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2023年6月24日土曜日

禍話リライト「手首トイレ」

手首トイレ

Aさんという男性が駅のトイレで体験した話。

そのトイレは駅の外にあるため、通りすがりの人でも利用できた。ただ、ある事件が起き、亡くなった人の幽霊が出るという噂が流れた。そのため、地元の人は誰もそのトイレを利用しなかった。ただ、大学に近いという関係で、事情を知らない若者が使うことはあった。今回の体験をしたAさんもそんな若者の一人だった。ただ、過去に起きたという事件の詳細は語られておらず、Aさんの体験との関連性も不明である。

ある夜、Aさんはそのトイレを使った。小便器で用を足していると、トイレに女性が入ってきた。女性はAさんの背後を通り過ぎ、個室に入っていった。当然ながら、ここは男子トイレ。Aさんは困惑したが、おそらく女子トイレが使えず我慢できなかったのだろうと自分を納得させた。

ただ、どうも様子がおかしかった。個室の中から鞄を開ける音がしたかと思うと、はぁはぁと荒く呼吸する声が聞こえ始めた。何か重大な決断を迫られて、緊張して過呼吸になりかけているかのような、そんな必死な様子が声から感じ取れた。そのうちに何か鈍い異音が聞こえ、続けて液体が飛び散る音がした。個室の天井を見ると、そこには血が飛び散っていた。

まさか、個室の中で自殺を?

Aさんが硬直していると、目の前で個室のドアが開いた。軋む音とともにゆっくりと開いたドアの先には、誰の姿も無かった。Aさんは個室の中に入って中を見渡したが、まるで何事も無かったかのようだった。天井にあったはずの血飛沫さえも無くなっていた。

幻覚? 酒も飲んでいないのに、そんな馬鹿な。

驚愕するAさんの靴に何かが当たり、蹴飛ばされて床の上を滑った。金属製の何かが個室の中に落ちていたようだ。拾い上げてみると、それは錆びた果物ナイフだった。嫌な想像が脳裏を過ぎり、Aさんは叫び声を上げて果物ナイフを取り落した。気味の悪い物を触ってしまったと急いで洗面台で手を洗った。

すると、また誰かがトイレに入ってきた。高校生くらいの年齢の少年だった。少年はあの女と顔が似ていた。おそらくは血縁関係にあるのだろう。

少年は例の個室に入っていった。しばらくして、錆びた果物ナイフを布で包みながら個室から出てきた。少年は携帯電話を懐から取り出して、家族らしき相手に電話をかけた。

「もしもし。またあそこにあったよ」

少年は電話で話を続けながら、そのままトイレを出ていった。


本稿はFEAR飯のかぁなっき様が「禍話」という企画で語った怪談を文章化したものです。一部、翻案されている箇所があります。 本稿の扱いは「禍話」の二次創作の規程に準拠します。

元は「駅のトイレ」という題名でした。今は「禍話 簡易まとめWiki」掲載のものと同じ題名にしています。

作品情報
出自
禍話R 年末バラエティ特番 (禍話 @magabanasi放送)
語り手
かぁなっき様 (FEAR飯)

禍話リライト「ダブルタオル」

ダブルタオル

Aさんという女性が実家に帰省したときに起こった出来事。

Aさんが風呂に入っていると、隣の洗面所から母親の声が聞こえた。

「ここにタオル置いとくね」

タオル程度は自分で出せばいいのだが、久々の帰省だからか世話を焼いてくれているようだ。そんなことを考えつつ数分間が過ぎた頃、再び母親の声が聞こえた。

「ここにタオル置いとくね」

内容も声の調子も先ほどと全く同じ。タオルを2回も持ってきたのだろうか。違和感を覚えつつ浴室を出ると、洗面所にはタオルが2枚置かれていた。2枚とも使う必要はない。1枚だけ使って体を拭き、2枚目のタオルはタオル置き場に戻しておいた。

夜が深まり、家族全員がそれぞれ寝室に向かった。Aさんも床に就いたが、なぜか風呂場での出来事が気になって眠れなかった。どうにも落ち着かず、Aさんは布団から抜け出した。タオル置き場へ向かい、使わなかった方のタオルを手に取った。Aさんはどういう訳か、このタオルに厭な感覚を覚えた。どうにも薄気味悪くて仕方がない。Aさんはこっそりとタオルを処分しようとゴミ箱に捨てた。ただ、それでも気は晴れなかった。そのタオルが家の中にあることさえも、なんだか悍ましく感じられた。

Aさんはタオルをゴミ箱から取り出し、家を出た。夜の闇の中、近所のゴミ捨て場まで歩いて向かい、タオルをゴミ捨て場に置いた。タオル1枚とはいえ、褒められたことではない。ただ、ここまでしてようやく落ち着いた。気分も晴れて家に帰ろうと振り返ると、そこには人がいた。同年代の女性だった。

誰とも知れないその女は、Aさんに話しかけた。

「やっぱり気付くか。あんた、お母さんと仲良いもんね」

Aさんが唖然としているうちに、いつの間にか女は姿を消していた。Aさんは身を震わせながらも急いで帰宅した。

その後、特におかしなことは起こらなかった。ただ、あのタオルの異常性に気付かなければ、何かが起きていたのかもしれない。


本稿はFEAR飯のかぁなっき様が「禍話」という企画で語った怪談を文章化したものです。一部、翻案されている箇所があります。 本稿の扱いは「禍話」の二次創作の規程に準拠します。

元は「タオルが2枚」という題名でした。今は「禍話 簡易まとめWiki」掲載のものと同じ題名にしています。

作品情報
出自
禍ちゃんねる 泥酔スペシャル (禍話 @magabanasi放送)
語り手
かぁなっき様 (FEAR飯)

2023年5月13日土曜日

『歯車の間に』(Creepypasta私家訳、原題“There's Something Between the Gears”)

歯車の写真

"Gears of Wear" by Dave Herholz is licensed under CC BY 2.0.

歯車の間に

こんにちは、未来の進化主義者の君! これを読んでいるということは、人類が衰退の途上にあると考えているということ。進歩のための論理的な筋道はただ一つ、人類は進化しなければならない、そう考えているはず。そして、そんな偉業を達成する方法はただ一つ、テクノロジーを利用すること、そう考えているはず。産業進化主義を奉ずる我々は君の声を聞き、君と同じ関心を抱いています。我々はこの課題の研究に数年を費やしました。解決策を、進歩のための方法を発見できたと考えています。さらなる情報に興味があれば、案内に従いこちらの住所へどうぞ……。

ルーカスはチラシを指で挟んで持ちながら、もう一度ざっと目を通した。チラシには「機械の栄光」やら何やら、説教じみた戯言が書き連ねられていた。各部の内容は大して意味を成さず、チラシ自体はMicrosoft Wordを使って5分で作られたかのように見えた。「テクノロジーを最大限利用する」とか「テクノロジーを利用して利益を上げる」といった内容であると考えると、強烈に皮肉な文言が延々と続いた。

控え目に言っても、産業進化主義運動は、ルーカスがカルト活動の可能性のあるものを調査をすることになると伝えられたときに想像していたものとは違っていた。ルーカスは以前から秘密調査に従事し、熱心な信仰家たちに対処してきたが、その二つを同時に実施したことはなかった。そのため、かなりの不確実さを伴いながらも、ルーカスは産業進化主義者の調査に同意した。ルーカスの上司は多くを語らなかった (そうでなくても、少なくともルーカスは多くのことを記憶できなかった。任務の概要についての記憶は少しモヤモヤとしていた)。しかし、ルーカスはチラシを手渡され、そのチラシに知る必要のあることが書いてあると説明されていた。

チラシにはこの運動の理想についての概要が記されていた。その理想とは、テクノロジーの適切な利用、人類の機械への依存やその継続、人類が辿るべき「進化の筋道」の提案である。しかし、それ以上の情報は乏しかった。ルーカスは依然として調査対象についてそれほど詳しくは把握していなかったのである。ルーカスはカルト活動の可能性のあるものに警戒することになっていたが、産業進化主義者を「カルト主義者」と糾弾する材料はなかった。確かに、産業進化主義者たちは非現実的な概念に従う見当違いの楽天主義者であるように見えたが、真偽がどちらにしても、どんな宗教においても同じことが言える。

それでも、新参者を装ってカルトに入り込むというアイディアは確かに興味をそそられた。ルーカスは自分の車の窓から、産業進化主義者たちが言うところの「お屋敷」を眺めた。実のところ、件のコミューンの会合場所は、市の産業区画のど真ん中にある荒れ果てた倉庫に過ぎなかった。その場所は長らく放棄されていたようで、窓は腐った木材が打ち付けられ、壁はコンクリートにヒビが入っており、くすんだ赤いペンキで塗られた欠片が転がっていた。産業進化主義者の会合場所であることを示す印は一つもなかった。即座にいくつか疑問が湧いてきた。信者たちは非合法的にこの場所にいるのか。それが正しいとして、いつからそんなことに。もちろん、疑念を抱かせることなく質問できそうにはなかった。

ルーカスは件の倉庫に何気なく入り込む人々を慎重に凝視した。男性、女性、若者、老人、様々な体形の人々が身を屈めてドアを潜り抜け、視界の外に消えた。ほとんどの人が、良く言えば注意深そうな、悪く言えば偏執的な表情をしているように見えた。彼らはぎこちなく心地悪そうに足を進め、皆が一貫して肩越しに一瞥し監視されていないか確認していた (実際、監視されている)。50人ほどを数えたところで、ルーカスは車から足を踏み出し、涼しい夜の中を進んでいった。そよ風が後頚部を撫でたとき、ルーカスは時間を確認した。11:50。ちょうど会合が始まる頃合いだ。

ルーカスはコートを引き上げ、帽子を目深に被り、手をポケットに押し込むと、通りを渡り始めた。しかし、渡りきる前に、車が背後から突っ込んでくるのを感じ取った。ルーカスは本能的に振り返り、若い女の姿を見た。女の頭は灰色のフードでほとんど見えなかった。女は恥じらいの笑みを浮かべた。

「ごめんなさい!」

女は咄嗟に声を上げた。

「注意不足でした。車から急に出てきたものだから、全然姿が見えていなかったんです!」

ルーカスは穏やかに微笑み返した。信者たちには友好的に振る舞いたかった。「大丈夫」とルーカスは冷静に言った。

「あの、僕、実は全くの新人なんです。産業進化主義運動の人ですよね。できれば案内してもらえますと……」

ルーカスは倉庫の方を指して、言葉を消え要らせた。

「え! いや、違うんですよ……いえ、いや、あの……」

女は慌しくしわくちゃのチラシを取り出した。チラシはルーカスがポケットから取り出したものと同じものだった。

「私も今回が最初の会合なんです! えっと、1週間前にこのチラシを貰って、面白そうでしたから、もっと話を聞きたくて、その……ここに来ました! あの、ここで場所は合っていますよね。いや、あなたも新人だって知っていますけど……」

「そのチラシの住所が正しいとすれば、そうですね、ここが正しい場所です」

「良かった! でもよく分かんないですけど、何だか、ひどいっていうか、ね? どこもかしこも壊れていて……ボロボロ。分かんないですけど、想像以上っていうか。あの! えっと、もし良ければ、どこでチラシを貰ったか聞いていいですか。えっと、あなたも持っていますよね。こんなチラシ」

女はチラシを掲げた。

「あなたと同じように郵便で来たんですよ」

正直なところ、ルーカスはチラシの入手元について考えておらず、答えを用意してもいなかった。女の答えを拝借すれば上手くいきそうに思えた。

「へえ、あなたも。あー。いいですね。ああ、うん、変、ですね。どうやって産業進化主義の人たちはチラシの宛先を知ったんでしょう」

ルーカスは女がこの話題に不安を抱いていることに留意した。

「あっ! ところで、私、アリサです」

女はしきりに手を差し出して、話題を変えた。

「イアン・ジェームスです」

ルーカスは返答し、丁重に握手を交わした。

「かなり寒くなってきましたね。中に入った方がよさそうです。誰かがどこに行けばいいか教えてくれるといいですけど」

「そうですね!」

アリサは同意して、ルーカスの横に付き添って通りを渡った。

黙って歩く中、ルーカスは密かに思った。アリサは少し熱狂的ではあるが、害は無いようだ。産業進化主義者たちが集めているのがこの手の人々となると、大して問題にはならないはずだ。

ルーカスとアリサは倉庫の錆び付き色褪せたドアに近づいた。ルーカスはドアを開け、アリサに先に入るように促した。アリサは微笑むと、カーテシーの真似をし、倉庫の中へ入った。ルーカスも後に続くと、すぐに暖かい空気の波が顔に当たるのを感じた。倉庫の中に踏み込み、周囲にいた60名ほどの人々をじっと見つめた。人々は様々な世俗的な話題について嬉しそうにお喋りしていた。部屋は頭上の照明のおかげで十分に明るかったが、人々の上方には靄がかかっており、そのせいで光が少し遮られ、熱が遮断されていた。石炭や煙の臭いの他、別のものの臭いもしたが、ルーカスにはそれが何の臭いか思い出せなかった。折り畳み椅子が木製の講壇の前に並べられており、講壇はステージか何かの役割をしていた。講壇の最上段には演壇が置かれており、布が被さった大きな長方形の物体も置かれていた。ルーカスは長方形の物体の特徴を把握しようとしたが、布で覆い隠されていてよく分からなかった。その物体は縦60センチ、横90センチほどの大きさで、部屋中を漂う靄は布の下から出てきているようだった。

