ズジスワフ・ベクシンスキ (Zdzisław Beksiński、1929 - 2005) という人物の名を聞いたことがある方も少なくないだろう。死や荒廃、恐怖に彩られた幻想絵画で有名なポーランドの芸術家である。本邦では「バイオマニエリズム」なるジャンルの作品を集めた画集で取り上げられたこともある。しかし、幻想絵画を始める前は専ら写真や彫刻、レリーフ、デッサンを制作していたことをご存知の方はあまり多くはないのではなかろうか。晩年の頃にはフォトモンタージュやコンピュータ・グラフィックスにも取り組んでいた。そんなベクシンスキの作品を誰でも鑑賞できるウェブサイトが『DmochowskiGallery.net』である。このウェブサイトではベクシンスキの友人だったピョートル・ドモホフスキ (Piotr Dmochowski) がベクシンスキの作品や為人を紹介している。ポーランド語や英語などには対応しているが、日本語には対応していない。極東の我が国は見捨てられたのかと嘆きたくなるが、実はそうでもない (詳細は後述する)。本稿ではベクシンスキの来歴とDmochowskiGallery.netについて簡単に紹介する。ベクシンスキの作品を楽しむ一助になれば幸いである。
ベクシンスキの生涯
ベクシンスキは、ポーランド南東の町サノクで生まれた。曾祖父マテウシュ・ベクシンスキ (Mateusz Beksiński) は11月蜂起に参加した人物であり、バス製造会社Autosan (アウトサン) の創業者の1人でもある。ただし、創業当初はボイラー製造事業を営んでいた。ベクシンスキもバスのデザインを行ったことがあるらしい。また、祖父は建築監督、父は測量技師だった。
1947年、ベクシンスキはクラクフ工科大学に進学し、建築学を学んだ。これは父の方針によるもので、ベクシンスキ自身は映画監督志望だった。当時のポーランドは苦難の歴史を経て荒廃していた。父は建築家になれば仕事に困らないと考えてこの道を強制したが、ベクシンスキはこの仕事を嫌っていた。在学中の1951年に妻ゾフィアと結婚し、翌年に卒業した。復興のための事業として国から現場監督の仕事を強制され、その後、1955年にサノクに帰還した。1958年にはただ1人の息子であるトマシュが誕生する。1977年にサノクを離れ、ワルシャワへ移住した。
芸術家としてのキャリアは1950年代から始まった。最初は写真家として活動を始め、デッサンや彫刻、レリーフの制作にも取り組んだ。当時、ポーランドで流行していた表現主義の影響も受けていたという。有名な絵画作品とは異なり、初期の幻想絵画以前の作品は抽象的な要素が強かった。幻想絵画の制作は1960年代から始めた。1965年頃に油彩を学び、悪夢のような世界を緻密な筆遣いで描いていった。当時のポーランドが経験した受難に作風の根源を求める人もいたが、ベクシンスキはそのような解釈を嫌っていたという。作品制作に対する姿勢は孤高と形容すべきもので、他の芸術家との交流を拒み、旅行もせず、クラシック音楽を流しながら独りで黙々と創作を続けていった。食物への嗜好もよくある芸術家像とは異なるもので、自然のままのものよりも、肉の缶詰のような加工品を好んでいたという。2000年代、つまり70歳頃にはコンピュータ・グラフィックスの制作を開始していた。旺盛な創作意欲が伺える。
一方で、その生涯には苦難の影もあった。一人息子のトマシュは1977年の引越しの折、恋人が別の男と結婚するという出来事があったこともあり、自身の死亡通知をサノク中に貼って回るという事件を起こしたことがあった。1998年に母ゾフィアが亡くなり、その翌年の1999年12月24日、鬱病を患っていたトマシュはワルシャワの自宅で自殺した。ワルシャワへの転居以降、トマシュは輸入版映画翻訳者として活動しており、ジェームズ・ボンドやダーティハリー、モンティ・パイソンなどを翻訳した。また、ポーランド・ロック界におけるカリスマ的ラジオDJでもあった。自殺の際には親しかったロックバンドが追悼アルバムを出している。トマシュの経歴のためか、バンド「Collage」 (前述のロックバンドとは別) のアルバムには、ジャケットにトマシュ所蔵のベクシンスキ作品が使用されたものがある。
妻や息子の死の後も作品制作を続けていたベクシンスキだったが、2005年2月、76歳の誕生日を前にワルシャワの自宅で刺殺された。犯人は2人おり、主犯は当時19歳の少年だった。少年はベクシンスキと古くからの友人だった使用人の息子で、金を巡って犯行に及んだと言われている。孤高の幻想画家の最期としてはあまりにも呆気ないものであったが、それでも至高の作品の数々は今もなお色褪せることがない。
DmochowskiGallery.netを歩く 絵画編
ベクシンスキ作品をお手軽に楽しみたい我々にとっての強い味方が『DmochowskiGallery.net』である。ベクシンスキの作品を手法や傾向で分類して展示している。資料も豊富に公開されている。まずは前述のリンクを開いてみよう。言語を選ぶことができるが、前述のとおり、選択肢には日本語が存在しない。日本人ならば取り敢えず英語版を選ぶのが無難である。ポーランド語に堪能な方は自分で読んだ方がいい。本稿はポーランド語を英語や日本語に訳した文献を参考に、芸術のげの字も知らない素人が執筆している。
言語選択の後は2つの選択肢が出てくる。左はベクシンスキの作品紹介ページへ繋がる。右のリンク先では、ベクシンスキではなく別の数名の芸術家の作品が展示されている。本稿では後者のページで紹介される芸術家については詳細に言及しないが、こちらでも興味深い作品を多数閲覧できる。
