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2026年9月8日火曜日

短編ホラー『死が忘れた家』(Creepypasta私家訳、原題“The House That Death Forgot”)

ロードハウスの写真

メリンダは夜間の運転を嫌っていた。なるべく避けていた。タンポンを切らしたことに気づいたときや、帰宅して夕食に食べるものがなかったときに、店まで少しお出かけするというようなことは時折あった。しかし、誰かが迎えに来てくれる場合でなければ、暗くなった後はなるべく外出しないようにしていた。

だから、当然ながら、今夜の運転は人生で最長のものとなった。月がなく、星々も少なく、頭上を雲が渦巻き、数エーカーの森が道の両側に広がっていた。

メリンダの身に降りかかったたくさんの不愉快な出来事と同じように、これはメリンダの父が原因だった。メリンダは15年間、あのろくでなしと会っておらず、話してもいなかった。しかし、今日の晩に……いや、これは間違いだ。この時間では今日ではなく昨日のことか。眠りに就いたすぐ後に、出し抜けに電話が鳴りだし、父の声が受話器から聞こえてきたのだ。

「お前が必要だ、メリー。頼むから来てくれ、今から」

父がそれだけ言うと、電話は切れた。

あの老いぼれのくそったれはおそらく酔っぱらっていたのだろうが、これまで電話をかけてきたことはなかった。メリンダが子供だった頃と、父が母によりを戻そうとまだ説得していたとき以降はなかった。まるで夢を見ているように感じられた。目が覚めて、数年ぶりに父の声を聞くことになるとは。父は泣いているようだった。父の声は最後に聞いたときとまるで同じように聞こえた。

まるで夢の中であるかのように、メリンダは起き上がり、服を着て、車に乗った。かなり町外れまで来て、父が以前に住んでいた場所への道中、メリンダは父がまだ同じ場所に住んでいるか知るすべがないことに気づいた。数年間、母から父の今の住所についての連絡が時折来ていた。最後に母から父について聞いたのは7年前のことだ。これまで、それほど長く父が一つの場所に留まっていたことがあっただろうか。

記憶の中ではそうではなかった。メリンダが7歳のとき、母は業を煮やして父を追い出した。その前は、数か月ごとに引っ越しがあった。父と暮らしていた家は最も長く留まっていた場所で、それはまる16か月の間だった。父を追い出した後は2年間住み続け、それから次の家に引っ越した。その後、メリンダは家を出て一人暮らしを始めた。その間ずっと、メリンダはなるべく父からの連絡を聞かないようにし、ついには単に父のことを忘れてしまうのが一番だと決めた。

今夜までは。

2時間運転した後、父はまだ同じ場所にいるのだろうかと考えることになった。最後に聞いた住所は、メリンダが育った町の低収入者が住む地域にある粗雑なアパートだった。24号だったか、42号だったか。たぶん14だ。間違いなく4という数字はあった。しかし、そんなことは関係なかった。父の名はどのブザーにもなかった。

畜生! 父は酔っぱらって夜に電話をかけたのだ。電話口で話すほどの重要性があると思わなかった理由で自分が来ることを実質的には強要した。そして、自分が父の今の住所を知っていることを期待した。

怒りが沸き上がる中、踵を返して車へ戻った。ドアをバタンと閉め、来た道の方へ発進した。怒りのあまり、自分がどこへ向かっているのかすら見ておらず、分岐を見逃した。

気が付くと、この寂しい道を走っていた。車はまばらだったが、30分ほどに1回は車とすれ違うことにいくらかの安心感を覚えていた。ダッシュボードの時計は今や午前2時27分を示していた。自宅を出発してから5時間以上運転を続けていた。こんな夜中に。

メリンダは5分ほどに1回、携帯電話を確認した。道に迷ったことに気が付いてからこれまで電話を確認してきたが、全くアンテナが立っていなかった。ガソリンスタンドにも立ち寄った (もちろん閉まっていた)。この辺りのどこかにいくらか電波があるはずだが、何もなかった。

自分の人生を振り返ってみろ、メリー。お前は30歳を超えた。仕事なんて大嫌いだ。母親とも仲が良くない。人生の半分を父と会わず、話もせずに過ごした。友人やあの嫌な仕事で関係する人と過ごす時間もない。そして今はこんなところにいる。行ったこともない道から出られない。しかも夜だ。AMAも呼べないし、ましてやGoogle Mapもチェックできない。お前は頭が回るだろ。

車を止めて、次の車が来たら止めることを少しの間検討した。すぐにその計画は無駄なことだと気が付いた。この道を通る車はどれも電波が入らない。だから仕方がない。家が見えるまで運転し続ける必要がある。眠る誰かを起こすことになるのに罪悪感を覚えたが、もはや他に選択の余地はなかった。主要な高速道路へと戻る道を見つけなければならない。

ただ、これまで道路のわきで見えたものは木しかない。どれほど走っても木ばかりだ。枝の間から見える光もない。道路があり、走る人が明らかにまだいるということを除けば、前に誰かがここにいた痕跡もなかった。

道路標識すらもマイル標以外なかった。どこでもない場所のど真ん中にいるのだろうか。こんなことを考えているとき、ヘッドライトが道路にある何かを照らした。四角い木製の標識だ。明らかに政府でない誰かが作ったものだ。ガソリン、食べ物、ロッジの看板でも、マイル標でもなく、距離の標識でもなかった。近くに店があると宣伝する看板か何かのようだった。メリンダは速度を落とし、看板を読んだ。

グラニー・ロイスのロードハウス
グラニーで夜を過ごそう!
すばらしいサービスをご提供!
部屋!食事!お値打ち価格!
次の出口で!

心臓が高鳴った。ロードハウスで一夜を明かすことに興味はなかったが、どんな店にも電話はある。どれほど悪くても、地図があるか、高速道路へ戻る道くらいは知っているだろう。メリンダはこの宿に立ち寄ることにした。

メリンダは危うく曲がり角を見逃すところだった。グラニー・ロイスのロードハウスは長い未舗装の道の裏手で埋もれ、木々の中に隠れていた。その宿へ戻るための小さな未舗装の「道」の存在に気付かずに、危うく通り過ぎるところだった。メリンダは車を横滑りさせて停めると、その道に入っていった。

小さな宿が前方にあった。建物は二階建てで、八部屋から十部屋程度はあるように見えた。住居にするには大きいが、宣伝していた宿泊や食事の類の用途には小さい。メリンダは近寄って、駐車場の看板を探した。何も見つからなかった。明かりが無くて見えないというわけではなく、看板自体が無かった。玄関灯が点いており、建物の前方はその明かりとメリンダの車のヘッドライトで照らされていた。看板の類は無かった。

メリンダは間違った場所に来てしまったのかと思案したが、この建物と宿の看板の間に他の出口は無かったと確信していた。

メリンダは道の上で車を停め、再び携帯電話を取り出した。まだ圏外だった。無線LANが使えないか素早く検索した。メリンダはもはや驚きもしなかったが、無線LANは見つからなかった。パスコードで保護されているものすらなかった。

ここには自分以外は誰もいない。メリンダはそう思った。

この時点で、メリンダはその家屋が無人でも驚かなかっただろう。しかし、照明が点いているうえに、この建物はロードハウスではあるようだ。フロントには誰かがいるだろう。

メリンダは車から出ると、玄関先へ向かった。フォブに留めたロックボタンを押したときに、ライトが点滅するか確認しようと見回した。すると、木々の間に何かが動いているのが一瞬見えたように思った。人の形をした何か。メリンダは立ち止まり、再び目を向けた。何もない。メリンダは気のせいだろうと決めつけた。

玄関で、メリンダは二の足を踏んだ。この建物が本当にロードハウスであれば、中に入ることができるだろう。ただ、もしも違う建物だったらどうだろう。ドアが開けてみて中に入ったら、こんなどことも知れぬクソ田舎で逮捕されるかもしれない。