「イアンさん!」

ルーカスは部屋中を見渡して、アリサが席に着き、隣席を軽く叩いているのが見えた。アリサはフードを脱いでおり、長い茶髪を肩の上に垂らしていた。ルーカスはアリサの方へ歩み寄って腰を下ろした。すぐに部屋の中の他の信者に質問するのではなく、周囲に溶け込むのが最良だと判断した。他の人も数名は座っており、そんな人が部屋のそこかしこに散見されたが、ほとんどの人はグループを作って立っていた。ルーカスは近くの人の会話に耳をそばだてた。

「……今夜は誰になると思いますか。志願しようと思っていますけど、メイソン神父が僕を選んでくれるとは思えなくて」

「……新しく来た人が何人かいるみたいです。運動の主張が広まっていると分かっていいですね。彼らはきっと必要になるでしょう」

「……生贄? いえ、一方を他方へ溶け込ませるということですよ。生贄というのは正確ではない言い方です」

最後の話を聞いて、ルーカスは少し用心した。普段の会話では大抵「生贄」などという言葉について話題にはしない。ルーカスはそのような話に繋がったものが何かを知りたかったが、疑われずに直接質問することはできなかった。何か違和感があるが、何がおかしいのかを示す証拠やアイディアがあるわけではなかった。それでも、ルーカスは懸念を表情には表さず、無表情で前方をじっと見ていた。しばらくして、ルーカスはアリサの方に顔を向けた。アリサは興奮の中、独りでに不規則な旋律で鼻歌を歌っていた。

ルーカスは「あの……」と話を切り出し、アリサの気を引いた。

「産業進化主義運動について何か知っていますか」

アリサは後頚部を掻き、思案してから話し始めた。

「あんまりです。チラシに書いてあることを読んで、インターネットでもっと深くまで調べて、それで終わりですね。この運動が何なのか、要点は知っていますけど、それ以上は分かりません」

「本当ですか。インターネットで何か見つかったんですか。調べようとすら思いませんでしたよ」

実のところ、ルーカスはインターネット上で広範囲の調査を行っていたが、産業進化主義者たちに関する言及は一切発見できなかった。ルーカスはアリサが何かを掘り当てたと聞いて驚き、少し疑念も持った。

「えっと、名前で推測できると思いますけど、この運動は産業革命の延長なんですよ。少なくとも、産業革命の基本的概念の延長ではあります。そうですね……機械の革新と、人間の生活の持続的な向上、みたいな感じですね。あ、待ってください、言い方が悪かったです。そうそう、こんな感じでした。……機械は人類の本質的な延長であり、即ち人類の前進への焦点となるはずである。それは進化における次なる進歩である。伝わりましたかね」

「なるほど」

「良かった! それが運動の背景にある核心的な信念です。他にもですね……」

アリサの声音に不快感の色が混じった。

「この運動には崇高な機械存在への信仰を中心とした側面もあるみたいです。でも、そんなの本当は違うんじゃないかと……」

このときになって、ルーカスは関心を抱いた。

「続けて。どんな信仰ですって。この機械存在ってものについても」

「あー……えっと、読んだ記事の中で名前がずっと出てくるんですよ。『ソー・セイティス』(So-Saitys) って奴です。他には情報は何も……」

「何者なんでしょうね。『ソー・セイティス』でしたっけ。神か何かでしょうか。もしかして悪魔?」

「よ、よく知りません。『神』より『悪魔』に近いと思います。でも、『悪魔』って言葉では多分、表しきれていませんね」

「ソー・セイティス様万歳! 彼の地獄の機械よ!」

ルーカスとアリサは背後から聞こえた声の方に振り向いた。老年の薄汚い男が2人の方に向かっていた。男の顔はニヤリとした熱狂的な笑みで引きつっており、顔中には病気のような灰色の斑点が広がっていた。男はアリサとルーカスの椅子に手を置いた。両手にも灰色の斑点が広がっていることにルーカスは気付いた。

「新人さんはいつだって大歓迎! 私がメイソン神父。ところで、私が産業進化主義運動を率いていましてな。我々のことをよく知っているようで驚きましたよ、お嬢さん。この会合にいらっしゃる方のほとんどは運動について進んだ知識を持たずに来ますからな。でも、お嬢さんはよく調べなさったようで」

アリサは一言も言わずにメイソン神父に微笑んだ。

「すみません。私はイアンと言います」

ルーカスの言葉が沈黙を破った。メイソン神父はルーカスに微笑んで、頷いた。ルーカスは話を続けた。

「私はイアン・ジェームス。こちらはアリサ。ソー・セイティス様についてもっと教えてもらえますか。この運動でのソー・セイティス様の役割をよく知らないので」

「おお。知識への欲求を見ると快活にさせてくれますな、ジェームスさん。じっとただ座っていなされ。説教に耳を傾けよ。さすれば、君の疑問は解消されましょうぞ」

ルーカスは笑みを浮かべ、頷くと、手を差し出した。

「分かりました、そうします。この運動について深く知るのを楽しみにしています」

メイソン神父はルーカスの手を握った。

「私も教えるのが楽しみ。お二人に会えて光栄ですぞ! 是非とも説教を最後まで聞いていてくださいな」

メイソン神父は講壇の方へ歩いていき、時折立ち止まると、他の人々と挨拶やお喋りをした。ついに講壇に上がると、緊迫感の波が人々の間に広がった。人々は沈黙し、席を探しに急いだ。メイソン神父が話し始めるときには、喋る人はほとんどいなくなっていた。ルーカスはひたすら座り続け、かなりの関心を持って耳を傾けた。ルーカスの目にはカルトの根源が形を成し始める様が確かに見えていた。

「こんばんは、皆様!」

メイソン神父の声が倉庫中に轟いた。

「今夜はこれほどまでに大勢の方にお越しいただき感謝しています。何人か新人の方もいらっしゃるようで。大変心が暖まりますな。我々の小さなコミューンも明らかに成長しています。拙僧も期待に胸を膨らませております」

「でも、皆様は私のお喋りに付き合いにいらっしゃったわけではありませんな。皆さんは人類の未来に興味があってここに来た!」

人々からいくつか歓声が上がった。ルーカスは沈黙し続け、椅子に寄り掛かった。

「他の誰にも我々と同じことをする勇気が無かったからここに来た! 世界中の政府組織が我々の窮状に目を背けてきたからここに来た! 皆様の援助を求める叫び、関心を求める請願、心配は黙殺されるばかり! 他のいわゆる『信仰運動』は皆様に背を向けた! 連中は商業主義や理想論の原理、単なる人間の怠慢により堕落しきっている! 我々こそが人類の最後の希望! 我々が為さねばならぬのは、他の誰もができないだからだ!」

再び倉庫中に歓声が響き渡った。前以上の熱狂だ。ルーカスもそれに加わり、それにも関わらずニヤリと笑った。連中は明らかに狂っている。連中をやりこめても全く問題はないだろう。

「皆様は所以があってここに来た!」

メイソン神父は話を続け、木製の講壇の上をゆっくりと歩き回った。

「皆様は来る時代に人類を導くべく、偉大なるソー・セイティス様に選ばれた! ここに来たのは全くもって偶然などではない!」

メイソン神父はこう言ってすぐ、ルーカスの方をちらりと一瞥したように見えた。ルーカスはニヤニヤと笑い、先ほどの発言に皮肉を見出して面白がった。ルーカスはアリサの方に目をやった。アリサも歓声を上げて叫んでいると想像していた。しかし、アリサは静かに座り、不安そうに自分の手を弄っていた。

ルーカスは身を寄せて、アリサの耳元で囁いた。

「大丈夫ですか。少し緊張しているように見えますが」

「ええ? あ! いや、ちょっと不安なだけですよ。一度にこんなに色々あると理解が大変で」

「我々は自らの運命を切り開くための道具を持っている。だがしかし……道具は使われないままだ! 道具は隅に置かれ、埃が積もり、全くもって些細な状況で使われるばかり! 今こそ言う、こんなのはもう沢山! 産業革命以来、テクノロジーがそれほどに多くの人の生活を変えたことはない! 来る時代、私は人類を栄光へと引き込むつもりです、人類が望もうと望まなかろうと! 進歩を恐れる人がいるからといって、我々人類を苦痛に追いやったままにするのはもう御免!」

メイソン神父は話を止め、人々が同意して歓声を上げるまで待った。ルーカスにはメイソン神父が何を話しているのか理解できなかったが、立ち上がってメイソン神父を囃し立てた。ルーカスは熱心で頭が空っぽの崇拝者の振りを楽しんだ。

「ソー・セイティス様は我々に未来の道具とその道具を動かすチャンスをお与えになった! 我々はただ火に燃料を注げばいい。そのような機械を動かすのに必要な人的資源という名の燃料を。そういう意味で、我々は彼の地獄の機械を動かす度に、我々人類を駆動させるのです! それで、どうして我々が今夜ここに集ったか! 人類を進歩させるため、我々はこの機械を動かさねばならぬ! 我々はソー・セイティスという名の機械を動かさねばならぬ! これこそ我らが目的! 機械に燃料を注がねばならぬ! ソー・セイティス様に燃料を注がねばならぬ! 我々は彼の業の完遂を見届けねばならぬ!」

ソー・セイティスを称える声が飛び交う中、メイソン神父は壇上の長方形の物体から布を剥ぎ取った。そこにあるのは大きく奇妙な機械だった。それは大きな産業機械であり、数多くの剥き出しの回転する歯車が詰め込まれた鋼鉄の箱だった。側面には文字盤や計器が並び、その隣にはピストンや煙を吹き出すパイプが並んでいた。緩くなったワイヤーから火花が舞い、機械のてっぺん付近の煙突から靄が放出されて部屋を覆った。機械の側面には大きな回転するクランクがあり、大きな一続きの歯車やベルトに接続されていた。機械の末端の近くには投入口か何かがあり、人1人を押し込めそうなくらいに大きかった。金属と金属を打ち付けたカチンという音が響く中、その装置はくぐもったブンブンという音を発していた。

ルーカスは椅子に深く座り、目の前の光景を観察した。それ以外の人々は恍惚としており、椅子から跳び上がって件の機械に近づこうとする人もいたが、メイソン神父から追い払われていた。部屋はより濃くなった靄で充満した。聴衆の連なる声が上がるにつれて、機械が発する音も大きくなっていくようだった。アリサは椅子に深く座りつつも、壇上の機械を興味深げに眺めた。ルーカスは機械の目的について少し心配になったが、それをできる限り隠そうとした。周囲の人々はこれまで通り無害のままだが、ルーカスは目の前の機械の正確な目的を把握しているか不安になった。そんな不安を抱いていたが、ルーカスはこれから何が起きたとしても、新米信仰者の振りを続けることにした。周りの人々が本当は危険だったとしても、ルーカスには上手な立ち回りが必要とされていた。

「想像していたのとは違っていたりして?」

ルーカスがアリサに目をやると、アリサは苦々しげにニヤリと笑みを浮かべてみせた。

「イアンさん、わ、私、あなたは良い人だと思っています。ここに来たのは初めてだってのも知っています。でも、出ていった方がいいと思います。これから数分以内に起こることは、あなたは関与したくないことだと思うんです」

ルーカスはアリサを訝しげに見つめ、アリサが気付いた何かに不安を覚えた。それでもなお、ルーカスはとにかく残らなければならなかった。

「からかっているんですか。これから面白くなってきたところでしょ! 出ていきませんよ……もっと知らないと」

アリサは躊躇いつつも、首を横に振った。

「ここで働く力はあなたも私も太刀打ちできません。あなたはあいつらの言い分に関与したくないはずです」

ルーカスが返答できるようになる前に、メイソン神父が説教を再開した。

「さあ御覧なさい! こちらがソー・セイティス様、彼の地獄の機械です! 我らが同胞の中で彼の機械に加わる価値のある者は誰ですかな。彼の機械に燃料を注ぎたい者は誰ですか。自らの肉体を使って人類の進化を推進する力にするのです。自らの肉体を彼の歯車の上へ永遠の穴の中に投げ打ちたい者は誰ですか」

数多くの人々が跳び上がり、手を上げてそのチャンスを請うた。ルーカスは座ってじっとしていた。何が起ころうとしているのか恐れて、冷や汗が突然に吹き出した。メイソン神父は部屋中をじっと見つめ、様々な信者に指をさしては、首を横に振った。これが1分続いた後、メイソン神父は手を上げて、聴衆を静かにさせた後、説教を続けた。

「皆様の熱意に感謝します。でも、今夜は特別な機会。さあ、こちらには特別なゲストがいらっしゃいます。ソー・セイティス様は我らに肉体をお送りなさったのです」

人々の間で微かな騒めきが走った。ルーカスは座ったまま、機械に目を向け続け、疑われないように努めていた。ルーカスは自分の正体が割れていないと確信していた。そんなことはあり得ない。連中が自分が何者かを看破できるはずがない、きっと。メイソン神父は壇上を歩き回り、演壇の後ろに落ち着いた。メイソン神父はルーカスをまっすぐに凝視しながら話を始めた。

