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2021年11月9日火曜日

『魚社会』の「カステラ風蒸しケーキ物語」

『魚社会』の表紙

 panpanyaといえばいわゆる不条理漫画で有名な方だ。作品のほとんどが一話完結の短篇で、稀に連続する作品を制作する。その稀な例外が、謎の果物・グヤバノを追う『グヤバノ・ホリデー』収録の表題作と、『魚社会』と前巻『おむすびの転がる町』に収録された「カステラ風蒸しケーキ物語」だ。

 「カステラ風蒸しケーキ物語」は、カステラ風蒸しケーキの美味しさに心打たれた主人公が、手段を問わずにカステラ風蒸しケーキを探し求めるという話だ。近くのコンビニになければ隣町まで足を運び、それでも駄目ならば自作しようと試みる。この漫画の作者は、緻密な描写と屁理屈を駆使して、非実在の事物をさながら実在するものであるかのように描き出すのが得意な方であるが、実はエッセイ漫画も得意であったようだ。そんなに美味しいのならば、私自身も一度味わってみたいと思ったのだが、既に販売終了しているらしい。残念でならない。諦めきれず、近くのスーパーをうろついたが、普通のカステラと台湾風蒸しカステラしか売っていなかった。

 ところで、カステラ風蒸しケーキを食べたことがないと記したが、実は売っているところを一度も見たことがない。漫画の通りであれば、コンビニやスーパーで売っていたはずだが、結局、一度もお目にかからずに終わってしまった。前述の通り、作者は存在しないものを実在するかのように描くのが得意な方だ。本当はカステラ風蒸しケーキは実在しておらず、すべて作者の想像上の存在なのではないかと疑っている。もしかしたら、あの聞きなれない果物・グヤバノももしや……。

 え?どちらも普通に実在する?……ああ、そう……。

2020年9月21日月曜日

柴田康平作品を振り返る【レキヨミ】【んねこん】【めんや】

 以前に弊ブログで取り上げたことがある『レキヨミ』が完結。中篇漫画『めんや』も発刊された。これを機に、今までの柴田康平作品を振り返ろうと思う。まだ単行本化されていない雑誌掲載作品もあるらしいが。

レキヨミ

『レキヨミ』第1巻の表紙

 第1巻は2019年6月14日発行。第3巻で打ち切り。

 主人公はレキとヨミの2人。2人暮らしの姉妹であり、妹のヨミが薬を作って生計を立てている。姉のレキはちゃらんぽらんで、ヨミを溺愛している。レキの奇行に対して、ヨミが鉄拳制裁を加えるというのが基本的な流れだ。主要なキャラクターは (雄の狼を除けば) 全員女性であるため、男性キャラクターが苦手な人でも安心して読める内容になっている。

 内容はファンタジー世界を舞台とした百合といった具合。この漫画の最大の特徴は体液の多さ。凝った可愛らしい造形のキャラクターを、唾液や涙、胃液、血液などでコーティングするのだ。このような作風から、同じ漫画誌に掲載されている『ハクメイとミコチ』と比較され、一部では「汚いハクミコ」と呼ばれた。ベトベトとした同性愛が好きな方におすすめである。

