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2020年2月23日日曜日

綾波レイのルーツの真偽

綾波レイのフィギュアの写真

 筋肉少女帯やオーケン (大槻ケンヂ) を語るうえでよく話題になるのが、ある楽曲が『新世紀エヴァンゲリオン』のヒロイン・綾波レイの元となったという話である。

 この話はインターネット上でしばしば耳にする話題だった。筋肉少女帯の楽曲には「何処へでも行ける切手」(『断罪!断罪!また断罪!!』収録) というものがあり、この歌詞中の「包帯で真っ白な少女」が綾波レイの元になったというのである。 私自身はバンドブームなるものは伝聞でしか知らず、インターネットで筋肉少女帯を再発見した世代である。当時からのファンならば常識なのかもしれないが、私からすれば情報源が曖昧で真偽不明だった。

 ただ、この件はすぐに片付いた。漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』第2巻の巻末にそれを裏付ける証言が載っていたのである。それは綾波レイのデザインを担当した貞本義行氏の直々の発言である。「その曲を聴いた時のいたいけなイメージ」が綾波レイの性格付けの元となったとのことである。

 ただ、インターネットで聞いた噂話には続きがある。『何処へでも行ける切手』の「包帯で真っ白な少女」にもオマージュ元があるというのだ。 それは丸尾末広の漫画『少女椿』のヒロイン・みどりちゃん。 彼女もまた包帯で真っ白な少女であり、歌詞の元となったという。

 この件は長年、裏がとれずにいた。オーケンは多数のエッセイを書いており、その中に情報源が転がっていそうだが、そう簡単には見つからないだろう。そう思っていた矢先、地元の図書館の本棚の中にオーケンのエッセイが眠っているのを発見した。果たして、そのエッセイ『90くん』(角川書店、2000年) にソースがあったのである。灯台下暗し。それにしても、とんでもない表紙である。よく公費が降りたものだ。

90くん

 答えは107-108ページにあった。件のエッセイからそのまま引用する。

観念的な単語のネタ元をいくつか明かすと"闇の右手"とは古いSF小説「闇の左手」に由来している。"休みの国"とは'70年代のアングラロックバンドの名前を拝借している。問題の"包帯で真っ白な少女"であるが、丸尾末広のマンガによく出てくる包帯だらけの少女たちと、そしてジョルジュ・フランジュ監督の恐怖映画『顔のない眼』の主人公、ケガした顔を隠すために真っ白な仮面をいつもかぶっている少女をモデルとしている。

 丸尾末広作品が由来の一つとあり、それは正しかった。ただ、ピンポイントで『少女椿』と指定されておらず、オマージュ元の丸尾作品の一つではあったかもしれないが、明言はされていない。そもそも、私の知る限り、みどりちゃん自身は包帯で真っ白な少女ではない (包帯で真っ白な男は出てくるが)。 そのうえ、由来が丸尾作品以外にもあった。インターネットの曖昧な噂をソースに知ったかぶってはならないという教訓になった、ということで一件落着である。

 とはいえ、前述の通り、オーケンは多数のエッセイを執筆している。その中のどれかに『少女椿』と名指ししたものもあるかもしれない。みどりちゃん自身は包帯で真っ白な少女ではないが、包帯で首を締められて苦悶する場面はある (もっとも、それはみどりちゃんの幻覚のようだが)。 さらに言えば、オーケン自身がインターネット上を漂う噂以上に曖昧な男である。同じエピソードを題材にしているはずなのに内容が一定しなかったり、話を盛っていたりする。 結局のところ、重要な情報源を発見できたが、インターネットで聞いた話のどこまでが正しく、どこまでが間違っているのかは、私では断言できないというところで落ち着くしかない。

 ちなみに、Wikipediaの綾波レイの項目 (oldid=75162147) によると、『「何処へでも行ける切手」の歌詞は、丸尾末広の漫画「少女椿」の主人公「みどりちゃん」をモデルとしており、さらにこれは森田童子の楽曲「セルロイドの少女」に登場する「みどりちゃん」に由来している』とのことである。「少女椿」の次は「セルロイドの少女」。日本語版Wikipediaにありがちなことだが、出典が全く示されていない。ここまで来ると完全にお手上げである。誰か助けてください。