「そう、その人物は我らの内なる聖地に潜入したと思い込んでいるかもしれません。しかし、ここにいるのはソー・セイティス様が意思の働き。その人物は我々の元に送り込まれたのは、彼の機械の燃料となるためだけではなく、サンプルでもあります。我々が無為に浪費される力ではないことを示すための! ソー・セイティス様に力があることを示すための! 我々が人類の未来であることを示すための!」

ルーカスはハッと息を飲み、すぐに最寄りの出口を探すべく辺りを見回した。ルーカスとドアの間には30名の人がいた。数秒後にドアに向かって走れば、チャンスがあるかもしれない……。

ルーカスはアリサの方を見るために立ち上がったが、アリサも同じく椅子から立っていた。アリサはルーカスの方に移動し、手の中にあるかなりの大きさの拳銃を振りかざした。咄嗟の考えで、ルーカスはアリサに飛び掛かり、アリサが自分に銃口を向ける間を与えずに拳銃に手を伸ばした。アリサは驚いて叫び声を上げ、2人は床の上に倒れ、銃を奪い合った。アリサは拳銃を掴み、転がって離れようとしたが、ルーカスはアリサの腕を掴み、どうにか銃を奪い取った。アリサは怒鳴った。

「何やってんだあんた! 何もかもぶち壊しだ!」

「近付くんじゃねぇぞ気違いども!」

ルーカスは立ち上がると、騒動を調べようと立ち上がった近くの信者たちに拳銃を向けた。ルーカスはゆっくりとドアの方へ戻っていき、聴衆はルーカスに道を開けた。アリサは跳び上がり、ドアに向かって逃げ出そうとした。ルーカスはアリサの方に拳銃を向けた。アリサは立ち止まり、本能的に両手を上げた。

「おい、来るんじゃねぇ! 貴様ら全員そこでじっとしていろ!」

「この馬鹿!」

アリサは叫び、ルーカスの方へ移動した。

「私は連中の仲間じゃない! 私は……」

「おや! ジェームスさんがもう容疑者を逮捕してくれたようですな!」

メイソン神父の嬉しそうな声が部屋中をこだました。

「その女を私の方に連れてきなさい。あのラッド信者を連れてきなさい!」

ルーカスは混乱して銃を下ろし、後ずさりした。アリサは半狂乱になってルーカスの方に突進した。

「私を撃て! 撃て! 撃て! 頼む! 死んだ方がまし……」

アリサは叫んだが、ルーカスはさらに後ずさりし、状況を理解しようとした。

聴衆は2人の元に集まり、ルーカスの横を抜け、アリサの方に向かった。アリサは抵抗し、聴衆を蹴散らしたが、すぐに眼前の大勢の人々を前に圧倒された。アリサは金切声を上げ、取り囲む人々に猥語を浴びせながら、メイソン神父の元に引きずられていった。その間、ルーカスは「ラッダイト」を武装解除した功績を周囲の人から称賛され、背中を叩かれた。

「この機械主義者どもが!」

アリサは甲高い声で叫んだ。

「貴様らは偽りの存在に従っている。部品の動く箱なんぞに! この売女どもにラッドの呪いあれ! 貴様らの機械はただのなぁ……クソッタレの機械だ! 貴様らが勝ち取るのは無意味な死だけだ! このクソッタレの……」

4人の信者がアリサの四肢を抱え、聴衆の間を抜けてメイソン神父の元へ運んだ。他の信者たちは大混乱の模様を眺めていた。メイソン神父の元に辿り着くと、信者たちはアリサの腕と脚を縄で拘束し、口を布で塞いだ。アリサは噛み締めて、さらなる罵詈雑言を信者たちに浴びせようとしたが、メイソン神父の声がアリサの声を圧倒した。

「やはりだ! 我らの眼前にあるのはラッド信者! 淫猥なラッダイトが我らの活動と進歩を崩壊させに来た。この逆進者はソー・セイティス様にも敵がいないわけではないことを思い出させるためにいる。彼の機械の目的を妨げようとする者がいるとな。ラッド! ソー・セイティス様のはらからと、劣等たるその二人よ! この悪魔、このけだもの、この負の権勢……奴は彼の地獄の機械と直接相対するのは気が進まぬ。故に、奴は自分のために働く下僕を送り込んだ。ただ、下僕どももラッドが辿るだろうものと同じ運命に遭うのだ! 下僕どもは彼の機械のスイッチを切るという無意味な行いのために自身の命を捨てるのだ! 我らはそんなことは許さぬ! 我らは歯車を回し続ける! 我らはソー・セイティス様を満足させ続けるのだ!」

他の産業進化主義者たちは歓声を上げ、機械を動かすことを求めた。アリサが拘束を解こうともがく中、壇上の信者たちはアリサを持ち上げて、投入口の方へ運んだ。ルーカスは衝撃を受けて硬直していた。何が起きているのか把握しようとしていた。この事態はルーカスのせいだったのだろうか。もし俺があのようなことをしなければ……、いや、彼にできたことなど無かった。そのとき、ルーカスは武器を持っていたことを思い出し、ステージの方へ走った。メイソン神父の方に拳銃を向けて、アリサを開放するように信者たちに叫んだ。信者たちはルーカスを気に留めず、アリサを投入口に置いた。アリサは逃げようともがいていた。アリサはルーカスの方を見て、恐怖で目を見開いた。アリサは何かを言おうとしたが、言葉を発することはできなかった。メイソン神父はクランクの方に移動したが、ルーカスは銃口を向け続けた。

メイソン神父は立ち止まり、ルーカスにニヤリと笑みを浮かべてみせた。

「ジェームスさん、ゴホン、すまない、ルーカス君、それを下ろしてくれたまえ。おっと……そんなに驚くな! 彼の機械は様々なことを教えてくれる。君が誰か知っているよ。君がここで何をするのか知っている。ただ、もっと重要なことがある。私が君が次に何をするか知っている。君はこの件に関与していない。君はソー・セイティス様とラッドとの戦争なぞ関知していない。我々のグループについても知らなければ、我々の敵もな。君は『カルト集団』が……正確ではない言い方だが……『生贄』を捧げようとしていると思っている。また正確ではない言い方をするが……若い女を機械の悪魔か何かに捧げようとか、そんなことをな。君の役割は第三者、つまりは警察、英雄だ。君は女を救い、我々を獄中にぶち込みたいと願っている。君はこの上なく高潔だ。だが、君は知らない。ソー・セイティス様がどのように機能するかをね。これを見たまえ」

メイソン神父は顔を覆う灰色の斑点に指さした。

「これは骨折りの証であり、摩耗の証でもある。ソー・セイティス様が私の肉体をその力を行使する器として使うことを示す。言うなれば、憑依の証だ」

「なぜそんなことを俺に話す。さっさとアリサを機械から離せ。さもないと……」

「なぜ? なぜか、君の手を見たまえ! 前に握手したのは非常に有益だったな。協定の証のようなものだ!」

ルーカスは銃口をメイソン神父に向け続けながら、片手を自分の顔に近づけた。メイソン神父の顔を覆うものと同じ病気のような斑点が、今やルーカスの手や腕をも覆っていた。ルーカスは銃を下ろし、もう一方の腕も調べた。同じように斑点に覆われていた。ルーカスはどうしようもなくメイソン神父を見つめた。

「お前……き……気分が」

実際、ルーカスは吐き気を催させる存在が体内に根付いたことを感じた。ルーカスはよろめき、倒れそうになったが、機械に対して身構えた。アリサは何かをルーカスに向けて叫んだが、突然に金属が擦れ歯車が回り、聞こえなかった。ルーカスの頭蓋骨の内側で、蒸気がシューッと音を立て、コンベアがガタガタと鳴った。ルーカスは自分の状況を把握しようとしてた。ルーカスは手を伸ばし、自分を引き上げようとした。手は機械の横のクランクの方へ伸びた。ルーカスの視界がぼやけ、実在のものか定かはない煙が視界を妨げた。

「クランクを回せ、ルーカス君。機械を動かすのだ」

メイソン神父の声がルーカスに聞こえた唯一のものだった。メイソン神父の声にはあまりにも威厳があり、あまりにも断固としていて、あまりにも冷酷だったから、ルーカスはクランクを回した。クランクを回さねばならなかった。機械を動かさねばならなかった。ソー・セイティス様に燃料を注がねばならなかった。選択肢はなかった。

ルーカスはクランクを回し始めた。機械が轟音を立てて動き出し、歯車が回転し、歯車同士が擦れ合ってギシギシと音を立てた。蒸気が外へ出て、ピストンが上下し、コンベアのベルトが回り始めた。機械の内側のどこかからくぐもった叫び声が聞こえたが、ルーカスは黙殺した。クランクを回し続けることが必要だった。少し経つと、機械は違う音を出し始めた。金属同士を強く叩きつける音や擦り付け合う音の代わりに、金属をこれまでよりも一層柔らかいものに叩きつけ、容易く押しつぶす音が聞こえた。何かが歯車の間に囚われており、歯車は回転し続けようと頑張っていた。蒸気はもはやシューッという音を立てていなかった。パイプからは新たに液体がただポタポタと零れ出て、装置の下に溜まっていた。これまでよりも一層不快な臭気が倉庫に立ち込めた。肉、石炭、アリサから絞り出された何らかの体液がルーカスの鼻腔に浸透した。ルーカスは吐き気を堪えつつ、クランクを回すことに集中した。

苦しみの絶叫が徐々に消えていくにつれて、建物全体の温度が上がっていった。クランクはだんだんと回しにくくなっていった。ルーカスが機械の中の何かと奮闘しているかのようだった。ルーカスは力を込めてクランクを回し続け、暑い空気が吹き付けるのを感じた。汗が顔の上を流れ落ちた。機械の中を刃が回転し、ドリルが骨と肉に穴を空けた。ルーカスはアリサがすぐに絶命していることを願っていた。そうでなければ、機械が文字通りに身を裂く苦しみを味わうことになる。しかし、ルーカスはクランクを回す手を止めなかった。とにかくクランクを最後まで回さないといけないと知っていた。

ゴーンという鐘の音が鳴り、ピーという音が鳴り響いた。クランクは動こうとせず、ルーカスはクランクを手放し、床の上に崩れ落ちて頭を抱えた。背景で遠くから歓声が聞こえたが、頭の中の痛みに集中した。クランクはもう回していないのに、機械の音が残り続け、精神の中で音は大きくなっていった。血管の中を蒸気が流れるのが感じられた。床の上を手探りして、歯車の歯が頭蓋骨の中で押し込まれると、腕の滑車が回転した。肉体が石炭や燃料を消費すると、胸の中で炎が唸った。ルーカスは止めようとしたが……ああ、止めなくては……ああ、どうして止まらない……俺は機械ではなく人間だ、人間だ、人間だ、人間だ……。

「止めたいのかい、ルーカス君」

メイソン神父はルーカスの思考を読んだかのようだった。

ルーカスはその言葉を声に出して言っていたことに気付いていなかった。ルーカスは小声でモゴモゴと何かを呟いた。

「止めてくれ」

しかし、その声は機械の音が響く中で聞こえたかはっきりしなかった。

「彼の機械に入りなさい、ルーカス君」

メイソン神父はルーカスを優しく導いた。その通り、俺が行かねばならない場所だ。より大きな機械の中へ。俺も同じく機械である……はず。自分の部品をより大きな機械に与えるのは意味が通る。とにかく目標を完遂する必要がある。燃料を、燃料を、燃料を! 機械は燃料を求めている! 俺が燃料だ! そのはずだ。ルーカスは既に自分の中にあるあの機械の存在を感じていた。腕にある灰色の斑点は印だ。機械としての刻印。俺には欠陥がある。改良が必要だ。時代遅れの旧式ではいたくない。ルーカスは投入口に入って待った。何も起こらなかった。クランクを回さなければ! しかし、俺にはできない。人間が必要だ。俺はもはや人間ではない。

「心配するな、ルーカス君。もうすぐにソー・セイティス様と一緒になるよ」

それは最高だ。ソー・セイティス様は俺を理解し、俺を庇護し、俺が必要なものを賄ってくれるだろう。結局のところ、俺も機械なのだ。お互いにとって完璧だ。

「感銘を受けたよ、ルーカス君」

メイソン神父がそう言い、クランクの横に立った。

「ほとんどの人は憑依されると発狂する。でも、君はそうじゃなかった。君の意志はかなり強い。そして、君はソー・セイティス様とともにある場所がある。君は知らないことだが、この機械はソー・セイティス様ではない。これは搬入口だ。ソー・セイティス様は君の想像を超える壮麗な方だ。ソー・セイティス様万歳! 彼の地獄の機械よ!」

メイソン神父の言葉が部屋の中の他の人々により繰り返された。しかし、ルーカスはそうしなかった。ルーカスはソー・セイティスの抱擁に備えた。メイソン神父がクランクを回すと、ルーカスは機械の下の方へ滑り落ち、ソー・セイティスの真の全貌を一目見た。

ソー・セイティスという機械は地下を遥かにわたって広がっていた。縁は動く部品や機械で埋め尽くされていた。それには肉の小片がくっついており、知覚を有するように見えた。それは歯車の間で息をしていた。それは歯車の間からルーカスを見た。歯車の間からルーカスに話しかけた。しかし、ルーカスはより深く理解していた。それは機械に他ならない。それには生命は無い。ルーカスは自分が重要であると分かった。自分の力でこの機械を動かし続けられる。その機械の目的を達成させられる。その目的が何であっても。ルーカスは数時間かけてその装置全体の中で処理された。そうなる前に、ルーカスはメイソン神父の言葉に同意した。それは自分の想像を超える壮麗なものだ、と。


There's Something Between the Gearsを訳しました。Creepypasta Wikiでは“Spotlighted Pastas”に指定されています。“June-July 2015 Demon/Devil Writing Challenge”への出品作であり、悪魔やカルトの要素がある作品です。

作中に登場する固有名詞に何か意味や由来があるのかは分かりませんでした。Note支部でのコメントで指摘がありました。例の固有名詞はおそらく「society」(= 社会、世間) のもじりです。

作品情報
原作
There's Something Between the Gears (Creepypasta Wiki、oldid=1298365)
原著者
Whitix
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2023年5月4日木曜日

『あの忌々しいドアを閉めろ』(Creepypasta私家訳、原題“Shut That Damned Door”)

錆びたドアの写真

"Battleground door" by Infrogmation of New Orleans is licensed under CC BY 2.0.