 聞くところによれば、柴田先生が東方Projectの二次創作を作っていた時代では、レキヨミに近い作風で知られていたらしい。

んねこん

『んねこん』の表紙

 2020年1月15日発行の短篇集。ほとんどのキャラクターは女性であり、数少ない男性キャラクターは汚れ役。それ以外は亀やロボットなど。以下、収録作を紹介。

煙、煙
掲載誌であるハルタの表紙と、それにまつわる掌編。タバコが主題となっている。思えば、『レキヨミ』もタバコの描写が多かった。
んねこん
んねこん2020
表題作。「んねこん2020」は書き下ろしの続篇。表紙右の少女が主人公。人間と猫が知恵比べで勝負する。
単行本の各所で主人公の描き下ろし(?)イラストが追加されている。本誌掲載時にこの話を気に入った方ならば、読んで損はないかもしれない。
遅れて魔女っ娘
出自が「未発表」という異色作。ハルタ掲載作品でもなければ、描き下ろしでもない。
魔法少女もののパロディ。もはや少女とはいえない年齢となった主人公の前に、魔法小動物が現れて勧誘してくるが、主人公に疎まれて暴力をふるわれる。
収録作の中では最も『レキヨミ』に近い。個人的にはかなりの高評価。暴力と恥辱の描写がすばらしい。この短篇1つのための単行本1冊を買うだけの価値がある。
胸を借りる
初出は『スレンダーフェローズ』。
スレンダーな少女の目の前にあるのは、道路に落ちた豊満な巨乳。少女はさっそく巨乳を拾い、スレンダーを卒業するが……。意味不明に始まり、意味不明に終わる、不条理下ネタ漫画。
いしをみる。
宝石を主題とした漫画。主人公は本物の宝石を求めて、安物ばかり掴まされる。
どぼん
少女が潜水するため「どぼん」という題名。『レキヨミ』第2巻の表紙には、「どぼん」の主人公の格好をしたヨミが描かれている。
くちなし
機械が発達した文明を舞台とした作品。主人公はロボット修理屋の女性。主人公所有のロボットが勝手に家を出ていき、頭だけになって戻ってくるという行動を繰り返しており、主人公はそれに悩まされていた。ロボットは口がなく喋らないため、奇行の意図が分からない。圧迫する不安とその解消がこの作品の筋書きとなっている。
ちなみに題名はダブルミーニング。
たまころがし
『よんこまフェローズ』が初出の4コマ漫画。獣耳の少女と大きな陸亀 (擬人化した亀ではなく普通の陸亀) との旅を描く。下ネタや暴力は無いものの、キャラクターの造形や、主人公の奇行を軸に物語が進むところなど、『レキヨミ』に似た要素がある。
ところで、『レキヨミ』や『めんや』にも亀が登場するが、柴田先生は亀が好きなのだろうか。
夢を犯せ旅人
2015年の週刊少年チャンピオンが初出。収録作の中では最も古いかもしれない。数少ない男性キャラクターが登場する作品だが、前述の通り憎い敵役として登場する。
『不思議の国のアリス』をモチーフとした作品。主人公は現実では根暗で無力な少女に過ぎないが、睡眠時には他人の夢の中に入ることができる。気に食わない人の夢の中に入り込み、その精神を破壊することで鬱憤を晴らすのが趣味だ。本作は主人公が夢の中で繰り広げる自由で放埓な暴力を描く。
収録作の中で最も荒削りな印象を受けた。

柴田先生がTwitterアカウントを持っていた頃、ハルタに「くちなし」が掲載されたことをTwitterアカウントで宣伝したことがある。 Twitterアカウントは現存しない。イラストは柴田先生が宣伝のためにTwitterに掲載していたものを引用した。 もしかしたら、ハルタにも同じイラストを掲載していたかもしれないが、私は読んだことがない。

めんや

『めんや』の表紙

 2020年9月15日発行。『レキヨミ』以前に連載された中篇漫画。ただし、『レキヨミ』後に描かれたエピソードも2篇 (うち1篇は描き下ろし) 収録されている。

 『レキヨミ』はファンタジー世界を舞台とした下ネタ漫画だったが、『めんや』は純粋なファンタジー作品としての側面が強い。主人公の親に近い立ち位置だが、男性と思しきキャラクターも登場する。

 『めんや』は「麺屋」ではなく「面屋」。主人公は仮面やお面の類を作る職人の弟子であり、お転婆で向こう見ずな性格の持ち主。

 最初のエピソードは面を駆使して冒険する主人公の姿が描かれる。面にはそれぞれ特殊な力がこもっており、身につけると妖精の姿が見えるようになる面や、力が強くなる面などがある。口をきかない生き物の声が聞こえるようになる面もあるが、こちらは特殊なギミックで表現されていて面白い。

