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2019年11月19日火曜日

結局のところ、"This Man"とは何だったのか


EVER DREAM THIS MAN?より引用

"This Man"とは?

 2008年冬、イタリア人のAndrea Natellaは奇妙な夢を見た。不思議な男が現れて、自身についての情報を集めるウェブサイトを作るように指示したのだ。この男は数多くの人々の夢に現れる謎多き人物であり、その通称は"This Man" (直訳すれば「この男」)。

 NatellaがThis Manの啓示に従って制作したウェブサイトEVER DREAM THIS MAN?によると、This Manの存在が初めて確認されたのは2006年1月のこと。ニューヨークのある著明な精神科医が、女性患者から同じ男が度々夢に現れるという話を聞いた。女性患者はその男の似顔絵を描いた。私生活についてのアドバイスを受けたこともあると語った。現実では会ったことがなく、夢の中でのみ現れるという。

 精神科医は似顔絵を机の上に置きっ放しにしていた。数日後、ある男性患者がその絵を見て、自分の夢によく出てくる人物だと訴えた。男性患者も現実ではその男に会ったことがないという。精神科医は別の精神科医にその似顔絵を送った。すると、数ヶ月のうちに、4人の患者がこの男が出てくる夢をよく見ていることが判明。最終的に、2006年1月から今日までで、少なくとも2千人以上がこの男を夢に見たと主張した。この事例はロサンゼルス、ベルリン、サンパウロ、テヘラン、北京、ローマ、バルセロナ、ストックホルム、パリ、ニューデリー、モスクワなど、世界中に及んだ。この男の夢を見た人々の間に関係性や共通の特徴は確認されていない。また、似顔絵と類似した容貌の人物も知られていない。

 以上がThis Manの概要である。

 有名な似顔絵はNatellaが『Ultimate Flash Face』というソフトウェアで作成したものである。このソフトウェアを選んだ理由は、似顔絵制作用のソフトウェアとして最初に見つけたものを選んだだけらしい。また、30年前にThis Manの夢を見た人がいた証拠も存在するという。インド人のグルArud Kannan Ayyaのように、自身がThis Manであると称する人もいるらしい。

5つの説

 前述のEVER DREAM THIS MAN?では、This Manの正体を説明する5つの説が挙げられている。

元型説
This Manはユングの精神分析理論における元型の1つであるとする説。
創造主説
This Manは創造主が現世に顕現する化身の1つであるとする説。
夢の旅人説
This Manは現実に実在する人物であり、他人の夢に入り込む能力を持っているとする説。現実でも夢で現れるのと同じ姿をしていると主張する人もいれば、全く異なる容貌であると考える人もいる。大企業がThis Manの夢を見せているという陰謀説もこれに含まれる。
夢の模倣説
This Manの話を知って印象的に思ったために、夢の中でもThis Manを登場させてしまうという現実的な説。
覚醒時の認知説
普通、夢で見た人の顔を正確に覚えているわけではないため、覚醒時に夢の中の人の顔をThis Manに置き換えて解釈してしまうという現実的な説。

夢の事例

 EVER DREAM THIS MAN?では具体的な夢の事例も紹介されている。夢を見た人の住所などは伏せられている。訳出を試みたが、誤訳が混在する可能性もある。ご容赦いただきたい。

ここ数年間、何度も同じ夢を見ている。夢の中では、背が高く色黒の男が写真を見せて、この男はお前の父親かと尋ねてくる。写真の中の人物は、今までに一度も会ったことがない男で、件のThis Manである。自分の父親とは全く似ていない。それなのに、私は何故か自分の父親だと答えてしまう。普段はここで目が覚める。そのときは非常に穏やかな心地でいる。夢がさらに続くこともある。夢の中で、私は父の墓の前に立っている。花を供えたときに気づくのだが、墓に置いたはずの遺影が無くなっている。
This Manを最初に夢に見たときに恋に落ちた。本当は醜い男だと分かっている。それでも、夢に出るといつも、ロマンチックな身振りと甘い言葉で私は夢中になってしまう。彼は花や宝石を買ってくれる。ディナーに連れて行ってくれたり、浜辺で夕焼けを見せてくれたりする。
よく自分が住む街の上空を飛ぶ夢を見る。空の上から友人の様子を見たりする。ある家の方に行ったときから、飛行中にThis Manに出会うようになった。空を飛ぶ夢を見るときに毎回出てくるわけではないが、出てくる頻度は高い。This Manも空を飛ぶが、決して話しかけてこない。
初めてThis Manが出てくる夢を見た頃、私は仕事で苦労していた。その夢の中で、私は巨大なショッピングモールの廃墟を彷徨っていた。すると、突然にThis Manが現れた。私は彼の元から逃げ出した。This Manは1時間ほど私を追い回した。最終的に私はスーパーマーケットのキッズエリアで追い詰められた。すると、This Manは微笑みかけ、レジへの行き方を教えてくれた。そこで目が覚めた。その夜以来、This Manは私の夢にいつも現れ、夢から覚めるにはどうすればいいか案内してくれる。そうして私は目が覚める。
私は同性愛的な関係を持ったことがない。空想したことさえない。しかし、いつもThis Manと性交する夢を見る。私は夢の中で悦びを感じてしまう。時折夢精していることもある。
私がThis Manを夢で見たとき、彼はサンタクロースの格好をしていた。This Manが現れたとき、私はまるで幼い少女のようにとても嬉しく感じた。This Manが私に微笑みかけると、彼の頭は風船になり、空中を浮いていった。どれほど頑張って取ろうとしても、手が届かなかった。
This Manが出てくる夢を見たのは私が10年生の頃。一度だけで、繰り返し夢に出てきたわけではない。しかし、記憶に残るとても怖い夢だった。夢の中で、私は部屋の中でスツールに座ったまま動けなくなっていた。数フィート離れたところにテレビが置いてあった。そこに会ったことのない2人の男 (This Manではない) がやってきて、私を襲ってきた。目が覚めたとき、私は汗と涙でびっしょりで、叫び声をあげていた。どうにか眠りにつくと、またその部屋にいた。私は叫び声をあげ、泣きわめき始めた。すると、This Manがテレビに映った。私はThis Manに襲ってこないでほしいとお願いした。This Manは無表情のままで、言葉も発さなかった。This Manは私の喉を切り裂いた。そこで目が覚めた。私はThis Manが自分を悪夢から解放してくれたのだと思っているが、数週間はThis Manのことが頭から離れなかった。私はThis Manを描いたスケッチを今も持っている。変なことだとは分かっている。
This Manが夢に出たとき、鏡の中から無言で私を見ていた。This Manは眼鏡を掛けており、全く動かなかった。まるで彫像のようにじっとしていた。
夢の中のThis Manはブラジル人でとてもハンサムだった。学校の先生のような感じで、右手に指が6本あった。This Manは、もしアメリカで核災害が起きたら北へ行けと言った。
This Manを全く別の夢で3回見たことがある。似顔絵とは若干違っていたが、すぐに彼だと分かった。どの夢でも同じように突然に現れて消えていった。毎回、「それで終わりだ」というメッセージを残した。似顔絵との違いは、頭頂部の髪の毛がもう少し長いことと、眉がそこまでふさふさとしていないことであり、それ以外は同じである。私はThis Manに対して恐怖を覚えなかったが、疑問はたくさんあった。

 NatellaはVICEというメディアで別の夢の事例を紹介している。

日付: 2014年1月5日
場所: アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ
自分の部屋にいると、両親の部屋からくぐもった叫び声が聞こえた。それから、部屋の外の廊下で何かが引きずられる音が聞こえ、ドアがゆっくりと開いた。そこにはThis Manがいた。This Manは何かを引きずりながら部屋に入ってきた。引きずられていたものは両親だった。This Manはゆっくりと両親を壁に寄りかからせた。両親は私の方をじっと見ていた。This Manは壁に血で何かを書いて、それから私の方に目を戻してじっと見つめてきた。部屋が暗くて何が書かれたかは読めなかった。私は呼吸を抑えて寝たふりをした。しばらくして、目がだんだんと暗闇に慣れてきた。壁にはこのように書かれていた。「お前、起きてるだろ」
日付: 2013年9月2日
場所: オーストラリア・パームビーチ
事が始まったのは私が7歳の頃。10年間、火曜日と金曜日に全く同じ夢を見続けた。私は今は17歳で、This Manのことは見慣れている。ただ、見る夢はあまり気持ちのいいものではない。夢の中では、私はベッドに横たわっている。This Manはカウボーイハットを被っていて、私の方に身を乗り出して、変な音をたてている。まるで唸っているかのようだ。シャツの上には丸い金のペンダントが見え、そこには「北へ行け」と彫られている。寝室をまたがって私を見つめていることもある。朝に目が覚めると毎回、意味もなく泣き出してしまう。This Manのせいでホルモン異常を起こしているみたいだ。このウェブサイトでその絵を見たとき、恐怖で泣きわめいてしまった。This Manは決して話しかけてこなかった。変な音を出すだけだ。
日付: 2013年3月7日
場所: アメリカ合衆国ユタ州
夢では真夜中で、This Manは公園を通って私の後をつけてきた。どうして追いかけてくるのか理解できず、私は走り出した。This Manはたやすく同じペースで後をついてきた。This Manは小さくうめくと速度を上げ、私の目の前に現れた。そして、手を伸ばして逃げ出そうとする私の動きを止めた。This Manは私を引き寄せ、ある言葉を発した。今も毎晩この言葉について考えている。「2021年4月9日に北へ行け。それだけが生き延びる術」。This Manはこう言って走り去った。もっと聞き出そうと追いかけたが、ついていけなかった。遠くへと姿を消していくのを見ていると、奇妙な感覚に陥った。This Manが視野から消えたとき、すぐに目が覚めた。

 VICEには2011年1月9日のアメリカ合衆国フロリダ州フォートローダーデールでの事例も掲載されているが、上手に訳出できなかったため本稿では紹介しない。

"This Man"の正体

 ところで、This Manの情報提供を呼びかけるウェブサイトを制作したNatellaという人物だが、その専門はマーケティングである。ご想像のとおり、This ManはNatellaの傑作の1つであり、数千人もの人が見たとされる謎の男は実在しない。ただし、Natellaの目的は明確には分かっていない。社会実験か、実力を示すためのデモンストレーションか。The Daily Dotでは、映画監督Bryan Bertinoが製作する予定だった映画の宣伝のためと推測されている。This Manという同名の映画が公開される予定だったが、現状では映画の計画は凍結しているらしい。

 2015年1月15日にThis Manを事実であるかのように記載した記事を掲載したVICEは、あれは実は嘘でしたという記事も同日に掲載している。前者は午後2時掲載、後者は午後11時40分頃掲載。後者の記事はNatellaの公式サイトにあるThis Manを紹介するページで引用されている。まるで隠す気がない。

 This Manが話題になったのは、良くも悪くも真に迫っていたためでもあるだろう。じっとThis Manの似顔絵を見つめていれば、もしかしたら夢の中でThis Manが現れるかもしれない。せめて、ホラーな夢である方が話の種にはなるだろう。ラブロマンスだったら洒落にならない。


どういうわけか本邦で漫画の題材に。週刊少年マガジンやマガジンポケットで2018年から2019年にかけて連載された。作画は『BLOODY MONDAY』で有名な恵広史。 また、フジテレビのテレビ番組『世にも奇妙な物語』の2017年公開のエピソード「夢男」もThis Manを題材としている。 この漫画やテレビ番組がNatellaのマーケティングと関係があるかは調査しきれなかった。
NatellaのEVER DREAM THIS MAN?にはファンアートを掲載するページもある。その中にはThis Manは虚偽であると特集する雑誌のページを引用した写真も混入している。意図的かは不明。

参考文献

 いずれも2019年10月下旬に参照。

  1. Natella, Andrea. EVER DREAM THIS MAN?.
  2. Natella, Andrea. This Man.
  3. Cook, James (2013年10月17日). When déjà vu is just a marketing stunt online. The Daily Dot.
  4. Butler, Blake (2015年1月15日). The Face Everyone Dreams About. VICE.
  5. Ugh, We Just Got Hoaxed: The Real Story About the ‘This Man’ Dream Face. VICE. 2015年1月15日.
  6. Newitz, Annalee (2013年10月25日). Why Are Thousands of People Dreaming About This Man? GIZMODO.
  7. 『This Man その顔を見た者には死を(1)』(恵 広史,花林 ソラ). 講談社コミックプラス.
  8. 中条あやみ初主演で、不気味過ぎると話題の男This Manとまさかの共演!!. フジテレビ.