左のリンクを選ぶと、待ちに待ったベクシンスキの作品紹介ページに移る。上のメニュー欄の「background music」をクリックするとBGMが流れるという小粋な仕掛けが施されている。順番通りにRoom 1から鑑賞してみよう。最初のRoom 1ではベクシンスキの最初期の作品である1950年代に制作された写真作品が展示されている。大きく加工を施されたものも多い。被写体の多くは故郷サノクの人物らしい。Room 2では1960年代の彫刻やレリーフといった抽象的な立体作品が展示されている。Room 3は1950年代、つまりは写真と同時期に制作された半抽象的な絵画作品が掲載されている。万年筆やボールペン、インク、クレヨンなどで描かれている。Room 4には1960年代に制作されたデッサンが並ぶ。インクやボールペン、鉛筆などで描かれており、1950年代の半抽象絵画の多くと同様にモノトーンだが、性的な表現が強く押し出されている。
Room 5に掲載されている作品は1970年代、つまり油彩の幻想絵画を制作し始めた後のものであり、こちらは油彩ではなく鉛筆で描かれている。このような線描の作品制作は1980年代前半に一旦停止するが、1980年代の終わり頃に再び取り掛かる。こちらはRoom 6に展示されており、簡素なスケッチといった趣である。Room 7には1990年代から2000年代にかけてのボールペンや水彩などで描かれた絵画が掲載されている。Room 8は時間を遡りって1960年代。モノタイプが少数展示されている。Room 9も同じく1960年代で、こちらはヘリオタイプ。ガラスに黒の塗料で絵を描き、感光紙の上に配置して日光に晒すといった方法で複数枚のコピーを作成した。
Room 10から13はいずれも油彩の幻想絵画が展示されている。この辺りから一般にも有名な作品が出てくるようになる。幻想絵画にしか興味がないのならば、これらのページを閲覧するだけでも十分かもしれない。Room 10には1968年から1983年の作品が展示されている。生き生きとした色遣いで精密に描かれており、どこか逸話的なものを感じさせる。後半には白黒の作品が並んでいるが、これはベクシンスキが作品完成後に撮影した白黒写真を掲載したものである。現物は国外にあるか、代理店や画廊を通じて販売されたために誰が所持しているか不明であるため、ウェブサイトに掲載できなかったという。Room 11は1984年から1989年に制作された作品が並ぶ。Room 10の頃と比べると落ち着いた傾向にあるとの理由から区別されているらしい。言われてみると、Room 10はRoom 11よりも背景に細々と物が描かれていたり、色遣いが比較的強烈だったりといった違いがあるような気もする。1990年から1994年のRoom 12の絵画はさらに単純化が進み、色も抑え気味である。Room 13は1995年から2005年、つまりは晩年までの作品で、人物が絡み合った糸のようなもので構成されているかのように描かれたものが多い。ここまで来ると、Room 10の頃とは作風が全く異なるのが素人目でも分かりやすい。
Room 14から16はいずれも、同じテーマで変化を加えたものを複数作るという意図で制作された作品が並ぶ。Room 14は1990年代に制作されたもので、写真複製機を使用している。写真複製機で絵画をコピーして手を加えるという手法をとったが、コンピュータに乗り換えたことで写真複製機はお払い箱になる。Room 15は1990年代に制作されたコンピュータによるフォトモンタージュ作品が掲載されている。Room 16は2000年代、つまりは晩年頃のCG作品である。コピーを50部だけ印刷し、原本のデータは削除するといった流れで販売する予定だったが、計画が進む前に殺害されてしまった。そのため、正規のCG作品はこの世にほとんど出回っていないらしい。仮に売られていたとしたら、非常に稀少な本物、そうでなければウェブサイトから盗ってきた偽物だろう。
DmochowskiGallery.netを歩く 資料編
このウェブサイトは作品だけでなくベクシンスキ関連の資料も豊富で、音声資料や映像資料も取り揃えている。ただ、日本人の我々にとっては色々と厳しいものがある。そんな極東の民でも楽しめるページを2点紹介する。
まずは「Reminiscences」。ベクシンスキ本人やその身の回りのものを写した写真が並んでいる。孤高の画家というイメージには合わないものも多い。若かりし頃のおどけたり笑ったりした姿を捉えた写真は必見である。一方で、缶詰やジュースが並んだ様子を撮影した写真もある。妻の死後は牛肉の缶詰やフルーツジュース、コーラ、そうでなければマクドナルドと粗末なものばかり食べていたという。
ここまで全て外国語のページばかりだったが、実は日本語のコンテンツも存在する。本邦で出版された画集の一部がここで掲載されているのだ。文字が小さくて少し読みにくいものもあるが、質の高い日本語の文献を無料で読めるのだからありがたい話である。ちなみに、詳しく紹介はしないが、画集を出版するにあたっての契約関係の書類まで資料として公開されている。ここまで一芸術家の情報が集約されているウェブサイトは滅多にないだろう。
ただ、データではなく紙の本が手元に欲しいという方もいるだろう。実はとつい最近にも新装版の画集が出版されている。私も買いました。いくつか誤植があるのが気になるが、手元に画集があるというのはなかなか気分の良いものである。ウェブサイトの低画素数の絵で満足できないのならば購入して損はない。このての画集はいつの間にか絶版になっていたりすることもあるためお早めに。
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