2019年9月6日金曜日

『DmochowskiGallery.net』の歩き方——ベクシンスキ作品を楽しむ

ズジスワフ・ベクシンスキ画集

 ズジスワフ・ベクシンスキ (Zdzisław Beksiński、1929 - 2005) という人物の名を聞いたことがある方も少なくないだろう。死や荒廃、恐怖に彩られた幻想絵画で有名なポーランドの芸術家である。本邦では「バイオマニエリズム」なるジャンルの作品を集めた画集で取り上げられたこともある。しかし、幻想絵画を始める前は専ら写真や彫刻、レリーフ、デッサンを制作していたことをご存知の方はあまり多くはないのではなかろうか。晩年の頃にはフォトモンタージュやコンピュータ・グラフィックスにも取り組んでいた。そんなベクシンスキの作品を誰でも鑑賞できるウェブサイトが『DmochowskiGallery.net』である。このウェブサイトではベクシンスキの友人だったピョートル・ドモホフスキ (Piotr Dmochowski) がベクシンスキの作品や為人を紹介している。ポーランド語や英語などには対応しているが、日本語には対応していない。極東の我が国は見捨てられたのかと嘆きたくなるが、実はそうでもない (詳細は後述する)。本稿ではベクシンスキの来歴とDmochowskiGallery.netについて簡単に紹介する。ベクシンスキの作品を楽しむ一助になれば幸いである。

ベクシンスキの生涯

サノク (Sanok)

 ベクシンスキは、ポーランド南東の町サノクで生まれた。曾祖父マテウシュ・ベクシンスキ (Mateusz Beksiński) は11月蜂起に参加した人物であり、バス製造会社Autosan (アウトサン) の創業者の1人でもある。ただし、創業当初はボイラー製造事業を営んでいた。ベクシンスキもバスのデザインを行ったことがあるらしい。また、祖父は建築監督、父は測量技師だった。

 1947年、ベクシンスキはクラクフ工科大学に進学し、建築学を学んだ。これは父の方針によるもので、ベクシンスキ自身は映画監督志望だった。当時のポーランドは苦難の歴史を経て荒廃していた。父は建築家になれば仕事に困らないと考えてこの道を強制したが、ベクシンスキはこの仕事を嫌っていた。在学中の1951年に妻ゾフィアと結婚し、翌年に卒業した。復興のための事業として国から現場監督の仕事を強制され、その後、1955年にサノクに帰還した。1958年にはただ1人の息子であるトマシュが誕生する。1977年にサノクを離れ、ワルシャワへ移住した。

 芸術家としてのキャリアは1950年代から始まった。最初は写真家として活動を始め、デッサンや彫刻、レリーフの制作にも取り組んだ。当時、ポーランドで流行していた表現主義の影響も受けていたという。有名な絵画作品とは異なり、初期の幻想絵画以前の作品は抽象的な要素が強かった。幻想絵画の制作は1960年代から始めた。1965年頃に油彩を学び、悪夢のような世界を緻密な筆遣いで描いていった。当時のポーランドが経験した受難に作風の根源を求める人もいたが、ベクシンスキはそのような解釈を嫌っていたという。作品制作に対する姿勢は孤高と形容すべきもので、他の芸術家との交流を拒み、旅行もせず、クラシック音楽を流しながら独りで黙々と創作を続けていった。食物への嗜好もよくある芸術家像とは異なるもので、自然のままのものよりも、肉の缶詰のような加工品を好んでいたという。2000年代、つまり70歳頃にはコンピュータ・グラフィックスの制作を開始していた。旺盛な創作意欲が伺える。

 一方で、その生涯には苦難の影もあった。一人息子のトマシュは1977年の引越しの折、恋人が別の男と結婚するという出来事があったこともあり、自身の死亡通知をサノク中に貼って回るという事件を起こしたことがあった。1998年に母ゾフィアが亡くなり、その翌年の1999年12月24日、鬱病を患っていたトマシュはワルシャワの自宅で自殺した。ワルシャワへの転居以降、トマシュは輸入版映画翻訳者として活動しており、ジェームズ・ボンドやダーティハリー、モンティ・パイソンなどを翻訳した。また、ポーランド・ロック界におけるカリスマ的ラジオDJでもあった。自殺の際には親しかったロックバンドが追悼アルバムを出している。トマシュの経歴のためか、バンド「Collage」 (前述のロックバンドとは別) のアルバムには、ジャケットにトマシュ所蔵のベクシンスキ作品が使用されたものがある。

 妻や息子の死の後も作品制作を続けていたベクシンスキだったが、2005年2月、76歳の誕生日を前にワルシャワの自宅で刺殺された。犯人は2人おり、主犯は当時19歳の少年だった。少年はベクシンスキと古くからの友人だった使用人の息子で、金を巡って犯行に及んだと言われている。孤高の幻想画家の最期としてはあまりにも呆気ないものであったが、それでも至高の作品の数々は今もなお色褪せることがない。

