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2019年6月9日日曜日

「エリサ・ラム事件」、どうして彼女は暗い水の底に沈んだか

エリサ・ラムの写真
若い女性が笑顔を浮かべている。

 2013年初頭、ある映像がインターネット中を広まった。それはロサンゼルス市警察が公開したホテルのエレベータの監視カメラの映像で、若い女性の姿を映したものだった。その映像は非常に奇妙だった。女性が身を隠す、辺りを見渡す、何もない空間を撫で回すといった奇行をとっていたのである。この映像を最後に女性は行方を眩ました。そして、十数日後、ホテルの屋上にある貯水槽で変わり果てた姿で発見された。一体、彼女の身に何が起こったのか……

 本記事を元に解説動画を投稿した。詳細は「【ゆっくり語る奇妙な事件】エリサ・ラム怪死事件 補足」にて。この記事を補足する内容もある。

はじめに

  2019年3月8日、日本語版Wikipediaで「エリサ・ラム事件」という記事が作成された。「エリサ・ラム」とは冒頭で言及した女性の名前である。Wikipediaの記事は英語版を翻訳したもののようだ。2013年の事件の記事が2019年に今更作成された理由は不明である。ただ、当時、私もこの映像を見て戦慄を覚えたものだから、つい興味がわき、自分でもこの事件について調べることにした。Wikipediaの情報は時折間違っているため、自分でも裏をとりたかった。調べるといっても、インターネットで手に入る情報を選び出して読んでみるというだけのことで、本当の意味で新情報というものは存在しない。しかも、せいぜいWikipediaの補足程度の情報しか集まらなかった。「どうして彼女は暗い水の底に沈んだか」という題名は、いかにも事件の真相を解明しましたと言いたげだが、ニュースを見ているだけの安楽椅子探偵もどきにできることは高が知れている。それでも、日本語の情報は限られているため、この事件について関心がある方ならば得るものはあると思う。

事件の経緯

 この事件の主役であるエリサ・ラム (Elisa Lam) は21歳の中国系カナダ人である。ブリティッシュコロンビア大学の学生だった。ユニバーシティ・ヒル・セカンダリー・スクール (日本の高等学校に相当) の卒業生でもあるようだ (HuffPost)。父親はデービッド (David)、母親はYinna、姉妹はサラ (Sara) という名前である (Rylah, Swann, Autopsy Report)。両親はカナダ・バーナビーのヘイスティング・ストリートでPaul's Restaurantという名前の料理店を営んでいる (Moreau)。

Paul's Restaurant

 2013年1月下旬、ラムはカリフォルニアへ鉄道やバスを使って一人旅に出かけた。前述のとおり、ラムは大学生だったが、当時は科目を履修していなかった。最終目的地はサンタクルーズだったようだが、サンディエゴにも数日間滞在していた。サンディエゴ動物園の写真をFacebookに投稿している。

 ラムは1月26日頃にインターネットでセシル・ホテル (Cecil Hotel) のシェアルームを予約した。1月28日にチェックイン、2月1日にチェックアウトの予定だった。ラムは予定通り1月28日にセシル・ホテルにチェックインした。ラムには5階のシェアルームを割り当てられていたが、2日後にラムと同室の客が苦情を訴え、ラムは同じく5階の個室へ移動することになった。ラムが奇行をとったことが原因とのことだが、具体的にどのような行動をとったのかは調査しきれなかった。

セシル・ホテル

 ラムが生前に最後に目撃されたのは1月31日のことである。セシル・ホテルの従業員が目撃していた。チェックアウト期限の2月1日になってもラムは姿を現さなかった。件のエレベータの映像は2月1日に撮影されたものである。ラムは旅の間、毎日両親に連絡をとっていたが、1月31日にその連絡が途絶えた。2月上旬、両親は警察にラムの失踪を報告した。ラムはカナダから来た外国人だったため、警察はこの報告を重く見た。ロサンゼルス市警察は2月5日以降にホテルでラムの捜索を行った。屋上も捜索したが、貯水槽の中までは調べなかった。さらに2月6日に記者会見を開いてラムの失踪について発表した。ラムの両親も記者会見に出席した。2月15日、ロサンゼルス市警察は情報を求めて、ホテルのエレベーターの監視カメラの映像を公開した。これが生前のラムを捉えた最後の映像だった。映像中のラムの奇行がインターネットで大きな話題となった。ラムは中国系カナダ人だったため、事件が起きたアメリカだけでなく、カナダや中国でも関心を集めた。

