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2021年5月31日月曜日

Creepypasta私家訳『奴らはどこにでもいる』(原題“They're Everywhere”)

作品紹介

 CreepypastaであるThey're Everywhereを訳しました。 Creepypasta Wikiでは“Historical Archive”に指定されています。

作品情報
原作
They're Everywhere (Creepypasta Wiki取得。oldid=957419)
原著者
不明
翻訳
閉途 (Tojito)
ライセンス
CC BY-SA 4.0

奴らはどこにでもいる

「どうにもならないんです、先生。奴ら、どこにでもいやがるんです。俺しか知らないんだ」

「何の話かな、ラリー」

「悪魔だよ!奴ら、どこにでもいるんだ!」

「悪魔について話して、ラリー。どんな見た目をしているのかな」

「革みたいな、てかてかした黒い肌。細長い脚の一本一本に鉤爪が付いている。羽は死神が着る服の布地のよう。それに目だ!」寝椅子の上の男はぞっと身震いする。

「目がどうしたっていうんだい、ラリー」

「その目はデカい。顔の半分が目だ。目のようにすら見えない見た目をしている。数万もの目が集まったような感じなんだ。しかも赤いんだ!」

「分かったよ、見た目の話は十分。どうして悪魔はあなただけをそんなに怖がらせているのかな。悪魔があなたに惹き付けられているのかな。悪魔の何が気に入らないのかな」

「ああ、俺は奴らのことは何でも知っている。奴らは夜に墓場に行き、地面を這い潜って、死体の肉をむしゃむしゃ食らう。奴らは食べ物の中に潜り込んで、ゲロを吐いて毒を盛る。奴らは路肩で倒れている腐りかけの動物の死骸を食べる。奴らはその存在に気付いていない人々の周りを浮遊する。そして、鉤爪を人々の肉に刺し込んで注入するんだ。病気と腐敗と、それから、前に食らったすべての死体の苦痛のすべてを。奴らは不快で忌まわしい生き物で、それで……」

「分かったよ、ラリー。それで、どこで悪魔を見かけるのかな」

「どこにでもだよ!公園では、奴らが家族たちの背後で宙に浮いている。人々には奴らが見えないんだ。それで、奴らは鉤爪を人々の肉に刺し込んで、それで注入するんだ。病気と……」

「分かったよ、ラリー。前もその話をしていたね。今後は週に2回、診察しないといけないね。水曜日と金曜日でいいかな」

ラリーは頷くと、白衣を着た二人の人物に連れられてドアから出る。再びドアが開くと、精神科医の秘書が部屋に入ってくる。

「さっきの統合失調症の方がどうして何も食べようとしないのか分かりましたか」

「ああ。残念だけど、もうしばらく強制摂食が必要になるね。彼は悪魔がどこにでもいて、食べ物に毒を盛っていると思っている。みんなで彼のプテロナルコフォビアを治す方法を見つけないといけないな」

「プテロ……何ですか」

「蝿恐怖症だよ」

2021年5月30日日曜日

Creepypasta私家訳『サンドマンの倒し方』(原題“How to Beat the Sandman”)

作品紹介

 CreepypastaであるHow to Beat the Sandmanを訳しました。サンドマンとは西洋に伝わる精霊の類で、子供の目に砂をかけて眠らせてくるそうな。

作品情報
原作
How to Beat the Sandman (Creepypasta Wiki取得。oldid=1460445)
原著者
RedNovaTyrant
翻訳
閉途 (Tojito)
ライセンス
CC BY-SA 4.0

サンドマンの倒し方

眠らないように起き続けようとして苦労していない?大事な試験のための勉強をしようとして、手つかずのまま週末に先延ばしにしていた締切りぎりぎりの宿題を終わらせ、気づけば午前3時で疲労困憊、なんてことは?もしかして、最近似たような状況になり、助けになりそうなものを探しているところかな。やあ、マイフレンド、君の疲れた心を和らげる処方箋がちょうどある。必要なことはゲームに勝つことだけだ。

ゲームの準備は比較的シンプル。必要なものは砂時計、蝋燭、マーカーだけ。ここではっきりさせておこう。必要な砂時計は1時間計ることができるタイプだ。シリアルの箱から引っ張り出してきたようなボードゲーム用の30秒間しか計ることができない安物は駄目だ。ゲームを始める前に、砂時計の性能を確認しておこう。砂が上から下にすべて落ちきるまでに1時間か少し長いくらいかかれば合格だ。わずかに長くかかるくらいだと良い。ただ、長くかかりすぎるか、短すぎると、ゲームの最中に厄介な問題にぶち当たることになる。ゲーム中は部屋に完全に自分一人しかいない状態にする必要もある。

ゲームの準備ができたら、封鎖できる部屋を選ぶこと。単に出入口や窓を閉じることができる部屋であればいいという意味だ。事前に部屋から時間を計るデバイスやアラームの類を撤去しておく必要がある。そうしないとゲームは始まらない。砂時計だけが時間を計ることができる道具になる。だからこそ、精確な砂時計を持っていることが重要になる。電子ディスプレイがあるものも撤去した方がいい。テレビや携帯電話、コンピュータのモニターなどだ。ゲーム中にこのようなものを部屋に残しておくとひどく不利になる。

午後8時にゲームを始めるとする。まず、部屋を封鎖する。カーテンを閉めて外からの光を遮り、それから、片腕の手の甲に単純化した砂時計の絵を描く。どの手に絵を描いたかよく覚えておこう。ゲーム中は大抵、部屋が暗くなっているからだ。蝋燭を持ち、火をつけ、部屋の明かりを消す。前述の三つの必要なものを近くに集めておき、床に座る。そして、砂時計をひっくり返し、砂が空っぽの下半分へ落ちるようにする。光源は蝋燭だけになるはずだ。

それから、次のような言葉を大声で叫ぶ。「私は疲れていないから眠りたくない」目を閉じて10数え、それから目を開ける。はっきりとは分からないだろうが、部屋のどこかに影のような人の輪郭が見えるような気がしてくるだろう。このとき、ゲームが始まっており、ゲームの相手は睡眠の支配者サンドマンその人に他ならない。サンドマンを怒らせてはならない。話しかけてもいけない。君はサンドマンに異議を唱え、ある意味ではその職務を侮辱したわけだから、サンドマンは控えめに言っても上機嫌とは言えない。

ここからがゲームの本番だ。君の任務はできるかぎり長く起きていること。最長8時間で、午前4時までかかることになる。1時間ごとに砂時計をひっくり返し、ゲームを続けられるようにしなければならない。砂時計をひっくり返すたびに、マーカーを持って腕に印の線を引いていい。どちらの腕に印をつけるかの詳細は後で説明する。砂時計をさっさと8回ひっくり返すとか、腕にただ8本線を引けばいいとは考えてはいけない。1時間が順番に経過していくことが「魔法」が働くのに必要だ。砂粒の最後の一つが落ちる前に砂時計をひっくり返し損ねたり、万が一眠気に屈してしまったりすると、敗北になる。

ゲームの間、サンドマンはできる限り多くの策を展開してくる。君を眠らせるか、屈服させるためだ。ほら見て、砂時計の下半分は常にサンドマンの力を表している。砂が下半分に多く入っているほど、サンドマンの影響力は強くなる。ゲームを開始してほぼすぐに、君は眠気を感じ始める。これは単にサンドマンが出現しているためだ。もし、眠気に抗えないならば、すぐにゲームをやめることだ。最初の1時間は、サンドマンはそれほど多くのことはしてこない。部屋中を歩き回るかもしれないが、君の体に触れてきたり、話しかけたりはしてこない。サンドマンに話しかけようとしても (そんなことは本当にやめた方がいいが)、反応してこないだろう。

また、その場を離れてサンドマンに近付いてはならない。近付けば近付くほど、さらに眠くなる。それに、蝋燭の近くにいないと、サンドマンは君が眠ることができるように蝋燭の火を消してしまう。ゲームの最中に気を逸らしてはならない。どれほど時間が経ったかすぐに分からなくなってしまうし、時間通りに砂時計をひっくり返すのを忘れてしまう。サンドマンは時間がどれほど経ったかという認識を歪めることもできるが、砂時計に影響を与えることはできない。だから、集中力を保ち続ければ、ゲームに勝利する絶好のチャンスが生まれる。ちなみに、部屋を出ようとすると、ドアはすべて施錠されており、窓からは見える限り晴れることのない暗闇ばかりが広がっている。