DmochowskiGallery.netを歩く 絵画編

 ベクシンスキ作品をお手軽に楽しみたい我々にとっての強い味方が『DmochowskiGallery.net』である。ベクシンスキの作品を手法や傾向で分類して展示している。資料も豊富に公開されている。まずは前述のリンクを開いてみよう。言語を選ぶことができるが、前述のとおり、選択肢には日本語が存在しない。日本人ならば取り敢えず英語版を選ぶのが無難である。ポーランド語に堪能な方は自分で読んだ方がいい。本稿はポーランド語を英語や日本語に訳した文献を参考に、芸術のげの字も知らない素人が執筆している。

 言語選択の後は2つの選択肢が出てくる。左はベクシンスキの作品紹介ページへ繋がる。右のリンク先では、ベクシンスキではなく別の数名の芸術家の作品が展示されている。本稿では後者のページで紹介される芸術家については詳細に言及しないが、こちらでも興味深い作品を多数閲覧できる。

 左のリンクを選ぶと、待ちに待ったベクシンスキの作品紹介ページに移る。上のメニュー欄の「background music」をクリックするとBGMが流れるという小粋な仕掛けが施されている。順番通りにRoom 1から鑑賞してみよう。最初のRoom 1ではベクシンスキの最初期の作品である1950年代に制作された写真作品が展示されている。大きく加工を施されたものも多い。被写体の多くは故郷サノクの人物らしい。Room 2では1960年代の彫刻やレリーフといった抽象的な立体作品が展示されている。Room 3は1950年代、つまりは写真と同時期に制作された半抽象的な絵画作品が掲載されている。万年筆やボールペン、インク、クレヨンなどで描かれている。Room 4には1960年代に制作されたデッサンが並ぶ。インクやボールペン、鉛筆などで描かれており、1950年代の半抽象絵画の多くと同様にモノトーンだが、性的な表現が強く押し出されている。

 Room 5に掲載されている作品は1970年代、つまり油彩の幻想絵画を制作し始めた後のものであり、こちらは油彩ではなく鉛筆で描かれている。このような線描の作品制作は1980年代前半に一旦停止するが、1980年代の終わり頃に再び取り掛かる。こちらはRoom 6に展示されており、簡素なスケッチといった趣である。Room 7には1990年代から2000年代にかけてのボールペンや水彩などで描かれた絵画が掲載されている。Room 8は時間を遡りって1960年代。モノタイプが少数展示されている。Room 9も同じく1960年代で、こちらはヘリオタイプ。ガラスに黒の塗料で絵を描き、感光紙の上に配置して日光に晒すといった方法で複数枚のコピーを作成した。

 Room 10から13はいずれも油彩の幻想絵画が展示されている。この辺りから一般にも有名な作品が出てくるようになる。幻想絵画にしか興味がないのならば、これらのページを閲覧するだけでも十分かもしれない。Room 10には1968年から1983年の作品が展示されている。生き生きとした色遣いで精密に描かれており、どこか逸話的なものを感じさせる。後半には白黒の作品が並んでいるが、これはベクシンスキが作品完成後に撮影した白黒写真を掲載したものである。現物は国外にあるか、代理店や画廊を通じて販売されたために誰が所持しているか不明であるため、ウェブサイトに掲載できなかったという。Room 11は1984年から1989年に制作された作品が並ぶ。Room 10の頃と比べると落ち着いた傾向にあるとの理由から区別されているらしい。言われてみると、Room 10はRoom 11よりも背景に細々と物が描かれていたり、色遣いが比較的強烈だったりといった違いがあるような気もする。1990年から1994年のRoom 12の絵画はさらに単純化が進み、色も抑え気味である。Room 13は1995年から2005年、つまりは晩年までの作品で、人物が絡み合った糸のようなもので構成されているかのように描かれたものが多い。ここまで来ると、Room 10の頃とは作風が全く異なるのが素人目でも分かりやすい。

 Room 14から16はいずれも、同じテーマで変化を加えたものを複数作るという意図で制作された作品が並ぶ。Room 14は1990年代に制作されたもので、写真複製機を使用している。写真複製機で絵画をコピーして手を加えるという手法をとったが、コンピュータに乗り換えたことで写真複製機はお払い箱になる。Room 15は1990年代に制作されたコンピュータによるフォトモンタージュ作品が掲載されている。Room 16は2000年代、つまりは晩年頃のCG作品である。コピーを50部だけ印刷し、原本のデータは削除するといった流れで販売する予定だったが、計画が進む前に殺害されてしまった。そのため、正規のCG作品はこの世にほとんど出回っていないらしい。仮に売られていたとしたら、非常に稀少な本物、そうでなければウェブサイトから盗ってきた偽物だろう。