 第2話から第4話は面の製作工程と、主人公の面職人としての成長が描かれる。第1話とは物語の方向性が大きく異なっている。第1話で重視された面の特別な力の描写は抑え気味になった。むしろ、主人公の成長を描写する媒体として機能しているように思える。また、第1話では主人公の表情が面で隠され、感情が行動で間接的に表現されていた。一方で、第2話以降は喜怒哀楽がはっきりと描写される傾向にある。面そのものよりも、主人公の行動に焦点を当てるようになったためだろう。成長譚としてはもちろん、ドタバタ劇としても完成度が高い。

 『レキヨミ』後に描かれた第5話は、一転して面の力が話の軸となる。主人公の感情は、第2話から第4話では喜怒哀楽が大きく変調していたが、第5話では終始得意気だ。面の力を駆使して鮮やかに問題を解決していく。スラップスティックとしての側面が強い。筋書きが「夢を犯せ旅人」に近いところがあると思った。

 様々な点でアクが強かった『レキヨミ』と比べると、『めんや』の方が受け容れやすい内容だったと思う。ただ、『レキヨミ』の毒々しさも楽しかった。もっとも、今となっては……。

現在

 2020年9月現在の柴田先生の現況は下記の通り。

 次回作をお楽しみに。

2019年8月15日木曜日

スプラッタ・コメディ (?) 漫画『メイコの遊び場』第1巻を読む

『メイコの遊び場』第1巻の表紙

 最近、『メイコの遊び場』という漫画を購入した。帯によれば物騒な描写が売りらしい。最初に書店で見かけたときは、表紙から独特の空気を感じ取り、そこに魅力を覚えた。しかし、スプラッタな要素しか売りがない作品だったら金の無駄ではないかと躊躇して、一度は購入を見送った。漫画誌の定期購読を懐事情から諦めている私からすれば、1冊1冊の購入が死活問題。面白そうだから大人買い、なんてことにはかなりの抵抗がある。それでも、2度3度見かけ、最終的には購入に踏み切った。後で調べてみると、作者の岡田索雲先生は一部でカルト的な人気を誇っているらしいと分かった。それを最初から知っていれば、胡散臭い帯のことは気にしないで購入していたかもしれないのだが……。

『メイコの遊び場』第1巻の帯
メイコの左目はモザイク処理されて見えなくなっている。
主人公・メイコの左目には秘密がある……のはいいのだが、モザイクで隠すというのはいかがなものか。B級な空気を漂わせている。おかげで購入を数週間躊躇した。

作品概要

 本作の舞台は1973年の大阪。主人公は表紙にも載っている眼帯の少女・メイコ。子供でありながら、依頼に応じて邪魔な人物を消す仕事をしている。断片的にしか語られていないものの、様々な描写から、これまでまともに学校に通ったことがなく、同年代の友人がいなかったことが伺える。恵まれない生い立ちと稼業のためか、表情の変化が乏しく、感性が他者とは異なる部分もある。それでも、完全に人間から逸脱した怪物というわけではない。子供らしい無邪気さ、遊びを楽しむ心。そんな普通さも併せ持つ。

 メイコの武器は眼帯に隠された左目にある。未読の方のために敢えて詳細は語らないが、これを使うことで標的を自分の心の中に引きずり込むことができる。彼女の精神世界の中では、メイコは神のように自由自在。その中で「殺された」人物は、現実の世界では精神を破壊されて廃人となる。年端もいかぬ少女でありながら、殺し屋紛いの稼業ができるのはこの左目のおかげである。