メリンダは注意してノブを回した。ノブは回った。メリンダは優しくドアを押した。ドアは開いた。そこが狭いながらも、上品に飾り付けられた、ロビーを明らかに受付として改装した場所であるのを見て、メリンダの心に安堵が溢れた。右奥の隅には古風で趣のある机があり、そこには間違いなく本物のゲストブックが置かれていた。また、椅子が何脚か並べられており、その隣には雑誌の置かれたテーブルがあった。メリンダは雑誌のタイトルをざっと読んだ。『マドモアゼル』、『ブルーブック』、『ザ・ニューカントリーライフ』、『アーツ・アンド・アーキテクチュア』。それから、小さな机に注意を向けた。

そこにはコンピュータは無かった。それは魅力的な趣だった。過去の時代から来た家屋のようだった。おそらく、老いたグラニー・ロイスは現代の技術を良しとしないのだろう。ただ、小さなベルがあったのだが、それはまるで1929年に巻き戻ったかのようだった。そのベルは叩いて音を鳴らす丸い銀色のタイプですらなかった。小さな磁器のハンドベルだったのである。ここはあまりにも魅力的過ぎる場所になり始めていた。

どうか電話を使わせてほしい。ナンバープランを使わせてほしい。50年代の電話交換局ではなく。

メリンダはベルを手に取り、揺らした。

しばらくは、何も起こらなかった。そのうちに、後ろの部屋で明かりがつくのが見えた。壁に映る老女の影が起き上がった。数秒のうちに影はメリンダの方へ移動し、ロードハウスの主の姿が目に入った。グラニー・ロイスは見たところ、これまで書かれたあらゆる童話に登場するどこにでもいるおばあちゃんといった風だった。

「あら、まあ。びっくり。おはようございます。遅れて申し訳ないわね。でも、こんな時間にお客さんなんてしばらくぶりだったから。名前をお願いしても?」

グラニー・ロイスは小柄な体格で、灰色の髪は後頭部に小綺麗に結わえられていた。ドレスは20年代の年配の市民が着ていそうな見た目だった。ピンク色のセーターは色褪せていた。メリンダは、ロイスはこんな感じの祖母がいてほしかったという見た目だと思った。しかし、母方の祖母はメリンダが幼い頃に死に、父方の祖母には一度も会ったことがない。この愛らしい女性の仕事を断るのは胸が痛みそうだった。しかし、何はともあれ、家に帰らねばならないのだ。

「本当、すみませんけど。実は道に迷っただけなんです。どの方向にいるのかすら分かっていなくて……」

「あら、それは大変。座っていて。お茶か何かを出してきましょうか。寒かったでしょう」

「本当にありがとうございます。でも、大丈夫です」

メリンダは穏やかに言った。

「ただ電話を使いたいだけなんです。電話をかけられれば、それか、地図を貸してくれれば、素晴らしいんですが。ここからほんの数時間のところに住んでいて……」

メリンダの言葉は次第に消えていった。本当にそれが正しいかすら分からなかったからだ。多分、全体では5時間長く間違った方向に車を走らせてしまった可能性もあった。

「あら、まあ」

小柄な女性は悲しそうに言った。

「ごめんなさい。電話は使えないの。地図については、ううん……前は持ってはいたんだけどね。今もまだ持ってはいると思うんだけどね、きっと時代遅れの内容よ。いつからか高速道路が移動したでしょ。よく知っているの」

メリンダは落胆した。ここまで不運が重なるとは。電話が無い。携帯も電話線も。地図もない。どうすればいいのか。家に帰らなければならない。明日は午前8時に仕事することになっていた。どうして電話が使えないのか。天気は寒いが晴れていた。近くの電話線を直していないのか。

メリンダはグラニー・ロイスに自分が住む町の名前を伝えた。しかし、グラニーは

「信じられないかもしれないけど、そんな町は聞いたことないわ。それは何の名前なの」

と言うだけだった。もう一度伝えた。

「いや、聞いたことがないわね。ごめんなさい。どの方向にあるかは言えないわ。一晩泊まってみたらどうかしら。トラブルに免じて値引きするわよ」

「ありがとうございます。ご親切に。でも、明日は仕事で、家に帰らないといけません。どうして今夜外出しているのかも分からないんです。唯一の理由ももう重要ではないみたいで」

「お客様、今夜それほど遠くに車で戻ろうとするのはお勧めしないわ。もう朝の三時ぐらいですし、眠っていないのでしょう。多分、朝には電話線も直るわ。職場に電話できるし、遅刻を連絡すればいいわ」

「それでも駄目なんです。私が始業の担当で、誰もいないんです。ごめんなさい、本当に行かないと。自分がいた道路を見つけるまで、別の方向に進みます」

すると、グラニー・ロイスの表情が、心配している様子だったものが、何か別のものに変わったようだ。恐怖の表情に。グラニーは思案し、この場所に留めるための他の口実が無いかと考えているかのようにメリンダを見ていた。ついにしぶしぶと口を開いた。

最後の警告は少しおかしいように思った。相手が小さな女の子とでも思っているのか。メリンダはグラニー・ロイスにご親切にどうもと伝えると、車の方へ戻っていった。車へ戻る途中、木々の間で動くものを見た気がすることを思い出した。メリンダの目はこの人里離れた小さな開けた土地を見渡した。微風に吹かれてではなく自ら動いているものがないか探した。何も見当たらなかった。安堵した。メリンダは車に向かった。四つのタイヤ全てがパンクしていた。

クソが!

メリンダは屈み込み、タイヤについた長い切り傷を眺めた。こんなグリーン・エイカーの小さな区画に潜む何者かが、タイヤを切り裂いた。今夜は誰かに連絡をとる手段がないと判明するのに時間がかかった間に。

地元の農家のガキの仕業に違いないとメリンダは苦々しげに思った。他に何もすることがなければ、夜に外出して、タイヤを切り裂きに行くかもしれない。

メリンダは立ち止まり、現実を実感した。今夜はどこへも行けない。もはや選択肢はなかった。今夜は宿泊して朝まで過ごす。電話線がうまく復帰して、職場の誰かに電話をかけてここに来てもらう。それから、AMAにタイヤを修理してもらうように頼む。メリンダは溜息を吐き、ロードハウスへ歩いて戻った。グラニー・ロイスが自分の部屋へ歩いて戻る音が聞こえた。グラニーは既に明かりを消していた。運命に身を任せ、メリンダは再び小さなベルを鳴らした。

「先程の方かしら」

グラニー・ロイスが呼ぶ声が聞こえた。

「ええ、そうです。お手数ですがすみません。名前はメリンダ・オートン。すみませんが、前に伝えていませんでした。一晩泊めてもらってもいいですか。まだ先程の申し出が有効であればですが」

「ええ、もちろん大丈夫よ」

グラニー・ロイスはその部屋へ再び入ってきて、また明かりをつけた。

「メリンダね。あら、なんて素敵なお名前。そうね。ご案内するわ。そこの宿帳に名前と到着時刻を書いたら、鍵を渡すわ。宿泊できる部屋は全室、二階にあって、数部屋だけ空いているの」

「ここに他に人がいるんですか」

これは驚きだった。来たときには前庭に車は一台も停まっていなかった。

「ええ、そうよ、メリンダさん」

グラニーは隣室をうろついていた。

「ノリスさん。カルビン君。ここには数名がいるわ」

グラニーは手に鍵を持って戻ってきた。

「ただの好奇心で聞くけど、どうして考えを変えたの」

質問したとき、グラニーは晴れやかな表情だった。メリンダがとにかく宿泊すると聞いて安心したようだった。

「ええと、おそらく地元の子がいたずらしたみたいです。タイヤが切り裂かれていたんです」

グラニーは突然に硬直し、顔が心配と不安で歪んだ。それから、何も悪いことはなかったかのように話を再開した。

「どうしようもなさそうね」

グラニーは悲しげな様子で言った。

「ええと、朝まででなくても、いずれにしても。多分、電話は使えるようになります」

「あら。そうね、多分ね」

グラニー・ロイスはぼんやりとしながら言った。

グラニーはメリンダを連れて、暗い階段を上り、何もない静かな廊下へと向かった。いや、おそらく、それほど静かではない。廊下の端から誰かが泣くくぐもった声が聞こえた。誰が穏やかに泣いているとしても、それは怒りや癇癪、恐怖ではなく、深い悲しみを伴っていた。この人物は泣くことに慣れているが、泣くのを止めることはできずにいるように聞こえた。