2019年10月14日月曜日

【ゆっくり語る奇妙な事件】ネットオークションで呪われた絵が出品された話【eBay Haunted Painting】


 前作「コニシタカコ事件」に引き続き、にニコニコ動画とYouTubeで動画を投稿した。この動画は拙ブログの記事「"The Hands Resist Him"、呪われた絵がeBayで出品された話」をベースにしている。動画制作にあたって事件を再調査したところ、記事で追記や修正が必要な箇所があると発覚。どういうわけか、参考文献によって情報が異なる部分がある。怪談の真偽以前に、参考文献の真偽にも謎が多い。

 この動画シリーズの続篇は未定である。「事件録」ラベルには『「ニューメーカー事件」、フランネルの子宮の中で』という記事があるが、この記事は動画化しない予定。

素材の提供元および参考文献

 解説動画の末尾に使用した素材の提供元と参考文献を掲載しているが、この場で改めて紹介する。

素材・ソフトウェアの提供元

 素材・ソフトウェアの提供元は下記の通りである。ただし、ニコニコモンズ由来の素材はコンテンツツリーに掲載したため省略する。コンテンツツリーに登録した素材も含め、この素材やソフトウェアがなければ動画は完成しなかった。改めてお礼申し上げる。

参考文献

 動画制作にあたって、動画の元となった記事で紹介したものだけでなく、下記の情報源も参考にしている。

  1. About Stoneham Studios. Stoneham Studios. 2019年10月12日閲覧.
  2. Hands Resist Him / eBay Haunted Painting. Know Your Meme. 2019年10月12日閲覧.
  3. John Marley. IMDb. 2019年10月12日閲覧.

 件の絵画とその続篇はStoneham Studiosのウェブサイトで鑑賞できる。例のオークションのページは現存しないようだが、O'Neill氏の小説The Hands Resist Him: Be Careful What You Bid Forの冒頭でオークションのページのスクリーンショットが引用されている。その部分はAmazonで試し読みが可能である

2019年10月9日水曜日

【ゆっくり語る奇妙な事件】雪中の怪死事件、トレジャーハンターの死の真相


 前作「スレンダーマン・スタビング」に引き続き、にニコニコ動画とYouTubeで動画を投稿した。この動画は拙ブログの記事「"This Is A True Story"、トレジャーハンターとされた日本人女性の悲しき真相」をベースにしている。仮に次回作が存在すれば、今回と同様に「事件録」ラベルの記事をベースにする。ネタバレ注意。次作はeBayで呪われた絵が出品された事件についての解説です。

素材の提供元および参考文献

 解説動画の末尾に使用した素材の提供元と参考文献を掲載しているが、この場で改めて紹介する。

素材・ソフトウェアの提供元

 素材・ソフトウェアの提供元は下記の通りである。ただし、ニコニコモンズ由来の素材はコンテンツツリーに掲載したため省略する。コンテンツツリーに登録した素材も含め、この素材やソフトウェアがなければ動画は完成しなかった。改めてお礼申し上げる。

参考文献

 参考文献は動画の元となった記事と同一であるため省略する。特に重要な参考文献はPaul Berczeller氏のドキュメンタリー『This Is A True Story』であり、それ以外の参考文献はそのドキュメンタリーを紹介する記事がほとんどである。英語が分からなくても、本動画を参考にすればドキュメンタリーのだいたいの内容が理解できるはずだ。本動画に誤りがなければの話だが……。

2019年10月1日火曜日

【ゆっくり語る奇妙な事件】スレンダーマン・スタビング 参考文献など (2019年10月14日追記)


 前作「エリサ・ラム怪死事件」に引き続き、にニコニコ動画とYouTubeで動画を投稿した。この動画は拙ブログの記事『「スレンダーマン・スタビング」、心に巣食った影』をベースにしている。仮に次回作が存在すれば、今回と同様に「事件録」ラベルの記事をベースにする。ネタバレ注意。次回作として映画になった例の事件を動画化しました。

素材の提供元および参考文献

 解説動画の末尾に使用した素材の提供元と参考文献を掲載しているが、この場で改めて紹介する。

素材・ソフトウェアの提供元

 素材の提供元は下記の通りである。ただし、ニコニコモンズ由来の素材はコンテンツツリーに掲載したため省略する。コンテンツツリーに登録した素材も含め、この素材やソフトウェアがなければ動画は完成しなかった。改めてお礼申し上げる。

参考文献

 ほとんどの参考文献は動画の元となった記事と同一であるため省略する。ここでは、動画を作成するにあたって新たに参考にした文献を紹介する。

  1. Woolf, Nicky (2015年2月18日). Slender Man notebooks presented as Wisconsin court ponders charges. The Guardian. 2019年7月5日閲覧.
  2. Robson, Steve (2018年4月15日). Never-seen-before images from Slender Man stabbing show 12-year-old victim's blood-soaked clothing and knife used in horror crime. Mirror. 2019年7月5日閲覧.
  3. MrCreepyPasta (2014年6月4日). Narrators uNIGHTed. YouTube. 2019年9月27日閲覧.
  4. Googleマップ

 ちなみに、モーガンの精神病の話や「IT」の話などのほとんどは『Living with Slenderman』を参考にしている。この記事によれば、モーガンはまさに題名通りの生活を送っていたとのことである。

更新: 誤植と訂正

 動画の中で下記のような誤植がありました。お詫び申し上げます。

項目
スレンダーマンの起源2008年2009年
加害者2人がスレンダーマンのことを知った時期2003年2013年

更新: コメント返信

Hi, Georgie!

 一時期某所で妙な流行り方をした『IT』に由来すると思しきコメント。

 動画の下敷きにした記事にも書いたことですが、実は関係ないらしいです。『Living with Slenderman』によれば、単なる偶然とのこと。

使用したBGM

 すべてH/MIX GALLERYで提供されているものです。様々な動画やゲームなどで使用されているため、聞いたことがある方も多いと思います。コメントがついた箇所で使用されているのは『果物屋』です。他にも下記のBGMを使用しています。

  • 人形遊び
  • ロンドンの死
  • ブリキのコーヒーメーカー
  • 謀略の間
  • 移動式井戸

2019年9月6日金曜日

『DmochowskiGallery.net』の歩き方——ベクシンスキ作品を楽しむ

 ズジスワフ・ベクシンスキ (Zdzisław Beksiński、1929 - 2005) という人物の名を聞いたことがある方も少なくないだろう。死や荒廃、恐怖に彩られた幻想絵画で有名なポーランドの芸術家である。本邦では「バイオマニエリズム」なるジャンルの作品を集めた画集で取り上げられたこともある。しかし、幻想絵画を始める前は専ら写真や彫刻、レリーフ、デッサンを制作していたことをご存知の方はあまり多くはないのではなかろうか。晩年の頃にはフォトモンタージュやコンピュータ・グラフィックスにも取り組んでいた。そんなベクシンスキの作品を誰でも鑑賞できるウェブサイトが『DmochowskiGallery.net』である。このウェブサイトではベクシンスキの友人だったピョートル・ドモホフスキ (Piotr Dmochowski) がベクシンスキの作品や為人を紹介している。ポーランド語や英語などには対応しているが、日本語には対応していない。極東の我が国は見捨てられたのかと嘆きたくなるが、実はそうでもない (詳細は後述する)。本稿ではベクシンスキの来歴とDmochowskiGallery.netについて簡単に紹介する。ベクシンスキの作品を楽しむ一助になれば幸いである。

ベクシンスキの生涯

サノク (Sanok)

 ベクシンスキは、ポーランド南東の町サノクで生まれた。曾祖父マテウシュ・ベクシンスキ (Mateusz Beksiński) は11月蜂起に参加した人物であり、バス製造会社Autosan (アウトサン) の創業者の1人でもある。ただし、創業当初はボイラー製造事業を営んでいた。ベクシンスキもバスのデザインを行ったことがあるらしい。また、祖父は建築監督、父は測量技師だった。

 1947年、ベクシンスキはクラクフ工科大学に進学し、建築学を学んだ。これは父の方針によるもので、ベクシンスキ自身は映画監督志望だった。当時のポーランドは苦難の歴史を経て荒廃していた。父は建築家になれば仕事に困らないと考えてこの道を強制したが、ベクシンスキはこの仕事を嫌っていた。在学中の1951年に妻ゾフィアと結婚し、翌年に卒業した。復興のための事業として国から現場監督の仕事を強制され、その後、1955年にサノクに帰還した。1958年にはただ1人の息子であるトマシュが誕生する。1977年にサノクを離れ、ワルシャワへ移住した。

 芸術家としてのキャリアは1950年代から始まった。最初は写真家として活動を始め、デッサンや彫刻、レリーフの制作にも取り組んだ。当時、ポーランドで流行していた表現主義の影響も受けていたという。有名な絵画作品とは異なり、初期の幻想絵画以前の作品は抽象的な要素が強かった。幻想絵画の制作は1960年代から始めた。1965年頃に油彩を学び、悪夢のような世界を緻密な筆遣いで描いていった。当時のポーランドが経験した受難に作風の根源を求める人もいたが、ベクシンスキはそのような解釈を嫌っていたという。作品制作に対する姿勢は孤高と形容すべきもので、他の芸術家との交流を拒み、旅行もせず、クラシック音楽を流しながら独りで黙々と創作を続けていった。食物への嗜好もよくある芸術家像とは異なるもので、自然のままのものよりも、肉の缶詰のような加工品を好んでいたという。2000年代、つまり70歳頃にはコンピュータ・グラフィックスの制作を開始していた。旺盛な創作意欲が伺える。