最初の1時間が経過すると、サンドマンは君を嘲笑ってくるかもしれないが、部屋に留まり続けようとする。このとき、サンドマンは策のタネを引っ張り出してくる。サンドマンは君を手強い相手だと見なしているのだ。オルゴールやハープの音が聞こえるようになるかもしれない。最初は遠くから、しかし、徐々に聞き取れるくらいの大きさになり、心地よい音色になっていく。目を閉じて聞き入りたい衝動に抗わなければならない。

そのときのサンドマンの気分によって変わるが、2、3時間近くになると、君の体は疲れを感じるようになる。このころになると、サンドマンが様々な声を使って話しかけてくる。幼い少女の柔和な声、祖父母の思慮深げな甲高い笑い声、それかおそらくは愛してやまない聞き覚えのある母親の言葉。その声はサンドマンとそれほど長く渡り合ったことを、ゲームに勝つために日夜眠らずに過ごしたことを祝福しようとする。子守歌やわらべ歌の囁きで頭がいっぱいになる。ただ、君は馬鹿じゃないはず。何も言うな、声は無視しろ。どれほど本物のように思えても、声に耳を傾けるな。眠りに落ちるな。

どうにか半分まで辿り着き、腕に四つ目の印を書く頃合いになると、君はまさしく疲れ果てているだろう。そして、サンドマンもまさしく腹を立てている。サンドマンはいっそう周囲の環境を操作し始め、新たな戦術で君を眠らせようとする。安静に寝付かせようとするのではなく、攻撃を仕掛ける。幻覚を使ってくるのだ。どこからともなく差し込まれたスポットライトで照らされた、天井からぶら下がった死体という恐ろしい幻影が見えるようになる。部屋の大きさが変化し、縮んで、それから広がり、また縮んで、そして広がるなんてことが起こるかもしれない。耳の中に響いていた囁き声が、目に見えないものから発せられる叫び声に変わり、君の顔の方に浴びせかけてくる。

衰弱し、睡眠不足にもなっていることで、君に残されたエネルギーはサンドマンが一気に仕掛けてくる恐怖によって使い果たされるだろう。突然にアドレナリンが迸るかもしれない。もちろん、サンドマンは抜け目ない。サンドマンは頃合いを見計らって幻覚を仕掛けてくるため、単に気にかけているだけでは次の1時間までもたない。サンドマンは待ち続ける。そして、君の感情がさらに1段階落ち着くと、そこでバン!腐敗した両足が君の目の前でぶら下がってくる。君は叫びたいだけ叫んでもいいし、サンドマンにやめるようにお願いしてもいい。でも、そんなことをしても活力が減るだけだ。

6時間が経つと、幻覚は恐ろしいものにも心地よいものにも変わる。サンドマンは君の脳を引っ張り出して、どんな悪夢を見たときに冷や汗を沢山かいたか見つけ出す。一方で、君を眠りに誘い、君は十分我慢したから休んだ方がいいと言ってくる幻覚もある。心地よい暖かなベッド、いちばん柔らかい毛皮と羽毛でできた枕。ハープとオルゴールが君の聴覚に負担をかける。君の今の状態では、眠るためのチャンスを歓迎してしまうかもしれないが、気を取り直せ!砂時計を見てきたか?サンドマンの恐怖で気を逸らさないようにしろ。これがサンドマンに話しかけてはいけない理由だ。些細な情報でもサンドマンに渡ってしまうと、君への対抗策に使ってくるのだ。

このとき、電子ディスプレイも大きな問題になる。電源があろうがなかろうが、勝手にスイッチが入る。万が一、ディスプレイに映る人を惑わす幻影を長く見すぎると、瞼が落ちて、体が床に倒れてしまう。画面を見えないように別の方向に向けていても、サンドマンが君の方に向きを戻してしまう。そうして、画面がよく見えてしまうわけだ。

カーテンが開いて、輝かしい夜明けや、綺麗な青空が見えるかもしれない。でも、この部屋の中で真実を示しているのは、君の腕の印と砂時計だけだ。腕に八つ目の印が書かれるまで、ゲームが終わることはない。力を振り絞って砂時計をひっくり返せ。このときには、サンドマンの影響のせいで、砂時計をひっくり返すだけでもかなりの骨折りになっている。マーカーで腕に線を引け。たとえ、ナイフで自分の腕を切り裂いているように見えたとしてもだ。

最後の1時間になると、サンドマンは直接君に話しかけてきて、単純そうな質問をしてくる。でも、このときの君では、2足す2が何かすら頭に浮かばないだろう。質問は頭から追い出すのに最も難しいものだ。だから、質問が頭に入らないようにしろ。耳を塞げ、ただ砂時計だけ見ていろ。目を開きっぱなしにしろ。眠りに落ちるな!質問が頭の中に入れば、質問について考え始め、さらにストレスがかかり、わずかに残っていた心の中のものも使い果たすことになる。何かが肺を圧し潰しているかのように、それか、空気が濃くなって取り込みにくくなっているかのように、呼吸がしにくくなるかもしれない。また、サンドマンが暴力に走り、君を掴んで投げ飛ばしてくる。君は時間切れになる前に、砂時計の元へ這って戻ることになる。サンドマンの顔を一目見てしまうと、あまりにも恐ろしくて目が閉じられなくなるほどの悪夢になるかもしれない。そこには区別できる顔のパーツはない。血走った二つの目を除けば。眼窩から瞼が切り取られており、絶え間なく君を見つめ続けるのだ。

8時間が経過しきる前に耐えられなくなったら、砂時計を手に取って全力で壊せ。ゲームを終わらせるには上下両方の部分とも壊す必要がある。そのためにも、砂時計はガラス製が望ましい。7時間が経過すると、砂時計を壊す余力などない。そうなれば、ゲームを続けるか……夢に降伏するかのどちらかだ。ゲームをこの方法で終わらせると報酬はないが、サンドマンの激怒を免れられるという慈悲はある。眠りに落ちることなく8時間を終えることができれば、砂時計を再びひっくり返す必要はない。ただ腕に八つ目の印を書いて、目を閉じてしまえばいい。

ゲームが終わったとしても、まだ眠ることはできない。最後の仕事が残っている。必要なのはただ待つことだ。サンドマンが砂時計を拾い、「お前はもう立派に成長した。眠りたいときに眠るがいい……」と言うのを待つのだ。目を開けてみろ。そうすると、砂時計が無くなっており、蝋燭の火が消えている。そうなれば、君は倒れて眠ってしまうかもしれない。きっかり12時間眠ることになる。ゲームは君の精神と肉体に重い負荷をかける。だから、回復は必要だ。

ただ、これが必要になる最後の睡眠だ。少なくとも、その長さの眠りは。なぜならば、一度十分に回復すれば、君の腕に刻んだ印の分の時間だけ起き続けられるようになるからだ。普段の睡眠の時間によるが、必要になるのは短時間の昼寝だけになるということだ。大抵の人にとっては1時間か2時間でよくなる。一部の人にとっては、二度と眠る必要がなくなる。もちろん、望めば長く眠ることもできるし、夢だって見られる。ただ、疲労がつきまとってくることは一切ない。なんて生産的!

ただ、甘い話ばかりではない。砂時計の絵を描いていない方の腕に印を付けると、逆にさらに睡眠が必要になる。逆の腕に一つ印を付けるごとにきっかり1時間の睡眠が必要だ。一日中活動し続けるのに、さらなる休息が必要になる。砂時計を描いた腕に印があれば、逆の腕の印を取り消せる。でも、そうでなければ、あれほどの苦痛を経験したのに残るのは……前よりもひどい結果だけ。ゲーム中の錯乱状態やら何やらで、普通の人が砂時計の絵のある腕にすべての印を書くというのは起こりそうにない。

敗北する状況もある。砂時計をひっくり返し損ねると、サンドマンが全力を獲得する。そして、サンドマンが指をパチンと鳴らすと、君は床に倒れ伏してしまう。砂時計をひっくり返し損ねたか、疲れに屈したか、どのような経緯で眠りに落ちたとしても、回復のために12時間眠ることになる。ただ、そのときの睡眠は今までで最悪のものになる。サンドマンがそのように仕向けてくるのだ。最悪の悪夢が君の精神に溢れ出し、抜け出すこともできず、冷や汗いっぱいで目が覚めるなんてことも許されない。できることは何年も続くように感じる夢の責め苦に耐えることだけだ。

そして、翌朝に意識を取り戻すと、君は部屋の床に倒れ伏している。腕に印はまだ残っている。そして、かつて瞼があったところから血が流れ出す。君は目を閉じて眠りたくないと言った。サンドマンはただその願いを叶えてやっただけなのだ。

2021年5月27日木曜日

Creepypasta私家訳『ストレンジャー』(原題“The Strangers”)

電車の写真

"Old Street London Underground Station" by Annie Mole is licensed under CC BY 2.0.