 物語が本格的に始まるのは、そんなメイコに恐らく初めての友達ができた場面から。子供たちのリーダーのような立ち位置のアスマ少年が、寂しそうなメイコを見兼ねて遊びに誘ってくれたのである。じゃんけんすら知らないメイコのために、アスマはメイコに様々な遊びを伝授する。そして、夜になると、メイコはアスマから教わった遊びを、その無邪気な童心故に標的たちに対して試していく。悪趣味な欲望からではないが、死に対する感性が逸脱したメイコの遊びの末路は必ず血みどろなものとなる。

 第1巻は基本的に、昼間にアスマから遊びを教わり、夜にその遊びで標的を弄ぶという流れの繰り返しである。第2巻以降どうなるかは分からないが、私はかなり計算して作られた筋書きであると思った。どうしてそう考えたかについてはこれから詳細に説明していく。

本作は単なるスプラッタ・コメディか

 アスマから教わる遊戯は、今時の子供がやるとは思えない昭和の遊びである。作者の発想がどこを起点に広がっていったのかは分からないが、恐らくは「昭和の遊びで人を殺す漫画を描いたら面白いのではないか」というアイディアがこの作品の発端ではなかろうか。昭和の遊びは素朴な分、上手く描写すれば、血みどろさと滑稽さが両立した面白さを実現できる。ただ、この要素だけがこの作品の面白さではない。これだけならば単に血塗れなだけのキッチュな凡作で終わっていただろう。

 例えば、私のような凡人に「昭和の遊びで人を殺す話」というアイディアが頭から浮かんできたら、こんな筋書きの作品を作っていた。「平成の某所、少女の姿をした快楽殺人鬼が夜な夜な現れ、通りがかっただけの哀れな犠牲者を珍妙な方法で殺していく。陰惨な殺戮の後には血みどろの現場が残される」。もし、これだけの作品だったら、スプラッタと滑稽さが売りなだけで埋没するのがオチだろう。しかし、この作品は違っていた。

 本作でメイコの標的になるのはヤクザ者だけである。しかも、殺されるのはあくまでメイコの心の中だけで、現場に残るのは精神が崩壊した廃人だけである。現実世界には血の一滴も流れない。もし、一般人も標的になり、陰惨な殺され方をしたバラバラ死体が残る設定であれば、おおらかな昭和の時代とはいえ、さすがに大騒ぎになる。昼間にメイコと遊ぶ子供たちは現れなかっただろう。空き地で呑気に遊んだり、怪しげな余所者を遊び仲間に引き入れたりはしなかったのではなかろうか。家に閉じこもって、その中で暇つぶしに一人遊びするだけだったはずだ。

 メイコは殺し屋であると同時に、無邪気で童心ある子供でもある。昼間は遊戯を楽しむ少女、夜は無情な殺戮者。この差が独特の面白さを醸し出している。単なる快楽殺人者として描写されていれば、このギャップを生み出すことはできなかったはずだ。純粋に友人たちとの遊びを楽しみ、それを求めるメイコの姿は、無表情で不気味な見た目とは裏腹に、どこか愛らしく見えてくる。子供たちとの間に生じる常識、感性のズレは、殺戮描写とはまた別の滑稽さを生み出している。そして、殺し屋として生きていかざるを得ない少女の哀しさも、読者の心の中に滲み出てくるかもしれない。単なるスプラッタ、滑稽さだけでない面白さ、奥深さを生み出しているのは、作者の設定構築の巧みさのおかげである。

 また、標的が悪人しかいないという設定は別の効果も生じる。もし、無辜の一般人も殺戮の対象に選ばれる設定だったならば、この作品の読後感は全く別物になっていただろう。昭和の遊び、子供の飛躍する想像力によって殺されるという描写の奇妙さが際立っているのは、あくまで殺されるのがろくでなしだからである。普通の人まで殺されていれば、悪趣味を通り越して後味が悪いだけだっただろう。他にも後味の悪さを抑える工夫は随所に見られる。例えば、殺人の依頼者がどこか憎めない小悪党である点や、殺戮の描写は流血や骨格の崩壊を描くだけで、撒き散らされるであろう臓物まで描くほど仔細ではない点 (これは意図的かどうかは分からないが) などがある。