 一方で、その生涯には苦難の影もあった。一人息子のトマシュは1977年の引越しの折、恋人が別の男と結婚するという出来事があったこともあり、自身の死亡通知をサノク中に貼って回るという事件を起こしたことがあった。1998年に母ゾフィアが亡くなり、その翌年の1999年12月24日、鬱病を患っていたトマシュはワルシャワの自宅で自殺した。ワルシャワへの転居以降、トマシュは輸入版映画翻訳者として活動しており、ジェームズ・ボンドやダーティハリー、モンティ・パイソンなどを翻訳した。また、ポーランド・ロック界におけるカリスマ的ラジオDJでもあった。自殺の際には親しかったロックバンドが追悼アルバムを出している。トマシュの経歴のためか、バンド「Collage」 (前述のロックバンドとは別) のアルバムには、ジャケットにトマシュ所蔵のベクシンスキ作品が使用されたものがある。

Collageのアルバム

Collageのアルバム・ジャケットには、旧西側世界では未紹介だった作品が使用されたという。

 妻や息子の死の後も作品制作を続けていたベクシンスキだったが、2005年2月、76歳の誕生日を前にワルシャワの自宅で刺殺された。犯人は2人おり、主犯は当時19歳の少年だった。少年はベクシンスキと古くからの友人だった使用人の息子で、金を巡って犯行に及んだと言われている。孤高の幻想画家の最期としてはあまりにも呆気ないものであったが、それでも至高の作品の数々は今もなお色褪せることがない。

DmochowskiGallery.netを歩く 絵画編

 ベクシンスキ作品をお手軽に楽しみたい我々にとっての強い味方が『DmochowskiGallery.net』である。ベクシンスキの作品を手法や傾向で分類して展示している。資料も豊富に公開されている。まずは前述のリンクを開いてみよう。言語を選ぶことができるが、前述のとおり、選択肢には日本語が存在しない。日本人ならば取り敢えず英語版を選ぶのが無難である。ポーランド語に堪能な方は自分で読んだ方がいい。本稿はポーランド語を英語や日本語に訳した文献を参考に、芸術のげの字も知らない素人が執筆している。

 言語選択の後は2つの選択肢が出てくる。左はベクシンスキの作品紹介ページへ繋がる。右のリンク先では、ベクシンスキではなく別の数名の芸術家の作品が展示されている。本稿では後者のページで紹介される芸術家については詳細に言及しないが、こちらでも興味深い作品を多数閲覧できる。

 左のリンクを選ぶと、待ちに待ったベクシンスキの作品紹介ページに移る。上のメニュー欄の「background music」をクリックするとBGMが流れるという小粋な仕掛けが施されている。順番通りにRoom 1から鑑賞してみよう。最初のRoom 1ではベクシンスキの最初期の作品である1950年代に制作された写真作品が展示されている。大きく加工を施されたものも多い。被写体の多くは故郷サノクの人物らしい。Room 2では1960年代の彫刻やレリーフといった抽象的な立体作品が展示されている。Room 3は1950年代、つまりは写真と同時期に制作された半抽象的な絵画作品が掲載されている。万年筆やボールペン、インク、クレヨンなどで描かれている。Room 4には1960年代に制作されたデッサンが並ぶ。インクやボールペン、鉛筆などで描かれており、1950年代の半抽象絵画の多くと同様にモノトーンだが、性的な表現が強く押し出されている。

 Room 5に掲載されている作品は1970年代、つまり油彩の幻想絵画を制作し始めた後のものであり、こちらは油彩ではなく鉛筆で描かれている。このような線描の作品制作は1980年代前半に一旦停止するが、1980年代の終わり頃に再び取り掛かる。こちらはRoom 6に展示されており、簡素なスケッチといった趣である。Room 7には1990年代から2000年代にかけてのボールペンや水彩などで描かれた絵画が掲載されている。Room 8は時間を遡りって1960年代。モノタイプが少数展示されている。Room 9も同じく1960年代で、こちらはヘリオタイプ。ガラスに黒の塗料で絵を描き、感光紙の上に配置して日光に晒すといった方法で複数枚のコピーを作成した。

 Room 10から13はいずれも油彩の幻想絵画が展示されている。この辺りから一般にも有名な作品が出てくるようになる。幻想絵画にしか興味がないのならば、これらのページを閲覧するだけでも十分かもしれない。Room 10には1968年から1983年の作品が展示されている。生き生きとした色遣いで精密に描かれており、どこか逸話的なものを感じさせる。後半には白黒の作品が並んでいるが、これはベクシンスキが作品完成後に撮影した白黒写真を掲載したものである。現物は国外にあるか、代理店や画廊を通じて販売されたために誰が所持しているか不明であるため、ウェブサイトに掲載できなかったという。Room 11は1984年から1989年に制作された作品が並ぶ。Room 10の頃と比べると落ち着いた傾向にあるとの理由から区別されているらしい。言われてみると、Room 10はRoom 11よりも背景に細々と物が描かれていたり、色遣いが比較的強烈だったりといった違いがあるような気もする。1990年から1994年のRoom 12の絵画はさらに単純化が進み、色も抑え気味である。Room 13は1995年から2005年、つまりは晩年までの作品で、人物が絡み合った糸のようなもので構成されているかのように描かれたものが多い。ここまで来ると、Room 10の頃とは作風が全く異なるのが素人目でも分かりやすい。

 Room 14から16はいずれも、同じテーマで変化を加えたものを複数作るという意図で制作された作品が並ぶ。Room 14は1990年代に制作されたもので、写真複製機を使用している。写真複製機で絵画をコピーして手を加えるという手法をとったが、コンピュータに乗り換えたことで写真複製機はお払い箱になる。Room 15は1990年代に制作されたコンピュータによるフォトモンタージュ作品が掲載されている。Room 16は2000年代、つまりは晩年頃のCG作品である。コピーを50部だけ印刷し、原本のデータは削除するといった流れで販売する予定だったが、計画が進む前に殺害されてしまった。そのため、正規のCG作品はこの世にほとんど出回っていないらしい。仮に売られていたとしたら、非常に稀少な本物、そうでなければウェブサイトから盗ってきた偽物だろう。

DmochowskiGallery.netを歩く 資料編

 このウェブサイトは作品だけでなくベクシンスキ関連の資料も豊富で、音声資料や映像資料も取り揃えている。ただ、日本人の我々にとっては色々と厳しいものがある。そんな極東の民でも楽しめるページを2点紹介する。

 まずは「Reminiscences」。ベクシンスキ本人やその身の回りのものを写した写真が並んでいる。孤高の画家というイメージには合わないものも多い。若かりし頃のおどけたり笑ったりした姿を捉えた写真は必見である。一方で、缶詰やジュースが並んだ様子を撮影した写真もある。妻の死後は牛肉の缶詰やフルーツジュース、コーラ、そうでなければマクドナルドと粗末なものばかり食べていたという。

 ここまで全て外国語のページばかりだったが、実は日本語のコンテンツも存在する。本邦で出版された画集の一部がここで掲載されているのだ。文字が小さくて少し読みにくいものもあるが、質の高い日本語の文献を無料で読めるのだからありがたい話である。ちなみに、詳しく紹介はしないが、画集を出版するにあたっての契約関係の書類まで資料として公開されている。ここまで一芸術家の情報が集約されているウェブサイトは滅多にないだろう。

 ただ、データではなく紙の本が手元に欲しいという方もいるだろう。実はとつい最近にも新装版の画集が出版されている。私も買いました。いくつか誤植があるのが気になるが、手元に画集があるというのはなかなか気分の良いものである。ウェブサイトの低画素数の絵で満足できないのならば購入して損はない。このての画集はいつの間にか絶版になっていたりすることもあるためお早めに。

ベクシンスキ作品集成 I ver.1.2
ベクシンスキ作品集成 I ver.1.2
最近出版された新装版。幻想絵画や初期の写真作品が収録されている。ver. 1の方は中古でしか買えないようだ。
こちらもAmazonで新品が購入可能。

2019年8月20日火曜日

"The Hands Resist Him"、呪われた絵がeBayで出品された話 (2019年10月13日追記)

この記事をゆっくり解説化しました。宜しければどうぞ。
eBayのオークションで恐怖譚に添えられた写真 (出典: Gilbert)

 eBayとは世界的に利用されているインターネットオークションサイトである。そんなグローバルでハイテックで最先端を行くウェブサイトで、2000年2月に題名通りの時代錯誤な代物が出品されたらしい。今となってはそのオークションのページ (Surfing The Apocalypseによるとhttps://www.ebay.com/itm/251789217?ViewItem=&item=251789217) は消滅しており、情報は断片的にしか残っていないが、次のような「体験談」が添えられていたという。なお、以下に示す訳はあまり正確なものではないため、参考程度でお願いします。

この絵をもらったときは本当にいい芸術作品だと思っていました。ある人からもらったのですが、その絵は古い醸造所に打ち捨てられていたそうです。 そのときは、すごく素敵そうな絵がそんな風に捨てられていたなんて少し不思議だなと思っていました (今はそう思わないけどね!)。 ある朝、4歳と半年になる娘が、夜中に絵の中の子供たちが喧嘩して部屋に入ってくると訴えてきました。 UFOが実在するとかエルビスが生きているなんて話を私は信じませんが、夫は不安を感じました。おかしな話ですが、夫は動きを検知するカメラを夜間に仕掛けたのです。 3日後に写真が撮れていました。最後の2つの写真 ([訳註]上図を参照) はこの「張り込み」のときに撮影されたものです。 絵の中の少年は ([訳註]少女に銃で) 脅迫されて絵から抜け出てくるようです。それを知った私たちはこの絵を手放すことにしました。

 その後に、心臓の弱い人は入札してはならない、購入後にいかなる事象があっても免責されるなどの警告文が続く。確かに不気味な雰囲気を纏った作品ではある。私からすれば扉の後ろの手の方が気になるが、出品者は少女人形の持ち物の方を強調していた。

 しかし、オークションのページにはその後に別の意味でいっそう奇妙な記述が加わる。あの体験談は本気にとらないでほしいというようなことが記載されているのだ。 このオークションのページは、出品されてから数時間のうちにインターネット中を広まったらしい。絵を見てひどく気分が悪くなった、卒倒した、見えない存在に体を掴まれた、絵を見た子供が叫び出したなどという体験談を語る人まで現れたという。少なくとも3万人が閲覧したとのことである。 最初は199ドルだったものが、30日間で1,050ドルにまで膨れ上がったものだから、出品者も肝が冷えたのかもしれない (追記: 再調査の結果、文献によって落札価格や日数が異なることが判明した。詳細は追記にて)。

