部屋の中で行われていたことについての真実を明かすことができるかもしれない。もう一度、ハッピー・サン・デイケアで働いたことのある人の記録を辿り始めた。

私と話すことを厭わない人を探すのにいくらか時間を要した。元従業員のほとんどは、多忙で都合がつかないか、単にインタビューを受けたがらなかった。そのうちの数名は私に向けて暴言まで吐き捨てた。私が過去に起きたことを調査していることに、その元従業員たちは怒っているのか、それとも、更なる秘密が明かされると起こりかねない何かを恐れているのかも、判別がつかなかった。

それでも、私はどうにか一人は見つけ出すことができた。ハッピー・サン・デイケアで働いていたときの体験を私に話してもいいという人物だ。彼を「スミス氏」と呼ぶことにする。スミス氏はデイケアがまだ営業していた頃に、デイケアの裏手で管理人の仕事をしていた。スミス氏がどうにかこの職に就けたのは、彼のおばがデイケアの運営者の一人だったというだけの理由だった。しかし、スミス氏はデイケアが数年前に廃業してから、別の町に移住していた。つまり、対面でインタビューすることはできないということだ。そのため、代わりに電子メールでやりとりをした。

スミス氏は、自分は10代のときからある種のナルコレプシーを患っており、夢遊病の病歴もあると説明した。医師たちはスミス氏の症状の原因を解明できなかったが、それと関係する他の健康への悪影響も見つけられなかった。この病気が原因で、スミス氏は仕事を見つけるのが難しかった。おばがどうにかしてハッピー・サン・デイケアでの仕事を与えてくれて感謝していたと、スミス氏は述べた。

私は聞きたいことが沢山あった。ただ、最初にどれを質問すべきか、確信が持てなかった。最初の返答を受信した後、私は返事を書いた。病気を患っているにも関わらず、どのようにして仕事を続けられたのか知りたかった。薬物治療を受けていたのか。他の従業員や子供たちはスミス氏をどう扱っていただろうか。

数日後に返事が来た。スミス氏から来た最新のメールをすぐに開いて、読み始めた。スミス氏の返答によると、彼のおばが特別な薬草のお茶を調合してくれるそうで、そのお茶のおかげでナルコレプシーを抑制していたという。おばは薬草のお茶の効能を固く信じていたようで、市場に出回るどの標準的な薬よりもよく効くと言っていたそうだ。スミス氏は、そのお茶はひどく苦く、そのお茶を飲むのが大嫌いだったが、それでも仕事を続けたかったから飲まなければいけなかったと述べていた。ただ、時折、おばがお茶に必要な葉を切らしてしまい、スミス氏が眠りに落ちてしまうことがあった。このため、別の従業員が、スミス氏がうっかり自分や他者に怪我をさせることがないように、確認に行っていた。

ハッピー・サン・デイケアで、子供たちを襲った、「犬」とされるもの。

自分がどのような扱いだったかという点について、スミス氏の説明によると、子供たちは概してとても親切だったという。子供たちのほとんどは非常に好奇心旺盛で、スミス氏が働いている間に数多くの質問をしてきたものだった。数名は迷惑なことをしていたが、スミス氏にはそのうちの誰かが酷く問題を起こしていたというような記憶は無かった。他方で、他の従業員たちはスミス氏の周囲にいるとき、不安そうにしていた。他の従業員たちは周囲にいるとき、極度に用心深くしているようだったという。また、おばはいつも自分を見張っていたとスミス氏は述べた。ただ、これは自分の体調のためか、他に何らかの理由があったのか、スミス氏にははっきりとは分からなかった。

スミス氏の証言により、心の中でさらに疑問が生じた。どうして他の従業員たちはスミス氏の周囲で不安を覚えていたのか。スミス氏が上層部の人間の甥だったためか。それとも、他に理由があったのか。また、おばがスミス氏を見張っていたという件もある。多分、「灰色のドア」の部屋に関する問題全体を、スミス氏から秘密にしようとしていたのだろう。もしかしたら、スミス氏が例の犬を見つけて警察に通報することを恐れていたのかもしれない。

スミス氏があの部屋について何か知っているか知る必要があった。すぐに返信を書き、大きな空っぽの部屋のこと、子供たちが犬の類に襲われていたことについて何か知っているか質問した。