オマージュ、パロディ

 ここまでで本作は単なる色物ではないと書いたが、それ以外にも触れておかなければならない点がある。ギャグとしての要素を意識しているのか、本作はどうやらパロディが多いようだ。

 読書メーターのBo-he-mian氏のレビュー (2019年8月15日参照) によれば、本作の表紙や舞台はロマンポルノ『(秘)色情めす市場』を意識しており、メイコの名前の由来も女優の梶芽衣子、他にもメイコの友人たちや標的のヤクザ者の顔もパロディで満載であるという。 私は古い作品についての知識が皆無であるが、そんな私ですら露骨にパロディであることが分かった箇所がある。

 メイコの友人の一人のヨシハルの顔は有名な『ねじ式』の主人公にそっくりである。そもそも名前が「ヨシハル」と露骨だ。本作55ページでは有名な腕を押さえるポーズをとっている。

 第7話の標的は映画『男はつらいよ』の寅さんそっくりの格好をしている。この人物は拝借元とは異なりかなりの外道で、第1巻の中でも際立って陰惨な末路を迎える。

 前述のBo-he-mian氏は博識で古い作品に通じていたために、却って本作の面白さが理解できなかったようだ。数多くのパロディのために気が散って、本作に没頭できなかったのではなかろうか。私は知識が皆無なおかげで、特に気にせずに読み込むことができた。ただ、オマージュ、パロディを理解していないという点で、本当の意味で本作の面白さを読み込んで理解しているとは言えないのだろう。恐らくは作者のサービス精神によるギャグ、または昭和という時代への敬意の現れであって、細かく理解せずとも作品は読めるのだろうが、何だか悔しい思いである。精進が必要だと思わずにはいられない。

 第2巻以降も昼間の遊び、夜の殺戮という流れを描き続けるのかは分からない。私は財政事情から単行本派。連載を追っていない。ただ、第1巻の時点ではかなり面白かったと言いたいがためにこの記事を書いた。偉そうに雑多に書き連ねたことが第2巻以降で大外れであると判明してしまったら恥ずかしい。まあ、所詮は、読後の感情を並べたよくある感想ブログや、考察という名の妄想を並べたウェブ検索の邪魔になるアレと大して変わりやしないので……

ギャグ漫画『レキヨミ』と「こへ兄貴」

『レキヨミ』第1巻の表紙

『レキヨミ』の魅力

 、ギャグ漫画『レキヨミ』の記念すべき単行本第1巻が発売された。作者は柴田康平先生。掲載誌はハルタ。

 私は普段はギャグ漫画を読まない。それではどうしてこの漫画は読もうと思ったのか。その話をする前に、まずはこの漫画の魅力についてお伝えしたいと思う。

 主人公は表紙に描かれた2人の姉妹である。見てのとおり獣耳が生えている。単なる記号的な猫耳キャラというわけではなく、ファンタジー世界に住まう種族としての設定が用意されているようだ。第1巻の巻末では作品の設定を解説しており、作者の凝り性が垣間見える。特に興味深い点が脚の設定で、主人公2人の脚は膝から下が獣のそれになっている。毛皮で覆われているだけでなく、つま先立ちで踵が浮いた骨格として設定されているのだ。猫や犬を飼っている方ならばすぐに確かめられるが、獣は常につま先立ちで歩く。踵は地面につかないようになっている。第1巻の時点で獣人以外の種族も既に登場している。未読の方のために詳細は伏せるが、こちらもまた魅力的な造形をしている。