 絵は最終的にミシガン州グランドラピッズにある画廊Perceptionのオーナーのキム・スミス (Kim Smith) 氏が落札した。 スミス氏の元にはホラーな現象は起こらなかったが、奇妙な電子メールは届いた。ミシシッピ州に住むネイティブアメリカンのシャーマンを称する人物は、絵を見て具合が悪くなり、住居を清めるべくホワイトセージを燃したという。彼は小さな子供がいるような場所に絵を飾らないように警告した。 別の人物はエキソシストのような声を聞き、熱を帯びた突風を感じたという。さながらオーブンのドアの前に立っているかのようだったそうだ。2人の友人が泣きわめき、1分間お祈りを続けたとのことである。 他にも、ジョージア州のゴーストハンターや、ジョン・F・ケネディ大学で超心理学を専攻する大学院生からコンタクトを受けたこともあったという。複製品を求める声もあった。

 落札者は絵から様々な情報を得た。題名はThe Hands Resist Him、作者はBill Stoneham氏。落札者は作者と思しき人物に連絡をつけ、オークションの件について教えた。作者のStoneham氏はこの奇妙な事件に驚いた。どうしてあの絵を子供部屋に飾ったのだろうと不思議に思ったという。

 当時、Stoneham氏はコンピュータゲーム制作会社シアン・ワールズ (Cyan Worlds) に勤めるCGアーティストだった。元来、その作品は1972年頃に制作されたものだった。最初の妻 (VincentによるとRoane、AlfonsoによるとRhoannという名) が書いた詩から着想を得て描いた。絵の題名もその詩からそのまま借りた。

 Stoneham氏は産まれたときから養子に出され、実の両親の顔を知らずに育ったそうだ。妻の詩にはこのことが言及されていた。 当時、彼は古い家族写真のアルバムを持っていた。その中には、シカゴのアパートに住んでいたときの5歳の彼を写した写真もあった。 その頃は、広告業界で働く養父が長い旅に出ており、節約のために養祖母のアパートで暮らしていたのである。狭い場所だったらしく、夜寝るときは衣類でいっぱいのクローゼットの中に敷かれたマットの上に横になるしかなかったという。 こんな生活をしていた頃の写真が、作品のヒントとなった。ただ、その写真そのものは引越しの際に処分してしまったそうである。

 絵の中の少年はその写真中の彼自身がモデルである。少女人形は同じ写真に写っていた近所の少女を元にしている。 扉は可能性への門を意味し、覚醒と夢見とを隔てるもので、手は別の人生の可能性を表すらしい。少女人形は想像上の仲間であり、夢見の世界の案内人でもあるという。ちなみに、出品者が銃と解釈したものはただの乾電池であるという。

 件の絵が描かれた20代の頃はカリフォルニアで暮らしていた。画廊のオーナーCharles “Chuck” Feingarten氏と契約し、1ヶ月に2作の絵を描く仕事をしていた。締め切りが迫る中、子供時代の古い写真と、妻の詩とが画家に閃きを与えたのである。こうして誕生したThe Hands Resist HimもFeingarten氏が購入していった。 ちなみに、Stoneham氏はThe Gatheringという題名の絵も描いたが、Feingarten氏はその作品は買わなかった。あまりにもダークすぎる絵だったからだそうで、Stoneham氏によれば、後にその絵を買ったある男性は発狂して自身の倉庫に火を放ち、刑務所で一生を終えたという。

 その後、The Hands Resist Himは1974年に展示され、映画『ゴッドファーザー』でジャック・ウォルツ役だったジョン・マーリー (John Marley) 氏が購入した。 ロサンゼルス・タイムズ紙の芸術評論家Henry Seldis氏はこのStoneham氏の作品展示について評論を書いたが、1978年、53歳の誕生日の前日に自殺と思しき死を遂げた。離婚問題が原因で抑鬱的な状態だったという。Feingarten氏も3年後の1981年に亡くなった。マーリー氏も同じく3年後の1984年に亡くなっている。 関係した3名が次々と死亡する。さながら、ファラオの呪いのような展開だが、それから絵がどのような来歴を辿ったのかは、Stoneham氏も分からないという。 eBayの出品者の「体験談」がどこまで真実だったのかは定かではないが、廃墟と化した醸造所に放置されていたのは本当だったかもしれない。それすらも法螺話かもしれない。真実は闇の中。

Darren Kyle O'Neill著の小説The Hands Resist Him: Be Careful What You Bid For
映画の紹介映像

 単なる空騒ぎのようにも見えたこの事件だが、思わぬ副産物もあった。この騒ぎがきっかけで、この絵の続編が描かれたのである。 2004年のResistance at the Thresholdでは少年が年老いて描かれた。2012年のThe Threshold of Revelationでは100歳近い老人として描かれているという。少女人形は人間の少女へ転じた。 2017年のThe Hands Invent Himはアメリカの超常現象番組Ghost AdventuresのプレゼンターZak Bagans氏からの依頼で制作された。扉の向こう側で子供の姿のStoneham氏が絵を描いているという前日譚ともとれるものである。 また、Darren Kyle O'Neill氏がThe Hands Resist Himの権利を買い、その来歴から着想を得て小説を書いている。映画にもなるという話である。Gregg Gibbs氏もドキュメンタリーを制作中とのことである。

 塞翁が馬という言葉があるが、出品者がホラー話を書いていたときや、Stoneham氏がこの絵を描いていた頃は、このような展開は予想していなかっただろう。事実は小説よりも奇なりという言葉がよく似合う事件であった。ちなみに、The Hands Resist Himとその続編、元となった詩は騒動の後に設立されたStoneham氏のウェブサイトで鑑賞できる。

参考文献

  1. The Hands Resist Him. Stoneham Studios. 2019年7月6日閲覧.
  2. Vincent, Alice (2018年10月31日). The bizarre story behind The Hands Resist Him, the internet's most haunted painting. Telegraph. 2019年7月20日閲覧.
  3. Alfonso III, Fernando (2013年10月31日). This ‘haunted’ painting has been terrifying people for decades. The Daily Dot. 2019年8月19日閲覧.
  4. Kershner, Jim (2002年10月31日). Painting goes bump in the night. The Spokesman-Review.com. 2019年7月6日閲覧.
  5. Surfing The Apocalypse. 2000年3月12日. 2019年7月20日閲覧.
  6. The Unexplained - The Ebay Haunted Painting. BBC. 2002年7月. 2019年7月20日閲覧.
  7. Gilbert, Rowena. "Hands Resist Him" by Bill Stoneham, The Haunted Ebay Painting. Castle of Spirits.com. 2019年7月20日閲覧.
  8. eBay item 251789217 (Ends Feb-12-00 07:02:28 PST) - HAUNTED PAINTING ----- WARNING AND DISCLAIMER. WhatTheHeck.com. 2019年10月13日閲覧.
  9. HENRY SELDIS, CRITIC AND LECTURER ON ART. The New York Times. 1978年2月28日. 2019年10月13日閲覧.

追記

 この事件に関する情報源にはいくつか矛盾が見られる。Stoneham Studiosによれば、Seldis氏とFeingarten氏はStoneham氏の作品展示が行われてから1年以内に死亡したとされる。しかし、Vincentによれば、作品展示は1974年、Seldis氏が死亡したのは1978年、Feingarten氏が死亡したのはその3年後であるという。本記事では後者の情報を採用した。Seldis氏が死亡した時期については、当時のニューヨーク・タイムズ紙の記事のアーカイブが公開されており、その内容から見ても1978年が確実であると考えられる。

 また、前述のとおり、Stoneham氏の最初の妻の名前も情報源によって食い違う。VincentによるとRoaneAlfonsoによるとRhoannであるという。Stoneham StudiosのウェブサイトではR. Ponsetiと書かれており、イニシャルがRであるという点でどちらとも一致している。

 オークションの開催期間や落札価格についても矛盾がある。VincentおよびBBCによれば30日間1,050ドルで落札したとされる。しかし、AlfonsoGilbertの記事では1,025ドルで落札したとあり、Kershnerによると落札者は1,200ドル支払ったという。Alfonsoが情報源としたWhatTheHeck.com公開のeBayのアーカイブでは次のような記述となっている。

  • 最初の入札価格: 199.00ドル
  • 最終落札価格: 1,025.00ドル
  • 入札回数: 30回
  • 開始: Feb-02-00 07:02:28 PST
  • 終了: Feb-12-00 07:02:28 PST
  • 出品者: mrnoreserve
  • 落札者: ionia7
  • 出品者が怪談を真に受けないでほしいと追記した時期: Feb-02-00 at 11:36:21 PST
  • 出品者が2回目の追記をした時期: Feb-11-00 at 21:01:57 PST

つまり、オークションの開催期間はからまでの10日間ということになる。ちなみに、オークションが開始されたのが午前7時頃、出品者がおばけなんてないさと言い出したのが同日午前11時30分頃。5時間も経過していない。 このアーカイブには画像が掲載されていないが、O'Neill氏の小説The Hands Resist Him: Be Careful What You Bid Forの冒頭で引用されているオークションのページのスクリーンショットと一致している (その部分はAmazonで試し読み可能)。

2019年8月19日月曜日

「ニューメーカー事件」、フランネルの子宮の中で

 2000年4月18日、アメリカ合衆国コロラド州エバーグリーンで奇妙な事件が発生した。反応性愛着障害の「治療」中に10歳の少女の呼吸が停止。翌朝には死亡が確認された。私はこの件について専門的な見地から意見する立場にない。その治療法が有効だったのかどうかは分からない。私に言えるのは、それが危険な代物だったということだけである。

キャンディス (出典: Nicholson)

 キャンディス (Candace) が産まれたのは1989年11月19日のことである。当時のフルネームはキャンディス・ティアラ・エルモア (Candace Tiara Elmore)。母親のアンジェラ・マリア (通称アンジー、Angela "Angie" Maria) はティーンエイジャー、6歳年上の父親トッド・エヴァン (Todd Evan) は軽犯罪を繰り返してきた粗暴な男。ノースカロライナ州で暮らす夫婦の生活はお世辞にも順調とは言えなかった。職は安定せず、住所も頻繁に変わった。アパートで暮らすこともあれば、トレーラーの中で眠る夜もあった。結婚指輪を質に入れたことや、夫が妻に暴行を加えたとして刑事事件になりかけたこともあるという。祖母のメアリー・クレンデニン (Mary Clendenin) は未就学児のときに両親が離婚し、里親の元で子供時代を過ごした。16歳で結婚し、アンジェラを含む2人の子供を産んだが、結婚生活はすぐに破綻した。アンジェラは社会福祉事業の元を預けられ、里親やグループホームを転々とし、情緒不安定な子供時代を過ごした。少なくとも3代にわたって不安定な生活が続いたことになる。

 「キャンディス」という名前はテレビで見かけた美しい名前からとったものである。ミドルネーム「ティアラ」は祖母メアリーの夫デイヴィッド・デイヴィス (David Davis) が選んだものだった。デイヴィッドはキャンディスとは血の繋がりがなかったが、名前の通りに大事に思っていたようだ。アンジェラはキャンディスを妊娠中に、クラシック音楽を聞かせるなどの胎教を行ったという。家族にとっては宝石のような娘だったようだが、生い立ちも生活環境も良好とは言えなかった彼女たちの生活はやがて破局を迎えた。当局は夫婦を親として不適格であると見なし、夫婦の子供たちは里親に出されることになった。こうして、キャンディスも里親を転々とする生活を送ることになったという。