 2月19日、セシルの保守作業員のサンティアゴ・ロペス (Santiago Lopez) は、水圧が弱いという客の苦情に対応するため、屋上の配水設備の様子を見に行った。ロペスは2010年からセシル・ホテルで働いており、先日の警察によるラムの捜索にも協力した (Rylah, Swann)。ロペスは2つあるエレベータのうちの1つを使って15階に行き、そこから階段を上って屋上へ通じるドアへ向かった。ドアには警報装置がついており、ドアを開けると警報が鳴る仕組みになっている。ロペスは警報装置を解除して貯水槽を確認した。すると、蓋が開いており、その中には若い女性の遺体が仰向けになって浮いていた。

 ロペスは即座に上司のペドロ・トーバー (Pedro Tovar) にウォーキートーキーで報告した。それから、2人は支配人のエイミー・プライス (Amy Price) に報告した。ラムの遺体は消防士たちが貯水槽に穴をあけて回収した。2月22日に検死の結果が報告されたが、他殺か事故かは結論が出ず、毒物調査の結果を待つこととなった。6週間から8週間かかる見込みだったが実際には遅れ、6月20日に結果が出た。疑わしい薬物や毒物の類は検出されなかった。ラムは双極性障害を患っており、その治療のために薬を服用していた。血中から処方薬が検出されたが、その量は適切なものだった。最終的に、公式ではラムの死は事故による溺死という結論になった。

映画『ダーク・ウォーター』
一部メディアによると、ラムの死の状況は邦画『仄暗い水の底から』をアメリカでリメイクした『ダーク・ウォーター』と類似していると指摘した人もいたという。この映画は『リング』シリーズで有名な鈴木光司同名の短編集の中の1編を翻案したものである。

屋上への経路

 ラムは屋上の貯水槽の中に転落し、溺死した。双極性障害が何らかの影響を与えた可能性がある。これが公式の結論である。高校で同じクラスだったAlex Risteaや、ホテルの近くの書店の店長のケイティ・オーファン (Katie Orphan) によれば、ラムは愛想が良く外交的な人物だったらしい。Facebookにも笑顔を浮かべたラムの写真が投稿されている (Nair)。しかし、件の映像の中の奇行や、奇行が原因でホテルの部屋を変えることになった騒ぎなどを考えると、ラムは奇行の果てに事故で溺死したと考えるのは不自然ではない。私もこの説が正しいと考えている。ただ、この説には大きな謎がある。それは、ラムがどのようにして屋上へ辿り着き、貯水槽の上へ至ったかという点である。公式にはこの謎に対する結論は出なかった。

 屋上へ行くには4つの経路がある。そのうちの3つは避難経路で、ホテルの外壁に設置されている。最後の1つは建物の内部にある階段を使うというもので、14階から屋上へ向かうことができる。しかし、屋上へのドアは非常警報システムが備わっており、解除しないでドアを開けると警報が鳴る。警報は大きな音がするため14・15階でも聞こえる。フロントでも警報が鳴る。ラムがホテルに滞在し、失踪した2013年1・2月中に警報が鳴ったことはなかった。どうにか気付かれずに屋上に辿り着いたとしても、貯水槽へ上るのも簡単ではない。貯水槽は大きな土台の上に設置されているため、まずは梯子を使って土台の上に昇らなければならない。それから貯水槽や配水設備の間を通り、貯水槽へ上るための梯子を使う必要がある。何とかそこまで辿り着いても、貯水槽は金属製の重い蓋で封じられている。

 このように説明すると、貯水槽の中に入るのは絶対に不可能のように思える。しかし、避難経路を使えば屋上へ難なく行けたのかもしれない。Wikipediaでは次に示す動画が紹介されており、実際に避難経路で屋上へ向かう様子が映し出されている。貯水槽の蓋も開けっ放しになっていた可能性がある。詳細は後述するが、セシル・ホテルには悪評がつきまとっていた。当時のホテルの管理状況については調べがつかなかったが、いくらでも抜け道はあったのかもしれない。

【藍可兒出事酒店迷思大揭開】
避難経路、貯水槽
ホテルの外壁に取り付けられた避難経路を下から見上げている。
ホテルの屋上。4台の貯水槽がある。
上から見た貯水槽。4台中2台は蓋が開いている。
上: 避難経路の1つ、中: 屋上にある4台の貯水槽、下: 上から見た貯水槽、2台は蓋が開いている (【藍可兒出事酒店迷思大揭開】より)