あの忌々しいドアを閉めろ

俺が14歳のとき、両親が車の事故で死んだ。

同情とかはするなよ。あの件とは数年前に折り合いがついている。両親との生活は素晴らしいものだったとは決して言えない。それでも、両親が居なくて寂しく思う。両親が一つ教えてくれたことがあったとすれば、自己憐憫に耽るな、ということだ。

ただ、両親が死んだせいで、ルイーズおばさんの元に行く羽目になってしまった。

誰にでもあんな家族が1人くらいはいるはずだ。少し変なところがあって、少し他の家族から孤立しているような人が。ルイーズおばさんが俺たちにとってはそんな家族だった。生きている親戚の中で一番近くに住んでいる人でもあった。親父の家族は大陸の反対側に住んでいた。お袋の両親は亡くなっており、子供はお袋だけだった。ルイーズおばさんはお袋の母親の姉妹で、実際は大おばにあたる人だった。俺と両親が住んでいたところからほんの1時間の所に住んでいた。

両親が生きていた頃、俺と両親は滅多にルイーズおばさんの元を訪ねなかった。本当に正直に言えば、ルイーズおばさんは俺を引き取るのを断るのではないかと半ば予想していた。児童福祉局がルイーズおばさんに連絡をとって俺を引き取るか相談したと聞いてすぐ、孤児院に引き取られるか、アメリカを横断することになると完全に覚悟していた。

しかし、ルイーズおばさんは了承した。進んで引き受けたのか、喜んで承諾したのかは分からない。ルイーズおばさんが俺の引き取りを了承したときの電話のやり取りに俺は関与しなかったためだ。しかし、俺が来てから最初の3日間、ルイーズおばさんが親切にしてくれたから、俺は驚いてしまった。

はっきりさせておきたい。ルイーズおばさんは気難しく、風変わりで、偏屈で、気が利かず、他にも良いとは言えない形容詞がいくつか並ぶ人だったけれど、どうしようもないクソババアではなかった。どちらかと言えばぶっきらぼうで、むしろ苛々させるような話し方をする人だったが、冷酷な人ではなかった。生まれてから14年間、ルイーズおばさんの為人を知る機会は全く無かったが、ルイーズおばさんはほぼ人付き合いをしない人で、特に人を好いたりしない人だとは知っていた。だから、俺は自然に、ルイーズおばさんは社会から逸脱した不愛想な婆さんなのだろうと推測していた。

実のところ、俺が越してきて最初に一番驚いたのは、何もかもが普通に見えることだった。少なくとも最初のうちは。ルイーズおばさんは料理をしたり、掃除をしたり、テレビを見たり、隣人と電話で話したりなど、他の誰でもしそうなことをしていた。ルイーズおばさんがすぐ俺に言ってきたことは、俺が予期していたようなものとはほとんど違った。少なくとも、俺の両親が言わなかったようなことは言わなかった。夜更かしするなとか、帰宅が遅くなるときは連絡しろとか、テレビを見る前に宿題を終わらせろとか、自分のものは片づけろというようなことしか言わなかった。

ただ、1つ変な決まりがあった。その決まりはあまりに奇妙だったから、他の決まりから浮いて見えた。最初、俺は気にしないようにしていた。老人は時折、風変りになるものだ。最初は、それ以上のものではないと思っていた。しかし、それは間違いだった。

ルイーズおばさんは俺が部屋を出入りすると必ず、すぐに背後のドアを閉めるように言った。数秒だけ部屋に用事があるときでもお構いなしだった。部屋に入ると、すぐにドアを閉めるように要求した。部屋を出るときも同じだった。

最初の1週間ほど、俺はこの決まりをよく忘れた。ルイーズおばさんは俺にこの決まりのことを思い出させるのを決して欠かさなかった。俺が忘れるといつも、「あの忌々しいドアを閉めんか!」と叫んだものだった。ルイーズおばさんが家のどこにいようが全く関係なかったようで、俺がドアを開けてすぐに閉めずにいるといつもバレた。

ルイーズおばさんの家は古く、俺はルイーズおばさんが最初の持主ではなかっただろうと分かった。ルイーズおばさんはお袋が子供の頃からそこに住んでいた。この家がどれほど古いのかは分からなかった。そのデザインやレイアウトを見るに、築100年は優に超えているかもしれなかった。家は2階建てで、地下室が2階あった。地下2階の存在を知ったときは少し驚いた。自分の服の山を洗濯中に、ユーティリティルームの反対側の壁に閉じたドアが自然に存在することに気付いた。地下室は未完成で、ほぼ土の床であり、そこら中で沢山のものが積み上げられたり棚に収められたりしていた。何かを踏んずけたり、積み上がったものを倒したりする恐れがなく歩けるところはこの洗濯室だけだった。洗濯室は地下で唯一のタイル張りの部屋だった。

地下室で見つけたドアには横切るように板が張り付けられており、簡単に動かせた。まるでルイーズおばさんが、必要であれば越えられないこともない境界線を必要としていたかのようだった。2度目に見かけたときは好奇心に負け、ドアから板をずらして外し、ドアを開けようとした。しかし、鍵が掛かっていた。

すぐにはこれが奇妙なことだとは思わなかった。それでも、俺はあの部屋が外に通じるものを除けばこの家で唯一、ルイーズおばさんが鍵を掛けっぱなしにしている部屋だと気づいたときには不思議に思った。

ある日、ルイーズおばさんにこのドアについて質問した。ルイーズおばさんは料理の最中だった。

「地下室のドア?」

ルイーズおばさんは答えた。

「あれは地下2階だ。それより下はないよ。普段はジャムを置いているんだ。涼しくて保存に向いているからね」

「分かったよ」

俺は答えた。これでは鍵を掛けっぱなしにしている説明にはなっていなかった。

「それで、いつか俺がその地下2階を見てみたいと思ったときは……」

「いい加減にしな。どうしてそんな所を見たいんだね」

その返答を聞いて気付いたが、ルイーズおばさんの顔色が変わっていた。ルイーズおばさんは普段はだいたい同じ表情をしていた。誰かが洗い立てのカーペットに泥の足跡をつけたかのようなしかめ面だ。しかも、表情が示すほどには不機嫌ではなかった。ただ、よく作っていた表情はそれだったようだ。

しかし、俺がドアの先を見たいと言ったとき、ルイーズおばさんは返答する前に1秒間ほど、眉毛が吊り上がり、口を震えさせていた。あまりに微妙な変化だから、他の人であれば気付かなかっただろう。ただ、そのときには、俺はルイーズおばさんのことを十分理解していた。あれは恐怖の叫びと同じだった。

それで、俺はあのドアの先を見なければならないと思った。

俺はいつだって好奇心旺盛な方だった。興味を引き立てるものから離れ続けることは絶対にできなかった。俺の中の良識が近づかない方が良いと理解していたとしてもだ。それ以来、地下2階にあるものを見る以上の望みはなかった。

ただ、あの鍵をどう対処すればいいか。それが目下の課題だった。ルイーズおばさんはすべての鍵を一つのキーホルダーに纏めていた。鍵はそれほど多くなかったが、地下二階へのドアがどこかにあるとすれば、そこが答えだった。

俺はルイーズおばさんから鍵を奪い取る方法を見つけなければならなかった。

問題はそれほど単純ではないと分かった。例えば、物音を聞かれずに家の中を移動することはできなかった。ドアを全く開閉することなく、自分の寝室からルイーズおばさんの寝室に忍び込んで鍵を掠め取ることは不可能だった。自分の寝室のドア、廊下の向こう側のドア、そして、ルイーズおばさんの寝室のドアを開閉しなければならない。信じてほしいが、ただ全てのドアを開けっぱなしにしたとしても、ルイーズおばさんはどういうわけかそれに気付くのだ。一度、夜にトイレに行って、廊下のドアを閉じ忘れたことがあった。ちょうどトイレに辿り着いたとき、ルイーズおばさんの叫び声が聞こえた。ルイーズおばさんは眠ってさえいたというのに。

「あの忌々しいドアを閉めんか!」

俺は急いで戻り、廊下のドアを閉めたのだが、今度はトイレのドアを閉め忘れた。すると、再び叫び声が聞こえた。

「あの忌々しいドアを閉めんか!」

さらに言うと、ルイーズおばさんの部屋には軋むドアという落とし穴がある。そのため、ルイーズおばさんがそのドアを開けると、ギィィィィィという音がする。ルイーズおばさんに気付かれることなく開けられるドアは無かった。

だから、地下2階のドアのことはしばらくの間忘れていた。好奇心を満足させるのは後回しにして、しばらくは無口な老女と上手くやっていこうと努力した。生活が少し楽になってきた。全てのドアを常に閉めっぱなしにすることを忘れなければ、俺とルイーズおばさんは上手くやっていけた。ルイーズおばさんは何事につけ俺を苛つかせるようなことはしなかったし、俺もルイーズおばさんを苛つかせることはなかった。そこはかなり静かな家だったが、俺が住み慣れた家でもあった。ドアを通じて入られるどの場所も常にドアが閉まったままであることをもはや奇妙とさえ思わなくなった。ドアが開けっぱなしになっていると奇妙に思うようにすらなっていた。

問題のその日、ルイーズおばさんは『ザ・プライス・イズ・ライト』([訳註] アメリカのクイズ番組。“Come on down!”<さぁこちらへどうぞ!>という掛け声でお馴染み) を見ながら眠ってしまった。その日は夏で、かなり暑かった。ルイーズおばさんはドアを開けることと比べると、窓を開けることはわずかに関心が薄かった。それでも、ルイーズおばさんは一度に1箇所しか窓を開けようとせず、この日も1箇所だけ開けていた。ルイーズおばさんの主要な奇癖のおかげで、どの部屋にも空気の流れが無いこの家は箱に閉じ込められたかのようで、窓を1箇所開けただけでは十分に冷却されなかった。そんなわけで、自然とルイーズおばさんは眠りに落ちた。こうして、俺にチャンスが訪れた。

ルイーズおばさんのハンドバッグがその足元に置いてあった。俺はルイーズおばさんのすぐ隣の椅子に座り、『アベンジャーズ』という漫画を読み、テレビから繰り返し流れる「さぁ、こちらへどうぞぉぉぉぉぉ!」という声を無視しようとしていた。俺はルイーズおばさんの方をそっと見た。すると、ルイーズおばさんはぐっすりと居眠りしていた。ルイーズおばさんの聴力は起きているときでさえそれほどではなかったが、耳が聞こえないというわけでもない。ただ、居眠りしていることを考えると、ハンドバッグから物をくすねるときの小さな物音はさほど聞こえないだろう。

鍵はほぼすぐに見つかり、俺は吹抜けに向かった。ドアを開けたときにルイーズおばさんが目覚めたとしても、洗濯物の仕事をしていたと言い張るつもりだった。しかし、ルイーズおばさんは俺がドアを閉め忘れたとしても目を覚ます様子はなく、今となっては俺はそんなヘマは絶対にしなかった。

階段を下り、あの入れなかった場所にまだいるわけでもなかったが、どういうわけかつま先立ちで歩いた。ルイーズおばさんは決して明白に俺が今やっていることを禁止したわけではなかったが、馬鹿げたことに罪悪感を覚えた。

地下室のドアはもちろん閉まっていたが、いつも通り鍵はかかっていなかった。身を屈めて入り、ドアを閉じて、数分間待った。ルイーズおばさんが目を覚ますなどして椅子の骨組みがずれる音がしないか、どうして地下室にいるのか問い詰めていそうな声がしないか耳を澄ました。

こっそりと洗濯室に忍び込み、ドアを開けてすぐに閉じ、内側に滑り込んだ。照明の紐を手探りで探し、引っ張った。弱弱しく不気味な光が部屋の中を明滅した。これまでこの部屋の明かりをここまで不気味に思ったことはなかったが、そのときはそう思った。これまでの行動に何か違和感を覚えた。

しかし、好奇心が警戒心を打ち負かした。俺はドアの方に忍び込み、板を取り外した。ルイーズおばさんは俺が最後に板を外した後に、板を元の場所に戻したようだ。ルイーズおばさんはどうしてこんなことをしたのか、脳裏に疑問が一瞬過ぎったが、俺はその疑問を無視してキーホルダーを取り出した。