DmochowskiGallery.netを歩く 資料編

 このウェブサイトは作品だけでなくベクシンスキ関連の資料も豊富で、音声資料や映像資料も取り揃えている。ただ、日本人の我々にとっては色々と厳しいものがある。そんな極東の民でも楽しめるページを2点紹介する。

 まずは「Reminiscences」。ベクシンスキ本人やその身の回りのものを写した写真が並んでいる。孤高の画家というイメージには合わないものも多い。若かりし頃のおどけたり笑ったりした姿を捉えた写真は必見である。一方で、缶詰やジュースが並んだ様子を撮影した写真もある。妻の死後は牛肉の缶詰やフルーツジュース、コーラ、そうでなければマクドナルドと粗末なものばかり食べていたという。

 ここまで全て外国語のページばかりだったが、実は日本語のコンテンツも存在する。本邦で出版された画集の一部がここで掲載されているのだ。文字が小さくて少し読みにくいものもあるが、質の高い日本語の文献を無料で読めるのだからありがたい話である。ちなみに、詳しく紹介はしないが、画集を出版するにあたっての契約関係の書類まで資料として公開されている。ここまで一芸術家の情報が集約されているウェブサイトは滅多にないだろう。

 ただ、データではなく紙の本が手元に欲しいという方もいるだろう。実はとつい最近にも新装版の画集が出版されている。私も買いました。いくつか誤植があるのが気になるが、手元に画集があるというのはなかなか気分の良いものである。ウェブサイトの低画素数の絵で満足できないのならば購入して損はない。このての画集はいつの間にか絶版になっていたりすることもあるためお早めに。

2019年8月20日火曜日

"The Hands Resist Him"、呪われた絵がeBayで出品された話 (2019年10月13日追記)

この記事をゆっくり解説化しました。宜しければどうぞ。
eBayのオークションで恐怖譚に添えられた写真 (出典: Gilbert)

 eBayとは世界的に利用されているインターネットオークションサイトである。そんなグローバルでハイテックで最先端を行くウェブサイトで、2000年2月に題名通りの時代錯誤な代物が出品されたらしい。今となってはそのオークションのページ (Surfing The Apocalypseによるとhttps://www.ebay.com/itm/251789217?ViewItem=&item=251789217) は消滅しており、情報は断片的にしか残っていないが、次のような「体験談」が添えられていたという。なお、以下に示す訳はあまり正確なものではないため、参考程度でお願いします。

この絵をもらったときは本当にいい芸術作品だと思っていました。ある人からもらったのですが、その絵は古い醸造所に打ち捨てられていたそうです。 そのときは、すごく素敵そうな絵がそんな風に捨てられていたなんて少し不思議だなと思っていました (今はそう思わないけどね!)。 ある朝、4歳と半年になる娘が、夜中に絵の中の子供たちが喧嘩して部屋に入ってくると訴えてきました。 UFOが実在するとかエルビスが生きているなんて話を私は信じませんが、夫は不安を感じました。おかしな話ですが、夫は動きを検知するカメラを夜間に仕掛けたのです。 3日後に写真が撮れていました。最後の2つの写真 ([訳註]上図を参照) はこの「張り込み」のときに撮影されたものです。 絵の中の少年は ([訳註]少女に銃で) 脅迫されて絵から抜け出てくるようです。それを知った私たちはこの絵を手放すことにしました。

 その後に、心臓の弱い人は入札してはならない、購入後にいかなる事象があっても免責されるなどの警告文が続く。確かに不気味な雰囲気を纏った作品ではある。私からすれば扉の後ろの手の方が気になるが、出品者は少女人形の持ち物の方を強調していた。

 しかし、オークションのページにはその後に別の意味でいっそう奇妙な記述が加わる。あの体験談は本気にとらないでほしいというようなことが記載されているのだ。 このオークションのページは、出品されてから数時間のうちにインターネット中を広まったらしい。絵を見てひどく気分が悪くなった、卒倒した、見えない存在に体を掴まれた、絵を見た子供が叫び出したなどという体験談を語る人まで現れたという。少なくとも3万人が閲覧したとのことである。 最初は199ドルだったものが、30日間で1,050ドルにまで膨れ上がったものだから、出品者も肝が冷えたのかもしれない (追記: 再調査の結果、文献によって落札価格や日数が異なることが判明した。詳細は追記にて)。