作品紹介

CreepypastaであるThe Strangersを訳しました。 Creepypasta Wikiでは“Suggested Reading”や“Historical Archive”に指定されています。『きさらぎ駅』を代表とする異界駅ものに近い要素がある作品です。

この作品で固有名詞として使用される“Stranger”は、一般には「よそ者」、「見知らぬ人」、「他人」などを意味する普通の英単語です。 本邦の義務教育の範囲でも、道案内の表現を習うときに“I'm a stranger here.”というような用法で出てくると思います。 日本語に訳すとしたら、上手く日本語の一般名詞に置き換えるとそれらしくなるでしょう。“Stranger”の多義的な意味合いを取りこぼさない訳が思いつかなかったため、片仮名表記の「ストレンジャー」という日和った表現に落ち着きましたが……。

それ以外でも色々と苦しい訳です。翻訳が上手くいかないときは、小難しい言い回しになりがちです。 悲しいかな、この訳にはそんな箇所が随所に見られます。改善案があればご提案いただけると幸いです。

作品情報
原作
The Strangers (Creepypasta Wiki取得。oldid=1369158)
原著者
不明
翻訳
閉途 (Tojito)
ライセンス
CC BY-SA 4.0

ストレンジャー

俺の名はアンドリュー・エリックス。昔はニューヨークという都市に住んでいた。お袋の名はテリー・エリックス。電話帳に名前が載っている。あの都市のことを知っているなら、電話帳を読めばお袋の名が見つかるはずだ。お袋にこの文章を見せないでくれ。ただ、俺はお袋を愛している、帰ろうと頑張っていると伝えてくれ。お願いだ。

事の始まりは俺が25歳になった頃、仕事にバックパックを持っていくのはもうやめようと決意したときのことだ。バックパックを背負うのをやめればもっと立派に見える。高校生のようにどこへ行くにも本を詰めたバッグを持っていくなんてしなければよかった。そう思っていた。バックパックを卒業すれば、午前・午後と地下鉄に乗るときの読書をやめることになる。ペーパーバックをポケットに押し込むなんてできないからだ。手提げ鞄はお門違い。俺は工場勤めだったからだ。メッセンジャーバッグはいつ見ても、よく分からんが、ゲイっぽいと思う。パースみたいで好みじゃない。

俺はMP3プレイヤーを持っていた。暇つぶしに役立ったが故障した。手動で次のトラックにスキップしないと、歌が終わったときに勝手にシャットダウンするようになってしまったのだ。こうしてMP3プレイヤーもやめた。だから、毎朝、地下鉄に乗って、無限にだらだらと続く30分間を過ごすとき、乗り合わせた乗客を見るしかやることがなかった。俺は少し恥ずかしがり屋だから、人を見ているところを見られたくなかった。それで、こっそりと人間観察することにした。とても面白いことに、自分だけが公共の場で居心地の悪い思いをしているわけではないとすぐに分かった。

人間は様々な方法で居心地の悪さを隠す。でも、俺はそれを見抜けるようになった。頭の中でそういう連中を分類分けした。まず、そわそわと落ち着きのない奴がいた。こういう連中は居心地よく過ごせず、常に手を動かしたり、重心を変えたり、座席に座るときに脚を前後に揺らしたりしている。いちばん目立って神経質なタイプだ。他にいたのが狸寝入りする連中で、座席に座ると、その瞬間に目を閉じる。ただ、そいつらのほとんどは本当は眠っていない。本当に眠っていれば、もっと体が動くし、電車が止まったときや大きな騒音で急に目を覚ましたりする。狸寝入りの場合、座席に座った瞬間から、電車が目的の駅に入る瞬間まで続く。それと、MP3プレイヤー中毒者、何かとノートパソコンを開く奴、集団で乗って大声でペチャクチャやる連中。携帯中毒者はすごくたくさんいた。そうでなければ、1度に2分以上携帯をしまい込むことが全くできないのだろう。

ちょうど人間観察に我慢できないほど退屈しかけていたとき、最初の不調和な存在を見つけた。中年っぽい男性だ。茶髪で、中肉中背で、普段着。奇妙なことに、その男はあまりにも普通すぎるように見えた。際立った特徴がなく、独特の癖もなく、大衆に消えゆくように設計されたかのようだった。男の存在に気付けたのは、俺が人々が地下鉄でどう行動するかを意図的に見ようとしていたからだった。その男は全く何もしていなかったのだ。何かに反応することもなかった。テレビの前に座り、魚のドキュメンタリーを見ている人を眺めているみたいだった。興奮しているわけでも、何かに忙しいわけでも、よそ見をしているわけでもない。存在するが、どこにもいない。

男は午後に地下鉄に乗っていた。人間観察を始めて1か月以上たって、初めて俺の目を引いた。俺は毎日同じ電車に乗っていたわけではないし、意識的に同じ車両に乗っていたわけでもなかったからだ。俺が男を最初に見かけたのは月曜日だったはずだ。2回目は同じ週の木曜日。男は明らかに同じ電車、同じ車両に乗っており、座席すら同じだった。強迫性障害か?そのときはそう思った。初めて男に意識を向けて以来、次からはもっと熱心に男を観察した。率直に言えば、男は徹底的に不安感を抱かせる奴だった。男は全く何もしなかった。何が起こっても、例の座席に座り、無表情で、頭をまっすぐにしていた。女が泣いている子供を連れて同じ車両に入り、男のちょうど後ろに座ったときも、全く何もしなかった。振り向いたり、不快感に眉をひそめたりもしなかった。それに、例のガキはクソやかましかった。

電車が目的の駅に着くまでに、俺は吐き気がすることに気づいた。車両から出たとき、ニコチンの発作のときのように手が震えた。あの男は何かが「おかしい」。奴はきっとある種の怪物だと思った。社会病質者で、たぶん、ああいう静かな奴の中には、冷凍庫に女の首を1ダースほど隠している奴がいる。最初の犠牲者はそいつの母親だ。

気が付くと、午後の仕事を終えた後にわざとグズグズと過ごすようになった。何も買うつもりがなくても、地下鉄の近くのモールにあるキオスクに立ち寄って商品を眺めて過ごした。数週間、俺はあの地下鉄に乗るのを避けた。電車が到着するときにその駅にいたときは、奴を見かけた車両からなるべく遠い車両を選ぶようにした。

そして、ある朝、頭の中で同じように警鐘が鳴る別の人物を見かけた。

そいつは女で、地味な外見であり、周囲の大騒ぎしている連中とは場違いな風だった。後で気づいたが、その女を認識したその瞬間、それが俺の執着が始まったときだった。俺の人間観察は、退屈しのぎのためのちょっとした趣味として始まったが、ついには俺にとっての信仰のようなものになった。地下鉄やバスに乗るときに、全員を調査し、頭の中のチェックリストを埋めずにはいられなかった。無地の簡素な服?ブランド物を持っていない?チェック。無表情?窓や他の乗客を何気なく一瞥することがない?チェック。バッグ、パース、アクセサリーがない?チェック。チェック、チェック、チェック、また1人出やがった。俺は連中を「ストレンジャー」と呼ぶようになった。

俺は毎日、ストレンジャーを見かけたわけではない。必要以上に地下鉄に乗るようにし始めた後でさえもだ。夕方につい寄り道してバスに乗ってしまうときでさえもだ。しかし、連中はそこらにいた、かなり頻繁に。連中を一人見かけると、歯が浮くような感じがし、手のひらが汗だくになり、喉が渇くようになった。スピーチをした経験があるならば、この感覚が理解できるかもしれない。連中は俺にほんの少しも注意を払わなかったが、自分は連中の見世物になっているような感じがした。俺にとって連中は一目瞭然だった。どうして連中が俺を見逃そうものか。

それでも、連中は俺が見分けられるような行動はしなかった。そして、ついに俺の好奇心が恐怖を押さえつけ、俺は連中の1人を尾行することにした。最初に発見した奴を選んだ。午後に地下鉄に乗っていた、いつも同じ座席に座り続ける男だ。俺は奴の後ろの席に座った。終点まで来ると、奴は立ち上がり、歩いて電車を出ていった。俺もそれに倣った。距離をとってついていったが、奴は遠くへは行かなかった。奴は近くのベンチに座った。いつも通りの無表情だ。俺は角を曲がって待機し、無関心を装った。数分後、次の地下鉄が到着すると、奴はそれに乗り込み、同じ座席に座った。再び尾行する度胸はなかった。