 こうして作者はファンタジー世界と可愛らしいキャラクターを創造した。そして、何を思ったか、創造物を様々な分泌物が入り混じった闇鍋の中にぶち込んだ。本作は掲載誌が同じ『ハクメイとミコチ』と比較され、「汚いハクミコ」という評判を一部で獲得しているらしい。どう汚いかと言えば、唾液を飲まされるのは序の口で、失禁、嘔吐、鳥の糞直撃、肛門への異物挿入と下ネタのオンパレード。それを味のある画風で描かれた可愛らしいキャラクターたちが繰り広げるのだから、そのギャップはすさまじい。暴力的な描写も多く、特に主人公姉妹の姉の方は妹からのツッコミや事故でよく死亡する。妹の方も時折死亡する。流血沙汰もしばしば。そこまで精緻に描いていないため、グロテスクな描写が苦手な方でも読める。下ネタが駄目ならば諦めよう。

 可愛らしいファンタジーの箱庭を分泌物で覆いつくしたうえで、さらに鋭いギャグも繰り出される。胃から飛び出たサンドイッチが綺麗に弁当箱に戻ったり、魂がタバコの煙の輪をくぐり抜けたりと、芸術性が高い。鋭利なギャグに緩急を与えるためか、時折綺麗な場面も配置されている。鬱蒼とした森林に差し込む日光のコントラストを高度な画力で描いた見開きは非常に印象的。綺麗は汚い、汚いは綺麗。その両方を尖ったアイディアと画力で展開してくるのもこの作品の特徴だろう。

 ジャンルとして分類するならば「美少女もののギャグ漫画」の範疇に収まる作品ではある。それでも、ファンタジーとデザイン、お下劣ギャグ、色々な意味での芸術性といった独特の要素を兼ね備えている。ジャンルの中の外れ値にあたるのではないかと思う。ありきたりな美少女ギャグ漫画には飽きたが、同性愛気味の少女以外はお断りという方に特におすすめできる作品である。

どうしてこの漫画を手に取ったか

 ここから先が、私にとってはある意味で本題。漫画をダシに作品論をぶちまけているようなものだから読まなくてもいい。作者に対するネガティブな情報もあるため、見たくない方はここでUターンすることをお勧めする。敢えて述べるが、私は作者を告発する意図があるわけではない。

 私が作者の柴田康平先生の存在を知ったのは数年前のこと。柴田先生はかつて、「こーへー」という名義で東方Projectの二次創作を作っていたらしい。その作品の多くは現存していない。私自身、当時の彼の活躍がいかなるものだったかを詳しくは知らない。

 念のため説明するが、『東方Project』とは「上海アリス幻樂団」というサークルが開発している縦スクロール弾幕シューティングゲームを中心とした「ジャンル」である。本家本元はシューティングを中心に、格闘ゲームへの進出や、漫画や小説といったメディアミックスを展開している。

 『東方Project』の最大の特徴は大規模な二次創作コンテンツの広がりだろう。長年、多くの人々が、二次創作や原作からの刺激を受けて、東方Projectの二次創作を制作してきた。原作側が二次創作に寛容な態度をとっていたことや、数年毎に新作を出して話題性を持続させたこと、既存の膨大な二次創作の蓄積による呼び水などが要因となってか、二次創作コミュニティは今なお発展を続けている。同様に二次創作が盛んな『艦隊これくしょん』や『Fate』シリーズなどの強力なライバルも台頭したが、依然として存在感を保っている。

 インターネットの世界は広大である。比較的綺麗な二次創作コミュニティが存在する一方で、敢えておぞましいもの、拙いもの、社会から拒絶されているものから二次創作が発展していったコミュニティも存在する。実は、2018年6月頃まで、柴田先生は「こへ」という名義で「あるジャンル」において二次創作を行っていた。期間は長く見積もって数年程度だったと記憶している。ハルタでの作品掲載と並行して「ファンアート」を投稿していた。漫画業へ注力するとの理由で唯一の窓口であるTwitterアカウントを消してしまったため、今となってはその痕跡を追いかけるのは難しい。