遺体の状態

 誰でも貯水槽に入ることができるとすれば、貯水槽に人を投げ込むことも難しくはない。監視カメラの映像の中のラムは、何者かから逃れようとしているようにも見えた。他殺でなくても、映像中の奇行を見ると、幻覚剤などの薬物の影響を疑いたくもなる。特にPCPという薬物は摂取した人を水場に誘導する性質があるらしい (Romero)。しかし、検死では毒物や違法薬物がラムの行動に影響を与えた証拠は出なかった。

 ラムの遺体は腐敗しており、緑色に変色していた。顔や腹部は膨張していた。防腐処理は施されておらず、冷蔵されていた痕跡もなかった。詳細をここに記すのは控えるが、性的暴行被害を示唆する証拠もなかった。外傷もなかった。首にも目立つ痕跡はなかった。注射を刺した跡もなく、胃の中に錠剤やカプセルは認められなかった。

 遺体は裸の状態で発見された。衣服や靴も貯水槽の中にあった。ホテルのキーカードや腕時計も衣服の中から発見された。発見された衣服は次の通り。

  1. フード付きの赤色のスウェットシャツ。前にジッパーが付いている。ブランドはAmerican Apparel。サイズはXS。
  2. 淡緑色のTシャツ。半袖。丸首。ブランドはJJM。首の後ろ側にAlexander Keiths India Pale Aleのロゴ。胸部左側に枝角を生やした鹿のロゴ。サイズはL/G。
  3. 黒色のショーツ。ブランドはSaxon。左脚前方にロゴ。ゲームウェア。男物。サイズはM/M。
  4. 黒色のパンティ。黒色のレース飾り。ブランドはCalvin Klein。サイズはS/P。
  5. サンダル1足。ブランドはBirki'sまたはバーケンストックス。3本の黒色の織物の紐。紐には小さな白色の斑模様が全体にある。2つのバックル。39 55 250 L8 M6という数値 (ヨーロッパでサイズを表す)。
当時のラムの格好
ラムがエレベータの隅にいる。赤いシャツや黒いショーツ、サンダルなどを身につけている。
エレベータの監視カメラの映像でのラムの姿。上記の衣服と同じものを着ているように見える (Elisa Lam Videoより)。

 また、ホテルにあった所持品からは次に示す処方薬が発見された。

  1. Lamotrigine
  2. Quetiapine
  3. Venlafaxine XR
  4. Wellbutrin XL

 遺体が腐敗する過程で毒物や薬物が分解されたのではないか、調査に漏れがあって毒物や薬物が検出されなかっただけではないかと疑うこともできる。遺体から採取されたサンプルが保管されていれば、再鑑定などもできるかもしれない。しかし、事件は公式には解決済みという扱いであり、再調査される可能性は低いだろう。

セシル・ホテル

 セシル・ホテルは今回の件で、死体が漬かっていた水を客に提供してしまった。宿泊していた客によれば、蛇口を捻るとシャワーから黒い水がでてきて、2秒たつと通常の色に戻るという現象が起こっていたという。また、水の味も異常だったらしい。幸いなことに、塩素消毒していたおかげか、有害な細菌は検出されなかったとのことである。セシル・ホテルはその後、ステイ・オン・メイン (Stay on Main) に改称している。今回の事件以前から、セシル・ホテルには忌まわしい評判がつきまとっていた。ロサンゼルスの犯罪を扱うツアーで紹介されるほどの過去があった。

 セシル・ホテルは1920年代に設立された15階建て、600部屋のホテルである。元はビジネスマン向けのホテルとなるはずだった。しかし、もっと立地のいい場所にもっと出来のいいホテルができてしまい、世界恐慌の影響も受けた。当初の目論見は外れ、低所得者が長期間滞在する宿になった。2008年の報道によると、ロビーはホームレスの溜まり場と化しており、虫が床を這い回り、薬物やアルコールを摂取した客と遭遇することもある場所だったという (Waxman)。

 近くには悪名高いスキッド・ロウもあり、殺人事件が発生したこともある。1964年6月4日、近くのパーシング広場で鳩に餌をやって日々を過ごしていた元電話交換手のゴルディ・オズグッド (Goldie Osgood) が、セシル・ホテルの一室で殺害された。強姦もされており、部屋は荒らされていた。オズグッドの事件は未解決のままである (Duke)。「ナイト・ストーカー」(Night Stalker) と呼ばれた連続殺人犯リチャード・ラミレス (Richard Ramirez) も1985年にセシル・ホテルに滞在していた。1991年にはジャック・ウンターベガー (Jack Unterweger) という連続殺人犯も宿泊した。ウンターベガーはオーストリア人の記者であり、1974年にオーストリアで殺人の容疑で有罪となった。その後の仮釈放中に11人の売春婦を殺害した疑いがある。ロサンゼルス滞在中に3名の女性を被害者のブラジャーで絞殺したという。1994年に9人の殺人で有罪となり、翌日、独房で自ら首を括った (Waxman)。自殺者も複数名出ている。特に目を惹くのは1962年10月12日の事件である。27歳のポーリン・オットン (Pauline Otton) は不仲の夫との口論の後、9階の窓から飛び降りた。その際、歩道を歩いていた65歳のGeorge Gianinniを巻き添えにし、2人とも即死した (Duke)。