ペンシルバニア州ウォーレン

ノースカロライナ州ダラム

 1996年6月、当時5歳のキャンディスには「キャンディス・エリザベス・ニューメーカー」(Candace Elizabeth Newmaker) という新たな名前が与えられた。キャンディスを養子として引き取ったのはジーン・エリザベス・ニューメーカー (Jeane Elizabeth Newmaker) という名のダラムに住む42歳の未婚の看護師だった。ジーン・ニューメーカーはペンシルバニア州ウォーレンにルーツがあった。その祖父フロイド・ヘンリー・ニューメーカー (Floyd Henry Newmaker) は家具の事業で成功を収めた。ジーンはウォーレン高校では学生委員会などに参加する忙しい日々を過ごし、1971年に卒業した。そして、1975年にニューヨークにあるロチェスター大学を卒業し、バージニア大学では看護学を専攻して1980年に修士課程を修了した。ジーンはキャンディスに安定した暮らしをさせてあげるつもりだったという。2階建ての煉瓦造りの立派な家での生活。キャンディスが家に来た日、ジーンは2ヶ月の休暇を取った。一見して、以前と比べものにならないほど良い環境に見えた。しかし、結局それも破局を迎えることになる。

 ジーンによれば、キャンディスには精神上の問題があったという。ひどく怒りっぽく、自宅で火事を起こそうとしたり、家財を意図的に破損させたり、子供に性的暴行を加えたことさえあったという話である。ただ、キャンディスのことを知る近隣住民や教師たちはそこまで悪い印象を抱いていなかったらしい。とはいえ、人間というものは誰にも同じ顔、同じ声色で対応するわけではない。家庭と外で態度がまるで違うということはあり得る。キャンディスが実際はどのような人物だったのかは今となっては確認のしようがないが、少なくとも、ジーンが医師や専門家にキャンディスを診せたり、精神に作用する薬物で治療を試みたりしたことは確かである。どれも良い効果は出なかったようだ。

バージニア州アレクサンドリア

 ジーンは最終的に「反応性愛着障害」(Reactive Attachment Disorder: RAD) という言葉に辿り着く。ジーンはノースカロライナ州で開かれた愛着障害に関するワークショップに参加し、反応性愛着障害の症状がキャンディスの行動とよく似ていると考えた。ジーンはインターネットでさらに調査を進め、ATTACh (Association for the Treatment and Training in the Attachment of Children) という団体の存在を知った。1999年、ジーンはバージニア州アレクサンドリアで開催されたATTAChのカンファレンスに参加し、ビル・ゴーブル (Bill Goble) というセラピストに面会した。ゴーブルはキャンディスを直接診察したわけではないが、ジーンの話から極めて重度の反応性愛着障害であると判断し、コロラド州エバーグリーンのコーネル・ワトキンス (Connell Watkins) を紹介した。ワトキンスは免許があったわけではないがセラピストとして活躍していた。フォスター・クライン (Foster Cline) 医師の教えを受けていた。

 クライン医師の理論によると、愛着障害は幼少期に問題の源泉があり、幼少期に逆行させることで愛着障害を治療できるという。この理論を奉じたセラピストたちは、子供を拘束し、服従を強いることで、自身を支配できる存在を認識させ、そして、その存在の元にいれば安心できることを理解させるように「治療」を行っていったらしい。

コロラド州エバーグリーン
コーネル・ワトキンス (出典: Nicholson)

 2000年1月20日、ジーンはワトキンスと契約を結び、7千ドルを対価に2週間の「治療」をキャンディスに受けさせることにした。ワトキンスのセラピーは、助手が控えた仮住まいのサービス付きという魅力があったという。治療中のキャンディスはいつも以上に怒りっぽくなるだろう。2人きりでホテルに泊まるよりも、ワトキンスの助手と一緒の生活の方が安心できた。この治療が終われば、キャンディスはジーンを愛してくれるようになるはずだった。こうして、4月10日にセラピーが開始された。最悪の結末を迎えるとも知らずに。

 セラピーには2人の助手が参加した。ワトキンスの事務所のマネージャーであるブライタ・セントクレア (Brita St. Clair) は薬の処方と母子のもてなしを担当した。その婚約者のジャック・マクダニエル (Jack McDaniel) は治療の訓練を受けていない高卒の素人だったが、キャンディスについての報告書を書く仕事で700ドルで雇われた。また、セラピーを開始した日には、開業医であり、エバーグリーンのアタッチメントセンター (The Attachment Center) でも仕事をしていたジョン・オールストン (John Alston) 医師もキャンディスと面会していた。

 後に大問題に発展する治療法の前に、与圧 (compression) セラピーなるものも実施されたらしい。キャンディスをシートでくるみ (ただし、頭までは覆わない)、両脇にクッションを設置。その後、ジーンがクッションを支えにして、キャンディスの上に乗る。上から見れば十字型になる。そんな行為を続けた後、ジーンを椅子に座らせ、キャンディスをジーンの元まではいはいさせる。ジーンはキャンディスを赤子のように抱いて、食物を食べさせる。

 そして、運命の4月18日。時間はそろそろ午前10時になるという頃。キャンディスは前夜、幼い自分を産みの母が2階の窓から落として殺す夢を見たという。セラピストのジュリー・ポンダー (Julie Ponder) はキャンディスに、赤ん坊になりきって泣きながら母親の「子宮」から出てくるように指示した。青いフランネルのシートにキャンディスを横たわらせ、胎児のような姿勢にさせると、シートでくるみ、キャンディスの頭上の方で端をより合わせた。そして、その上に枕を置いた。フランネルのシートを「子宮」に見立て、キャンディスをそこから「再誕生」(rebirthing) させようという趣旨である。大人たちはキャンディスを周囲から圧迫してキャンディスの邪魔をし、狭くて苦しい子宮の中を再現する。ジーンはキャンディスの頭の方に位置取り、キャンディスの再誕を待つ。どういうわけか、セントクレアの養子である車椅子のタミー (Tammy) もセラピーに居合わせたらしい。タミーは精神や身体に障害があった。

 こうして準備を整えた後、ワトキンス、ポンダー、セントクレア、マクダニエルの4人はキャンディスの圧迫を開始した。キャンディスの体重は70ポンド (32キログラム弱)、4人の成人の体重は合計で673ポンド (305キログラム強)。堪らずキャンディスは死にそうだ、息ができないと訴えたが、4人は構わずに圧迫を続け、ときには寄りかかるようにしてさらに体重をかけた。ジーンはキャンディスの再誕を楽しみに待っているというようなことを言うばかりであった。「治療」を始めて20分頃、キャンディスはシートの中で嘔吐した。しかし、胎児が子宮内で吐瀉物に塗れようとも4人の大人たちは構わず圧迫し続けた。40分後にはキャンディスは完全に沈黙した。ポンダーは"quitter" (「意気地無し」、「臆病者」などの意) などと罵倒した。しかし、いくら蔑んでも、声をかけても、胎児は全く反応しなかった。

 そのうちに、ワトキンスとポンダーは様子がおかしいことに気が付いた。2人はジーン、さらには助手のセントクレアとマクダニエル (ついでにタミーも) を退出させた。4人を体よく追い払った後、ワトキンスとポンダーはキャンディスがいるシートを広げ、その様子を確認した。キャンディスは青ざめて、身動き一つしなかった。ジーンは別室でモニターを通じて部屋の様子を見ていたが、事態の深刻さを理解して愛娘の元へ駆け込んだ。ジーンとポンダーは心肺蘇生を始めたが、全ては後の祭りだった。翌朝9時にキャンディスの脳死が宣告された。死因は脳幹ヘルニアおよび脳浮腫。圧迫され、そして、窒息した。ただ、それだけの結末だった。「治療」の際、セラピストたちは「再誕生」しなければ「子宮」の中で死ぬだけだとキャンディスを脅したが、まさにその通りの結果に終わったのである。

 裁判の際には「治療」の様子が上映された。治療の様子を顧客に見せることがしばしばあったため、セラピストたちは治療の模様を撮影していたのである。ワトキンスとポンダーのセラピスト2人には16年の懲役判決が下された。2008年6月6日、ワトキンスは同種のコンサルタントやカウンセリングを行う職に就かないなどの制限を条件に釈放された。コロラド州ではこの類の治療法を禁止するCandace's Law (キャンディス法) と呼ばれる法律が制定されたという。

 「再誕生療法」という言葉でウェブ検索すると、我々の治療法は今回の事件で行われた治療法とはまるで異なるものですと説明する日本語のウェブページが出てくる。現在もこの事件はこの手の分野に暗い影を落としているようだ。なお、本ページで紹介した事件の内容は、ニュースによる伝聞を拙い翻訳で日本語化したものであるため、実際にあった事件とは異なる部分がある可能性を否定できない。そもそも"Candace"の日本語表記がこれでいいのかも断言できない情報しか集まらなかった。ご了承いただきたい。

参考文献

  1. Crowder, Carla; Lowe, Peggy (2000年10月29日). Her name was Candace. Rocky Mountain News. 2019年6月22日閲覧.
  2. Gillan, Audrey (2001年6月20日). Controversial therapy that killed. The Guardian. 2019年7月8日閲覧.
  3. Excerpts from video of the 'birth' and death of Candace. Rocky Mountain News. 2001年4月6日. 2019年8月18日閲覧.
  4. Nicholson, Kieran (2008年8月1日). Therapist in ‘rebirthing’ death leaves prison. The Denver Post. 2019年8月18日閲覧.
さらに詳細な内容がこの書籍に纏められているそうです。私にとっては入手するのも解読するのも困難な代物であるため、一切参考にしておりません。ご興味があって英語に自信のある方はどうぞ。

2019年8月15日木曜日

スプラッタ・コメディ (?) 漫画『メイコの遊び場』第1巻を読む

 最近、『メイコの遊び場』という漫画を購入した。帯によれば物騒な描写が売りらしい。最初に書店で見かけたときは、表紙から独特の空気を感じ取り、そこに魅力を覚えた。しかし、スプラッタな要素しか売りがない作品だったら金の無駄ではないかと躊躇して、一度は購入を見送った。漫画誌の定期購読を懐事情から諦めている私からすれば、1冊1冊の購入が死活問題。面白そうだから大人買い、なんてことにはかなりの抵抗がある。それでも、2度3度見かけ、最終的には購入に踏み切った。後で調べてみると、作者の岡田索雲先生は一部でカルト的な人気を誇っているらしいと分かった。それを最初から知っていれば、胡散臭い帯のことは気にしないで購入していたかもしれないのだが……。

『メイコの遊び場』第1巻の帯
メイコの左目はモザイク処理されて見えなくなっている。
主人公・メイコの左目には秘密がある……のはいいのだが、モザイクで隠すというのはいかがなものか。B級な空気を漂わせている。おかげで購入を数週間躊躇した。