 そして、その「あるジャンル」とは……言ってしまっていいものか、ええいままよ……「クッキー☆」である。このジャンルはニコニコ動画や2ちゃんねるなどでそれぞれ独自の発展を遂げた。ジャンルの発生元はニコニコ動画に投稿された東方Projectの二次創作である。素人やセミプロの女性声優がキャラクターに声をあてた。作品の出来があまりにもひどかったことやそれに付随する様々な騒ぎが原因で、件の二次創作作品をネタにする文化が定着してしまった。意図的にツッコミ所のある東方Project二次創作を制作して、新たなクッキー☆を生み出そうとする後継者まで現れた。いわゆるナマモノにありがちな事件が影響し、声優などの関係者がインターネット上から姿を消すという悲劇に発展したことも数知れず。良識的な人間ならばわざわざ巻き込まれにいくとは考えられない。そんなジャンルである。

 このジャンルの (特にニコニコ動画における) 特徴は、作品内外から属性を抽出し、出演声優をさながら創作物のキャラクターのように変形させてしまっていることである。作中で演じたキャラクターの言動や作品外での声優の言動、単なる声の印象、さらにはそれらを邪推・妄想して膨らませたものを蒸留し、属性を抽出。それを声優と紐付けてキャラクター化してしまった。外見は萌えキャラ、声は素人声優、そんなキメラに、二次創作するのに便利で印象的な属性が与えられている。クッキー☆で二次創作する立場から考えると、クッキー☆はこのような構造になっている。

 私が柴田先生に興味をもったのは、クッキー☆というおぞましいジャンルに首を突っ込んでいる商業作家がいるとどこかで耳にしたからである。奇妙なものを集めるのが趣味の私としては、是非とも作品を読んでみたかった。さぞかし、人の道理から逸脱した作品を生み出しているのだろう。ただ、金欠のために雑誌を購入して連載を追う習慣がなかった私は、単行本化を待ち望むばかりであった。ようやく出版された作品はスラップスティックコメディ。汚物や暴力が可愛らしいキャラクターとのギャップを与えるという独特の面白さがあり、1つの作品として満足できる出来だった。ただ、最初に興味をもった方面から考えれば、人の道理を外れているとしてもそれはギャグの範疇。ある意味では期待外れだった。しかし、それは当然のことだった。よくよく考えてみると、私は大きな考え違いをしていたのである。

当時のこへ兄貴のクッキー☆二次創作作品より引用 (意図的に画素数を下げている)。引用といっても、出典は既に消滅している。ちなみに、クッキー☆以外にも東方ProjectやRWBY、スカルガールズ、政剣マニフェスティアなどの二次創作も投稿していた。

 結局のところ、クッキー☆は呪われた出自のジャンルではあるが、柴田先生にとっては単なる二次創作ジャンルの1つでしかなかったようだ。柴田先生、もとい「こへ兄貴」はどうしてこのようなジャンルに関わってしまったのか。罪悪感はなかったのか。私の推測ではあるが、人の道理を踏み越えようという意思も、極悪非道な悪ふざけを楽しもうという邪念も特に無く、そのジャンルでの二次創作が楽しそうだから手を染めたというだけのことではないかと思う。

 ニコニコ動画で「クッキー☆」と検索すると、そのジャンルの二次創作動画が腐るほど出てくる。再生数が1万を超えているものも珍しくない。インターネットは広大で、ニコニコ動画はその中で数多くあるウェブサイトの1つに過ぎない。しかしながら、クッキー☆はそれなりに盛大に繁栄していたジャンルではあった。二次創作に不可欠のキャラクターは既に用意されていた。そこそこ人気のあるジャンルだから観客もそれなりにいた。となれば、クッキー☆で二次創作を制作しようという考えを抱いてもあながち不思議ではないかもしれない。生身の体からキャラクターに身を堕とした声優たちからすれば迷惑極まりないが、キャラクター化してしまった時点でもはや生身の声は届きようがない。インターネットから姿を眩ませた関係者も多い。下手に騒いでもネタにされるだけである (むしろ迎合していった関係者すら存在した)。クッキー☆声優たちの有様は例えるならば、スーパーに並ぶパック詰めされた肉や魚に近い。血を見ずとも美味しく調理できる材料を見て、罪悪感を抱く人もいなくはないが、多数派ではない。