奴はどこにも行っていなかった!ただ終点まで地下鉄に乗り、その後どうしたか?また電車に乗った?あの男は、いや誰であってもどうしてそんなことを?後に来た電車に乗って家に帰り、いくらか休もうとしてからずっと経った後、この謎に悩まされた。理解できるようになるまで放っておくことはできなかった。気づけば、俺はさらに混乱していた。今や徹底的に腹を立てていた。あの薄気味悪い野郎、あのほとんど非人間的な人物が、どうして地下鉄で行ったり来たりして、どこへも行かないんだ?以前読んだことがあるが、精神というものはある種の事物を忌避してしまう。それを見ることそのものが人を傷つけるからだ。クモは多くの人々にその作用を引き起こす。特に大型のものは。クモは我々にとって具合が悪く、異質に見えるのである。それこそがストレンジャーが俺に作用し始めた影響だった。連中は俺の感覚を傷つけていたのだ。

翌日、俺は再びあの男を尾行した。その次の日も。毎日、少なくとも1週間は、一緒に静かに行程を供にした。俺だけが知っている行程を。週末、俺は奴を数時間尾行した。夜、終電が俺のアパートのブロックの近くに止まったときまで、奴を追い続けた。電車に乗って都市の端から反対の端へ、そしてまた逆戻りした。もはや人間観察はしていなかった。人物観察、ストレンジャー観察だ。俺は他の誰も見ていなかったが、行く先で周辺から少なからず困惑した一瞥を送られていたことに気づいた。それを除けば、俺たち二人だけがこの星で唯一存在する人間だった。後は知ったことじゃない。

翌週、俺は仕事をクビになった。部長は親切で、内気な人だったが、強固な性格でもあった。俺は集中力を欠いていた。どこにいてもとても生産的とは言えない状態だった。それはたいそうな演説だったと思うが、聞くのもやっとのことだった。俺が考えることができたのは新しい仕事のこと、つまりは奴への見張りだけだった。地下鉄にいたあの男、いや、あれは俺の目が届いていないときは何をするだろうか?その日の昼に最後の仕事を終えた。普段は、標的の尾行を始めるのは5時30分だったが、奴が俺を待っていると確信していた。今、俺はあの日のことをもっと気にしていればよかったと思っている。その日は晴れていたか?とにかく夏だった。下町をうろつけたし、何人か可愛い女の子と遊べたかもしれない。戸外カフェでアイスカプチーノを飲んで煙草を吸い、それから家に帰って、肥大化する執念を頭の中から追い出せたかもしれない。新しい仕事を見つけ、また電車やバスの中で読書をするようになったかもしれない。

しかし、そうしなかった。代わりに、俺は待った。複数の電車が上ったり下ったりしていた。つまり、俺は駅に少なくとも1時間はいたことになる。俺は駅で待ち続けた、窓からあの男を見つけるまでは。俺は電車に乗り込み、そして初めて気が付いた。自分の肌が汗でべとべとしておらず、手は震えておらず、心臓は激しく鼓動を打っていないことに。初めて俺はあの奴の真向かいの座席に座った。奴の視線を直接受ける場所だ。奴の表情の変化を見ようとした。俺のことを認識したか?そうであれば、俺はその兆候を見逃したということだ。だから、俺は奴をじっと見た。これで間違いなく相棒になったはずだ。午後、向かい合わせの座席に座り、お互いをじっと見つめている。怒りが湧き上がって俺の顔をゆがめないようにするのが難しかったが、どうにか奴と同じくらいにじっとして、無表情でいることができた。内心では、奴に対して叫び声を上げていた。俺に反応しろ、このマヌケめ!俺を見ろ、畜生。俺はお前が何なのか知っているぞ!

しかし、そうならなかった。俺の内なる望みに答えが出ることはなかった。最初の行程も、2回目も、3回目も、10回目も。夜まで俺たちは一緒に電車に乗った。終点に一緒に辿り着き、一緒に待った。ベンチですぐ隣に座り、横目で奴を見ていた。それでも、奴から何も分からなかった。ただ、二人で相手が仕掛けたのと同じゲームをすることはできた。

ついに、最後の行程になった。俺は奴に一緒にいさせた。こうなることを知っていた。夜の最後の行程が終われば、電車は運行を終える。いつもはその時点で奴が立ち去るのを放っておいた。終点から自宅までは長い道程になり、地下鉄と同時にバスもなくなるからだ。しかし、このときは、奴の後をつけることにした。とうとう、電車が止まった後の奴を見ることになる。何らかの答えを得ることになるはずだ、多分。

電車は進んでいき、期待が膨らんでいった。徐々に車両の中から人がいなくなり、都市の地下を黙って互いを見つめあう男二人だけが残された。俺は自分に鞭打ち、男と向き合って熱狂的な笑みを浮かべ続けた。電車は速度を下げて徐行になり、やがて止まった。終点だ。

ストレンジャーは動かず、いまだに何にも反応しなかった。車両は静止しており、ドアが開いた。少数の残っていた乗客たちが俺たちを残して駅を出てどこかへ行く音がかすかに聞こえた。足音が静寂の中にこだました。何の反応もない。寝ぼけた人がいれば終点へ到着したことがわかるように、スピーカーシステムから音が鳴り出した。まだ何の反応もない。そしてとうとう、再び足音が聞こえた。車掌か何かが車両1台1台に頭を突っ込み、夜間に電車を置いておくどっかしらに向かわせる前に、車両が空っぽであることを確認していた。俺は黙りこくった獲物から目を逸らさなかった。

ついに車掌が俺たちのいる車両に来たとき、その姿が横目からどうにか見えた。車掌がのぞき込むと、当て所のない視線が俺たちの上を漂い、顔には当惑した表情が浮かんだ。車掌は数回瞬きすると、硬直した。俺は車掌が話しかけてくるのを待った。一瞬が間延びしていったが、やがて、車掌はわずかに首を振ると、俺たちを置いて立ち去った。俺たちの前方にも車両があり、車掌が同じように確認のために立ち止まる音が聞こえた。それから数分後、電車は再び動き始めた。しばらく電車が進み、そしてぐるりと一周りすると、電車が止まった。俺たちの座っている方の窓からたくさんの電車が見えた。逆側の窓からはもっとたくさんの電車が見えた。

そして、男が俺に微笑みかけた。それは少し唇を曲げただけで、つい数時間を奴の顔面の研究に費やすことがなければ気づかなかっただろう。「そうして」奴は粗野なバリトンで言った。「ここまで来たわけだ」

俺は反応しようとしたが、すぐにはできなかった。俺の喉はきつく締まっていた。恐怖でいっぱいだった。俺たちのいる地下道全体が崩落して俺の体に落ちてくるような気分だった。俺は咳払いをしてどもりつつも、ついには濁った声で、その夜に思い続けていた疑問を投げかけた。俺を半ば狂気に引きずり込み、この場所、この瞬間に導いた疑問だ。「お前は何なんだ?」

奴は俺を無視した。奴が立ち上がると、電車のドアが開いた。そして、衝撃的なことに、俺に顔を向けた。「来るか?」奴は答えを待たず、歩いて電車を出てプラットフォームの方へ行った。俺は急いで後を追った。「おい、畜生!」俺は叫んだ。「俺と話せ。お前は何者なんだ?何なんだ?どうしてクソ一日中地下鉄に乗ってるんだ?」奴は振り返らず、歩みを緩めることもなかった。俺には奴の顔が見えなかったが、奴はこれまで何にも反応しなかったように、俺にも全く反応していなかったと確信している。俺は奴の後を追って、しばらくわめき続けたが、とうとう諦めた。奴から引き出せるはずだったものは「そうして」とか「来るか?」とかいった少しの言葉だけで終わったようだ。

俺たちはプラットフォーム沿いを進み、十字路に出ると、角を曲がった。このとき、俺たちは周囲の電車と直角をなす位置関係にあった。進んでいた道は上からの照明があったが、果てが見えなかった。片側の電車は見える限り無限に続いていた。一都市で運行するにしてはあまりにも多すぎる数の電車があることに俺は気付いた。そのときは重要性がなさそうだった。ただ、それでもおそらくはもっと注意を払うべきだったのだろう。