3番目の鍵がそのドアの鍵だった。錠が外れる大きな音が聞こえた。俺は凍り付いた。胸の中を心臓が鼓動を打ち、階上から叫び声が聞こえないか耳を澄ました。何も聞こえなかった。

ドアは幽霊のように静かに開いた。その先には階段を照らすような明かりは無かった。階段では照明の紐さえも見えなかった。俺の脳が悲鳴を上げ、肉体に回れ右してこのちょっとした冒険を忘れるように命じた。しかし、俺はそんなことに気にも留めず、階段を忍び足で降り、手探りで壁を伝った。

進んでみると、小さな光があることが分かった。光は天井の通気口から漏れ出ていた。大した光ではなかったが、照明の紐があるのが見えた。階段の降り口から数十センチ先だ。おかしな場所にあるものだ。こういうものは踊り場にあるものだろう。それでも、俺はかなりこぢんまりとして見える廊下を歩き、紐を引いた。もしかすると、そのちらつく明かりは洗濯室からの明かりよりも弱弱しかったのかもしれない。かろうじて明かりがついていると分かるような有様だった。

見回してみると、本当にルイーズおばさんが言っていたようにジャムが保管されていた。謎に平凡な回答が突きつけられていささか失望した。一時は、秘密の地下2階は本当に秘密の場所のように見えたのだ。

ただ……固い土の壁や地下の冷涼な空気の中にあるはずのない、やや暖かい微風が感じられた。まだ違和感が強く残っていた。俺は瓶が並ぶ棚の列の終わりに出入口があることに気付いた。出入口にはドアが無かった。

俺は忍び足で進み、腕を前にして慎重に歩を進めた。ドアの先の部屋は暗く、黴臭い臭いがした。肌を撫でる生暖かい空気の出本は感じられなかった。しかし、その部屋へ近づくにつれて、空気が暖かくなっていることに気付いた。

隧道の入り口に着いた頃には (どういうわけか、このときにはこの場所は隧道であると思い始めていた)、空気はただ暖かいだけではなかった。湿ってもいたのだ。悪臭もあった。その臭いは黴臭いものから、もっと質の悪いものになっていった。今までよりも違和感が強まった。俺はここから出ていかないとならない。どうして近づいてしまったのだろう。

そこには大した光は無かったが、部屋の反対側に別のドアの輪郭が見えた。そのドアは半開きだった。ルイーズおばさんの家に半開きのドアがあるというのは、他の人の家に粉々に割れた窓があるようなものだ。異常だ。あり得ない。こうなると……もう俺は正確にはルイーズおばさんの家にはいない、ということか。この隧道はこの家のために掘られたわけではない。俺はそのことを魂で理解した。その隧道は以前からそこにあった。かなり昔からあった。この場所は短慮な建築業者がルイーズおばさんの家に接続しただけだった。連中は何を掘り出してしまったのか分かっていなかった。埋めたままにしておくべきものだったのだ。

すぐに気付いたが、その先の部屋、まさに足を踏み入れようとしていたその部屋が動いていた。明かりは暗すぎて、何が起きているのか見えなかった。それでも、その部屋の先で何か動きがあった。絶え間なく、ゆっくりと、緩慢な動きだ。壁沿い全てに、床の上の全てに動きがあった。四隅からグチャグチャという微かな音が聞こえた。何かが這い回り、そのどろどろとした肉を拡大していた。

そして、それは俺を見ていた。俺に床を横切り、向こう側のドアを閉じさせようとしていた。俺にドアを通ってくるかもしれない何かを永遠に締め出させるように仕向けていた。流体を啜る音が聞こえた。何か形のない、ゼラチン状の存在が闇の中を伸び縮みしていた。

その瞬間、俺は理解できたような感覚に陥った。このドアの前に立った人間は俺が最初ではない。閉めることのできないこのドア。あのもう一つのドアを見た最初の人間ではなく、そうするつもりでもなかったその人は、向こう側でドアを開けたままに放置した。そして、誰かが勇気を出して境界を横切り、そのドアを閉じるまでは、常に開けっぱなしになることを知っていた。

ルイーズおばさんは勇気が無く、だから逃げ出した。そして、家の中の全てのドアを常に閉めたままにした。家の中のドアをいつ何時も閉めたままにしておけば、あの忌々しいドアの向こうから何かがついにやって来たときにその時が来たと分かるかもしれないと、ありもしない望みを抱えて。

俺も勇気が無かった。踵を返し、逃げ出して、決して振り返らなかった。16歳のとき、俺はルイーズおばさんの家を出て、社会復帰施設に移った。18歳になると仕事を変え、別の場所に移った。ルイーズおばさんの家には絶対に戻らなかったし、電話もしなかった。ルイーズおばさんのことを考えないようにさえ努めた。

ただ、上手くいかなかった。例の出入口の前に立ったあの日のことをいまだに思い出す。あのグチャグチャと音を立てて蠢く何かが、暗闇の中を待っていると脳裏に浮かぶ。そして、ルイーズおばさんがあの部屋を横切る力を身につけて、あの忌々しいドアを閉めてくれないだろうかと思ってしまうのだ。


Shut That Damned Doorを訳しました。Creepypasta Wikiでは“Spotlighted Pastas”に指定されています。 開きかけの扉、襖の隙間、障子戸の影は怖いという話です。

“Damned Door”をどう訳すべきか。「忌々しいドア」、「クソッタレのドア」、「ドアのあん畜生」……。

作品情報
原作
Shut That Damned Door (Creepypasta Wiki、oldid=1319176)
原著者
WriterJosh
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2023年5月2日火曜日

禍話リライト「そんなのは嫌な話」

そんなのは嫌な話

Aさんが先輩のBさんたちとドライブを楽しんでいたときの話。

そのときは、Bさんの運転で峠道を走っていた。上り下りが激しかったせいか、後部座席に乗っていた友人たちは車酔いで気分が悪くなっていた。助手席にいたAさんは無事だった。Bさんは気分転換に曲でもかけようかと言って、アニソンを集めたCDを流し始めた。アニソンと言っても、大きなお友達が聞くようなものではなく、子供向けのものだ。

「ガキの頃に聞いていたヤツだけど、こういうのの方が逆に落ち着くかもしれないぞ」

車の中を、ドラえもんやポケモンなどの懐かしい曲が流れる。すると、Bさんがポツリポツリと話を始めた。

「実はさ、この辺はあまり良い思い出が無いんだよね……」

聞いてみると、Bさんのいとこがこの近辺で行方不明になったらしい。Bさんのいとこは、夜中に急に目を覚まし、のっぴきならない用事ができたと言って外に飛び出した。いとこが乗っていた車がこの辺りで発見されたが、本人は失踪したままなのだという。山狩りもしたが、痕跡すら発見されなかったそうだ。Aさんは和やかな歌に反して、突然に嫌な話を始めたものだと思っていた。

「『のっぴきならない用事』って何だったんでしょうね」

とAさんが聞くと、Bさんは言った。

「あいつ、彼女がいたらしいんだよね。ただ、家族や知り合いもそいつの彼女が誰か知らないんだ。それがちょっと気持ち悪くてさ」

「もしかして、その彼女って人の仕業だったんでしょうか」

「変な話して悪かったな。誰かに聞いてもらいたかったんだ。ごめんな」

車の中を「アンパンマンのマーチ」が流れていた。「そうだ うれしいんだ」で始まるあの曲である。Aさんは何気なく、

「いつか真相が分かる日が来るといいですね」

と呟いた。ちょうどそのとき、車内では「アンパンマンのマーチ」の

「わからないまま おわる」

の部分が流れていた。何故か、曲はそこから先に進まず、そのフレーズを繰り返した。

わからないまま おわる

わからないまま おわる

わからないまま おわる

わからないまま おわる

……

Bさんは急ブレーキをかけた。車内が騒然とする中、Bさんは曲を止め、CDを窓から外に投げ捨てた。

Bさんのいとこは未だに行方不明のままだという。


本稿はFEAR飯のかぁなっき様が「禍話」という企画で語った怪談を文章化したものです。一部、翻案されている箇所があります。 本稿の扱いは「禍話」の二次創作の規程に準拠します。

なお、「CD」と書いた部分は、語りの際には明言されていなかったため、実際は違うかもしれません。MDやカセットテープなどの可能性もあります。

禍話 簡易まとめWiki」では「わからないまま」という題名で掲載されています。ネタバレになってしまうため、Wikiとは異なる題名としました。

作品情報
出自
震!禍話 二十二夜(序盤フリートーク) (禍話 @magabanasi放送)
語り手
かぁなっき様 (FEAR飯)

アンパンマンのマーチ ― 作詞:やなせたかし、作曲:三木たかし

禍話リライト「立て替え女」

立て替え女

Aさんが都会に引っ越したときの話。

住んでいたアパートの集合ポストが荒らされることがあった。昔似たような経験があったことから、Aさんはカラスの仕業だろうと考えた。カラスは知能が高い。集合ポストには鍵がかかっていたが、作り自体は簡素なものだった。隙間から枝を突っ込めば、中のチラシを取り出すことくらい造作もないだろう。

公共料金の封筒もチラシと一緒に取り出されて、辺りに散乱していた。中身は開けられて無くなっていた。封筒を開けられるほど器用なカラスがいるのだろうか、そもそも中身を持ち去ってどうするつもりなのだろうか、とAさんは疑問に思ったが、それほど深くは気にしていなかった。Aさんは呑気な性格で、カラスの悪戯のせいで電気代などが払えずにいたが、問題になったときに対処すればいいと放置していた。

しかし、数か月経過しても、公共料金の督促は来なかった。電気やガス、水道が止まることもなく、問題なく使えた。電力会社に連絡をとったが、料金は支払い済みであるという返答が返ってきた。ガスや水道も同じだった。カラスが立て替えてくれるわけもない。さすがのAさんも不安になってきた。そこで、Aさんは友人に頼んで、数名と一緒に集合ポストを見張ることにしたのである。

案の定、犯人はカラスではなかった。見ず知らずの若い女だった。金属の棒を突っ込んで、集合ポストの中身を無理矢理取り出していたのである。集合ポストの鍵の開け方は知らなかったらしい。

仲間と一緒に取り囲んで問い詰めたところ、女は白状した。曰く、Aさんの姿を近所で見かけ、その身なりから生活に困っているのだろうと思い、公共料金を代わりに支払っていたのだという。一見すると思いやりがあるようにも見えるが、わざわざ赤の他人の住所を突き止めて、その人宛ての郵便物を漁るのは明らかに常軌を逸している。Aさんたちは女を警察に突き出した。一応は盗難に当たるため、警察も取り合ってくれた。

警察が調べたところ、女は常習犯であることが判明した。貧しそうな人の郵便物を漁り、公共料金を勝手に支払うという行為を、様々な地域で10年にわたって行っていたのである。ここまでであれば、狂ってはいるが優しくもある女の話で終わるが、それだけでは済まなかった。

女が公共料金を支払っていた人の何人かが行方不明になっていたのである。

どうやら、女は何年か料金を支払うと、その人の家に向かい、自分が代わりに支払っていたと申し出るらしい。ある行方不明者の隣人が、その人物と女が口論になっているのを見かけたことがあった。行方不明になったのはその直後のことだったという。警察は行方不明者についても調べたが、彼らの居所は分からないままだったそうだ。

Aさんは警察関係者に捜査状況を尋ねて、上記のことを教えてもらった。警察関係者によると、その女はこのようなことを言っていたという。

「元は取らなきゃいけないからね」

結局、女の失踪事件への関与は立証されなかった。女は精神科で治療を受けているという。


本稿はFEAR飯のかぁなっき様が「禍話」という企画で語った怪談を文章化したものです。一部、翻案されている箇所があります。 本稿の扱いは「禍話」の二次創作の規程に準拠します。

禍話 簡易まとめWiki」では「元をとる女」という題名で掲載されています。この題名はオチに触れているため、Wikiとは異なる題名としました。

作品情報
出自
震!禍話 十七夜 (禍話 @magabanasi放送)
語り手
かぁなっき様 (FEAR飯)

2023年4月27日木曜日

禍話リライト「夢の缶ジュース」

夢の缶ジュース

Aさんという男性が高校生の頃に体験した、夢にまつわる話。

Aさんには幼い頃に大親友がいた。しかし、その友人は不慮の事故で急死してしまった。それ以来、友人の命日になると、奇妙な夢を見るようになった。

その夢には件の友人が出てくる。不思議なことに、友人は幼い頃のままではなく、成長した姿で現れる。Aさんが小学生、中学生と成長するにつれて、夢に出てくる友人も背が伸びていく。場所はAさんの家と友人の家の中間地点にある自動販売機の前。夢の中のAさんは友人が死んだことを覚えておらず、他愛もない会話をして過ごす。友人は必ず自動販売機で缶ジュースを買うのだが、決まって蜂蜜入りの炭酸飲料を選ぶ。友人はその飲み物を飲んでは不味いとぼやき、Aさんと笑い合う。それだけの夢だ。

目が覚めると、友人の命日であると思い出して悲しい気持ちになる。ただ、朝食の時間の頃には夢を見たことを忘れてしまう。そのせいか、毎年奇妙な夢を見ているというのに特に気にすることはなかった。しかし、高校生の頃に見た夢の体験があまりにも恐ろしく、Aさんは忘れられなくなってしまった。