 敢えて妙な指摘をするが、クッキー☆は二次創作の観点で見ると、本家本元の東方Projectと似ている部分がある。東方Projectで二次創作を行うにあたり、二次創作者にとって都合がいい点は、舞台とキャラクターが最初から用意されていることである。二次創作でのキャラクター設定が原作の設定メモや描写に由来するのは当然だが、それを深読みしたり膨らませたりして二次創作に都合のいい設定を用意することにも成功した。しかも、キャラクター間の人間関係も、原作での関係性をそのまま取り入れたり、設定から妄想して新たに生み出したりすることができた。出来合いの舞台、キャラクター、その関係性を上手に配置・加工し、最低限の原則的な設定からの逸脱の抑制に努めれば、二次創作は完成する。もちろん、二次創作にも巧拙の差があり、誰でも傑作を作ることができるわけではない。それでも、一からオリジナルの創作物を作るよりかはたやすく面白い作品を作ることができる。この出来合い創作セットを組み立てる二次創作を通じ、創作者としての腕を磨いたのか、東方Projectの二次創作をかつて行っていたという商業作家の活躍も最近耳にする (柴田先生も一応はその1人である)。右も左も分からないワナビーが二次創作で力を蓄えて、商業のオリジナル創作の世界に花を咲かせるということもあるのかもしれない。商業漫画家を目指すつもりがなくても、出来合いのキャラクターを組み立てて二次創作するコミュニティでは、自分の作品を比較的に手軽に作って発表し、他者とのコミュニケーションを楽しむということも行いやすい。鑑賞者にとっても創作物の供給が非常に多いうえに、ある程度の前提知識さえをもっていれば、共通の世界観の下にある様々な作品を楽しめる。東方Projectの二次創作コミュニティは作り手にとっても読み手にとっても都合がいい環境なのである。

 そして、それはクッキー☆もまた同様だった。舞台は曖昧なようだが、キャラクター (声優) やその関係性は、作中の描写、作品外での人間関係、それを過剰に膨らませたものを土台に開拓されていった。こうして生み出された出来合いのキャラクターを加工・配置して作品を作っていけば、作品が出来上がる。東方Projectと比べると設定などが曖昧で、その束縛も緩かった。呪われた出自であることを無視すれば、東方Project以上に自由に作品を生み出すことができた。鑑賞者もそれなりにいた。

 『レキヨミ』の特徴の1つに強烈な下ネタがある。クッキー☆は出自の都合から下ネタが非常に多い。とはいえ、東方Projectでも強烈な下ネタを武器とした二次創作は珍しくない。柴田先生の作風にクッキー☆や東方Projectでの二次創作文化が影響したかどうかは定かではないが、創作の世界では版権元の許可を得たか怪しい二次創作が我が物顔でSNSを跋扈している。クッキー☆程度では呪いにはならないかもしれない。まともな出典もなく、独自研究だらけのこの怪文書を真に受ける人もいないだろう。そもそも、クッキー☆で活躍したさる人物が、東方Projectの公式誌に作品を掲載したという前例もある。柴田先生はクッキー☆の呪縛に捕らわれることなく活躍できると信じております。以前の読み切りや短期連載は単行本化するのでしょうか。読むにはハルタの既刊を買うしかないのでしょうか。人気が出てほしいものです。

……そんなことを書いていたら、短篇集『んねこん』が発売されました。ただ、まだ単行本化されていない短篇や短期連載作品があったはずです。続報を待ちます。

『んねこん』、『めんや』といった他の柴田康平作品については、「柴田康平作品を振り返る【レキヨミ】【んねこん】【めんや】」という記事に紹介文や評価などを書いています。