どれほど歩いたのかはっきり分からない。そのときは腕時計をつけていたが故障した。あるとき携帯を取り出したが、何の反応もしなかった。ただ「信号なし」と表示されるだけだった。ストレンジャーは時折立ち止まり、1・2分間、電車を見つめて、それから通り過ぎた。奴の行動の理由を理解するのに時間がかかったが、ついには電車がどれも同じというわけではないことに気付いた。長い電車の行列はどれも似たり寄ったりに見えたが、その行動のときは異なるモデルに出くわしていた。少し大きかったり小さかったり、わずかに形状が異なったりしていた。操縦室、つまりは前方の車掌がいる場所が見た感じ違ってもいた。男が何を探していたのか、そのときも今も分からずにいる。ただ、確実なのは、最後に奴は探し物を見つけ出したことだ。なぜなら、俺と奴が再び角を曲がった後、俺の即席ガイドが電車の前で立ち止まったとき、そのドアが開いたからだ。俺と奴は中に入って、座席に座った。

「もう喋る気になったか」俺は奴に聞いた。答えはなかった。俺は苛立ってため息をつき、しばらく奴の顔を殴ってしまおうか真剣に勘案していた。すると、突然に車内の照明がつき、エンジンがかかる音が聞こえた。「何なんだ?」

男は悲しそうな顔をしていた。「もう戻ることはできない」

「何の話だ?どこへ戻るって?」再び反応なし。無視しやがって、お前は壁か何かか、この畜生が!電車はよろめいて動き出し、俺たちが来た方とは逆向きに進み出した。思うに、電車の無限のパレードのせいで俺の方向感覚は麻痺していたのだと思う。電車は数分間進み、駅が近づくと減速し始めた。奴の空虚なまなざしが鋭くなった。俺がいた方に向いているだけだったときと比べると、初めて奴が俺を見つめているという感覚を味わった。

「じっとしていろ。静かにしていろ。奴らの注意を引くな」

電車が止まり、ドアが開き、人々がなだれ込んできた。最初に何を認識したかは分からない。奇妙な服か、腕があまりにも長くて手が床をなでそうなほどだったことか、漆黒の目とやせこけた顔か、青灰色の肌か。俺の目にそんな刺激的なものがいっぺんに飛び込んできた。ただ、ほんの一瞬、脳が理解を拒み、そしてとうとう理解してしまったとき、喉からはち切れそうな金切り声が出るのをどうにか噛み殺した。心臓は爆発しそうになっていた。畜生、俺自身も爆発しそうになっていたと思う。俺はかき鳴らされるギターの弦のようになっていた。俺の中のありとあらゆるものがよろめき、震えていた。視界がかすんできたが、むしろありがたいことだった。さらには胃の中の物が喉から逆流してきた。俺は口を固く閉じ、それを無理矢理ぐっと飲み込もうと頑張って、どうにか成功させた。俺の本能は奴の言葉を叫んだ。じっとしていろ!静かにしていろ!奴らの注意を引くな!

あの日のことはぼんやりしている。俺と奴は地下鉄に乗って上り下りを繰り返した。じっと、無表情で、何時間も、おそらく何日も。俺の知る路線、つまりはストレンジャーを追跡したあの路線よりも遥かに長いようだった。俺たちの周りにいたあのおぞましいモノは俺たちに大して注意を払っていないようだった。俺たちはひどく目立っていたはずなのに。俺は恐怖であまりにも呆然としていたため、やっと無限に続く電車の洞窟に戻ってきたとき、一人泣き出してしまった。俺は床に倒れこみ、長い間、ただ咽び泣いた。ストレンジャーは無表情に眺めていた。

俺は自分を取り戻すと、奴を哀願するような目で見た。「俺を家に帰せ」俺はしわがれた声で呻いた。「お願いだ」

「無理だ」奴は言った。「どれが元の場所に通じるのか知らない。それもどれか通じるのがあればの話だが」奴は立ち上がり、プラットフォームの方へ歩き去った。俺は疲れた体を持ち上げて奴についていった。奴はすばやくぐるりと向きを変えてこちらを見た。「お前も十分俺を追い回しただろ」

かつて奴に感じた怒りは、パニックで一時的に埋もれていたが、再び俺の中で湧き上がった。「は?」俺は叫び声を上げて走っていき、奴の両肩を掴んだ。自分の中にあるとは知らなかったほどの狂気的な力を爆発させて、電車の側面に奴を叩きつけた。「この畜生め、俺に何をしやがった!?」俺は奴を何度も何度も叩きつけた。「俺を元の場所に戻せ!」奴は無抵抗で耐えた。そして、すぐに俺の中で燃えていた怒りの炎は消えていき、空虚が残された。「どうか」俺は懇願した。「どうか、家に帰してくれ」

「そのようにはできていない」奴は言った。「一緒にいると、気づかれやすくなる。自分でどうにかしろ。じっとして、気づかれにくくしろ。そうすれば、奴らはお前を仲間だと思ってくれる」

「どうしてこんなことを?なぜ?」

奴は再び悲しそうな表情をした。「そうしなければならなかったからだ。お前もそうなるだろう。お前は……行き詰まる、そのうちな」奴は俺の手を両肩から払いのけ、踵を返して歩き去った。俺は膝から崩れ落ちた。突然に力が抜け、立ち去る奴の姿を眺めた。交差点で奴は振り返って俺に顔を向けた。「すまなかったな」そして、行ってしまった。

俺はかなり長い間、その場所の冷たいタイルの上にとどまった。しばらく体を丸めて涙を流した。涙が渇いた後、どうにかいくらか眠った。目が覚めたときには、乗ってきた電車は出発した後だった。青灰色のおぞましい連中を乗せて、青灰色のおぞましい連中の行くべきところへ連れていくために。とにかく、あの場所へ戻ることはできなくなった。

最初に来た場所へ戻る道を探そうとした。自分の知る地下鉄を見つけるためだ。しかし、自分が向かっていたはずの方向でさえ、もはや確信が持てなかった。1時間歩き続け、さらにもう1時間。ついに、見慣れた外見のような気がする電車を見つけた。それか、渇望しすぎて電車がそう見えるように空想してしまっただけだったのか。ドアの方へ足を踏み出すと、ドアは勝手に開き、俺は座席に座った。電車が動き始めると、一生を不可知論者として生きるのをやめ、心が張り裂けそうなほどに祈った。電車は減速して停止し、ドアが開いた瞬間、俺は救われたと思った。人!人間だ!世界でいちばん神様のことを愛しています!

そのとき、俺は目のことに気づいた。見ると、第三の、大きな目が額の真ん中にある。クソったれだよ神って奴は。

それでも、前の連中よりかは受け入れやすく、そこには感謝した。ただ、第三の目は他の二つの目とは無関係に瞬きし、吐き気を催させる有様だった。そして、微笑んだり、声を上げて笑ったり、誰かと話したりしたときに、その歯に目が行かずにはいられなかった。その歯は尖っていて、不格好であり、不潔にも黄緑色だった。それでも、俺は注意を払って、見たくないものを見ないようにすれば、しばらくの間、自分が家にいるような気分になることはできた。サンドイッチを片手に持った奴が入ってきて、自分が飢えており、間違いなく数日間は何も飲み食いしていないことに気づくまでは。

次の終点に着いたときに、俺は何か食べ物や飲み物を探すことを決意した。どうして終点まで待とうと思ったのかは分からないが、終点まで電車に乗ることがどうも重要なことに思えた。終点に着くと、どうにか車両を出ることができた。俺はストレンジャーが地下を出るのを見たことがなかった。何か物を食べたり飲んだりするところも。それでも、俺の胃はノーという答えを受け入れようとはしなかった。俺は覚悟を決めて、慎重に平然とした表情を維持しようと努め、駅から出ていこうとした。そして、困惑した。

エスカレーターや階段の類を探したが、見つけたのは地面や壁、天井の穴だけだった。ぽっかりと開いた尋常でない大きさの穴。まるでハチの巣の中にいるようだった。どうすればいいんだ?中に入ればいいのか?穴を通り抜ける人が現れて、初めて意味が分かった。その人は床を浮き上がって通り抜け、俺の近くで浮遊した。その人は一瞬、眉をひそめた。少なくとも、俺には眉をひそめているように思えた。ただ、見たところ、地下鉄の中、少なくともこの場所までは、俺は異人とは認識されないようだった。残念ながら、俺は浮遊できなかった。地下鉄のハチの巣めいたモノから出るには宙を浮くしかないようだった。クソが。俺はトンネルの方へ戻っていった。

俺は怒り、途方に暮れ、飢えてもいた。地獄よりましだとしても、少なくとも二倍は馬鹿馬鹿しく、三倍は無意味な運命に身を任せていた。俺は最高の気分とは言えない状態だった。それが間違いの原因だったのだろう。普段は十分な距離をとって角を曲がる。公共の場で急に角を曲がれば、誰かと鉢合わせしてしまう可能性が高いことは誰でも知っている。俺はまさにそれをやらかして、誰かにぶつかった。女性だ。俺は地面に倒れ込んだ。考えなしに、ニューヨーカーがするような反応をとった。これがまずかった。「畜生が、このアバズレめ!どこに目ェつけてんだ!」