その時期、Aさんは生まれて初めての恋人ができた。彼女との仲は良好で、Aさんは浮かれながらも楽しく過ごしていた。

そして、友人の命日。やはり、高校生の体格に成長した友人が出てくる夢を見た。このときの夢はいわゆる明晰夢で、友人が既にこの世を去ったことを覚えていた。しんみりとしつつも他愛もない会話を楽しんでいると、いつも通りに友人は例の蜂蜜入りの飲み物を買った。友人は缶ジュースを一口啜ると、

「ホント不味いな。お前も飲んでみないか」

と言った。不味いのに飲むわけがないと笑いながら断ったが、友人は引き下がらなかった。

「お前もさ、そろそろ飲んでみたいと思っているんじゃないのか」

どうも様子がおかしい。友人は顔が真っ青で、目には怒気を孕んでいた。友人は語気を荒げ、ジュースの缶を顔に押し付けてきた。

「いい加減、お前もさ、そろそろ飲む時期だと思うんだ。なあ、飲むだろ。飲めよ」

それでもAさんが断ると、友人は掴みかかってきた。異様に力が強く、片腕でAさんの両腕を抑え込んでしまった。Aさんはなぜか、缶ジュースを絶対に飲んではいけないような気がして、必死に抵抗した。缶ジュースから漂う蜂蜜の強烈な香りが鼻腔を埋め尽くした。

どうにかAさんは目を覚ました。まだ夜中だった。冷や汗をかいたためか、Aさんは喉の渇きを覚えた。台所に向かい、麦茶でも飲もうかと冷蔵庫を開けた。

そこには、蜂蜜入りの缶ジュースがあった。夢に出てきたものと全く同じ。

Aさんは反射的に冷蔵庫を閉めた。恐ろしくてたまらなくなり、寝ていた母親を叩き起こした。母親に冷蔵庫を開けてもらったが、その缶ジュースは影も形もなかった。

その出来事があってから、友人が夢に出ることはなくなった。仮にその缶ジュースを飲んでしまっていたら、Aさんはどうなっていたのだろうか。


本稿はFEAR飯のかぁなっき様が「禍話」という企画で語った怪談を文章化したものです。一部、翻案されている箇所があります。 本稿の扱いは「禍話」の二次創作の規程に準拠します。

作品情報
出自
震!禍話 第九夜 (禍話 @magabanasi放送)
語り手
かぁなっき様 (FEAR飯)

『望みが叶う森』(Creepypasta私家訳、原題“The Forest of Things You Want to Happen”)

雪の降る中を歩く女性の写真

望みが叶う森

外では雪が降っている。そこでは子供たちが橇やスキーで遊んでいた。ママが幼いジョニーが羽織っている毛皮のコートのクロームのボタンを留めて、ジョニーの頭を軽く叩く。

「ジョニー、今日は雪が降っているね」とママが言う。

「だから、公園には遊びに行けないね。きっとブランコがツルツル滑るしね。森の中をちょっと散歩しに行こうよ」

森? ジョニーはこれまで本物の森に行ったことがなかった。ジョニーは頷き、親子はウェリントンブーツを履く。ママは傘を持ち、親子は家を発つ。それから、親子はジョニーが通う学校を通り過ぎ、それから病院、郵便局、バス乗り場を過ぎていく。バス乗り場でジョニーは、笑みを浮かべた交通安全のおばさんが喜んだ様子で手に持つ標識をジョニーの方に振っているのを目にする。ジョニーは手を振り返して笑う。ママはトラネコを指さす。トラネコはバス乗り場のスクリーンの下で自分の手を舐めている。

「子猫さんがいるよ、ジョニー。子猫さんに『こんにちは』って言いなさい」ママは笑顔で言う。

「こんにちは、子猫さん」ジョニーはママの言葉を繰り返し、手を振る。

親子は森の外れに辿り着き、ママはジョニーの手を握る。暖かな光がママの笑顔から放たれる。

「この森は魔法がかかっているのよ。他の森とは違うの」

「どうして、ママ」

「この森は、起きてほしいことを見せてくれるの。ここで見える全てのことはジョニーが望むことなの」

ジョニーは立ち止まり、驚きで目を見開いた。

「本当?」

「もちろんよ」

ここは本当に……魔法の森? 今になって、ジョニーは進むのが心配になってきた。ジョニーはこれまで魔法が関わるものに出会ったことがなかった。少し信じがたかった。それでも、ジョニーは信じることにした。なぜなら、大人は嘘を吐かなかったから。

「ママ、僕はもう森の中で何が見えるか分かるよ!」

「それじゃあ、ママに何が見えると思うか教えて」

「きっとキャンディが見えるよ。いや、キャンディ千本だ! 百億万本のマース・バーと綿飴。それがそこら中に! マシュマロもほしいし、いろんな味のタフィーもいいな!」

「あらジョニー。本当にほしがりさんね」ママはジョニーの髪をくしゃくしゃに乱した。

「それだけじゃないよ。キャンディだけじゃない。おっきなおっきなおうちも見えるよ! えっと、それと新しい自転車、フットボール、たっくさんのお金も」

「森に行ってみましょうか」

「やったぁ!」

親子は手に手を取って2本の見事なオークの分け目の中を入っていった。ママは傘を折り畳み、ハンドバックに戻す。頭上に広がった葉の落ちた枝が十分に雪を防いでいるからだ。

並木の間を通る道を歩いていると、地面の上に降り積もった雪が薄くなり始める。木々は色味を帯びて生き生きとし始め、葉が生え始める。すぐに、足の下でザクザクと音を立てていた雪は消えてなくなり、青々とした緑の草の層が姿を現す。美しいピンク、黄色、赤色の花々が親子の周りの原っぱで生えてくる。進むにつれて木々は数を減らし、瞬く間に木々は姿を消す。

ジョニーは目の前の光景を不思議に思い、当惑しながら辺りを見回す。ジョニーは夢を見ていたのだろうか。もちろん、ママは嘘を吐いていなかった。大人は絶対に嘘を吐かない。この場所は本当に魔法がかかっており、まるで夢のよう。その森は間違っていない。ジョニーは本当にこんな場所に永遠に住めたらいいと願っている。親子が歩みを進めると、周囲の風景はもう一度変化する。

このときは、原っぱは美しい砂浜に変わる。歩いていくと、金色の砂が足の下で小さくサラサラと音を立てる。親子の周囲をカモメが飛ぶ。もはや寒くはない。太陽が頭上で輝き、ジョニーは移動遊園地を目にする。そこには様々な乗り物がある。アイスクリーム売りのトラックもある。楽しい道化師も。ジョニーはついさっきはあの原っぱが気に入っていた。しかし、この場所の方が大分好みだ。やはり、その森は正確だ。ジョニーは確実にこの場所を望んでいる。実際に、ジョニーは残りの人生をこの黄金の理想郷で過ごしたいという衝動に駆られている。

雷鳴が轟き、そして、雷とともにあるはずの灰色の陰鬱な風景の代わりに、綿飴でできた色とりどりの雲が空を覆う。オレンジ、青、ピンク、赤。ジョニーは虹色の雲さえも目にする。虹色の紙幣が空から降ってきて、ジョニーの髪の上に着地する。

「ママ、急いで、傘を出して!」ジョニーは叫ぶ。

ママはハンドバッグから傘を取り出して、ジョニーを見て笑いながら、傘を開いて逆様にし、色とりどりの紙幣を集める。

空は晴れ、太陽が再び輝いている。紙幣は消え去るが、ジョニーは気にしない。アイスクリーム・トラックに近づいているためだ。トラックはジョニーの目の前で巨大な青い豪邸に変わる。その巨大な家は、まさしくジョニーが夢に見たものだ。とても小さい頃から、この豪邸を所有する夢を見ていたのだ。ママは豪邸の方に向かうように促して、ジョニーは階段を上ってドアをノックする。ドアが開いて、百億万のマース・バーとグミベアが地滑りのように零れ出て、ジョニーを押し倒す。ジョニーはキャンディの雪崩の中でママの方へ滑り落ちて倒れる。ジョニーは両腕と両脚を広げ、ワイパーのように両腕と両足を前後に動かして、地上にキャンディの天使を作り出す。ママは笑い、築山を指さす。

赤いフレームのピカピカの自転車が誇らしげに壁に寄り掛かって停められている。黄色と緑のフットボールがそのそばでキラリと光る。ジョニーはハッと息を飲み、キャンディの内側にできた天使形の空間から起き上がると、その方へ走るが、ママに止められる。

「ジョニー、時間があまりないの。まずは森の中のご馳走をすべていただきましょう。それから、戻ってきてお気にのものを取りに行けばいいの、わかる?」

ジョニーは自転車を十分に試乗し、フットボールを蹴飛ばす誘惑に抗う。ジョニーは再びママの手を取り、豪邸を後にする。

親子が進んでいくにつれて、空は暗くなり、太陽は灰色の雲に覆われる。このときは、雲は綿飴ではできていない。ジョニーはこれは先ほどの風景から次の風景へのただの変わり目なのかと思うが、空は暗くなり続ける。木々が再び姿を現すが、葉は無く、不気味に捻じれている。ジョニーは怯え、困惑する。親子は森から出ていくところなのだろうか。ジョニーはそんなことは望んでいないと分かっている。そのせいでジョニーは狼狽する。ジョニーのママの手を握る力が強くなる。

「ママ、寒いよ……。もう歩きたくない。おうちに帰りたいよ」

「ママ?」

ママの手が冷たく固く感じる。視線を降ろしてギョッとする。そこにもうママの手は無く、ジョニーが握る手はガラスでできている。装飾品のように、人間の手を形作っているガラス。それは完全に透明で、掌が透けて自分の指が見える。ママの指輪の形は指の周りにまだ明らかに目に見えている。

ジョニーは深く息を吸い込むと、左の方を見る。ママはそこにはいないが、ガラスの手はまだジョニーの手を握っている。ジョニーは悲鳴を上げ、咄嗟にその手を離すと、ガラスの手を落としてしまう。

手は床に落下し、千々に砕け散る。今、砕けたガラスが目の前の床に散らばっている。ママはまだどこにも見つからない。ジョニーは数秒間、物も言えないほどに驚愕し、それから泣き出す。森を見渡すと、今や森は完全に影に覆われて灰色だ。

「ママ……。マ、ママ……。怖いよ……、どうなっているの」

突如、ママが目の前に現れる。ジョニーはママに駆け寄り抱き着こうとして、どういうわけか恐怖で戦慄が走る。ジョニーは啜り泣き、ママの数十センチ前で立ち止まって縮こまる。新たなママは生気のない、恐ろしい表情をしている。

「ママ……手はどうしたの」

ママの左手は無くなっていた。

「ジョニー、お前がママの手を壊したの」ママは半ば呟くように言い、ジョニーの背後の床でキラキラと輝く残骸を指さす。細くてなよなよとした枝が不気味で悍ましげな影をママの顔に投げかける。「お前のせいでママの手は無くなったの。お前がやったの。お前がそう望んだんでしょ」

「えぇ?」混乱、当惑、恐怖。何が起きているのか。有頂天だった子供が今や鼻水を抑えようともがいている。彼は凄まじい悪夢に囚われているのだ。ジョニーは慎重にそっと辺りを見回す。さながら肝を潰した猫のようだ。「ママ、こんなこと起きてほしいと思っていなかったよ。絶対に! ママの手を壊したいなんて絶対に思っていないよ! ごめんなさい!」

「ジョニー、森はいつだって嘘を吐かないの。お前はキャンディもフットボールも欲しかったでしょ」

「でも、こんなことは望んでないよ! ママ、ごめんなさい! ママと手を繋ぎたいよ!」

「ジョニー、残念だけどもう無理なの。ママがもう一方の片手も壊されたいと思っているとでも?」

ママは不気味にジョニーを睨みつけ、そのまま黙ったまましばらく経過する。ジョニーは恐怖の余りに動けない。ジョニーはこの新しいママが好きではない。ジョニーは偽りの罪で泣き喚き、偽りの動機で責められている。

遠くの暗闇の中に明るい光の輝きが見えて、ジョニーは動きを止める。

ジョニーは慎重にその方向へ向かい、近づいてからいったんしばらく立ち止まる。馴染みのある人影が光の下に座っていて、咳をして苦痛でぜぇぜぇと息を切らす。禿げ頭で短い爪に、顎には無精髭を生やした男。生え際に薄くなった茶色の髪が残り、それ以外は禿げあがった頭皮。

「パパ? パパ、どこか悪いの」

パパは答えない。ただ、ブツブツと不明瞭に呟き続けるだけだ。すると、赤い光が出現し、パパの胸部の左側から出てくる。パパは立ち上がって赤い光から逃れようとするが、光は糊のようにパパに貼り付いて離れない。ママが自分の肩に残った手を強く置いて、ジョニーは跳び上がる。