数日後、スミス氏から返答があった。返信を開いて読み始めた。

スミス氏は、デイケアに犬の類がいたという記憶は無いという。実のところ、動物を敷地に入れるのは禁止されており、リスやネズミが入ってこないように罠を自分が仕掛けていたとスミス氏は語った。スミス氏のおばもかなり厳しくペットの持ち込みを禁止していた。どうやら、子供がアレルギーを持っていた可能性があったためらしい。スミス氏は、アリスが自分を襲ったと主張している犬は、おそらく誰かが安っぽい犬の着ぐるみを着ていただけだろうと説明した。部屋がほとんど真っ暗だったのは、子供に犬が偽物であると悟らせないようにするためだろうとも述べた。引っ掻き傷や噛み跡はただ躓いたり、うっかり自分を引っ掻いたりしてできたものだろうとも語った。

驚いたことに、スミス氏自身も何度か「灰色のドア」の部屋に行ったことがあった。奇妙なことに、それはいつもお茶を切らしていたときだったという。部屋の中で目を覚ましていた。誰かが自分をそこに運んで、他人の邪魔にならないように眠れるようにしたのか、それとも、夢遊病が再発して誤って部屋に立ち入ってしまったのかははっきりとは分からなかった。部屋は本来、図画工作関係の様々な備品を保管するための大きな物置になる予定だったが、予算削減が原因で完成しなかったのだという。おばはその場所が無駄になることを望んでいなかったらしく、そのため、不品行な子供を罰するための用途に使用することが決定されたのだという。おそらく、誰かが犬の着ぐるみを買って、部屋に送り込んだ子供を怖がらせるために着ていたのだろうと、スミス氏は推測していた。罰せられる恐怖を教え込ませるための手段ということだ。

私は最後のメールに、返信に時間をとってくれたことへの感謝の言葉を記した。ハッピー・サン・デイケアにまつわるあらゆることが繋がり始めた。元児童と従業員の双方との様々なインタビューから集めた情報から、不品行な振舞いをした子供たちが「灰色のドア」の部屋と呼ばれる大きな空っぽの空間に送り込まれる。そこには犬、もしくは、犬の着ぐるみを身につけた何者かがいて、部屋に送り込まれた子供を追い回す。最後に、犬が重大な傷害をもたらさないうちに、子供を安全な場所に引き込む。

為すべきことが一つだけ残っている。ハッピー・サン・デイケアの中に入り、自分自身でかの悪名高き「灰色のドア」の部屋を調べるのだ。この奇妙な隠された謎を解く何かがあるのか、自分自身で確かめる必要があった。

数分かけて、車でその地方へと向かい、件の廃屋へ辿り着いた。前の道で車を停め、深呼吸を数回行った。玄関が施錠されていなかったのは幸運だった。静かにドアを押し開き、中を見始めた。

内部は薄汚れており、埃が積もっていた。様々な机や椅子が長い間使われずに放置され、クモの巣がかかっていた。黴臭い空気が建物の中を充満し、今やこの場所を住処としていたネズミたちの排泄物の臭気も漂っていた。控え目に言っても、吐き気を催す状況だった。

様々な場所を探索した後、すぐに嫌な予感を覚えさせる灰色のドアを見つけた。非常に恐ろしい部屋へと通じるとされるあのドアだ。ドアは非常に重く、何度か試してようやくこじ開けることができた。

アリスが説明した通り、部屋は暗く空っぽで、床は土の地面が剥き出しで、薄汚れた電球があった。電球は昔に切れてしまっていた。そのため、古い机を重しにしてドアを開きっぱなしにして、内部が見えるようにした。

地面や壁には微かに血痕が見えた。しかし、何の血かは区別がつかなかった。また、壁には奇妙な痕跡が残されていた。よく見てみたところ、間違いなくある種の爪痕と似ていることが分かった。部屋の調査を続けたところ、地面に様々な足跡があることに気付いた。多くは消えかけていたり、別の足跡と重なったりしていた。しかし、それでもいくつかは判別がついた。ほとんどは子供の足跡だった。この足跡の持ち主は何かから逃げていたように見える。

他に特異的な足跡があり、私の関心を引いた。厳重に調査をした。足跡のうちの少なくとも一つは、特異的な肉球、爪、足指の1本1本が間違いなく判別できた。これは安っぽい着ぐるみなどではない。ハッピー・サン・デイケアは犬を使って子供たちを脅していたのだ。

連中が隠蔽してきたことを人々に知らせなければならない。しかし、デイケアを出て車へ戻る途中、あの足跡に関して不安を呼び起こす点が一つあった。

いつから犬は二本足で歩くようになったんだ?


はすお様からのリクエストで翻訳しました。廃業した保育園に隠された過去の物語です。

“Happy Sun Daycare”は「ハッピー・サン保育園」などとも訳せそうですが、「ハッピー・サン・デイケア」の方が通りがよさそうに思い、こちらを採用しました。

作品情報
原作
Happy Sun Daycare (Creepypasta Wiki、oldid=1509662)
原著者
Chelsea.adams.524
ライセンス
CC BY-SA 4.0