女性が行動を起こす前に、自分の間違いに気が付いた。女性の目が訝しげに、当惑を露にしながらこちらを見た。そして、俺のことに気が付き、恐怖で目が見開かれた。女性は俺の元から飛びのき、いや、すばやく浮き上がった。そして、叫び声のようなものを上げた。俺の知るものよりも、どちらかと言えば吠え声に近いものだったが、意味は理解できた。トンネルからずっと先に、異様な三つ目の頭が俺の方を向くのを見た。急に、連中の尖った薄汚い歯のことが思い浮かび、ただ逃げることだけを考えた。電車はそこにはなかったが、トンネル沿いに通路があった。修理用だろう。俺がいたところでは、修理人がこの手の通路を使っていた。俺は全速力で通路を進み、息を吸うたびに刺されたような感覚になるまで走り続けた。俺は立ち止まり、喘ぎ、そして振り返った。トンネルはカーブしていて、先の方はよく見えなかったが、誰も俺を追ってはいないようだ。ただ、戻るという選択肢はなかった。

長い間、暗闇の中を進み続けた。ついには壁に小さな空間がある場所に行き当たり、俺はそこで休息をとった。空腹、絶望、そして、全速力で恐怖しながら走ったことで、俺は力を完全に使い果たした。おそらく再び泣いてしまったのだろう。このとき自分にできるのはそればかりだった。しかし、それさえも手いっぱいだったようだ。俺は壁を背にして座り、両脚を広げ、あのクソッタレのストレンジャーを死ぬまでハンマーで殴るところを想像した。それが安心できる空想だった。

暗闇の中、近くをネズミがのろのろと歩き回っていた。時折、驚かして追っ払おうと足で蹴ったが、しばらくするとそれさえも気にならなくなった。狂犬病のような病気を運んでくるかもしれないが、奇妙な世界の地下鉄を、途方に暮れながら、衣食にも事欠く有様で、独りぼっちで永遠に旅することと比べれば、病もまた祝福だろう。再びネズミが近くまで這い寄ってきても、俺はシッと追い払うことをしなかった。ネズミが脚の方に来て、脚を圧迫し始めても、注意を払おうとは思えなかった。電車が近くを通り過ぎ、電車の照明が俺のいる排水渠を、そして、俺がネズミだと思っていたものを照らすまでは。

それはネズミに似ていた。まあ、ただ、むしろクモのようでもあった。ネズミとクモを一緒にかけ合わせれば、俺の脚に鼻を摺り寄せているモノと同じくらいにおぞましい奴が生まれるかもしれない。俺は金切り声を上げ、床から飛び上がり、サッカー選手のようにそれを蹴飛ばした。それは反対側の壁まで吹っ飛んだ。その背中は吐き気を催させるほどにボロボロに砕けた。俺はそれがピクピクと体をひきつらせるのを見た。最後の車両が通り過ぎ、暗闇が戻ってきた。

真っ暗な中、おぞましい考えが頭に浮かんだ。それは食べられるものなのだろうか、と。こんなの食べたいわけがない。俺はそんなことを想像するのをやめようとした。でも、俺は空腹で、今後、この場所で食べ物を見つけられる保証はなかった。ネズミクモは唯一の選択肢だ。できる限り我慢した。しかし、結局は、生存欲求が潔癖を打ち負かした。俺はライターを持っていたが、火をつけられるものがなかった。死体から肉を剥ぎ取り、火の上にかざして少し焼いたが、それほど役に立たなかった。あれほどのものはあり得ない。その肉は臭かった。これほど臭いものは誰も想像できない。それ以来も、食べ物がほしくてたまらなかったし、他にも胡散臭いものをたくさん食べてきたが、ネズミクモほどまずかったものはなかった。

思い返せば、あのときに俺はストレンジャーに成り果てたのだった。それまでは、無表情になろうと頑張りつつも、他は以前と同じままだった。平穏を求めて手に入れたものは茫然自失だった。川に投げ込まれた尖った岩は、時間が経つと、その角が水に削られて丸くなる。それと同じことを俺は経験した。異界の地下で、暗闇の中、怪物を引き裂いて食べた。残っていた最後の角が摩耗した。暗闇から出てトンネルに戻るまでに、俺をここまで連れてきた奴のように、俺は無表情で、空虚になっていた。

ただ、それは最悪のことではなかった。最悪は後になってやってきた。それは最初に行き詰まりが起きたときだ。ストレンジャーも言っていたことだが、俺も行き詰まりになるまで、ほとんど気付かずにいた。ある夜、終点で、電車を出るようにと言われた。この世界は普通の世界に近かった。俺の知る限り、人々はほぼ人間に近かった。彼らは肌がオレンジ色で、確か、せむしだったが、それでも他はほとんど普通と言ってよかった。前の世界の人々は、おぞましいほどに太っており、六つ乳房がある両性具有者で、鼻がなかった。オレンジの人々は俺からすればかなり美しかった。

最初、車掌は誰か他の人に話しかけていると思っていた。ただ、車両には自分しかいなかった。しかも、俺は車掌の言うことが理解できた。オレンジの人々は英語を話さなかったが、それでも、俺は車掌の言葉が理解できた。立ち上がると、それがなぜか分かってきた。俺はまっすぐに立ち上がれなかった。俺はせむしになっていた。車両から出るときに窓に写った自分の姿を見ると、肌がオレンジ色になっていた。そこから残りの手がかりを集めて、全貌が分かった。行き詰まるとはこの世界に囚われるという意味だった。どういうわけか、行き詰まるとその世界の人々と似た外見になった。地下鉄の駅から出たいときがあれば便利だ。たいていの場合は可能だが、ものすごく配慮が必要で、かなり無理がある。異界は少し不快感を催す場所だということを知っていた。自分の世界と比較すると、差異があまりに大きくて、気分が悪くなるのだ。

とにかく、俺は地下鉄を出た。その夜はセントラルハブ (地下鉄の電車が無数にある場所をそう呼ぶようになった) に戻ることがないとはっきりわかっていたからだ。他の夜のことだったかもしれないが、すぐに気が付いた。俺の存在を気付かせなくする効果がもう無くなっていた。この世界に留まることも少しは考えた。ただ、この場所は故郷ではないし、故郷になることも決してない。人々と自分の姿が似ていたとしても、文化が違っているはずだ。それが以前に学んだことだった。自分と人々の見た目が全く区別がつかない世界でさえも危険を孕んでいる。かつて、自分の姿と似た人々のいる世界に来たことがあった。何というか、人々はブラジル人に似ていたが、もっと似通ってもいた。このときの苦い経験で学んだことは、自分にとっては挨拶を意味するジェスチャーが、彼らにとっては何かひどく侮辱する意味だったということだ。かなりの侮辱だったために、人々が囃し立てつつ見物する中、俺はタコ殴りにされて半ば死にかけた。

自分が模倣できる文化がある場所だったとしても、そこに滞在する気にはなれなかった。俺が求めていたのはこの二つのうちのどちらかだ。自分の故郷へ帰る道を見つけるか、俺をここに連れてきたストレンジャーの野郎を見つけて叩きのめすか。これは譲れない。

だから、俺は移動したかった。ただ、前に自分がやられたようなことが俺にもできるかははっきり分からなかった。別の誰かを俺のように異界の地下をさまよわせることができるのか?実際のところ、そんなことをする必要はなかった。数か月後、俺の存在に気付いた奴が現れた。そう、そいつは数週間にわたって俺の後を追い始めた。かなり注意を払って奴のことを見ていないように振る舞った。あのストレンジャーがやったように。ただ、俺の中で奴に警告して追っ払ってやりたいという気持ちと、奴を終点まで連れていき、さっさとこんな陰鬱な世界から抜け出したいという気持ちに分かれていた。

夜、奴は俺を尾行して終点までついてきた。かつて俺がやったように。ただ、俺の真向かいに座るなどという蛮勇をふるうことはなかった。電車が終点に着くと、奴はすぐに駆け出して電車から出て行った。俺は待った。車掌が俺の姿を見ずに、座り続けることができるかもしれないからだ。しかし、無駄だった。車両を出ると、電車は俺を置いて出発した。俺は電車の中に向けて悪態をついた。切符売り場への角を曲がると、俺を尾行していた若い男が襲撃してきた。奴は危険そうな刃がカーブしたナイフを持っていた。不意をついて俺を捕まえる算段だったのだろう。しかし、俺は数年間、敵意に満ちた異界を旅してきた。俺の反射神経は鋭敏だった。