 絵は最終的にミシガン州グランドラピッズにある画廊Perceptionのオーナーのキム・スミス (Kim Smith) 氏が落札した。 スミス氏の元にはホラーな現象は起こらなかったが、奇妙な電子メールは届いた。ミシシッピ州に住むネイティブアメリカンのシャーマンを称する人物は、絵を見て具合が悪くなり、住居を清めるべくホワイトセージを燃したという。彼は小さな子供がいるような場所に絵を飾らないように警告した。 別の人物はエキソシストのような声を聞き、熱を帯びた突風を感じたという。さながらオーブンのドアの前に立っているかのようだったそうだ。2人の友人が泣きわめき、1分間お祈りを続けたとのことである。 他にも、ジョージア州のゴーストハンターや、ジョン・F・ケネディ大学で超心理学を専攻する大学院生からコンタクトを受けたこともあったという。複製品を求める声もあった。

 落札者は絵から様々な情報を得た。題名はThe Hands Resist Him、作者はBill Stoneham氏。落札者は作者と思しき人物に連絡をつけ、オークションの件について教えた。作者のStoneham氏はこの奇妙な事件に驚いた。どうしてあの絵を子供部屋に飾ったのだろうと不思議に思ったという。

 当時、Stoneham氏はコンピュータゲーム制作会社シアン・ワールズ (Cyan Worlds) に勤めるCGアーティストだった。元来、その作品は1972年頃に制作されたものだった。最初の妻 (VincentによるとRoane、AlfonsoによるとRhoannという名) が書いた詩から着想を得て描いた。絵の題名もその詩からそのまま借りた。

 Stoneham氏は産まれたときから養子に出され、実の両親の顔を知らずに育ったそうだ。妻の詩にはこのことが言及されていた。 当時、彼は古い家族写真のアルバムを持っていた。その中には、シカゴのアパートに住んでいたときの5歳の彼を写した写真もあった。 その頃は、広告業界で働く養父が長い旅に出ており、節約のために養祖母のアパートで暮らしていたのである。狭い場所だったらしく、夜寝るときは衣類でいっぱいのクローゼットの中に敷かれたマットの上に横になるしかなかったという。 こんな生活をしていた頃の写真が、作品のヒントとなった。ただ、その写真そのものは引越しの際に処分してしまったそうである。

 絵の中の少年はその写真中の彼自身がモデルである。少女人形は同じ写真に写っていた近所の少女を元にしている。 扉は可能性への門を意味し、覚醒と夢見とを隔てるもので、手は別の人生の可能性を表すらしい。少女人形は想像上の仲間であり、夢見の世界の案内人でもあるという。ちなみに、出品者が銃と解釈したものはただの乾電池であるという。

 件の絵が描かれた20代の頃はカリフォルニアで暮らしていた。画廊のオーナーCharles “Chuck” Feingarten氏と契約し、1ヶ月に2作の絵を描く仕事をしていた。締め切りが迫る中、子供時代の古い写真と、妻の詩とが画家に閃きを与えたのである。こうして誕生したThe Hands Resist HimもFeingarten氏が購入していった。 ちなみに、Stoneham氏はThe Gatheringという題名の絵も描いたが、Feingarten氏はその作品は買わなかった。あまりにもダークすぎる絵だったからだそうで、Stoneham氏によれば、後にその絵を買ったある男性は発狂して自身の倉庫に火を放ち、刑務所で一生を終えたという。

 その後、The Hands Resist Himは1974年に展示され、映画『ゴッドファーザー』でジャック・ウォルツ役だったジョン・マーリー (John Marley) 氏が購入した。 ロサンゼルス・タイムズ紙の芸術評論家Henry Seldis氏はこのStoneham氏の作品展示について評論を書いたが、1978年、53歳の誕生日の前日に自殺と思しき死を遂げた。離婚問題が原因で抑鬱的な状態だったという。Feingarten氏も3年後の1981年に亡くなった。マーリー氏も同じく3年後の1984年に亡くなっている。 関係した3名が次々と死亡する。さながら、ファラオの呪いのような展開だが、それから絵がどのような来歴を辿ったのかは、Stoneham氏も分からないという。 eBayの出品者の「体験談」がどこまで真実だったのかは定かではないが、廃墟と化した醸造所に放置されていたのは本当だったかもしれない。それすらも法螺話かもしれない。真実は闇の中。