「あれは誰です」

メリンダは泣き声が聞こえる方向を指さした。

「あら、気にしないで。あれはノリスさんが泣いているだけよ。しばらくあんな感じなの。年をとっていてね。少しおかしいの」

「理解しました」

メリンダは返答したが、心の内ではどうやって世情に疎い老人がロードハウスに辿り着いたのだろうと考えていた。

「ここには長くいるのですか」

「しばらくの間、ってところね。正確には思い出せないわ」

どのように宿泊費用を支払っているのだろうか。

「ノリスさんは車を運転しませんよね。実際、ここの誰も車を持っていないようでした」

グラニーはこのとき、やましいところがあるような表情でこちらを見上げ始めた。

「あら、まあ。こういうことはお客様の都合よ。そんなことは尋ねないわ」

グラニーは部屋を解錠し、メリンダを招き、ドアを開けた。明かりをつけて、メリンダに古風な趣のある小さな部屋を見せた。メリンダは過去に足を踏み入れたような気分になった。部屋は50年代前半、それも最初期のモダンなものと断言できた。

考えてみると、この場所のここ以外もこのような感じなのだろうとメリンダは思った。ワイヤレスのサービスはなく、コンピュータはなく、古いベル。それに雑誌、あれは新しそうに見えたが……。

そんな思考は遮られた。グラニーは鍵をナイトスタンドの上に置き、説明を始めたのである。

「今、お風呂場はそこの廊下のものは使えないの。フロア全体で共有しているから、行きたいときは我慢して使ってね。ドアにはシャワーのスケジュール表もあるわ。早い者勝ちよ。名前を空いている中で一番上の行に書いてね。それがシャワーの順番よ。でも、私だったらそんなの心配しないわね。間違いなくあなたが最初よ。私は毎朝、午前6時に起きて朝食を始めるわ。でも、準備ができたらいつでも好きなときに降りてきて。さっと何か作ってあげるわ」

「あら、最後に一つ。日の出までロードハウスを出ないことを強くお勧めするわ。外では何が起こるか分からないからね。暗いものね」

「もちろん。暗い中、外には出ませんよ。必要が無ければ……」

メリンダは初っ端から一連の思考を止めていた。

しばらくすると、メリンダは一人になった。一人。寝間着もなく、シャワーや歯磨きもできないし、朝に髪の毛にブラシをかけることもできない。メリンダはベッドに座り、目の前にある窓から外を見た。自分の車がまだ停めたところに置いてあった。数マイル内で唯一の、自分の世界の一部だ。

誰かに連絡を取らない限り、あれは高価で馬鹿でかい文鎮だ。メリンダは苦々しく思った。

部屋はくつろげる空間だったが、立ち上がって明かりを消すのは気が進まなかった。この後方の小さな部屋で就寝するという考えはどういうわけかとても考えられないように思われた。だからその代わりに、メリンダは座り続けて窓の外をじっと見つめた。黒い服を来た人物が、木々の影から離れ、メリンダの車の方へ向かった。

一体何なんだ。メリンダは跳び上がり、窓の方へ駆け寄った。

その人物は背が高く、夜で作られた外套を着ているように見えた。メリンダはその人物の腕を伸ばすのを見た。その手には長くギザギザの短刀があった。その人物は車の側面に短刀を引き、車の塗装と金属部に長い傷跡を残した。

「ちょっと!」

メリンダは叫んだ。

その人物は短刀を引き続けた。メリンダは窓に手を伸ばして開けようとした。窓は動こうとしなかった。ロックを探したが、見つけられなかった。

「ちょっと!」

メリンダは再び叫んだ。

このとき、その人物は頭を上げた。メリンダにはフードの下で輝く二つの目が見えた。その人物はおもむろに決然として短刀を振り上げた。短刀をメリンダの顔に真直ぐ向けた。メリンダは窓から飛び離れ、ドアの方へ駆け寄った。反対方向の物音を聞いて足を止めた。足音。引きずっている、よろよろとした足音。そして泣いている。その声は深く切望する悲しみを人生の目的とする人のものだった。

ノリスさんだ!

メリンダは待った。どういうわけか、件の老人が通り過ぎてからドアを開けた方が良いとただ感じた。しかし、ノリスがかなり遠くに離れる前に、別の足音を聞いた。先程の足音よりもかなり早く軽かった。階段を駆け上がり、メリンダの部屋のドアの近くで止まった。

「止まりなさい!」

グラニー・ロイスがシッと言った。

「すぐに自分の部屋に戻って! そんなことしちゃいけないって分かるでしょ。あの人にあなたの姿を見せられないの。上手くいけば、そんな必要はないんだから。さあ、あそこに戻って。とにかくこんな時間に外に出る用事なんてないでしょ」

一体全体何が起きているの。

あの愛らしい老女が他人にあのように話しかけるとは。心が朦朧とした老人を一人で放置して。メリンダは咄嗟にドアを開けようとしたが、どうにか手を止めた。そして、足を引きずって歩く泣いている男が廊下を戻るまで待った。ノリスがドアを開ける音が聞こえた。自分の部屋のドアを開けると、ちょうどノリスの足が見えた。使い古したスリッパを履いており、引きずるようにして部屋に入っていった。ノリスが部屋に入り、ドアが静かに閉まった。

なんて可哀想な人だ、とメリンダは思った。

しかし、今は何が起きているか確認しに行くと決断した。外でハロウィンのコスチュームを来たチンピラが自分の車を滅多切りにし、グラニーが老人に怒鳴りつけた。メリンダは事が順調ではないことを理解し始めていた。

しかし、グラニー・ロイスが前に現れた奥の部屋の近くに明かりがあった。メリンダは前の窓から外を見ようと立ち止まった。そのときは、短刀を持った狂人はどこにも見当たらなかった。しかし、メリンダは今や奴が木々の間に動いているのが見えた人物だと確信していた。

あいつは私を殺しに来るかも!

メリンダは明かりの方向へ急いだ。台所を照らす照明と分かった。メリンダは進み続けた。グラニー・ロイスが年老いた宿屋の主人が早朝にするだろう何かしらをしながらのんびりしていると予想していた。

違っていた。グラニーは20歳ほどの若い男と一緒に座っていた。男は黒髪を生やし、首筋に無精髭が残っていた。焦げ茶色のコーデュロイのシャツを着て、カーキ色のパンツを履いており、ポークパイハットを被っていた。男は30年代に街角で新聞を売る準備をしていたかのように見えた。男は静かに茶を少しずつ飲み、グラニーはテーブルの反対側で男に注意を促していた。

「なんてひどいことを! 私があなたぐらいの頃は、若い男は自分のマナーに気を遣ったものよ」

「そりゃお笑いだね。俺の齢の話をするなんて。それであんたは何歳なんだよ。まだ覚えてんのかよ」

男は冷笑を込めて呟いた。

「カルビン・デービッドソン。あなたは困った人ね」

グラニーはシッと言い返した。メリンダには気付いていなかった。

「そのうち、自分が言ったことに後悔することになるわ」

「おいおい、グラニー。俺の発言で状況が今よりも悪化するとでも。つまりな、あの上がっていたノリスの爺さんだよ! 俺ら二人とも……おや、やあ、そこの人。ここに他に人がいるとは知らなかったな」