「パパは痛がっているよ。どうして助けようとしないの」

「でも……」ジョニーはハッと息を飲み、ママの失われた左手の方を見て、先ほど何が起きたか思い至る。「どうやって?」

「胸の中にある何かがパパを苦しめているの。切って取り出せば、パパを救えるわ。愛するパパを救うのよ」

ジョニーは目を見開く。ママが大きな包丁を取り出したからだ。空の裂け目から微かな光の筋が差し込み、包丁の刃がキラリと光る。

「ママ……。すごく怖いよ。こんなこと絶対嫌だ」

「あら、そうなの。森はいつだって噓を吐かない。ということは、お前がこうなれと望んだ奴なんだ。お前はパパが苦しめばいいと思ったんじゃないの」

ジョニーはできる限り激しくかぶりを振る。再び泣きたくなる。

「ほらほら、しっかりしなきゃね、可愛いジョニーちゃん? お前は間違いを償って、パパの苦しみを止めなきゃいけないの」

ジョニーが包丁を手に取ると、手が震える。ジョニーはパパの方まで歩いていき、その横で膝をつく。パパは急に恐怖にかられたように見える。パパの目から涙が流れ、目が大きく見開かれ、懇願するような風だ。

「ごめんなさい、パパ。こんなこと起こってほしくなかった。でも、森はぼくが望んだって言うんだ。だから、ママは僕がパパを苦しめる何かを取り出す助けをしないといけないって言うんだ。心配しないで、すぐに済ませるよ。約束するよ」

パパは首を横に振るが、ジョニーはそれでも包丁を手に取り、切開を始める。パパは悲鳴を上げて喚き散らす最中、ジョニーは泣き叫ぶ。驚くことに、パパの肉はバターのように切れる。血は湧き出てこない。パパの体の内側には数百万もの小さな白い蛆が詰まっている。そのすべてがパパの皮膚の下をのたうち回っている。小さなハサミを持つ蛆もいて、ジョニーの手に這い上がる。ジョニーは悲鳴を上げて、気持ち悪さと恐怖で後ずさり、ママの方に目を向ける。ママはジョニーの行動を良く思っていないようだが、その顔には奇妙な表情が浮かび、歯を見せて笑いそうになっているところである。

「しっかりしろ」ジョニーは自分に向かって呟く。「しっかりしなきゃ」

ジョニーはさらにパパを切っていく。何か大きく丸いものがパパの内側で動いている。何か固く震えるものが。ジョニーは悲鳴を上げて泣き叫び、手を蛆の塊の中に沈め、パパを苦しめていたものを引きずり出す。

それは赤いもので、2本の長い紐が繋がっており、その紐はパパの肉体の内側へと続く。ジョニーの手の中でまだ鼓動を打つ。ジョニーは泣くのをやめて、怯えながらその物体を見つめる。

「じっと持っていてジョニー」ママが呟く。「パパの心臓をママの手みたいに落としたらパパはね、死ぬ」

「でも、ママ、そうしろって言ったでしょ。あんたが言ったんだよママ!」ジョニーは泣き喚きながら、かなり慎重にパパの心臓を両手に抱く。震えてしまい、何をすべきか決心がつかない。心臓をパパの胸に戻そうとし始めるが、パパは叫び声を上げてもだえている。しかし、赤い光がパパを地面に押さえつける。

ジョニーは叫ぶ。パパの皮膚が急にジョニーの両手に癒着していく。すぐに、両手はパパの皮膚に包まれる。今やそこから血が湧き出始め、さながらパパの胸の中に手が囚われてしまったかのようだ。

「やめなさい! ジョニー! お前がパパを苦しめているんだ!」ママが叫ぶ。

「ママ、どうしたらいいんだよ!」

パパは荒々しく手足をバタつかせる。突如、パパは床に倒れ伏し、肉体が衰弱する。ジョニーは全力でパパから手を抜き出し、地面に倒れ込む。明るい光が出ていって、パパの死体が地面に倒れている。ママは泣いている。

「ジョニー! お前が何をしたか見なさい! どうしてそんな悍ましいことが起きてほしいと思ったの」

「思っていないよママ、思っていないって言ったでしょ! こんなことになっている理由なんて分かんないよ、こんなこと本当に望んでなんか……」

「お前は父親を殺したんだ! お前は父親に死んでほしかった。お前は殺したかったんだよ! ママ恥ずかしい。お前がこんなに卑しい奴だったなんて、ジョニー!」

「ママ、そんなこと望んでいないって!」涙が川のようにジョニーの目から出てきて黒い地面に流れ込む。「こんなこと本当に起きてほしくないよ! 訳分かんないよ! 怖いよ!」

「この嘘吐き!」ママが金切声を上げる。その叫び声は森の中をこだまする。

叫びの最中、ママの肉体は突如、凍り付く。眉は怒りで吊り上がり、顔はしわくちゃで、口が大きく開いている。ジョニーは震えあがり、ママの頭が完全にガラスに変化していくのを見つめる。すると、パキッと割れて頭が体から外れる。ジョニーは飛び退いて叫び声を上げる。首は肩の上から地面に落ちて、砕け散ってバラバラになる。

ママの頭の無い体が動き始め、しばらくの間よろよろと歩く。ママの声がいまだに地面の上の破片からこだまする。

「ジョニー、望みが叶う森は絶対に嘘を吐かない。お前がこんなことが起こればいいと望んだんだろ。お前は本当に、悪い子だ」

ジョニーは不意に陰鬱に沈黙し、無表情になる。ジョニーはじっと立ち尽くす。森の中へは進みたくない。こんな悪趣味は沢山だ。

「ママ」ジョニーは言う。「あんたは嘘吐きの、冷酷な怪物だよ」

ジョニーはたった一人ではなかったことを、2人の人間がこの森に入ったことを思い出していた。


The Forest of Things You Want to Happenを訳しました。作者の方は既に亡くなられているらしいです。

ちなみに、「マース・バー」とはチョコレート焼き菓子のことらしいです。「グミベア」はおそらくハリボーのことです。

作品情報
原作
The Forest of Things You Want to Happen (Creepypasta Wiki、oldid=1492561)
原著者
Tiololo
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2023年4月23日日曜日

『ソンブレロを被った恐竜』(Creepypasta私家訳、原題“Sombrero Wearing Dinosaur”)

ソンブレロを被った恐竜のイラスト

ソンブレロを被った恐竜

真夜中、ビリーは目を覚ました。いつもの悪夢のせいだ。しかし、今回はいつもの悪夢よりもひどかった。死ぬのを見るのではなく、殺す側に回っていたのだ。冷たい汗が額を伝って落ち、両目を見開いた。数時間も両目を閉じずにいたような感覚だ。

悪夢は何度も頭の中で再生された。まるで誰かが巻き戻しボタンを押して、繰り返し最初から悪夢を流しているかのようだ。ビリーの両手は熊手のように凍り付いたように感じられ、震え、何かを掴もうとしていた。両目はただぼんやりと両脚を覆う毛布を見つめた。悪夢がゆっくりと心から消えていくと、ビリーは頭をゆっくりと上げ、そしてそのベッドの前に見た……大きくて……黄色の……ティラノサウルスの姿を。ティラノサウルスは、とても大きいが体の大きさからしてきつそうなソンブレロのようなものを被っていた。その恐竜はティラノサウルスにしてはかなり小さかったが、それでも大きかった。頭は天井に接触し、尻尾は床の上でその恐竜の周りを取り囲んでいた。部屋に収まるには大きすぎたのだ。

ビリーは叫ぼうとしたが、突然に何かがハンマーのようにビリーの頭を打ち付けた。本物のハンマーだったら、ビリーの頭は粉々に吹っ飛ばされていただろう。なんてこった、壁が血や脳味噌、頭部の破片に塗れているイメージが既に心に浮かんでいた。そのイメージは数秒間残ったが、心は恐竜に焦点を戻した。

あの恐竜は絶対に前に会ったことがある。

恐竜は身を乗り出した。ビリーの顔には恐竜の暖かい息が感じられた。ビリーはソンブレロを細かく把握できるようになった。薄茶色のフェルトでできており、側面とてっぺんは深紅と白の花柄で、白い部分には金ぴかのラメがあった。

恐竜は丸々一分間ビリーを見つめた。ビリーは自分が恐竜に恐怖を抱いていないだけでなく、安心感のようなものを感じていることに驚いた。恐竜は口を開けて物を言った。奇妙なことに口は恐竜が話すようには動いておらず、誰かが恐竜の中にいて、内側から話しかけているようだった。

「大丈夫かい、ダニー?」

恐竜は低い声で聞いてきた。奇妙なことに他の何物でもなく人間の声のように聞こえた。

ダニーはゆっくりと頷いた。ダニーは膝を胸の方に寄せて、腕で膝を抱え、助けようとしてくれている恐竜をじっと眺めた。恐竜は頭を上げて、それからゆっくりとダニーのナイトテーブルの上にあるディジタル時計を見た。時計の画面には6:25という数字が輝いていた。恐竜は頭をダニーの方に向けて、再び話しかけた。

「また悪夢かい? 寝た方がいいよ、テディ」

テディはすぐに首を横に振った。ゆっくりと脚を広げて言った。

「悪夢が怖いんだ……」

すすり泣きのような言い方だった。恐竜は部屋を見まわした。尻尾がナイトテーブルの脚の1本にバタンと打ち付けて、ナイトテーブルをひっくり返した。しかし、少年も恐竜も気にせず、隣の部屋で眠る両親でさえも物音に気付かなかった。

「名前はなんていうの?」

テディがそう聞いたとき、恐竜はテディの棚の上に置かれたおもちゃを見ていた。恐竜はぼんやりと棚の上のテディベアを見つめながら言った。

「覚えていないのかな? 僕たちは親友だったんだよ、スティーブ……」

スティーブは瞬きした。恐竜と友達になった記憶はない。しかし、ジェリーと一緒にいてそんな気分がするのはそういうことかもしれない……そうだ、ジェリーだ。スティーブはやっと思い出した。

「ジェリー、でしょ?」

スティーブはそう聞いて、ベッドの反対端にまでゆっくりと這っていった。恐竜は見渡すと、爬虫類の唇に笑みを浮かべて頷いた。それから、テディベアを抱えて振り返った。テディベアにはジョシュアという名前が書いてあった。

「これは君のだよね?」

ジェリーはジョシュアにテディベアを渡した。ジョシュアはベッドから跳び下りると、恐竜の尻尾で躓きかけた。バランスを取り直すと、頷いてテディベアを受け取った。テディベアを抱いて押しつぶした。

「遊ぼうよ」

ジョシュアはジェリーに優しく微笑みかけた。恐竜は笑顔を返して頷いた。2人は床に座ってジョシュアのおもちゃで遊んだ。ジョシュアはテディベア役で、ジェリーはジャケットを着て右ポケットにナイフを入れた男の役。2人は冗談を言って笑いながら遊んだ。

それから、2人はチェッカーで遊んだ。ジョシュアは黒の駒、ジェリーは赤の駒。

それから、2人は泥棒ごっこで遊んだ。ジョシュアは警官、ジェリーは泥棒。

それから、2人は消防士ごっこで遊んだ。ジョシュアは消防士で、ジェリーはナイフ。

それから、2人はスーパーヒーローごっこで遊んだ。ジョシュアはスーパーヒーローで、ジェリーは複数の刺し傷。

それから、2人は騎士の龍退治ごっこで遊んだ。ジョシュアは銃、ジェリーは頭蓋骨を貫く銃弾。

それから、2人はチェッカーで遊んだ。スーザンは死体、ジェリーは父親。

最後に、2人はスーザンの寝室でかくれんぼで遊んだ。スーザンは罪、ジェリーは破れたガラス。

2人はスーザンが学校へ行く準備をする時間になるまで遊び続けた。ジェリーはスーザンの両親の寝室のドアが開く音と、誰かが自分の寝室の方へ歩いてくる足音を聞いた。スーザンは焦った。部屋はめちゃくちゃで、おもちゃは床中を散らばり、そこには恐竜がいる。スーザンはすぐに恐竜の方へ向いて、そして……

ジェリーはいなくなっていた……。

ビリーの母親がドアを開けると、床の上のおもちゃを見て眉をひそめた。大目玉を食らって朝食を食べた後、ビリーは学校へ行く準備をした。ビリーは玄関の前に立ち、母親がビリーの部屋からお気に入りのドナルドダックの冬用帽子を持ってくるのを待っていた。母親は帽子を持ってすぐに階段を駆け下りてきた。ドアを開けて、帽子をビリーに手渡した。すぐにバスが到着するところだった。外では、前庭の芝生が雪が降り積もって真っ白に染まっていた。一部が黄色の雪になっていて、父親が雪で覆い隠そうとしていた。

「今朝、またクソッタレのルーカスの野郎が酔って芝生に小便しやがった」

父親が母親に怒りと疲労で怒鳴りながらそう言った。

ビリーが歩いて出ようとすると、母親が立ち塞がった。母親は膝をついて、ビリーの頬に軽くキスをした。

「ごめんね叱っちゃって。でも、自分の部屋をあんなに散らかしちゃ駄目でしょ……」

母親はビリーの目をじっと見つめた。

「厳しくし過ぎたくなかったの。また悪夢を見たの?」

母親は心配しながら言った。

ビリーは首を横に振った。なんて嘘吐き。

一方で、父親はルーカスの野郎が次に立ち小便をしたら、頭をショベルで何度も殴り、黒いキャンバスに描いた絵のように白雪に脳味噌をばら撒いてやって、それから奴の死体の上に座って煙草を一服してやると考えていた。そのイメージが頭を過ぎり、顔に少し笑みが浮かんだ。といっても、ただの思い付きだ。