Darren Kyle O'Neill著の小説The Hands Resist Him: Be Careful What You Bid For
映画の紹介映像

 単なる空騒ぎのようにも見えたこの事件だが、思わぬ副産物もあった。この騒ぎがきっかけで、この絵の続編が描かれたのである。 2004年のResistance at the Thresholdでは少年が年老いて描かれた。2012年のThe Threshold of Revelationでは100歳近い老人として描かれているという。少女人形は人間の少女へ転じた。 2017年のThe Hands Invent Himはアメリカの超常現象番組Ghost AdventuresのプレゼンターZak Bagans氏からの依頼で制作された。扉の向こう側で子供の姿のStoneham氏が絵を描いているという前日譚ともとれるものである。 また、Darren Kyle O'Neill氏がThe Hands Resist Himの権利を買い、その来歴から着想を得て小説を書いている。映画にもなるという話である。Gregg Gibbs氏もドキュメンタリーを制作中とのことである。

 塞翁が馬という言葉があるが、出品者がホラー話を書いていたときや、Stoneham氏がこの絵を描いていた頃は、このような展開は予想していなかっただろう。事実は小説よりも奇なりという言葉がよく似合う事件であった。ちなみに、The Hands Resist Himとその続編、元となった詩は騒動の後に設立されたStoneham氏のウェブサイトで鑑賞できる。

参考文献

  1. The Hands Resist Him. Stoneham Studios. 2019年7月6日閲覧.
  2. Vincent, Alice (2018年10月31日). The bizarre story behind The Hands Resist Him, the internet's most haunted painting. Telegraph. 2019年7月20日閲覧.
  3. Alfonso III, Fernando (2013年10月31日). This ‘haunted’ painting has been terrifying people for decades. The Daily Dot. 2019年8月19日閲覧.
  4. Kershner, Jim (2002年10月31日). Painting goes bump in the night. The Spokesman-Review.com. 2019年7月6日閲覧.
  5. Surfing The Apocalypse. 2000年3月12日. 2019年7月20日閲覧.
  6. The Unexplained - The Ebay Haunted Painting. BBC. 2002年7月. 2019年7月20日閲覧.
  7. Gilbert, Rowena. "Hands Resist Him" by Bill Stoneham, The Haunted Ebay Painting. Castle of Spirits.com. 2019年7月20日閲覧.
  8. eBay item 251789217 (Ends Feb-12-00 07:02:28 PST) - HAUNTED PAINTING ----- WARNING AND DISCLAIMER. WhatTheHeck.com. 2019年10月13日閲覧.
  9. HENRY SELDIS, CRITIC AND LECTURER ON ART. The New York Times. 1978年2月28日. 2019年10月13日閲覧.

追記

 この事件に関する情報源にはいくつか矛盾が見られる。Stoneham Studiosによれば、Seldis氏とFeingarten氏はStoneham氏の作品展示が行われてから1年以内に死亡したとされる。しかし、Vincentによれば、作品展示は1974年、Seldis氏が死亡したのは1978年、Feingarten氏が死亡したのはその3年後であるという。本記事では後者の情報を採用した。Seldis氏が死亡した時期については、当時のニューヨーク・タイムズ紙の記事のアーカイブが公開されており、その内容から見ても1978年が確実であると考えられる。

 また、前述のとおり、Stoneham氏の最初の妻の名前も情報源によって食い違う。VincentによるとRoane、AlfonsoによるとRhoannであるという。Stoneham StudiosのウェブサイトではR. Ponsetiと書かれており、イニシャルがRであるという点でどちらとも一致している。

 オークションの開催期間や落札価格についても矛盾がある。VincentおよびBBCによれば30日間で1,050ドルで落札したとされる。しかし、AlfonsoやGilbertの記事では1,025ドルで落札したとあり、Kershnerによると落札者は1,200ドル支払ったという。Alfonsoが情報源としたWhatTheHeck.com公開のeBayのアーカイブでは次のような記述となっている。

  • 最初の入札価格: 199.00ドル
  • 最終落札価格: 1,025.00ドル
  • 入札回数: 30回
  • 開始: Feb-02-00 07:02:28 PST
  • 終了: Feb-12-00 07:02:28 PST
  • 出品者: mrnoreserve
  • 落札者: ionia7
  • 出品者が怪談を真に受けないでほしいと追記した時期: Feb-02-00 at 11:36:21 PST
  • 出品者が2回目の追記をした時期: Feb-11-00 at 21:01:57 PST

つまり、オークションの開催期間はからまでの10日間ということになる。ちなみに、オークションが開始されたのが午前7時頃、出品者がおばけなんてないさと言い出したのが同日午前11時30分頃。5時間も経過していない。 このアーカイブには画像が掲載されていないが、O'Neill氏の小説The Hands Resist Him: Be Careful What You Bid Forの冒頭で引用されているオークションのページのスクリーンショットと一致している (その部分はAmazonで試し読み可能)。