カルビンはちょうどメリンダの方を見ていた。

「ああ、どうも」

メリンダは何度も繰り返された口喧嘩の間に割り込んでしまったような感じがして、それには心配しなかった。その瞬間、メリンダは恐怖や怒りを忘れた。カルビンがグラニーに対して不機嫌な子供のように話しかけていた。しかし、二人の言っていたことはどこか……変だ。

「どうかしたの、メリンダ。部屋に不備でもあったの」

メリンダは我に返った。

「いえ。部屋は素敵でした。でも、それ以外は! つまりですね、一体全体、何で誰も立ち寄らなさそうなこんな場所にロードハウスがあるんですか。部屋はほとんど埋まっているのに私の車しか停まっていないんですか。ノリスさんを犬みたいに扱ったのはどうしてなんですか。どうして私にノリスさんの姿を見せないようにしたんですか」

メリンダがさらに話を進めようとすると、カルビンが割り込んだ。

「やれやれ、まだ一夜も過ごしていないのに、ここまで分かるとはね。どうしてその人を入れたんだ、グラニー。どうしてドアを掛け金で閉めなかったんだ。全く、もしあの看板を外せたなら、良い塩梅だったろうに。なんてこった」

大抵の若い男は言いそうにない表現があるとメリンダは思った。メリンダはそれ以外はしばらくカルビンのことを無視することにした。

「それにですね、誰かが外にいるんですよ! 狂人が私の車のタイヤを切り裂いて、それからも外をうろついて私の車を滅茶苦茶にしているんです! 警察も呼べないんですか! 今まではここで破壊活動なんて無かったと言うつもりですか」

部屋の中を長い沈黙が流れた。グラニーとカルビンのどちらも沈黙を破るのは気が進まないようだった。カルビンは首を掻いた。初めて、メリンダはカルビンの喉の赤い切り傷に気が付いた。襟で半ば隠されていた。その傷は非常に新しくできた傷か、わずかに治りかけのものに見えた。

「なあ、あんた。俺はあんたの名前を知らない」

カルビンはとうとう口を開いた。

「メリンダ」

「メリンダ。メリンダね。座った方が良いと思うな。俺はあんたに伝えないといけないことがある……悩みの種になるだろうけど」

メリンダはカルビンの言い方が気に食わなかった。声のトーンが不機嫌な子供から真剣な大人のものに切り替わったことも嫌だった。カルビンは何歳か年下に見えたが、まるで自分のおじか上司のように話しかけてきた。カルビンは茶を啜り、溜息を吐いた。

そして、カルビンはメリンダの顔を真直ぐに見て言った。

「俺が車を持っていないのは、俺がここに来たとき、俺の齢、俺の仕事で車を持っている奴なんていなかったからさ。不可能な夢のように思われていたんだ」

「何……一体何を話しているの」

メリンダはおずおずと問い返した。

「俺は織物工場で働いていた。工場は俺がここに来たときには閉鎖していた。ほとんどの会社がそうだった。だから、俺は自立して、仕事探しの放浪者になったんだ。そして、俺はここで足止めを食った。永遠にな」

「会社が閉鎖……理解できません。みんな大変な時間を過ごしていますけど、会社はほとんど開いたままで……」

「当時は違った。そうじゃなかった。俺はここに来た……1929年に」

カルビンは悲しげに言った。

メリンダは瞬きした。何かが目の奥で爆発した。

「あのときは、この場所も新しかったわ。夫と私が開店してね。そのときのカルビンくんは16歳の可愛らしくて若い少年だったの。夫の反対を押し切って従業員として雇ったわ。それで、私の夫は善意で、倹約する方法を見つけたの。カルビンを雇ってから1年で、夫は死んだ。カルビンと私はそれ以来ここにいる。数年おきに、誰が私たちの元に加わるの」

「ああ、ティリーさんが最初だった。売春婦でここに逃げてきた。妊娠中だった。ニューヨークで自分の仕事を取り仕切っていた男が自分を見つけて殺しに来るのではないかと恐れていた。その人と赤ちゃんは……」

カルビンは急に話を途切れさせた。涙ぐんでいるようだった。

「それから、スタンディシュさんね。彼は旅の聖職者だったの。もはや旅に出ることはないわ」

「ノリスさんは69年にここに来た。ノリスさんの話はおそらく最悪だ。彼は……その、彼は銀行強盗だった。拳銃を持っていた。ノリスさんは自分たちがどれほどここにいるか知りたくなかった」

カルビンは話を止め、立ち上がり、台所の窓の方へ歩いた。

「ノリスさんは自分の力で出ようとしている。脱出を試みたのは彼が最初ではない。それは俺だ、実際はな。俺はノリスさんにやめておけと警告したが、聞く耳を持たなかった。でも、ノリスさんが外に出たとき……出会ってしまったんだ……」

「カルビン! この話はよして!」

「その人も知ることになる。時間が経って気付かれても意味がない」

「メリンダのはまだチャンスがあるわ! 朝まで待てばそれで……」

グラニーは聞こえよがしに言った。

「朝まで待ちやしないさ。誰も朝まで待たなかった。その人がここに来たのが十分な証拠だ。それに、このことが本当に何か役に立つのか。車はお釈迦。電話もここにはない。この場所が出来たときに電話は無かったし、それ以来に一度も電話は無いままだ。分かっているだろ」

カルビンはいくらかの自責を込めた様子で言った。

「もういい、皆さん、ストップ!」

メリンダは叫んだ。

「もう十分。あのですね、あなた方に私を囚人みたいにここに留めることはできないし、私はこれ以上長居するつもりもない。外にいるナイフを持った狂人だけが今ここから逃げることを邪魔している。私は本当に何が起きているのかを知りたいの。今知る必要があるのはそれ!」

「話したけどな。グラニーは全てを知ってほしいわけではないみたいだが、そうしなければならんよ。何故ならここから出ることはないからな。ああ、俺たちはあんたを囚人のように留めようとはしていない。俺はあんたが今すぐにそのドアから出ていっても気にしない。ただ、その後、あんたはこの宿から出ることは決してない」

「何を言っているの!」

メリンダは叫んだ。

「聞いて、お嬢さん」

グラニーはテーブルの席から立ち上がって言った。

「お願いだから聞いて。誰もあなたを傷つけようとしているわけじゃないの。ノリスさんもそう。ノリスさんにできることはもうほとんどないし、ノリスさんはそれを分かっているわ。だから上に行っていつも泣いているの。でも、私たちはここに閉じ込められたの、全員が。私はあなたは朝にここを逃げ出すチャンスがあると思ったわ。でもカルビンが正しい。どうせ、朝に安全になる保証なんてないの」

「一体……一体……この場所で何が」

メリンダは声を詰まらせた。

メリンダは泣き出しそうだった。目に涙が湧き出てくるのが感じられた。

「ロイスさんが死んでから1か月後のことだった。奴が来たのは。奴は長くて黒いローブを着ていて、馬鹿げた短刀を持っていた。俺が奴を見たのは裏の生垣を手入れしていたときのことだ。俺は奴にここから出ていくように言った。見た目が気に食わなかったからだ。奴は……すごく素早くて、来るのが見えなかった。奴は俺の元へ来て、ここから……」

カルビンは首に触れた。

「……ここへ。」

カルビンは首の傷とは反対側の下腹部に触れた。彼はシャツを脱ぎ始めた。メリンダは嘔吐するところだった。シャツの下には長く醜い裂傷があった。傷は深く……いまだに血が染み出ていた。滅多切りにされて滅茶苦茶になった中を、骨や筋肉、内臓が蠢いているのが見えた。