作品概要

 本作の舞台は1973年の大阪。主人公は表紙にも載っている眼帯の少女・メイコ。子供でありながら、依頼に応じて邪魔な人物を消す仕事をしている。断片的にしか語られていないものの、様々な描写から、これまでまともに学校に通ったことがなく、同年代の友人がいなかったことが伺える。恵まれない生い立ちと稼業のためか、表情の変化が乏しく、感性が他者とは異なる部分もある。それでも、完全に人間から逸脱した怪物というわけではない。子供らしい無邪気さ、遊びを楽しむ心。そんな普通さも併せ持つ。

 メイコの武器は眼帯に隠された左目にある。未読の方のために敢えて詳細は語らないが、これを使うことで標的を自分の心の中に引きずり込むことができる。彼女の精神世界の中では、メイコは神のように自由自在。その中で「殺された」人物は、現実の世界では精神を破壊されて廃人となる。年端もいかぬ少女でありながら、殺し屋紛いの稼業ができるのはこの左目のおかげである。

 物語が本格的に始まるのは、そんなメイコに恐らく初めての友達ができた場面から。子供たちのリーダーのような立ち位置のアスマ少年が、寂しそうなメイコを見兼ねて遊びに誘ってくれたのである。じゃんけんすら知らないメイコのために、アスマはメイコに様々な遊びを伝授する。そして、夜になると、メイコはアスマから教わった遊びを、その無邪気な童心故に標的たちに対して試していく。悪趣味な欲望からではないが、死に対する感性が逸脱したメイコの遊びの末路は必ず血みどろなものとなる。

 第1巻は基本的に、昼間にアスマから遊びを教わり、夜にその遊びで標的を弄ぶという流れの繰り返しである。第2巻以降どうなるかは分からないが、私はかなり計算して作られた筋書きであると思った。どうしてそう考えたかについてはこれから詳細に説明していく。

本作は単なるスプラッタ・コメディか

 アスマから教わる遊戯は、今時の子供がやるとは思えない昭和の遊びである。作者の発想がどこを起点に広がっていったのかは分からないが、恐らくは「昭和の遊びで人を殺す漫画を描いたら面白いのではないか」というアイディアがこの作品の発端ではなかろうか。昭和の遊びは素朴な分、上手く描写すれば、血みどろさと滑稽さが両立した面白さを実現できる。ただ、この要素だけがこの作品の面白さではない。これだけならば単に血塗れなだけのキッチュな凡作で終わっていただろう。

 例えば、私のような凡人に「昭和の遊びで人を殺す話」というアイディアが頭から浮かんできたら、こんな筋書きの作品を作っていた。「平成の某所、少女の姿をした快楽殺人鬼が夜な夜な現れ、通りがかっただけの哀れな犠牲者を珍妙な方法で殺していく。陰惨な殺戮の後には血みどろの現場が残される」。もし、これだけの作品だったら、スプラッタと滑稽さが売りなだけで埋没するのがオチだろう。しかし、この作品は違っていた。

 本作でメイコの標的になるのはヤクザ者だけである。しかも、殺されるのはあくまでメイコの心の中だけで、現場に残るのは精神が崩壊した廃人だけである。現実世界には血の一滴も流れない。もし、一般人も標的になり、陰惨な殺され方をしたバラバラ死体が残る設定であれば、おおらかな昭和の時代とはいえ、さすがに大騒ぎになる。昼間にメイコと遊ぶ子供たちは現れなかっただろう。空き地で呑気に遊んだり、怪しげな余所者を遊び仲間に引き入れたりはしなかったのではなかろうか。家に閉じこもって、その中で暇つぶしに一人遊びするだけだったはずだ。

 メイコは殺し屋であると同時に、無邪気で童心ある子供でもある。昼間は遊戯を楽しむ少女、夜は無情な殺戮者。この差が独特の面白さを醸し出している。単なる快楽殺人者として描写されていれば、このギャップを生み出すことはできなかったはずだ。純粋に友人たちとの遊びを楽しみ、それを求めるメイコの姿は、無表情で不気味な見た目とは裏腹に、どこか愛らしく見えてくる。子供たちとの間に生じる常識、感性のズレは、殺戮描写とはまた別の滑稽さを生み出している。そして、殺し屋として生きていかざるを得ない少女の哀しさも、読者の心の中に滲み出てくるかもしれない。単なるスプラッタ、滑稽さだけでない面白さ、奥深さを生み出しているのは、作者の設定構築の巧みさのおかげである。

 また、標的が悪人しかいないという設定は別の効果も生じる。もし、無辜の一般人も殺戮の対象に選ばれる設定だったならば、この作品の読後感は全く別物になっていただろう。昭和の遊び、子供の飛躍する想像力によって殺されるという描写の奇妙さが際立っているのは、あくまで殺されるのがろくでなしだからである。普通の人まで殺されていれば、悪趣味を通り越して後味が悪いだけだっただろう。他にも後味の悪さを抑える工夫は随所に見られる。例えば、殺人の依頼者がどこか憎めない小悪党である点や、殺戮の描写は流血や骨格の崩壊を描くだけで、撒き散らされるであろう臓物まで描くほど仔細ではない点 (これは意図的かどうかは分からないが) などがある。

オマージュ、パロディ

 ここまでで本作は単なる色物ではないと書いたが、それ以外にも触れておかなければならない点がある。ギャグとしての要素を意識しているのか、本作はどうやらパロディが多いようだ。

 読書メーターのBo-he-mian氏のレビュー (2019年8月15日参照) によれば、本作の表紙や舞台はロマンポルノ『(秘)色情めす市場』を意識しており、メイコの名前の由来も女優の梶芽衣子、他にもメイコの友人たちや標的のヤクザ者の顔もパロディで満載であるという。 私は古い作品についての知識が皆無であるが、そんな私ですら露骨にパロディであることが分かった箇所がある。

 メイコの友人の一人のヨシハルの顔は有名な『ねじ式』の主人公にそっくりである。そもそも名前が「ヨシハル」と露骨だ。本作55ページでは有名な腕を押さえるポーズをとっている。

 第7話の標的は映画『男はつらいよ』の寅さんそっくりの格好をしている。この人物は拝借元とは異なりかなりの外道で、第1巻の中でも際立って陰惨な末路を迎える。

 前述のBo-he-mian氏は博識で古い作品に通じていたために、却って本作の面白さが理解できなかったようだ。数多くのパロディのために気が散って、本作に没頭できなかったのではなかろうか。私は知識が皆無なおかげで、特に気にせずに読み込むことができた。ただ、オマージュ、パロディを理解していないという点で、本当の意味で本作の面白さを読み込んで理解しているとは言えないのだろう。恐らくは作者のサービス精神によるギャグ、または昭和という時代への敬意の現れであって、細かく理解せずとも作品は読めるのだろうが、何だか悔しい思いである。精進が必要だと思わずにはいられない。

 第2巻以降も昼間の遊び、夜の殺戮という流れを描き続けるのかは分からない。私は財政事情から単行本派。連載を追っていない。ただ、第1巻の時点ではかなり面白かったと言いたいがためにこの記事を書いた。偉そうに雑多に書き連ねたことが第2巻以降で大外れであると判明してしまったら恥ずかしい。まあ、所詮は、読後の感情を並べたよくある感想ブログや、考察という名の妄想を並べたウェブ検索の邪魔になるアレと大して変わりやしないので……

ギャグ漫画『レキヨミ』と「こへ兄貴」

『レキヨミ』の魅力

 、ギャグ漫画『レキヨミ』の記念すべき単行本第1巻が発売された。作者は柴田康平先生。掲載誌はハルタ。

 私は普段はギャグ漫画を読まない。それではどうしてこの漫画は読もうと思ったのか。その話をする前に、まずはこの漫画の魅力についてお伝えしたいと思う。

 主人公は表紙に描かれた2人の姉妹である。見てのとおり獣耳が生えている。単なる記号的な猫耳キャラというわけではなく、ファンタジー世界に住まう種族としての設定が用意されているようだ。第1巻の巻末では作品の設定を解説しており、作者の凝り性が垣間見える。特に興味深い点が脚の設定で、主人公2人の脚は膝から下が獣のそれになっている。毛皮で覆われているだけでなく、つま先立ちで踵が浮いた骨格として設定されているのだ。猫や犬を飼っている方ならばすぐに確かめられるが、獣は常につま先立ちで歩く。踵は地面につかないようになっている。第1巻の時点で獣人以外の種族も既に登場している。未読の方のために詳細は伏せるが、こちらもまた魅力的な造形をしている。

 こうして作者はファンタジー世界と可愛らしいキャラクターを創造した。そして、何を思ったか、創造物を様々な分泌物が入り混じった闇鍋の中にぶち込んだ。本作は掲載誌が同じ『ハクメイとミコチ』と比較され、「汚いハクミコ」という評判を一部で獲得しているらしい。どう汚いかと言えば、唾液を飲まされるのは序の口で、失禁、嘔吐、鳥の糞直撃、肛門への異物挿入と下ネタのオンパレード。それを味のある画風で描かれた可愛らしいキャラクターたちが繰り広げるのだから、そのギャップはすさまじい。暴力的な描写も多く、特に主人公姉妹の姉の方は妹からのツッコミや事故でよく死亡する。妹の方も時折死亡する。流血沙汰もしばしば。そこまで精緻に描いていないため、グロテスクな描写が苦手な方でも読める。下ネタが駄目ならば諦めよう。

 可愛らしいファンタジーの箱庭を分泌物で覆いつくしたうえで、さらに鋭いギャグも繰り出される。胃から飛び出たサンドイッチが綺麗に弁当箱に戻ったり、魂がタバコの煙の輪をくぐり抜けたりと、芸術性が高い。鋭利なギャグに緩急を与えるためか、時折綺麗な場面も配置されている。鬱蒼とした森林に差し込む日光のコントラストを高度な画力で描いた見開きは非常に印象的。綺麗は汚い、汚いは綺麗。その両方を尖ったアイディアと画力で展開してくるのもこの作品の特徴だろう。

 ジャンルとして分類するならば「美少女もののギャグ漫画」の範疇に収まる作品ではある。それでも、ファンタジーとデザイン、お下劣ギャグ、色々な意味での芸術性といった独特の要素を兼ね備えている。ジャンルの中の外れ値にあたるのではないかと思う。ありきたりな美少女ギャグ漫画には飽きたが、同性愛気味の少女以外はお断りという方に特におすすめできる作品である。

どうしてこの漫画を手に取ったか

 ここから先が、私にとってはある意味で本題。漫画をダシに作品論をぶちまけているようなものだから読まなくてもいい。作者に対するネガティブな情報もあるため、見たくない方はここでUターンすることをお勧めする。敢えて述べるが、私は作者を告発する意図があるわけではない。

 私が作者の柴田康平先生の存在を知ったのは数年前のこと。柴田先生はかつて、「こーへー」という名義で東方Projectの二次創作を作っていたらしい。その作品の多くは現存していない。私自身、当時の彼の活躍がいかなるものだったかを詳しくは知らない。

 念のため説明するが、『東方Project』とは「上海アリス幻樂団」というサークルが開発している縦スクロール弾幕シューティングゲームを中心とした「ジャンル」である。本家本元はシューティングを中心に、格闘ゲームへの進出や、漫画や小説といったメディアミックスを展開している。