俺と奴は激しく争い合い、どうにか奴からナイフを取り上げることができた。ナイフがどうして奴の首に刺さってしまったのかは分からない。殺したいわけじゃなかった。かなり前に湧き上がった怒りのことを思い起こすと、それほど怒っていたわけでもなかった。それから、奴が血を流しながら倒れると、俺は腹立たしくなった。奴を繰り返し蹴り、叫び声を上げた。「このクソが!お前はこの俺を!」蹴り続ける。「尾行しやがって!」蹴る。俺は犯行現場を逃げ出したが、そのうちに逃げるのをやめた。翌日の早朝、始発に乗るためにその場所に戻った。そして、夜、終点まで電車に乗っていると、再び車掌の目に見えなくなった。もしセントラルハブに戻りたければ、誰かを殺すか、一緒に連れて行けばいいようだ。

俺の姿は再び見えなくなったが、まだ肌はオレンジ色で、せむしのままでもあった。次に行き詰まりになるまで、俺はそのままの状態だった。次のときも俺は人を殺した。そのときは前よりもかなり手っ取り早く済ませた。俺は女が尾行してくるのを待たなかった。一度、俺がストレンジャーと見なされると、俺はその女を次の奴だと認識できるようになった。そして俺は選択をした。他の誰かをこんな立場に追いやるつもりはない。

それでも、俺は自分を連れ去ったストレンジャーのことを考えずにはいられなくなる。奴はもともとどのような外見だったのだろうか。俺を殺すという選択肢もあったことを知っていたのだろうか。故郷にいた頃に見かけた他のストレンジャーや、故郷を追いやられてから出くわしたごく少数のストレンジャーについても考える。彼らは誰かを殺したり、連れて行ったりするだろうか。どちらの選択肢を慈悲だと思うだろうか。俺は連中と会話することができない。質問もだ。どちらにしても俺たちは永遠の呪いを受けている。呪われた亡者は孤独の中で苦しむ定めだ。

これまで15人の命を奪ってきたし、人殺しがかなり得意になってきた。ただ、俺は決断している。俺が殺してきたのは、少なくとも、罪のない人々だ。セントラルハブに戻る前に、俺はバックパックに詰め込めるだけたくさんの紙を入れて、この話を書いてきた。何度も何度も、できる限り多くの地下鉄にこれを残しておけるように。数千のメッセージを瓶に詰め、鉄のレールの海に投じてきた。これは要求であり、警告でもある。

俺の要求、それは最初に書いた通りだ。俺のお袋を探して嘘をついてほしい。それは罪のない嘘だ。気にしなくていい。俺はお袋を愛している、帰ろうと頑張っていると伝えてくれ。そうすればお袋もいくらか希望が湧くだろう。それか少し平穏に過ごせるかもしれない。この嘘が本当になればよかったのに。ただ、俺はこう思っている。俺はオデッセウスのようなものだとね。途方に暮れて、当て所もなくさまよい、馴染みのある岸に戻りたいと願っている。しかし、俺は海で迷っているのではなく、無限に続くトンネルの中、つまりは迷宮で迷っている。その違いは重要だ。なぜなら、迷宮は設計されたものであり、建築されたものだからだ。誰かが、もしくは、何かが、こんなあり得ない場所を作り出した。そして、奴らが俺にしでかしたことは、間違いなく奴らに責任がある。奴らは俺にオデッセウスではなくテセウスの役を割り当てた。ただ、俺はもうこんな役を演じるつもりはない。この地の奇妙なルールが、人間として生まれた俺を別の何かに変え、さらにまた別の何かに変えた。奴らは俺を怪物に変えた。そして、俺は迷宮のミノタウロスになる。もし可能なら、俺は周囲の迷宮を破壊し、迷宮を建てた奴らを打ち砕く。

俺の警告は、公共の場所にいる、静かで無表情の男女に気を付けろ、ということだ。近づいてはいけない。連中はお前を殺すか、もっとひどいことを仕掛けてくる。連中を見かけたら、急いで走って遠くまで逃げろ。そしてもっと重要な警告だ。聞いてくれ。電車で終点まで行ってはいけない。

2021年5月20日木曜日

Creepypasta私家訳『09/17/10』

作品紹介

 Creepypastaである09/17/10を訳しました。 Creepypasta Wikiでは“Suggested Reading”に指定されています。 誤訳などがあれば指摘をお願いいたします。 正確な訳かどうかは怪しいですが、だいたいの意味は通っているはずです。

作品情報
原作
09/17/10 (Creepypasta Wiki取得。oldid=1407923)
原著者
Bongwatersnowman
翻訳
閉途 (Tojito)
ライセンス
CC BY-SA 4.0

09/17/10

数か月前、チコ州立大学で授業が始まった。1年生の授業に向けての準備をする中で、必要なものすべてを見つけることができた。ノートパソコンを除けば。私は金を出して物を買うのを渋りがちだった。特により安く手に入れられるときは。

ノートパソコンを良い値段で買えないかインターネットで調べて回った。しかし、自分のケチな性向に見合うものはなかった。授業まであと2週間しかなく、コンピュータがほしくてたまらなくなってきた。数日後、新聞でノートパソコンの広告を見かけた。ほんの600ドルで売っているという。私が住むところからそれほど遠くない。しかも、とても良い感じのDellのノートパソコンだ。ただ、店での売値よりも1,000ドルほど安く売っているのは変だとも思った。

翌日、売り手の住所へ車で向かった。その家は都市から離れたところにあり、そのすぐ近くに鬱蒼とした森があった。家の外には古いシボレーが停められており、古い掲示物や他の様々な古そうな見た目のものが散らばっていた。ドアベルを鳴らすと、フランネルのジャケットを着た痩せた男が出てきた。ノートパソコンについて尋ねると、安心したような風で、すぐに売る準備ができていると言ってきた。幸運にも、私は金を持ってきており、良い状態にあることを確かめた後、新しいコンピュータを持って帰宅した。

初めて自分で買ったノートパソコンに興奮しつつ、電源を入れ、プログラムやアプリケーションのアップロードを始めた。ハードドライブを調べていてすぐに、フォルダが隠されていることに気づいた。奇妙だった。パソコンを売った男は、メモリは綺麗に空にして、新しく使い始めるための準備がしてあると言っていた。フォルダには「09/17/10」という名前がついていた。どうやら日付のようで、2010年9月17日という意味だろう。フォルダを開けてみると、6つの映像と3枚の写真があった。好奇心に突き動かされ、映像を見ることに決めた。

最初の映像は単に「001」というタイトルだった。映像は車の中からカムコーダで撮影されたもので、手ぶれしていた。映像は夜で、バーから女性が歩み出てきて、車に乗る様子が記録されていた。数秒後に女性が車を発進させ、その直後に、映像の撮影者も女性を車で追い始めた。映像は24秒後に終了した。撮影者はしばらくの間、女性を待っていたようだ。

考えてみると、その時点まではそれほど不安はなかったが、ただ少し落ち着かない気分ではあった。次の映像ファイルを開いた。タイトルは「002」だ。これは最初の映像の続きなのだろうと推測した。その推測は正しく、カメラがキャビネットの上に置かれ、フロンドガラスから外を向いた状態で開始された。雨が降っていることから、最初の映像が終わってから少し後に撮影されたのだろう。どうやら、撮影者の車から2両分前にある車が、バーを出た女性が乗ったものと同じ車であるらしい。この落ち着かなくさせる47秒間が続いた後、カメラが停止した。私は少しびくびくし始めた。最悪の展開になることを恐れた。

しかし、テレビ番組を見ているかのように、この映像の顛末を見たくなった。まだ心配しきったわけではなかったため、次の映像を見ることにした。3番目の映像はもちろん「003」という題名だった。この映像を見た後は本気で心配になった。映像は最初と同じく、震える手で握られたカメラからのものだった。車の外は土砂降りだったため、撮影対象ははっきりとは見えなかった。それでも、毛皮のコートを着て、傘を持った人物が家の玄関の方に歩いているのが辛うじて分かった。この人物が誰か、家が誰のものかだけは推測できた。その人物は家に入り、ドアを閉めた。

その後には静寂が続き、とても狼狽させられた。唯一聞こえたものは車の屋根に雨が叩きつけられる音だけだった。この神経を逆なでする何もない時間がだいたい2分続いた後、家の中からの明かりが消えた。さらに1分ほど経過すると、カメラが再びキャビネットの上に置かれ、誰かが車を出る音が静寂を破った。車のドアが静かに閉められ、新たな人物がカメラに映った。その人物はこの時点ではフードを被っており、家の方へ歩いていくのが見えた。部外者らしき人物が家の裏手の方に向かって歩き回っているのを見るにつれて、胃の底できりきりとした痛みが強まり始めた。この人物が誰であっても、間違いなくそこにいるべきではない人物だろう。それから数秒後、家の外の明かりが消えた。画面は真っ黒で、雨の音だけがカメラがまだ録画中であることを伝えていた。雨と暗闇が9分ほど続いた後、映像は終わった。