「その夜、俺は死んだ」

カルビンは言った。

「でも、そのとき俺は死ななかった。次に俺が気付いたとき、俺はグラニーに家へ引きずり込まれていた。目が覚めたとき、危うくグラニーを恐怖で殺すところだった。グラニーは俺が死んだと確信していた。実際に、俺は死んでいた。でも、俺は目が覚めた。俺は話ができた、歩けた、生きていたときにできたことが何でもできた。まあ、飲み食いして楽しんだり栄養をとったりはできないけどな。俺はまだこの茶を飲んでいるよ。皮膚が灰色になるのを防げるからね。だいたい50年前に知ったんだ」

「でも、あいつは出ていかなかったの」

グラニーは割り込んだ。

「私は外に出てあいつと交渉したわ。斧を持ちながらね。あいつは斧を奪って、私の背中に叩き付けたの。私は傷を見せないわ。カルビンも見せない方が良かったのに。誰も見る必要なんてないの」

「でも、それが奴の仕業なんだよ、メリンダ」

カルビンが続けた。

「奴はあのナイフを持っていた。ただ、もし奴に武器を使おうとしても……いつもやるように武器を奪い取ってしまう。勝ち目は絶対に無い。どんな武器を使おうとしても、奴はその武器で片付けてしまう。ノリスさんはそれを惨い経緯で学んだ」

「こんな……こんなのあり得ない!」

メリンダは泣き崩れそうになった。感情を押さえなければならなかった。メリンダはどうにかしてここから出なくてはならない。こんなことは何一つ正しくない。現実にはあり得ない。

こんなのは全部夢だ。話がややこしすぎて意味が分からない。父親が突然に電話をしてきた。躊躇うことなく父親の元へ発った。あまりにもすぐに道に迷った。そして、取り返しがつかなくなった。この道ではどこも圏外だった。この場所、その何もかも! 夢を見ているのだ。そうに違いない。でもそうならば、この夢から生きて目が覚めようとしている。メリンダは踵を返して階段へ走って向かった。手提げがまだ部屋にあった。しかし、メリンダが手提げを掴もうとして出ようとしたそのとき。メリンダはもういっぱいいっぱいだった。

メリンダの背後で不服を言う声が聞こえ始めたが、メリンダは少しも気に留めなかった。ノリスさんが階段の上で待っていた。グラニー・ロイスの説明とは異なり、ノリスは全く年老いてはいなかった。40歳ほどしか無かった。

しかし、メリンダはすぐに「正気ではない」という言葉の意味が理解できた。ノリスの頭部の上半分は正常に見えた。まあまあ魅力的な男で、黒髪でそこかしこに灰色が混ざっていた。その目は澄んだ緑色で、出たばかりの涙で湿っていた。顔の下半分は骨の破片、裁断された筋肉、血液で滅茶苦茶になっていた。左半身も同様に破壊されていた。腕は数本の筋肉の筋でぶら下がっていた。臀部は顔と同じように骨と血で滅茶苦茶になっていた。正常な片手を手摺に置いていた。ノリスは足を引きずりつつメリンダの方へ向かった。ノリスの背後にはブラジャーとパンティを身に着けた若い女がいた。女は腹が切り裂かれていて、その傷から明るく知的な目とともに見えたものは、グチャグチャの赤ん坊の遺体だった。

メリンダは踵を返し、玄関へ向かって逃げ出した。手がドアノブを掴んだちょうどそのとき、カルビンが駆け寄ってきて凍てつくように冷たい手を被せた。

「みんなあんたを傷付けようとしているわけじゃない」

カルビンは素早く言った。

「でも、奴は違う。あんたが外へ踏み出したほんの一瞬で、奴はあんたを殺す。傷付ける。傷付け続ける。永遠に。しばらくすれば、傷と一緒に働く方法を学べるだろうが、傷は絶対に無くならない」

メリンダは咽び泣きながら、ここに来てから聞くのを恐れていた質問をした。

「あいつは何者なの」

「私たちには分からないわ」

カルビンの後ろからグラニーが言った。

「あいつはただ……ここに来たの。そして出ていこうとしない。あいつは私たちを見るのが好きで、また外に出るように煽るようなことをしてくるの。誰かがそうすればすぐに、さらに傷を付ける。でも、何度私たちは殺されても、私たちは死なない。信じてほしいの。みんな全員、信じていればと思っているわ」

メリンダはこれでいっぱいいっぱいだった。カルビンを押しのけてドアを開けた。男は玄関に立っていた。ナイフを前に突きつけた。ちょうど顔の高さだ。メリンダは男の方へ駆け寄った。ナイフが右目を貫き、その先端は滑っていき、反対側へ出ていった。メリンダは自身を殺した者のニヤリと笑みを浮かべた真っ白な顔をどうにか見た。それから何かもが黒に染まった。

数時間後、ロードハウスの階上から絶叫が爆発した。メリンダがこれまでに経験のない痛みに満ちた世界へと目が覚めたのである。


作品情報
原作
The House That Death Forgot (Creepypasta Wiki)
原著者
Josh Parker
翻訳
Tojito
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2026年7月3日金曜日

『月曜日なんて大嫌い』(Creepypasta私家訳、原題“I Hate Mondays”)

波打ち際に置かれたガーフィールドの電話

ロバートは友人や家族がビーチに招いても絶対に来なかった。スイミング、ピクニック、パーティ。どれも断った。だから、みんな声をかけるのを止めた。ロバートは海が嫌いというわけではない。もっと複雑な背景がある。確かに、ロバートは泳ぎが苦手で、当然ながら溺れるのが怖かった。海に住む無数のものも恐れていた。刺してくる触手や刺し貫いてくる棘。骨から肉を引き剝がすノコギリのような歯。

しかし、ロバートが海のことを考えるとき、感覚の大半は畏怖だった。ロバートの奥深くには、この磁力があった。恐怖と魅了という双子の引力。海の全くの広大さを想像しようとしたときにこの二つの力があった。海の計り知れない深さ。

それがロバートがほぼ毎週も海に向った理由である。近くにある監視が来ない小さめの場所の一つを選んだ。浮かれ騒ぐ人々をどんなときも引き寄せそうにない場所だった。事を始めると、潮溜まりを抜けてゆっくりと進む。尖った岩で足の裏に小さな切り傷ができる。それから、塩水の痛みに楽しく身を震わせる。

もちろん、実際に水の中に入ることはなかった。しかし、岸に立ち、岸で砕ける一波一波が引き込む海の力を感じたものだった。波が徐々に柔らかく濡れた砂に沈めていくのに身を任せる。大抵、ロバートが好きなことは浜を漁りまわって、海が打ち上げた宝物を探すことだった。流木を拾ったり、クダクラゲの膨れ上がった死骸をつついたりしたものだった。石や平べったい貝殻の欠片で水切りをした (いや、とにかく、水切りをしようとした)。イカの骨を掴み、親指の爪で抽象的なパターンを彫り込むと、投げつけて水に帰した。さらに、シーグラスのコレクションは人が羨むほどのものになっていった。実際にコレクションの存在を他者に教えることがあればの話だが。

この日、ロバートは長い節くれだった棒を見つけた。ロバートはガンメタル色の空の下の海岸をゆったりと歩きながら、気だるげに棒を前後に振った。空気は何か起こりそうな気配でいっぱいだった。大抵は、また嵐が来る前兆だろう。数週間前にニューサウスウェールズの北東の海岸を断続的に襲ったときのように。しかし、そこには何か別のものもあった。ロバートは胸の中で鼓舞するものを感じた。血管の中でドキドキするものがあった。何かをひらめきそうな予感があった。ただ、その本質はロバートの元を去っていった。

「はっきりしないな」

ロバートは一人呟いた。目の前の砂を格段に激しく棒で打ち付けた。

今日は棒を除けば、ほとんど見つけたものはない。普通の瓶のキャップにソフトドリンクの缶。ロバートはこのようなゴミを帰宅時に処分するため、再利用可能なプラスチックの袋に思慮深く集めていた。実際、砂から突き出た明るいオレンジ色のプラスチック片に気を取られたとき、今にも家へ帰るところだった。