2016年9月9日金曜日

『電車かもしれない』の話

 皆様は「電車かもしれない」という題名の楽曲をご存知だろうか。アニメーションの方は知っているという方が多いかもしれない。少女が奇妙な楽曲に合わせて踊ったり回ったり縄跳びをしたりしているあのアニメーションである。今回はこのアニメーションに関係する話をしようと思う。

 このアニメーションの作者は近藤聡乃氏である。近藤氏は画家であると同時に漫画家でもあり、現在は『ニューヨークで考え中』や『A子さんの恋人』などの漫画を描いている。前述のウェブ漫画のとおり、現在はニューヨークに住んでいるらしい。近藤氏の作品はウェブサイト『Akino Kondoh』で鑑賞することができる。 近藤氏は1980年生まれで、出身地は千葉県である。2003年に多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業している。 件のアニメーションを完成させたのは2002年のことで、近藤氏が大学4年生だったときのことだ。

近藤聡乃作品集
『電車かもしれない』のシーンが掲載されたページもある。
ニューヨークで考え中
ウェブ連載の漫画を書籍化したもの。
A子さんの恋人
ハルタに連載中の最近の作品。

 そもそも『電車かもしれない』という奇妙な題名は、ロック(?)バンド「たま」に在籍していた知久寿焼氏の楽曲に由来する。 『アックス』Vol.42に収録された近藤氏と知久氏の対談によると、近藤氏があのアニメーションを制作した理由には単に「たま」が好きだったということもあったようだ。アニメーションに使う楽曲の候補は「電車かもしれない」と「満月ブギ」の二つだったらしい。近藤氏曰く、どちらもアニメーションにしやすい楽曲だったそうだ。

『アックス』第42号
近藤聡乃氏と知久寿焼氏の対談が収録されている。表紙は近藤氏の作品。近藤氏の作品にはこの少女を描いた作品が数多く見られる。
汽車には誰も乗っていない
汽車には誰も乗っていない
「たま」のアルバム。アニメーションに使用された「電車かもしれない」はこちらに収録されている。同じく収録された「汽車には誰も乗っていない」や「まばたき」もかなりの名曲である。他にいくつかインストゥルメンタルも収録されている。
しょぼたま2
しょぼたま2
こちらにも「電車かもしれない」が収録されているが、近藤氏のアニメ作品に使われたものとは異なるバージョンであるため注意。こちらのバージョンも秀逸。
たま ナゴムコレクション
たま ナゴムコレクション
「満月ブギ」が収録されている。「満月ブギ」は柳原陽一郎氏の楽曲である。同じくたまファンの私から見ても渋い選曲。

 前述の対談によれば、近藤氏は『月刊カドカワ』で連載されていた「たまの百葉箱」が好きだったらしく、知久氏の絵を全て模写していたそうだ。 なお、近藤氏の短篇作品集『はこにわ虫』に収録された「はこにわ三部作」はたまの楽曲「はこにわ」 (柳原陽一郎氏の楽曲) が題材となっている。たまファンは必見である。

はこにわ虫
そのろく
「はこにわ三部作」の元となった「はこにわ」が収録されている。

 前述の対談には他にも昆虫に関係する話も語られている。知久氏はツノゼミなどの昆虫が好きな人物であり、近藤氏も昆虫を題材とした作品を制作している。気になる方は是非とも一読することをおすすめする。国会図書館などを利用するといいだろう。ちなみに、近藤氏は対談中、羽化したての虫について「すごく美味しそう」「チェルシーのヨーグルト味がしそう」という強烈なコメントを残している。

チェルシー

参考文献

2016年9月4日日曜日

立島夕子氏の話

検索してはいけないとかなんとか

 「あたしはもうお嫁にはいけません」という言葉を聞いたことがあるだろうか。この言葉は検索してはいけない言葉として有名な絵画の題名である。 描いた人が自殺したという噂が一部で流れているらしい。確かに不気味な噂が流れても不思議ではない衝撃的な絵画ではある。 実際は立島夕子氏という芸術家のウェブサイト『立島夕子の地下要塞』に掲載されている彼女の作品の一つである。1999年に制作されたものであるらしい。 このウェブサイトには絵画だけでなく、人形や写真の作品も掲載されている。 立島氏は1974年に東京で生まれ、女子美術大学を卒業している。現在は画家であると同時にパフォーマーでもあるという。 今回はこの立島氏について紹介したいと思う。

『あたしはもう お嫁にはいけません』

 件の『あたしはもう お嫁にはいけません』という絵画作品について、ニコニコ大百科の記事「あたしはもうお嫁にいけません」には立島氏のコメントとして次の言葉が掲載されている。