私はこれがちょっとした無害な企てか何かではないことを確信していた。ノートパソコンを売った男が信用できるか確認しなかったのは愚行だったとも思い始めていた。女性の後をつけ回しているこの人物は、私が前に会った人物と同一人物なのだろうか。映像を見続ける中で、うっすらと警察に通報しようかと考えていた。しかし、まだ心構えができていなかった。気が進まないながらも、4番目の映像「004」を見始めた。映像は再び暗闇から始まったが、雨はやんでいた。ただ無音の中に取り残されていた。映像が始まってからほどなく、誰かが砂利の上を歩く音が聞こえてきた。その人物が車に近づき、音は徐々に大きくなっていった。車のドアが開き、室内灯がついた。すると、カメラは車の床に置かれており、天井の方を向いていると分かった。背景でいくらか手探りする音が聞こえ、急にトラックの後方からガツンという音がした。不意にカメラの視界を腕が遮り、大きなタープが車から引き出されるのが見えた。ただ一つの筋書きが脳裏をよぎった。予想が外れることを祈った。

トラックの写真。早い段階で撮影されたもの。

誰かがカメラを拾ってキャビネットの上に戻し、車をバックさせ始めた。3分間車を走らせた後、分岐した道で駐車し、車を出て積荷を運び出した。6分後、車は別の場所に移動し、誰かがカメラを拾い上げてこそこそと車から持ち出した。車はノートパソコンを売った男の家の前にあったものと同じ、あのろくでもないトラックだった。あのゾッとする男に対して警察を呼ぶ覚悟を決めるところだったとき、カメラが家の方を向いた。家は以前に訪れたそれと全くの別物だった。これを見て少し安心した。何の証明にもならないが。

4番目の映像が終わり、次の映像を見ようかどうか思案した。これがいたずらであるか、少なくともハッピーエンドであればいいというのが私の唯一の望みだった。「005」は家の中から始まった。非常に暗く、唯一分かったのは時折カメラの前を歩いているらしい人影の存在だけだった。最初は静かで、ときどき外で犬の吠え声が聞こえた。そのうちに、小さな音が聞こえ始めた。

小さな音はすぐに大きなくぐもった叫び声に変わった。身を揺り動かしてもがく音が時間がたつにつれて如実になってきた。泣き叫ぶ声も。不意に明かりがつき、カメラが持ち上げられ、部屋の中央に向けてパンした。カメラに映ったのは、殴られて血を流し、椅子に縛り付けられていた女性だった。映像を見て分かったが、この女性は最初にバーを出た女性と同一人物だった。永遠とも思える時間の中、カメラが女性の顔にズームし、そして、映像が停止した。こんなことが起こるとは信じられなかった。もともとずっと抱いていた、この映像は映画か何かだという希望は消え去った。残りの映像は一つだけとなり、自分自身の身の安全を恐れ始めた。ドアを施錠し、ブラインドを閉めた後、映像を再生した。

「006」を見始めたとき、女性はまだ生きていて、助けることができるという小さな希望を抱いていた。ホラーショーの最終回はバスルームのセットの中で始まった。カメラはカウンターの上に置かれており、鏡に向けられていた。鏡の中でドアが見えた。唯一聞こえた音はなじみのあるもので、私の希望を打ち砕いた。動力工具の音だ。スクリーンの前に座っていた時間は数時間にも感じられた。工具の音が止まり、静かになった。そして、重い足音と、何かを引きずっているような音がした。ドアノブがひねられ、ドアが押し開かれた。暗闇から現れたのは中年女性だった。女性は研究所の人のような装いとしか言いようのない格好をしており、ガーゼマスクと長いゴム手袋を身に着けていた。この光景を見て、どういう妙な理由によるものか、少しばかり安心感を覚えた。鏡の中に、女性が何かをバスタブへ頑張って引きずる様子が写っていた。女性が引きずっていたそれをバスタブに入れようと持ち上げたとき、大きな黒いゴミ袋が見えた。

若い女性の静止写真。

夢を見ているような感じがした。スクリーン上に流れるホラー映画を見ているかのようだった。女性はゴミ袋をバスタブから引き揚げた。この時点でゴミ袋は空っぽだった。零れ落ちかけていた内臓か何かを除けば。女性はカメラを拾い上げ、床に置き、バスタブの方に向けた。バスタブの前の床には、腐食性の物質やいくつかの他の空容器が置かれていた。女性は液体をバスタブの中に入れ始めた。すると、ひどい、とてもひどい音がし始めた。ポップロックにコークを混ぜたような音としか形容できない。映像が終わると、当惑し、恐慌した私が残された。最後に私は写真を開いた。1枚目はトラックの写真だった。2枚目は、椅子に縛り付けられた若い女性の写真で、殴られる前だった。そして、3枚目を開くと「破損したファイル」という表示が出てきた。しかし、多分、それでよかったのだろう。

どうにか2枚の写真を手元に残してから、ノートパソコンを警察に引き渡した。600ドルは取り戻すことができた。報奨もついていた。どうやら、被害者は中年女性の元夫のガールフレンドだったらしい。中年女性は1年ほど前に逮捕されたが、証拠不足により何の罪にも問われることなく釈放された。代わりに元夫が投獄された。これはミッシングリンクになると思う。この証拠によって答えの出なかった疑問が解決することを望む。ただ、フランネルのジャケットを着た男が何者だったのか、ノートパソコンをどうやって入手したのか、殺人犯と同じトラックをどうやって手に入れたのかははっきりしていない。後は警察に任せようと思う。

2021年5月15日土曜日

Creepypasta私家訳『写真の少女』(原題“The Girl in the Photograph”)

作品紹介

 CreepypastaであるThe Girl in the Photographを訳しました。 Creepypasta Wikiでは“Suggested Reading”や“Historical Archive”に指定されています。 誤訳などがあれば指摘をお願いいたします。

作品情報
原作
The Girl in the Photograph (Creepypasta Wiki取得。oldid=957385)
原著者
不明
翻訳
閉途 (Tojito)
ライセンス
CC BY-SA 4.0

写真の少女

ある日の学校、トムという少年が計算問題を解いていた。放課後まであと6分というところだった。宿題をしていると、何かがトムの目を引いた。

トムの席は窓の横だった。トムは外の芝生の方に顔を向けた。それは写真のようだった。学校が終わると、トムはそれを見た場所に向かって走った。早く走ったおかげで、誰にも取られないで済んだ。

トムはそれを拾い上げ、そして笑みを浮かべた。それは今まで見た中で最も美しい少女の写真だった。少女はドレスを着て、タイツを身に着け、赤い靴を履いていた。手はピースしていた。

少女があまりにも美しかったため、トムは少女に会いたくなった。トムは学校中を駆けずり回り、皆に少女のことを知っているか、以前に会ったことがないか聞いて回った。しかし、質問を受けた全員が「いいえ」と言った。トムは落胆した。

家にいるときも、姉に少女のことを知らないか聞いたが、残念なことに姉も「知らない」と言った。すっかり夜も更け、トムは階段を上り、ベッドわきのテーブルに写真を置いて、眠りについた。

真夜中、トムは窓をコツコツと叩く音で目を覚ました。爪で叩いているようだった。トムは怖くなった。窓を叩く音の後、くすくす笑う声が聞こえた。窓の近くで影が見えた。トムはベッドから出て、窓へ歩み寄った。そして、窓を開け、笑い声の方についていった。辿り着いたときには、それはいなくなっていた。

翌日、トムは再び近所の人たちに少女のことを知っているか質問した。皆が「ごめん。分からないよ」と言った。母親が帰宅したとき、トムは母親にさえも少女のことを知っているか聞いた。母親は「知らないよ」と言った。トムは自分の部屋へ向かい、写真を机の上に置いて、眠りについた。

トムは再びコツコツと叩く音で目を覚ました。写真を手に取り、笑い声の方についていった。道路を渡っていたときだった。トムは突然に車に撥ねられた。トムは写真を手にしながら死んだ。

運転手が車から降りて、トムを助けようとしたが、もはや遅すぎた。不意に運転手は写真を見て、拾い上げた。

彼が目にしたのは可愛らしい少女だった。指を3本立てていた。