またゴミか、とロバートは苦々しく思った。そして、ゴミを除去するために棒でぐいと突いた。物体はその場所から動かなかった。ロバートは眉を顰め、膝をついてプラスチックの物体の周辺の砂を掘った。最初の探索で、湾曲して円く膨らんだ形から、二か所が丸く突き出ていると分かった。そしてついに、困惑させられるものが出てきた。固く巻かれたコードである。

ロバートは自分が掘った砂の穴から物体を持ち上げて、地面の上に置いた。周囲と調和しない、しかし明白に馴染み深いものを前に目を細めて眺めた。

それはガーフィールド ([訳注]著名な猫のキャラクター) だった。

もっと正確に言えば、それは古い電話機であり、ガーフィールドの形に作られていた。その猫はうつぶせに寝転がり、短く太い尻尾は横の方で丸めていた。電話の持ち手は猫の背中の大部分から構成されていた。土台の横に置かれており、渦巻くコードが繋がっていた。ガーフィールドの黒い縞模様は摩耗しており、その存在を仄めかすばかりだ。しかし、その姿はロバートにとって十分に馴染み深いもので、頭の中で容易くギャップは埋まった。本当にロバートの注意を引いたのはガーフィールドの目である。両目は開いていたが、特徴的に半開きであり、瞳の黒色は完全に消え去っていた。瞳のある場所は円盤が隆起しており、その下の強膜と同じように灰色がかった白色をしていた。ガーフィールドは盲目のように見えた。

「何を見てきたの」

ロバートはくすくすと笑いながら問いかけた。ガーフィールドはただ微笑んでいた。

帰宅すると、ロバートはそれほど時間をかけずに電話を洗った。シンクの中で手早く濯ぎ、皿を洗った後の石鹸が混ざった水で徹底的に擦り、さらに濯ぐことで、泥や砂、塩を落とすだけでなく、明るいオレンジのプラスチックに光沢が戻ってきた。ロバートは物体を持ち上げて値踏みした。今は綺麗になり、まあまあ良い状態で見つかったことに驚いた。最も驚いたことは、電話線とジャッキがまだ残っていることだ。見たところ無傷のようだ。

ロバートは携帯電話の電波にむらがある町から十分に離れたところに住んでいた。だから、まだ電話回線を維持していた。居間にある差込口に電話を繋ぎ、後でテストしてみようと誓った。もちろん、ガーフィールドの縞模様と目は塗り直しが必要だろう。しかし、それはまたの機会に待つ必要があるだろう。何と言っても今は遅い。それに、明日は仕事だ。

***

ロバートがベッドに入ってやっと1時間というときに、つんざんくような悲鳴に驚いて目を覚ました。ショックを受けながら、必死に自分の周囲を見渡した。間もなく覚醒し、自分が誰か (無論ロバート)、どこにいるのか (自分のベッドの中) を思い出し、ベッド横のテーブルを素早く一瞥して、何時かを知った (午前12時1分)。その悲鳴は定期的に繰り返された。識別するのにもう少し時間がかかった。

電話だ。ロバートは掛け布団を蹴飛ばし、ドアに向かって躓いた。こんな遅くにハッピーな理由で電話を掛ける奴はいない。ロバートは頭の中で重要な人々のリストに目を通した。両親。兄。デビー。居間に着いて電話の受話器を掴む頃には、ロバートは取り乱していた。

「もしもし」

長い沈黙があった。その間、ロバートは息を殺した。ついに、聞きなれないぼんやりした声が聞こえてきた。

「ジョン」

ロバートは震えた呼吸をした。ジョンに何があった……。そもそもジョンとは誰だ。

「あの……すみません?」

「ジョンと話したいの。頼みます」

声が聞こえた。突然に馴れ馴れしい。ウキウキしている。

ロバートは安堵して前に屈んだ。

「すみません。私はロバートです。間違えていますよ」

「ジョォン」

電話の声は歌うように言った。

ロバートはムッとしながら受話器を叩きつけた。ロバートはイライラしたが、奇妙にも少し……印象深かったような? 懐かしかったような? ロバートは子供がいたずら電話を掛けたことにもはや気付かなかった。少なくとも、電話が機能したことは今分かった。

アドレナリンが急に流れて、再び眠りに就くのは難しいように思った。ただ、まだ海の空気の心地よさが残っていて、すぐにまた眠った。

夢の中で、海がどんどん上昇していった。海は低木林地や熱帯雨林を水浸しにした。海は町全体を飲み込んだ。そして、依然として海は上昇を続けた。ロバートは戸口に立ち、塩水が裸足の足に被さった。海の磁力を今までになく強く感じた。それは虚無の呼び声だ。消えてしまいたいという衝動。飲み込まれた。

「ジョォン」

耳の中で耳障りな声が聞こえた。

***

いつもと同じように週が過ぎた。ロバートは職場と家を行き来する単調さに自分を見失った。昼食時、手の込んだサンドイッチを食べた。子羊のヒレ肉、サラダ、チーズ風味のソース。この後には果物を二切れ食べた。日中、甘いビスケットの軽食をとり、前述の料理を食べてパン粉を机の上に散らかし、キーボードの隙間に落とした。夕方になると、二人前の食材の配達を頼み、二人前とも食べた。どういうわけか、いつも空腹感を覚えていた。おそらくただ飽きていただけだろう。

金曜日、仕事を早くに終え、オフィスワークス ([訳注]オフィス用品のチェーン店) に立ち寄った。黒く先端が丸いペイントマーカーを買った。1個だけ買って精算することが嫌だったから、まとめ売りされていた高すぎるミンティーズ ([訳注]ミント味のキャンディ) も買った。

帰宅すると、ミンティーズを口にし、時折、空気を吸ってメントールの冷感を味わった。その間、ガーフィールドの電話について調べた。先週から電話をかけることも電話が来ることもなかったが、珍しいことではなかった。ロバートの家族はほとんど連絡を電子メールで済ませていた。時折はFacebookを更新した。デビーに至っては……いつもすぐには電話をしようとしなかった。

ロバートは黒いマーカーを振った。マーカーの先端を繰り返し反故紙に押し付けて、塗料が出てくるようにした。電話のスクリーンをじっと見つめた。縞模様を参考にするため、ガーフィールドの漫画を用意していた。漫画の中で、眠たいジョンが不可解なほど白目がちのガーフィールドに寝に戻るように懇願していた。漫画のコマをインターネットに投稿した誰かしらが、ガーフィールドが枕を抱いているところのクローズアップを追加しており、縞模様のある背中、尻尾、顔が堂々と映し出されていた。

単純で楽だ。ロバートは携帯電話を自分の隣に置きつつそう思った。ガーフィールドの電話を片手で持ち上げた。今となっては、塗料はマーカーの先端にまで届いている。彼は尻尾から始めることにした。縞模様は多くない。簡単だ。

前言撤回。20分と数えきれないほどの罵倒語の後も、その作業を終えてすらいなかった。縞模様は単純に一筆の塗りで描いたものではなかった。むしろ、より細かな垂直の塗りを多く多く重ねて作られた引き延ばされたダイヤモンドのようなものだった。一回でも完璧でないと、何もかもぐにゃぐにゃになってしまう。

ロバートは起き上がってアセトンと雑巾を掴み、間違えた部分を綺麗にしなければならなかった。二回目の試みは前より上手くいったが、早くはならなかった。ガーフィールドの尻尾全体を終わらせて、特に先端に満足した。先端部は子供の頃に愛好していた漫画の太い線を正確に捉えられたと感じた。