 2007年、これまでの悪評を払拭しようと、当時の所有者のFred Cordovaは、煉瓦造りの建物を最新のブティックホテルに転換する計画を立案した。しかし、市の条例により計画は変更を余儀なくされ、低収入の居住者向けの設備も半分残すこととなった。低収入の長期滞在者と新しくなったホテルの利用者とは出入り口が別で用意された。ただし、エレベータは共通の場所にある。新しい設備ではXboxやNetflix、フリーWifiを売りにしていた (Swann)。しかし、ラムの事件でさらに印象が悪化したことだろう。当時のニュース記事では、ホテル側から事件について説明されなかった客がいた、遺体回収後に新しく来た客が病気になっても責任を追及しないことに同意する署名を求められたなど、ホテル側の対応の劣悪さが取り上げられていた (Duke)。

最後に

 ラムの謎の死は公式には決着がついている。ただ、その内容は歯切れが悪い。ラムは事故で溺れ死んだ、どうやって貯水槽に入ったのかは明言できないけれど、といった具合である。とはいえ、他者の関与を示す明確な証拠はなく、我々の手に残されているのは奇妙な映像だけである。ラムの異様で、ある種の必死さを感じさせる奇行は、何度見ても怖気を覚えずにはいられない。2016年になっても、ホテルの近くのオーファンの書店には、事件について尋ねる客が来ることがあったという (CBS)。YouTubeに動画が残っている限り、特に話題になったアメリカ、カナダ、中国はもちろんのこと、遠く離れた日本でも語り草になり続けるだろう。

参考文献

ウェブページやPDFファイルの閲覧日はいずれも2019年6月3日

  1. Community Alert. Los Angeles Police Department.
  2. Autopsy Report.
  3. Motion For Summary Judgement.
  4. Elisa Lam Missing: Vancouver Woman Disappears In LA. HuffPost. 2013年2月6日.
  5. Wintonyk, Darcy (2013年2月20日). Was Elisa Lam murdered or the victim of a strange accident? CTV News.
  6. Waxman, Olivia B. (2013年2月21日).The Cecil Hotel: What a Dead Body in a Water Tank Does for Your Yelp Reviews. Time.
  7. Romero, Dennis (2013年2月21日). Elisa Lam: Why Did She Appear To Be Acting So Strange? L.A. Weekly.
  8. Duke, Alan (2013年2月22日). Corpse found in L.A. hotel's water tank. CNN.
  9. Duke, Alan (2013年2月23日). How did woman's body come to be in L.A. hotel water tank? CNN.
  10. Duke, Alan (2013年2月23日). Hotel with corpse in water tank has notorious past. CNN. (日本語版)
  11. Nair, Drishya (2013年2月26日). Elisa Lam Death: Friends Call Her Caring and Conscientious, Autopsy Result Inconclusive. International Business Times.
  12. Moreau, Jennifer (2013年2月27日). Condolences, notes, left for family at Burnaby restaurant. Burnaby Now.
  13. Elisa Lam Case: Autopsy fails to find a cause of death for woman found in Los Angeles water tank. CBS News. 2013年2月22日.
  14. Welch, William M. (2013年6月20日). Elisa Lam's death ruled accidental. USA Today.
  15. Nickles, Jesse (2014年5月28日). Elisa Lam: The College Girl From Canada Whose Hotel Death Is So ‘Mysterious’ She Inspired A Horror Film. College Times.
  16. Rylah, Juliet Bennett. (2015年10月1日).Cecil Hotel Employee Explains How He Found The Body Of Elisa Lam. Laist.
  17. Swann, Jennifer (2015年10月28日). Elisa Lam Drowned in a Water Tank Three Years Ago, but the Obsession with Her Death Lives On. Vice.
  18. Questions Remain 3 Years After Woman’s Body Was Found Inside LA Hotel’s Rooftop Water Tank. CBS. 2016年10月31日.

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