ビリーはバスに乗り、その日はいつもと同じように展開していった。

バスは車線を走った。空には雲一つなく、太陽が眩しく輝き、そのせいで雪で目が潰れかねなかった。バスはビリーの家の前に停まった。ビリーはバスから慎重に跳び下りた。足を踏み外して転ばないようにした。それから、家に向かい、戸口の上り段のそばで足を止め、ドアベルを鳴らした。母親がドアを開けて、歩み入ろうとするビリーに微笑みかけた。

巻き戻し

バスは車線を走った。空には一塊の雲があったが、太陽は眩しく輝き、そのせいで雪で目が潰れかねなかった。バスはビリーの家の前に停まった。ビリーはバスから慎重に跳び下りた。足を踏み外して転んで顔面を地面に打ちつけないようにした。それから、家に向かい、戸口の上り段のそばで足を止め、ドアベルを鳴らした。母親がドアを開けて、歩み入ろうとするビリーをじっと見つめた。

巻き戻し

バスは車線を走った。空には沢山の雲があったが、太陽は眩しく輝き、そのせいで雪で目が潰れかねなかった。バスはビリーの家の前に停まった。ビリーはバスから慎重に跳び下りた。足を踏み外して転んで顔面を地面に打ちつけて、綺麗な歩道に血塗れにしないようにした。それから、家に向かった。戸口の上り段のそばで足を止め、ドアベルを鳴らした。母親がドアを開けて、歩み入ろうとするビリーに眉をひそめた。

巻き戻し

バスは車線を走った。空は曇っており、太陽は見えなかった。バスはビリーの家の前に停まった。ビリーはバスから慎重に跳び下りた。足を踏み外して転んで顔面を地面に打ちつけて、頭蓋骨を骨折して綺麗な歩道を脳味噌で汚さないようにした。それから、家に向かった。戸口の上り段のそばで足を止め、ドアベルを鳴らしたが、返事がなかった……。もう一度鳴らしたが……返事はなかった。それから、ビリーはドアは開いていることに気付いた。2人の警官が中にいて、台所の床の上に横たわる2人の死体を見下ろしていた。

ジミーは2人の死体をじっと見つめた。2人の顔は見えなかったが、見たくなかった。もしあれが自分の……

「すまないが……君がジミーか?」

警官の1人がドアのそばにいたスティーブに気付いた。

スティーブはとてもゆっくりと頷いた。

警官は溜息をつき、それからこう言った。

「可哀想に……お巡りさんたちは誰がこんなことをしたのか見つけようとしているんだ……分かるかい?」

警官はジョシュアの目を見つめて、肩に腕を回してジョシュアを慰めようとしてた。もう1人の警官が頭をかきながら、遺体を調べつつこう言った。

「まるで恐竜がやったみたいだな……」

これは最高だ。

巻き戻し

これは最高だ。

巻き戻し

最悪だこんなの飲み物がほしい。


Sombrero Wearing Dinosaurを訳しました。Creepypasta WikiではPasta of the Monthに選ばれた作品です。 ソンブレロを被った愉快な恐竜さんが出てきます。

ちなみに、チェッカーとは黒と赤の駒を取り合うボードゲームのことらしいです。

作品情報
原作
Sombrero Wearing Dinosaur (Creepypasta Wiki、oldid=1463702)
原著者
The Wizard Experience Starring Meds 2.0
ライセンス
CC BY-SA 4.0

2023年4月22日土曜日

『花を見つけた子供たち』(Creepypasta私家訳、原題“The Children Found a Flower”)

赤い花の写真

"'Grand Duke of Tuscany' Jasmine Flower At Dawn" by Chic Bee is licensed under CC BY 2.0.

花を見つけた子供たち

「キモっ! 触っちゃ駄目だよ!」

ジュディスは悲鳴を上げて後ずさった。ジョージが糸杉に張り付いていた肉の塊を尖った枝で突いたからだ。ジュディスの隣にいた幼いトーマスは、興奮しながらその物体を指さし、口を大きく開けて笑いながら大声で言った。

「ねえ! 動いているよ!」

確かに、子供たちが見つけたそれは反応してピクピクと動いており、物体の中央にある肉の穴はゆっくりと開閉し始めた。それが奇妙な物体ということくらいは子供たちも分かっていた。離れたところから見ると木に生えた花のように見えたが、近づいてみると異常な物体であることに気付いたのである。

例えば、その物体には口があった。その牙でいっぱいの胃袋は、試しに枝で突いてみるまでは眠っているように見えた。それ自体も奇妙だったが、子供たちが調べているうちに、その木にくっついた物体の口は数マイルに渡って伸びているらしいことに気付いた。歯でいっぱいのグロテスクな筒状の物体が、あり得ないほどに伸びに伸びている。その大きなピンク色の花びらをじっくりと調べているときに、その物体は素早く路傍に出てきた。舌の塊のように見える物体の中央に口の穴があり、その舌の一つ一つにたくさんの白い突起があった。その白い欠片が実際には人の歯であり、この肉の花から生えているらしいことに気付いたのはジュディスだった。

ジュディスはその物体に用心していた。ジュディスは理解できないものにはどんなものでも用心深かったのである。しかし、ジョージとトーマスは興奮し、この新しい発見に興味を抱いた。ジュディスも一人では沼地を通り抜けて戻れなかった。少年たちはその物体を見て笑い声を上げた。飢えた胃袋がピクピクと動き、ブクブクと音を立て、花びらの数枚が空気を舐め、沢山の歯が内部に引っ込む様を見て楽しんでいた。その物体が何か動きを見せる度に、ジュディスは一歩後ずさりした。どうにも……まずい感じ。ジュディスがいつも家の外の沼地で見かけた植物は同じような種類のものばかりだった。しかも、父親の花の本にもこのようなものは絶対に載っていなかった。

ジュディスが茶色の髪を指で弄りまわしていたとき、ジョージは試しに枝の先を歯を軋らせる消化管に押し込んだ。すると、眼鏡を掛けた小太りのジョージは引っ張られて数歩前に進んだ。持っていた枝が貪られ、乱暴に引き込まれたためである。ジョージが悲鳴を上げて枝を離すと、花は枝をすぐさま飲み込み、枝の破片が宙を舞った。非常に鋭い牙が幾重にも並び、一噛みごとに木端が飛んだ。今や、花びら舌の一枚一枚が勢いよく動き、多くの小さい歯が突き出て激しくピクピクと動き、侵入してきた物体を無思慮に食い尽くした。

トーマスは大声で金切声を上げ、その甲高い声が辺りに響き渡り、枝を貪る音をかき消した。ジュディスとジョージもすぐに同じように叫んで数歩後ずさった。目には突然の生命の危機への思いがけない恐怖でいっぱいになった。ジュディスは口を尖らせ、服をきれいに整えると、激しく足を踏み鳴らした。肩ほどの長さの茶色の巻き毛を怒りに任せて跳ねさせ、不満を露わにした。

「私、触るなって言ったよね! こんなのやだ、家帰りたいよ!」

ジョージは眼鏡の位置を直し、不機嫌に頬を膨らませて、自分より幼い女の子に対して口を尖らせ返した。そして、胸の前で腕を組んだ。

「いいよ、このでっかい赤ちゃんめ! そんなことしたら、次から置いていくからな!」

「そうだそうだ!」

トーマスは甲高い声でそう言うと、自分より大きな少年の横でそのポーズを真似し、ジュディスの方に侮りの表情をしてみせた。ジュディスは赤面すると、舌を出し、別の糸杉を背に腰掛け、同じように腕を組んだ。状況のせいでジュディスは気が動転していたが、遊び仲間を失っていいほどのことでもない。ジョージはトーマスに頷いてみせ、例の異常な花に注意を戻した。

ジョージはしばらくの間、顎を撫でた。ぷっくりとした指がそばかすのある青ざめた肌を擦り、例の発見した物体に対して次に何をすべきか考えた。その物体はほとんど全く動いておらず、発見したときと同じように眠っているようだった。突如、トーマスにアイディアが浮かんだ。

「岩ぶつけてみたくない?」

「いいね!」

2人の少年は微笑んだ。ジュディスは話しかけようと口を開けたが、また拗ねてしまった。2人が自分の身を傷つけたいと望むのならば、誰が2人を止めるというのか。2人はまるで聞く耳を持たなかったのだから。ジョージとトーマスは土を掘り、見つけた中では一番大きい岩を掴んだ。大きい方の少年は汗ばんだ手を伸びたカーディガンに擦り付けてから、花に狙いを定めた。

岩はジョージが思っていた以上の力で放たれて、花びらに音を立ててぶつかり、激しさのあまりに1枚の花びらに傷が残った。奇妙な物体は苦痛で唸り声を上げた。その叫び声は森中をこだまし、あまりのうるささに子供たちは耳を手で覆った。怪物の舌花びらを覆う歯が露わになった。花は岩をぶつけられたことに怒り狂い、凸凹の花びらがピクピクと動いて身もだえして、数十の歯が花びらから危うく抜け落ちかけた。ピンク色の内臓が空腹でバタバタとのたうち、胃袋をピチャピチャと鳴らしながら、喉の割れ目のどこかから長くて黒い蔓を噴出し、荒々しく蔓を振り回した。死に物狂いで攻撃してきた何かを探していた。

トーマスは悲鳴を上げて、花に四角い岩をぶつけた。他にすべきことが思いつかなかったのだ。再び猿のキャッキャッという叫びのような唸り声が響き、鳥たちが木から飛んでいった。長く甲高い叫びを聞いてジュディスとジョージは跪いてしまい、耳を手で覆った。しかし、最も幼かった子供はそこまで幸運ではなかった。トーマスは黒い蔓を凝視した。蔓がじたばたとした動きを緩めていくと、その先端が裂けて捲り上がり、白濁した白い目が露わになるのを見て、トーマスは何も聞こえなくなった。

最初の蔓からさらに多くの雫の滴る蔓が形成され始め、それぞれの蔓が数フィート伸びてから、またそれぞれが裂けて目が出てきた。怪物は金切声を止めたが、トーマスにはまだその音が聞こえていた。小さな二つの破裂音だけが、少年の鼓膜が破れたことを示していた。トーマスの目は蔓の興味深げに見つめる目に向けられた。蔓の目は絶え間なく増殖を続けつつ、静かに這い寄ってきた。ジョージはトーマスを大声で呼んだ、はずだった。しかし、ジョージの声は100万マイル離れたところからかけられたようだった。

花のヤニが滴る蔓の1本が前方に揺れ、さらに数百本の蔓が続き、凝集した塊となってトーマスの顔面に飛んでいき、トーマスの両目がグルグルと回った。多くの蔓がトーマスの口の中に入り込み、歯を粉々に砕き、胃の中を埋め尽くした。他の蔓は耳や眼孔の中を充満させた。蔓はぎこちなく動いて、いくらか力を使ってトーマスを地面に引きずり倒すと、新たな獲物を着実に引っ張り込んでいった。油に濡れた蔓がトーマスの脳を愛撫し、ジュディスとジョージの2人は骨の髄まで恐怖し叫び声を上げた。2人の友人が微笑んでいたからだ。トーマスの小さな手が土を引っ搔いて、さながら木に張り付いている例の物体の方に近づこうとしているようだった。両目は完全に真っ白で、肌は青白く、間違いなく死に物狂いで土の上をバタバタと進んでいった。

むせび泣きながら、ジョージはトーマスの足を掴んで引っ張った。元は磨かれたドレスシューズを泥や砂に塗れさせながらも、精いっぱいの力で引っ張った。トーマスは脚をバタつかせ、お返しとばかりに蹴りを入れ、怒りで喉をゴロゴロと鳴らし、世界で一番大事なものであるかのように糸杉の幹に抱き着いた。蹴りの一発が命中し、ジョージの顔面を捉え、眼鏡の片方のレンズを粉砕した。ジュディスはまだ悲鳴を上げており、完全にヒステリーな状態で手を耳に当てていた。

トーマスは幸せそうにペチャペチャと音を立てていたが、花に近づくにつれてその頻度は増していった。両手は舌花びらを恭しく握り、怒れる骨の隆起を愛撫した。花びらはトーマスの小さな指に巻き付いて、ドロドロとした唾液を塗り込み、蔓はトーマスの頭を飢えた歯の生えた軋る筒状の口の中に突っ込ませた。トーマスの頭蓋がすぐさま砕かれて、筒状の口からは深紅の太い筋が零れ、灰色の樹皮の上を流れていった。トーマスの顔には依然として笑顔が張り付き、花はトーマスをかじり始めた。

ジュディスは過呼吸になり、胎児のように体を縮こませた。一方で、ジョージは泣き叫びながら、鼻血が出続ける鼻を押さえていた。貪り骨を砕く音は徐々に小さくなった。残された2人は、その音がやんだ後も、数分もの間、黙って座っていた。最初に顔を上げたのはジュディスだった。このとき、数筋の涙が顔を流れ、頬をさくらんぼ色に染め、呼吸は喘鳴でしかなかった。

あの花はいなくなっていた。花が張り付いていた木も消えていた。血痕さえも無くなっていた。さながら何も起きていなかったかのように。

2人がこんなに速く走ったのは生まれて初めてのことだった。


The Children Found a Flowerを訳しました。怖い花の話……なのか?

作品情報
原作
The Children Found a Flower (Creepypasta Wiki、oldid=1425985)
原著者
SkullMunch
ライセンス
CC BY-SA 4.0