上手くいっているうちに終わらせることにした。部分ごとに計画を進める方が実践的だ、だから事が進んでいるときに自分の仕事に汚点を残すことはないと言い聞かせた。

時間を確認すると午後2時。望めば浜辺に行く時間がまだある。しかし、そうすれば土曜日の午後は少し不確実になるかもしれない。明日に行くのが良いだろう。早めに。

***

太陽が海の上に上ると、束の間ではあったが、空はもはやいつものくすんだ灰色ではなかった。薄青色に、毒々しいオレンジ色の太陽から放たれるピンクやサンゴ色の日の筋が混ざり込んでいた。ロバートは、変わり行く波の線を示す岸沿いの日の筋にも気付いた。ロバートのシャツさえも縞模様で、自分自身を見下ろしていることに気を留めた。全世界が縞模様だとロバートは心の中に思った。縞模様が何もかも取り囲んでいる。

色がごった返す様を見せつけられたが、ロバートは動かずにいた。いつもの畏怖は弱められていた。ほとんど麻痺していた。ロバートは海をじっと見つめ、海面の下を石のように沈んでいく想像をした。ぞくぞくとはしなかった。ロバートは踵を返し、車へと歩いて行った。

***

その週の料理の材料が底をつき、再び痛烈な飢えを感じたため、ロバートはパントリーを奇襲し、手早く用意できるものがあるか見に行った。ロバートは作業台の上に小麦粉の山を盛り、中心に小さな巣を作った。そこに卵、オリーブオイル、塩を加えた。浜辺から戻ってきてから、あまり何もしたくない気分だった。シャワーすら浴びていなかった。しかし、急に、この珍しい目的に駆り立てられる気分になった。卵を割り、小麦粉を内に寄せると、落ち着いた気分になり始めた。パン生地を捏ねることはほぼ沈思黙考となり、捏ね上げた滑らかでぎっしりと詰まった球体を見ると満足させられるものがあった。ロバートは球体を愛おしげにほとんど守るように手で覆った。それからラップで包み、寝かせておいた。

数日分の皿がロバートの周りに積み上がっていた。ロバートはひたすら皿を見た。十分に集中して見ていれば、皿が勝手に自分で洗ってくれるか、無に帰すかのように。30分が過ぎて、ロバートはゆっくりと目を瞬かせる以外は、ほとんど身動きしなかった。

パン生地の方に戻り、ラップを片手で外した。その間、空いた片手は二番目の引き出しに伸びて、麺棒を見つけ出した。ロバートは広く平らなパスタシートを伸ばし始めた。

***

ロバートは電話の音で眠りから覚めたわけではなかった。既に起きていたからだ。月曜日の朝、だいたい午前2時頃、ロバートが開いた冷蔵庫の明かりに照らされながら、冷蔵庫の中身についてじっくりと考えていたとき、電話が鳴った。ロバートの心臓が跳び上がったが、このときは走らなかった。ロバートは慎重に冷蔵庫を閉じて、物足りなさそうに一瞥し、音を立てずに居間に移動した。

「もしもし」

「もしもし。私だよ。もう寝る時間じゃないの」

ロバートは母親の声と認識した。

「うーん……そうだね。ちょっと……空腹でね。どうしてこんな時間に電話をかけてきたの。親父は元気?」

母親は笑った。

「ああ、お父さんは元気だよ。死んだみたいに寝ている。でも、お前はどうなの。疲れているみたいだけど」

ロバートは空いた手で顔を擦った。

「そう、そう、疲れている」

ロバートは溜息を吐いた。

「どうしてお袋は寝ていないの」

母親は再び笑った。ラジオの雑音のような音だった。

「あら、ご親切に。寝ないよ! 絶対に寝ない」

ロバートは沈黙し、母親は話を続けた。

「寝なよ。朝には何もかも良くなっているよ」

このとき、ロバートはあくびをした。

「そうだね、その通りだ。おやすみ、お袋。愛しているよ」

「愛しているよ、ジョン」

***

ロバートはデビーの夢を見た。二人は会話をしており、それから突然、広大な砂地の平野の両側に立っていた。ロバートは大声で呼ぼうとしたが、水中で叫んでいるかのようだった。巨大な毛虫のような、長くて分厚く毛むくじゃらのものが、蛇行して進んできてロバートの周りを取り囲み、ロバートの胸を締め付けた。ロバートは虚しく身もだえした。

「もう夜も遅いよ、ジョン」

広大な虚無のどこかから喉から出たような声が聞こえた。

「今は休んで、ジョン」

それは囁き、ロバートはやっとか細くすすり泣くと、膝をついて倒れた。毛むくじゃらのものは固く締め付け、ロバートは脱力し、諦めた。抱擁のように感じた。

***

朝になると、ロバートは職場に病欠の連絡をして、それから数時間をベッドの中で過ごした。夢うつつの狭間を漂ったが、決して完全に眠ることはなかった。結局、お腹がゴロゴロ鳴る音が大きすぎて、ベッドから抜け出た。

ロバートは大きなお椀にココポップスを作った。それから家に残っていたツナ缶を全て食べ尽した。何の味も感じなかった。

どうにかシャワーを浴びたが、その後、いっそう人間らしさを感じた。僅かながら軽やかな足取りで、台所へ戻り、あちこちに散らかった皿を集めて並び替え始めた。電話が鳴ったとき、ちょうど水を流し始めたところだった。

「お宅の持ち主の方ですか」

「あーはい……」

ロバートは注意深く返答した。

「私、ソーラーソリューションズのオリーと申します。お電話した理由は、お客様が最近、弊社のウェブサイトをご覧いただき、ソーラーパネルの設置にご興味があるとお答えいただいたためです」

ロバートは脱力した。

「ああ、はい。はい、そうです」

「誠にありがとうございます! 月曜日はご都合いかがでしょうか。弊社の技術者が参上して、お客様の所有地を調べて見積もりを出しますが」

「ああ……ちょっと分かりませんね……」

「確実に月曜日はご都合つきますよね? 再生可能エネルギーに接続するのに最高の日ですよ! 電気代を節約できるだけでなく、即座に所有地の価値を増やすことができます!」

ロバートは曖昧な返事をして、空いている手で電話のコードを弄った。

「良いのは夏だけではありませんよ! 寒くなる時期にも便利です。寒くなればね、ジョン。もっと寒くなれば。ここは何もなくなります、ジョン。そうしたら、埋め尽くさなくては。あなたに会えますね、ジョン。こだまする虚無を越えれば。もはや目は必要ありません、ジョン。私は何もかも見ます。ここがとても寒く……」

ロバートは電話を切った。わずかの間、そこに立ちつくし、次に何をすべきか決めようとした。明日は仕事に行くだろうと分かっている。では、今すぐは?

ロバートは時刻を見た。午後7時30分。ロバートはいっぱいになったシンクのことを考えた。それから、ベッドへ向かった。

***

職場、自宅。職場、自宅。食べる。食べる。食べる。同僚がロバートの何かが違うことに気付いても、決定的なことは言わなかった。珍しくロバートが同僚の視線を受け止めることができたとき、ロバートの目は懇願でいっぱいだった。助けてくれ、ロバートは同僚にそう言おうとしていた。何もかもが終わらずにいる。人々はただ穏やかに微笑み返した。みんなが危険だ。

友人と家族はもっと気付いていた。……とにかく、ロバートの肉体の変化に。ロバートは豆腐ムースのレシピをもっと多く集め、ランニングのグループへの参加を申し出た。父親は冗談を言った。

「別れを経験すると人は体重が減るものなのかね」

少なくともガーフィールドの電話は一緒に来てくれた。仕事の後、ロバートは居間に座り、猫の縞模様の塗り直しに取り組んだものだった。1時間以上ぼんやりとしながら。変化を持たせるため、別の漫画のコマを参考に持ってくることもあった。この日のコマでは、ガーフィールドは目を覚まして長らく放置していた自宅を探しに行った。ジョンやオーディーが出る兆候は無かった。ロバートはガーフィールドの顔の塗り直しに取り組んでいたときに舌打ちした。