 『東方Project』の最大の特徴は大規模な二次創作コンテンツの広がりだろう。長年、多くの人々が、二次創作や原作からの刺激を受けて、東方Projectの二次創作を制作してきた。原作側が二次創作に寛容な態度をとっていたことや、数年毎に新作を出して話題性を持続させたこと、既存の膨大な二次創作の蓄積による呼び水などが要因となってか、二次創作コミュニティは今なお発展を続けている。同様に二次創作が盛んな『艦隊これくしょん』や『Fate』シリーズなどの強力なライバルも台頭したが、依然として存在感を保っている。

 インターネットの世界は広大である。比較的綺麗な二次創作コミュニティが存在する一方で、敢えておぞましいもの、拙いもの、社会から拒絶されているものから二次創作が発展していったコミュニティも存在する。実は、2018年6月頃まで、柴田先生は「こへ」という名義で「あるジャンル」において二次創作を行っていた。期間は長く見積もって数年程度だったと記憶している。ハルタでの作品掲載と並行して「ファンアート」を投稿していた。漫画業へ注力するとの理由で唯一の窓口であるTwitterアカウントを消してしまったため、今となってはその痕跡を追いかけるのは難しい。

 そして、その「あるジャンル」とは……言ってしまっていいものか、ええいままよ……クッキー☆」である。このジャンルはニコニコ動画や2ちゃんねるなどでそれぞれ独自の発展を遂げた。ジャンルの発生元はニコニコ動画に投稿された東方Projectの二次創作である。素人やセミプロの女性声優がキャラクターに声をあてた。作品の出来があまりにもひどかったことやそれに付随する様々な騒ぎが原因で、件の二次創作作品をネタにする文化が定着してしまった。意図的にツッコミ所のある東方Project二次創作を制作して、新たなクッキー☆を生み出そうとする後継者まで現れた。いわゆるナマモノにありがちな事件が影響し、声優などの関係者がインターネット上から姿を消すという悲劇に発展したことも数知れず。良識的な人間ならばわざわざ巻き込まれにいくとは考えられない。そんなジャンルである。

 このジャンルの (特にニコニコ動画における) 特徴は、作品内外から属性を抽出し、出演声優をさながら創作物のキャラクターのように変形させてしまっていることである。作中で演じたキャラクターの言動や作品外での声優の言動、単なる声の印象、さらにはそれらを邪推・妄想して膨らませたものを蒸留し、属性を抽出。それを声優と紐付けてキャラクター化してしまった。外見は萌えキャラ、声は素人声優、そんなキメラに、二次創作するのに便利で印象的な属性が与えられている。クッキー☆で二次創作する立場から考えると、クッキー☆はこのような構造になっている。

 私が柴田先生に興味をもったのは、クッキー☆というおぞましいジャンルに首を突っ込んでいる商業作家がいるとどこかで耳にしたからである。奇妙なものを集めるのが趣味の私としては、是非とも作品を読んでみたかった。さぞかし、人の道理から逸脱した作品を生み出しているのだろう。ただ、金欠のために雑誌を購入して連載を追う習慣がなかった私は、単行本化を待ち望むばかりであった。ようやく出版された作品はスラップスティックコメディ。汚物や暴力が可愛らしいキャラクターとのギャップを与えるという独特の面白さがあり、1つの作品として満足できる出来だった。ただ、最初に興味をもった方面から考えれば、人の道理を外れているとしてもそれはギャグの範疇。ある意味では期待外れだった。しかし、それは当然のことだった。よくよく考えてみると、私は大きな考え違いをしていたのである。

当時のこへ兄貴のクッキー☆二次創作作品より引用 (敢えて画素数を下げている)。引用といっても、出典は既に消滅している。ちなみに、クッキー☆以外にも東方ProjectやRWBY、スカルガールズ、政剣マニフェスティアなどの二次創作も投稿していた。

 結局のところ、クッキー☆は呪われた出自のジャンルではあるが、柴田先生にとっては単なる二次創作ジャンルの1つでしかなかったようだ。柴田先生、もとい「こへ兄貴」はどうしてこのようなジャンルに関わってしまったのか。罪悪感はなかったのか。私の推測ではあるが、人の道理を踏み越えようという意思も、極悪非道な悪ふざけを楽しもうという邪念も特に無く、そのジャンルでの二次創作が楽しそうだから手を染めたというだけのことではないかと思う。

 ニコニコ動画で「クッキー☆」と検索すると、そのジャンルの二次創作動画が腐るほど出てくる。再生数が1万を超えているものも珍しくない。インターネットは広大で、ニコニコ動画はその中で数多くあるウェブサイトの1つに過ぎない。しかしながら、クッキー☆はそれなりに盛大に繁栄していたジャンルではあった。二次創作に不可欠のキャラクターは既に用意されていた。そこそこ人気のあるジャンルだから観客もそれなりにいた。となれば、クッキー☆で二次創作を制作しようという考えを抱いてもあながち不思議ではないかもしれない。生身の体からキャラクターに身を堕とした声優たちからすれば迷惑極まりないが、キャラクター化してしまった時点でもはや生身の声は届きようがない。インターネットから姿を眩ませた関係者も多い。下手に騒いでもネタにされるだけである (むしろ迎合していった関係者すら存在した)。クッキー☆声優たちの有様は例えるならば、スーパーに並ぶパック詰めされた肉や魚に近い。血を見ずとも美味しく調理できる材料を見て、罪悪感を抱く人もいなくはないが、多数派ではない。

 敢えて妙な指摘をするが、クッキー☆は二次創作の観点で見ると、本家本元の東方Projectと似ている部分がある。東方Projectで二次創作を行うにあたり、二次創作者にとって都合がいい点は、舞台とキャラクターが最初から用意されていることである。二次創作でのキャラクター設定が原作の設定メモや描写に由来するのは当然だが、それを深読みしたり膨らませたりして二次創作に都合のいい設定を用意することにも成功した。しかも、キャラクター間の人間関係も、原作での関係性をそのまま取り入れたり、設定から妄想して新たに生み出したりすることができた。出来合いの舞台、キャラクター、その関係性を上手に配置・加工し、最低限の原則的な設定からの逸脱の抑制に努めれば、二次創作は完成する。もちろん、二次創作にも巧拙の差があり、誰でも傑作を作ることができるわけではない。それでも、一からオリジナルの創作物を作るよりかはたやすく面白い作品を作ることができる。この出来合い創作セットを組み立てる二次創作を通じ、創作者としての腕を磨いたのか、東方Projectの二次創作をかつて行っていたという商業作家の活躍も最近耳にする (柴田先生も一応はその1人である)。右も左も分からないワナビーが二次創作で力を蓄えて、商業のオリジナル創作の世界に花を咲かせるということもあるのかもしれない。商業漫画家を目指すつもりがなくても、出来合いのキャラクターを組み立てて二次創作するコミュニティでは、自分の作品を比較的に手軽に作って発表し、他者とのコミュニケーションを楽しむということも行いやすい。鑑賞者にとっても創作物の供給が非常に多いうえに、ある程度の前提知識さえをもっていれば、共通の世界観の下にある様々な作品を楽しめる。東方Projectの二次創作コミュニティは作り手にとっても読み手にとっても都合がいい環境なのである。

 そして、それはクッキー☆もまた同様だった。舞台は曖昧なようだが、キャラクター (声優) やその関係性は、作中の描写、作品外での人間関係、それを過剰に膨らませたものを土台に開拓されていった。こうして生み出された出来合いのキャラクターを加工・配置して作品を作っていけば、作品が出来上がる。東方Projectと比べると設定などが曖昧で、その束縛も緩かった。呪われた出自であることを無視すれば、東方Project以上に自由に作品を生み出すことができた。鑑賞者もそれなりにいた。

 『レキヨミ』の特徴の1つに強烈な下ネタがある。クッキー☆は出自の都合から下ネタが非常に多い。とはいえ、東方Projectでも強烈な下ネタを武器とした二次創作は珍しくない。柴田先生の作風にクッキー☆や東方Projectでの二次創作文化が影響したかどうかは定かではないが、創作の世界では版権元の許可を得たか怪しい二次創作が我が物顔でSNSを跋扈している。クッキー☆程度では呪いにはならないかもしれない。まともな出典もなく、独自研究だらけのこの怪文書を真に受ける人もいないだろう。そもそも、クッキー☆で活躍したさる人物が、東方Projectの公式誌に作品を掲載したという前例もある。柴田先生はクッキー☆の呪縛に捕らわれることなく活躍できると信じております。以前の読み切りや短期連載は単行本化するのでしょうか。読むにはハルタの既刊を買うしかないのでしょうか。人気が出てほしいものです。

……そんなことを書いていたら、短篇集『んねこん』が発売されました。ただ、まだ単行本化されていない短篇や短期連載作品があったはずです。続報を待ちます。

2019年7月21日日曜日

"This Is A True Story"、トレジャーハンターとされた日本人女性の悲しき真相

この記事をゆっくり解説化しました。宜しければどうぞ。

 次の文章は、奇妙な事件に関するニュースを専門とするNews of the Weirdが2002年1月下旬に配信した記事から引用したものである。

Ms. Takako Konishi, 28, was found dead, of probable suicide, in Detroit Lakes, Minn., six days after being spotted in Bismarck, N.D., inquiring how to find the money that had been buried by a character in the movie "Fargo."