当時24歳、この絵を描いた当時私はある男性に付きまとわれ精神的に危篤でした。その男性の行動と過去の強姦未遂のトラウマが重なり表現された絵です。この絵は全ての性犯罪に対する私の決死の反逆の絵です。

 そう言われてみると、確かにそのような感じのする絵画である。特に描かれた人物の股間の辺りが。しかし、前述の記事にはこのコメントの出典が記載されていない。そこで、このコメントの情報源を調査したところ、『戦慄!世界の心霊・恐怖画像』という書籍であると判明した。

戦慄!世界の心霊・恐怖画像
『戦慄!世界の心霊・恐怖画像』の表紙

表紙には例の作品も写っている。

 『戦慄!世界の心霊・恐怖画像』は題名と表紙を見る限りでは、コンビニか何かで売っている、暇つぶしになれば儲けものといった感じの書籍であるように見える。実際に読んでみたところ、「検索してはいけない言葉」を解説しているような内容だった。不気味な画像の乱立する中には立島氏の作品も含まれていた。 しかし、この書籍の特別な点は立島氏本人による作品についての解説が含まれていることである。それが前述の立島氏のコメントだったというわけだ。 この書籍にはこれ以外の立島氏の作品も掲載されている。本人のコメント付きで掲載されている作品を次に列挙する。

  • あたしはもう お嫁にはいけません
  • 美里自決
    自殺した友人を描いたものらしい。
  • VELVET
    この絵については立島氏はあまり言及したくないらしい。
  • 京曼荼羅
    「Dir en grey」というバンドのボーカルの京を描いたものらしい。
  • 郁枝出棺
    事故死した友人の追悼のために描いた作品らしい。その友人は生前、「円蓮子」と名乗って人形を制作していたという。
  • 柘榴観音

 興味のある方は是非一読することをおすすめする。現在、この書籍は絶版らしく、国立国会図書館を頼るという手段が最も確実である。それにしても、どういった経緯でこのような本に立島氏はコメントを掲載することになったのだろうか。私にはこの書籍は恐怖をカジュアルに消費するためのもののように見えたのだが……。

立島夕子氏本人について

 立島氏は例の絵画が有名だが、舞踏を行っていたこともあるそうだ。 大豆鼓 (だいずこ) ファームという舞踏グループに1年間所属していたことがあったという。渋さ知らズのステージに立ったこともあるらしいが、集団生活に難があって離脱してしまったらしい。 また、役者としての経験もある。漫画家の山田花子氏の作品を題材とする映画『魂のアソコ』で主役の漫画家の役を演じたそうだ。 パフォーマーとしても活躍しているらしく、『BURST』という雑誌の第66号には立島氏のパフォーマンスの様子を撮影した写真が掲載されていた気がする (違ったらすまない) ([追記] 、Amazonの該当ページにて断片的に掲載されているのを確認。色々な意味で過激な内容であるため、閲覧の際は要注意)。

EATER vol. 8
『EATER』vol. 8の表紙

 立島氏はいくつかの雑誌でインタビューに応えている。

 2001年に出版された『EATER』の第8号では、1999年頃に友人として信用していた人物がストーカー紛いの人間に豹変したという事件が起きたと語っている。恐怖で心臓発作を起こして救急車に乗るほどの事態に発展したという。性暴力を受けた経験もあるらしい。これらの事件が有名な「あたしはもう お嫁にはいけません」などの作品に影響を与えている可能性はあるだろう。

 また、『BURST』の第66号では家族関係について語っている。父親は支配的な人物だったらしく、かなり悪い印象を抱いている。一方で母親とは仲が良かったらしく、個展には母親の遺影を飾っているという。立島氏自身については、リストカットの経験があるという話や、セックス依存症であるという話もあった。

 前述の『EATER』では2000年11月に行われた2回目の個展「爆心地のマリア」についての話も語られていた。 この個展の絵のテーマは「原爆」であったという。立島氏が小学生だったとき、担任の教師が原爆のケロイドの写真集を持ってきたことがあり、そのとき恐怖のあまりに写真集を見ないで逃げ出してしまったらしい。そのときの罪悪感から、小学校の図書館で原爆についての書籍を読み漁ったそうだ。 どういうわけか、子供のときから周囲には被爆者が多かったらしい。前述の雑誌では「何か、ずっと10歳の時から広島に呼ばれてるんですよ」と語っている。

 以上で立島氏とその作品の紹介を終わる。ちなみに前述の『BURST』はアングラな雑誌であり、立島氏について詳細を調べたい方は色々と注意することをおすすめする。

参考文献