その週の終わりまでに、ロバートは実質的に電話の作業を終わらせた。残るは目だけだ。ロバートはガーフィールドを高く持ち上げて、こちらの方向に向きを変え、自分の手仕事を称賛した。ロバートは少し思案する。この電話はいくらの価値がつくだろうか。売る気は全く無かったが。これは海からの贈り物。敬意がかの天恵を捨て去ることを妨げなくても、迷信は確かに捨て去らせはしないのだ。

ロバートはペイントマーカーに手を伸ばしたが、その手は不確かに宙を漂った。もはや目は必要ありません、ジョン。ロバートは電話を元の場所に置き、マーカーをゴミ箱に投げ入れた。おそらく空だった、とにかく。

日曜日、ロバートは浜へ戻った。ただ、いつもの敬意を持ってはいなかった。ロバートは義務感や単なる習慣で教会へ戻る人のようだった。麻痺の感覚を覚えていた。

いつもの場所となったところへ向かおうと砂丘を上ったとき、目に入った光景は麻痺を貫くのに十分だった。浜は数十の、いや数百のオレンジのプラスチックのゴミが散らばっていた。ゴミが何なのかは分かっていたが、それでも砂丘を降りて近付いた。何かは知っていたが……それでも。

ガーフィールドの電話が岸沿い中を散らばっていた。ロバートの左の岩間の水たまりから、右側の遥か先にある砂丘にまで。ゴミの中を縫って進む中、あちらこちらにある電話をつついた。どれも故障の度合や崩壊の段階が異なっていた。ここにあるものは耳が無かった。あそこにあるものは顔の半分が腐り果てていた。いくつかは小さな軟体動物がプラスチックの側面に貼り付いていた。ロバートは何を考えるべきか分からなかった。何をすべきなのか。

そして、その電話が鳴り始めた。

すべての電話が鳴り響いた。一度にではなく、間を空けて。音は大きくなり、鋭く調子はずれの不協和音となった。ロバートは浜辺を見渡した。ほとんどは受話器が外れていた。その多くが受話器自体が無かった。それでも、鳴っている。

電話が鳴り続けるにつれて、切迫感が強まった。ロバートはチクタク鳴る時限爆弾を抱えている気分になった。無数のガーフィールドが互いの要求をせがんだ。電話に出てくれ。千の、千のプラスチックのうんざりするような目がロバートの魂を直視していた。ロバートは立ち止まり、電話の一つに手を伸ばし、躊躇った。それから、踵を返し、車の方へ走って戻っていった。

***

帰宅すると、ロバートは居間に駆け込み、ガーフィールドの電話のプラグを抜いた。それから、シャワーを浴びず、歯も磨かず、夕食さえとらずに、まっすぐに床に就いた。

もちろん、ロバートは眠らなかった。むしろ、横向きになって、目覚まし時計をじっと見つめ、1分1分が過ぎ去っていくのを見ていた。とても長い間、同じ姿勢のまま横になっていたため、体が痛くなってきた。寝返りを打ちたくてたまらなかったが、徹夜せずにはいられなかった。

夜、零時ちょうど、電話が鳴った。もちろん、電話は鳴った。

ロバートはパジャマ姿にスリッパを履いて、足音を立てずに居間へと出ていった。躊躇うことなく、電話に出た。

「今日は月曜日だ」

ロバートは淡々と言った。

「そうだな、ジョン」

軋むような、遠くから聞こえる声が答えた。

「でも、月曜日って何だろうな」

「そりゃ……」

ロバートは口ごもった。

「何だろうね」

「無だよ。ジョン」

声は不満げだった。

「こだまする虚無。人間が自らの存在という平凡で目新しくもない織物を注ぎ込むもの。陳腐なものへのぽっかりと穴が開いた記念碑。ジョン。俺たちが置き去りにするすべての物だ」

「俺の名前はロ……」

ロバートは弱々しく口を開いた。

「ジョォン!」

声は言い張った。

「寝なさい」

ロバートは眠った。ロバートは夢を見た。真夜中の浜辺の夢だ。海は波打つ舌だった。唾液で濡れている。月は巨大で瞳の無い目。大きな舌が岸を舐め、砂に深まり行く裂け目を残した。裂け目の中はガラスのように滑らかだ。なんと綺麗なんだ。ロバートは不思議そうにそう思った。

雨が降り始めた。どこか頭上からありとあらゆる種類のものが降ってきた。デスクチェアにコーヒーマグ。リングバインダーにコピー機。結婚指輪に額縁。あらゆるものが待ち受ける裂け目の中へ容赦なく転がり落ちていくのを見ていた。

長い時間の中で初めて、痛烈な空腹の痛みを感じなかった。感じていたものは……満足。

目が覚めると、まだ暗いことに驚いた。目覚まし時計の明かりは見えなかった。ベッドの脇で脚を揺らした。足はいつもの床板ではなく、何か柔らかくて温かく、少ししなやかなものに当たった。いつだったか敷物を買ったかな。ロバートは足元をふらつかせながら思った。腕を伸ばして壁に寄り掛かって体を安定させると、同じく豪華なフラシ天じみたものに触れた。ロバートは目を擦った。目は薄暗い明かりに慣れ始めた。

まだ夢を見ているに違いないとロバートは思った。周りのもの全て、壁、床、天井さえも分厚くオレンジ色の毛皮に覆われていた。ロバートは両手を壁に置いて擦った。その下で何かが震えたり、ゴロゴロと鳴っていたりしていた。ただリズミカルに。

両手を壁に置きながら、部屋の外周を沿って戸口に進んだ。居間に行かなければならない。廊下までの道すがら、何もかもが同じオレンジ色の毛皮で覆われていた。ロバートは暗闇の中、はっきりとは見えなかったが、オレンジ色の莫大に広がるものが断続的に破れ、黒い縞模様になっていることを見て把握する必要はなかった。

ロバートは深呼吸をして、角から覗き込んで居間の方を見た。ロバートは凍り付いた。

以前にガーフィールドの電話を置いた場所は、今や巨大で腫瘍のような塊があった。その塊から毛皮の膜が放出されているようだった。それは顔だった。そうでなければ、顔に似た何かだ。二つの大きな目がはみ出ていた。その表面は乳白色で、潰瘍になっており、虹彩や瞳の痕跡は無かった。小さな肉質の鼻が目のすぐ下で陥没していた。その下で、唇とたるんだ肉が不愉快にぶら下がっていた。

「ジョォン」

そのひだの中のどこかからガラガラとした声が聞こえた。

「まだすごくお腹が空いているんだ」

ロバートは膝をついた。突然に咽び泣いていることに気が付いた。ロバートはまるで昔からのように馴染みのある畏怖と恐怖の引力を感じた。

ロバートは前方へ這っていった。顔には涙や粘液が流れていた。ロバートは口に近付き、唇の片方を持ち上げた。ロバートに向けてドッと出てきた息は海のように冷たく塩気があった。ロバートは波が遠くの岸にぶつかって砕けていく様を空想した。

「大好きだよ、ロバート」

魅惑的にゴロゴロと鳴く声が聞こえた。

「ジョンだ」

彼は息を詰まらせ、震える息で深呼吸した。

「ただのジョン」

彼は心地よい顎に上った。

***

どこか、それほど遠くないところから、太陽がオレンジ色に輝きながら、静かな海の上、無限に伸びているような水平線を越えて昇った。美しい月曜日の朝だ。


Creepypasta Wikiでは“Spotlighted Pastas”に選出されています。

ガーフィールド」という猫のキャラクターがいて、「ジョン」、「オーディー」も同じ作品のキャラクターの名前らしいです。ガーフィールドは媒体によって喋り方や一人称が異なるようです。困った……。

ちなみに、「デビー」の原文は"Deb"。「デブ」は流石にちょっとね。

作品情報
原作
I Hate Mondays (Creepypasta Wiki、oldid=1511328)
原著者
PernicketyPony
翻訳
Tojito
ライセンス
CC BY-SA 4.0