 この英文を訳すと「28歳のコニシタカコ (Takako Konishi) という女性がミネソタ州デトロイト・レイクスで遺体となって発見された。自殺のようだ。その6日前にノースダコタ州ビスマークで目撃されており、映画『ファーゴ』である登場人物が埋めた金のありかを尋ねていた」となる。

News of the Weirdの記事

 また、テレグラフでの報道では、このコニシタカコという女性の事件についてより詳細に説明している。その記事の内容を要約すると次の通りである。一部、内容を補足している。

東京に住むコニシタカコという女性が1ヶ月前にノースダコタ州へ旅立った。コニシの姿がビスマークにあるゴミ捨て場の近くで目撃され、警察に通報された。警察が尋問すると、コニシは粗雑な出来の地図を見せた。コーエン兄弟製作の映画『ファーゴ』では、1987年に実際に発生した事件を元にしていると説明する演出があるが、実際は事実を元にしておらず、完全なフィクションである。コニシはどうやら映画が事実を元にしていると思い込み、作中でスティーヴ・ブシェミが雪の中に埋めた金を地図を手に探しに来たようだ。警察官たちは映画は単なるフィクションであり、埋められた金は実在しないと説明しようとしたが、コニシを説得することはできなかった。その後、ファーゴとブレイナードの間にあるデトロイト・レイクスの近くの森林で、狩人がコニシの遺体を発見した。警察によると、-3℃の寒い夜だったにも関わらず、コニシは軽装だったという。

 コニシの事件に関するニュースは大きな話題になったという。この奇妙な事件から着想を受け、ゼルナー兄弟が製作したのが、菊池凛子主演の2014年の映画『トレジャーハンター・クミコ』である。

映画『ファーゴ』
ある日本人女性が映画『ファーゴ』は事実を元にしていると勘違いして金を探しに行き、その結果死亡したと報道された。
映画『トレジャーハンター・クミコ』
そして、その事件から着想を得て映画が製作された。

 ゼルナー兄弟と同じように事件に関心をもった人物がもう1人いた。ロンドン在住のアメリカ人ポール・バーセラー (Paul Berczeller) である。バーセラーはこの奇妙な事件を再現したドキュメンタリー映画を制作しようと考えた。事前に警察から入手した資料の中には遺体発見現場の写真もあった。バーセラーは当時のコニシと同じ格好をした役者を連れて、事件の関係者とインタビューを行おうと計画した。さながら、血の通ったコニシの亡霊を現世に呼び出したかのように。こうして、コニシ役のオオモリミミ (Mimi Ohmori、ロンドン在住の音楽プロモータ) という女性、そして撮影スタッフとともに冬のアメリカへ飛んだ。本稿では、バーセラーが解明した事件の真実について詳細に紹介する。この不可思議な事件の真相は、全くもって奇妙なものではなく、ある意味ではありふれたものだった。

コニシの行動

ビスマーク、ファーゴ、デトロイト・レイクス

 事件は2001年11月にコニシがビスマークを訪れたところから始まる。辺りをうろついてたときに通りすがりの親切なトラック運転手が、助けが必要な様子だった彼女を見かねてビスマーク警察署へ送り届けた。

ビスマーク警察署

 コニシの格好は警察官たちにとっては異様なものだった。寒い冬のノースダコタで、ミニスカートを履いて歩いて回る女性などいない。警察官の中には娼婦ではないかと疑った者もいた。 警察官たちはコニシとの会話を試みたが、コニシは英語が分からず、警察官たちは日本語が分からなかった。コニシはポケット翻訳機を持ってきていたが、役に立たなかった。警察官たちは近くの中華料理店に電話をかけて助力を求めたが意味は無かった。

コニシの格好 (再現)
バーセラー制作のドキュメンタリーで再現されたコニシの格好。黒いミニスカート、黒いブーツ、黒いコート。このカットには写っていないが、髪も黒かった。 (出典: This Is A True Story)

 コニシは警察官たちに地図を見せた。地図は紙に道路を示す2本線と木が書かれているという代物だった。道路の側に木があるという光景がありふれていたノースダコタ州では役に立たなかった。 コニシは「ファーゴ」という言葉を何度も発言した。そのため、警察官たちは、コニシは映画『ファーゴ』を事実であると思い込んでおり、手に持った地図は金のありかを示すものだろうと解釈した。警察官たちはコニシの誤解を解こうとしたが、結局、コニシは金を探し出そうと決意を固めていると推測し、説得を諦めた。

 警察署へ来てから4時間後、応対した警察官の1人であるジェシー・ヘルマン (Jesse Hellman) はコニシを車に乗せてバス発着場へ送り届けた。 車の中で、コニシは腹を押さえる仕草をした。ヘルマンによると、コニシは"cancer" (癌) というような単語を発したという。"six months" (6ヶ月) とも発言した。癌を患って6ヶ月なのか、癌のために余命6ヶ月なのか。コニシの発言の意味は明確には分からなかった。 事件の後、デトロイト・レイクスの刑事から電話があった。ヘルマンの名刺を財布に入れた日本人女性の遺体が森の中で発見されたという内容だった。 ヘルマンはコニシを1人にしたことを後悔しているという。

 癌のために余命短い女性が、一発逆転を賭けて、映画『ファーゴ』の金を探しに来たのだろうか。しかし、実際はそうではなかった。遺体から癌は発見されなかった。コニシと警察官たちとの会話は成り立っていなかったのである。

 コニシはファーゴでバスを降り、Quality Innという安モーテルへ宿泊した。コニシは夜間担当の従業員と会話した。その従業員はイギリスのチジック出身で、彼によると、コニシは映画の話など一切しなかったという。コニシは星が綺麗な場所を探していたという。彼は地図を示して良い場所を教えてあげた。ただ、この辺りは特別星が綺麗という評判があるわけではないらしく、わざわざ寒い時期に星を見に行こうとするのは奇妙だとも思っていた。

 翌日、コニシはタクシーを拾ってデトロイト・レイクスへ向かった。デトロイト・レイクスはリゾート地らしいが、その季節はシーズンオフ。タクシー運転手は不思議に思いながらも、客の事情に不躾に深入りすることはしなかった。コニシは運転手に森の中に降ろすように頼んだ。人家も疎らなただの森に。

デッドショット・サークル

 タクシーを降りた後のコニシの足取りを知る人物がいる。コニシを目撃したのはデビー・クルーガー (Debbie Krueger) という女性だった。コニシはデッドショット・サークルの近辺で雪の積もった丘を登っていたという。普段、そのような場所を通る人はいない。黒い服に身を包んだコニシはさながら魔女のように見えた。クルーガーは自分の子供たちに外に魔女がいると話した。しかし、クルーガーは後にコニシを放置したのを悔やんだ。雪の中をさまよっていた彼女に手を差し伸べるべきだったのではないか、と。

 生前のコニシと関わった人物はまだいる。Jeff NemecとScott Manevaiの2人組が車を走らせていたところ、雪の積もった丘を下ってきたコニシに出会った。2人はこの奇妙なヒッチハイカーを車に乗せてあげた。コニシが止まれと指示した場所で車を停めると、コニシはそのまま立ち去っていった。

真相

 その後、デトロイト・レイクスの森林でコニシの遺体が発見された。遺体には他殺を示唆する外傷はなかった。遺体からは鎮静剤、精神安定剤、精神病治療薬といった少なくとも6種類の薬が検出された。コニシはシャンパンを飲み、積雪の中で凍死したようだった。そして、死から3週間後、コニシの両親の元に手紙が届いた。コニシがビスマークで警察官たちに出会った日に出したものだった。手紙の文面は次のとおりである。誤字は敢えてそのままにした (出典: This Is A True Story)。

新愛なるお父さん、お母さん、弟へ。
この手紙が届く頃には、私はもう
亡くなっていると思います。
先立つ不幸をどうぞお許し下さい。
二○○一年十一月十一日
誉子
両親に送られた遺書の一部

 真相は自殺だった。コニシは地方から上京し、東京にある旅行代理店で働いていた。しかし、勤務先が倒産して失職。その後は深夜に「仕事」に出て、朝に帰宅する生活を送っていたという。コニシにはダグ (Doug) という名の恋人がいた。恋人は既婚者で、彼女を置いてシンガポールへ行ってしまった。コニシが自殺を遂げた理由は、失職後の荒れた生活や失恋によるものだったようだ。コニシは過去にミネソタ州に3回行ったことがあった。恐らくはその恋人と一緒に旅をしたのだろう。ファーゴは元恋人の故郷だった。コニシが何度も言及した「ファーゴ」という言葉は映画ではなく地名だったのである。コニシは宿泊先でシンガポールへ国際電話をかけていた。その電話の相手も元恋人だった。40分間の料金88ドルの電話。これが元恋人への最後の電話だった。

当時の報道

この事件はテレビのニュースでも紹介されたようだが、真相は全く異なっていた。 (出典: This Is A True Story)

 この事件はインターネットなどで大きな話題になったという。若い日本人女性が存在しない財宝を求めて冬のミネソタ州を訪れ、その果てに死亡した。あまりにも奇妙な話。しかし、実際はそのような出来事など起こっていなかった。映画『ファーゴ』と同様に実在しなかった。単に、言語の壁によりコニシの話を警察官が勘違いして、その話が広まってしまっただけだったのである。苦しい生活と恋愛の問題で追い詰められた女性が自殺した、というありふれた悲劇に過ぎなかった。もっとも、ありふれた悲劇でも、彼女と関わり当事者になってしまった時点で、もはや拭いがたい後悔から逃れることはできないのであるが。

 この事件を取材したバーセラーは本邦へも訪れ、コニシが住んでいた家の大家にもインタビューを行っている。事件の際、大家の女性はコニシは故郷へ帰ったのだろうと思っていたが、それから少し後にコニシの母親から電話があり、遠い異国の地で亡くなったことを知らされた。大家はコニシに何もしてあげなかったことを後悔しているという。コニシの部屋にはカセットテープの入ったラジカセが残されていた。カセットにはテレサ・テンの『ふるさとはどこですか』が録音されていた。コニシのお気に入りの曲だったという。出来すぎた話のようではあるが、彼女はこの曲に突き動かされて、恋人との思い出の地で最期を過ごそうと考えたのかもしれない。

最後に

 バーセラーの取材の成果はThis Is A True Storyと題され、2003年にイギリスのチャンネル4で放映された。現在、上記のリンク先で無料で鑑賞できる。映画『ファーゴ』を意識した題名通りの真実の物語である。前述の通り、コニシをオオモリという女性が演じているほか、事件の関係者本人が映画に出演している。 コニシの遺体発見の状況も再現されているが、実際にはコニシが亡くなった場所から少し離れたところで撮影されている。さすがに場所そのものまで再現する気にはならなかったようだ。オオモリはコニシが亡くなったところにあった木のそばにオレンジをお供えしたという。

余談

 同じ事件を扱っているNewSphereの記事では、Paul Berczellerを「ポール・バークゼラー」と紹介しているが、これは誤りである。本人が出演したラジオ番組での自己紹介から、"Berczeller"は「バーセラー」と発音すると分かる。

 ついでに個人的な経験談を付け加えると、日本人女性が雪の中をミニスカート姿でさまようのはそこまで不思議な話ではないと思う。私の故郷は北国で、冬になると嫌でも雪が降ってくる。そのような環境下でも、女子高生たちはミニスカートを履いて学校に登校する。もちろん、除雪されて歩きやすくなっている道路を通るが、ストッキング1枚で寒さを凌げるとは思えない。もしも雪の中で自殺しようと計画したとしても、日本人女性というものはせめて可愛らしい格好をして死のうとするのではなかろうか。

参考文献

  1. Berczeller, Paul. This Is A True Story. Vimeo.
  2. Berczeller, Paul (2003年6月6日). Death in the snow. The Guardian. 2019年6月22日閲覧.
  3. Fargo. NPR. 2015年4月24日. 2019年6月22日閲覧.
  4. Fenton, Ben (2001年12月11日). Cult film sparked hunt for a fortune. Telegraph. 2019年7月13日閲覧.
  5. Vincent, Alice (2015年4月14日). The truth behind Fargo's 'true story'. Telegraph. 2019年7月13日閲覧.
  6. Storr, Will (2015年2月25日). Did a woman die trying to find Fargo's buried treasure? Telegraph. 2019年7月13日閲覧.
  7. Powell, Mike (2015年3月18日). The Woman Who Froze in Fargo. GRANTLAND. 2019年7月21日閲覧.
  8. Macfarlan, Tim (2015年4月3日). Kumiko, the Treasure Hunter tells of woman who died 'trying to find Fargo suitcase with $1m in'. Daily Mail Online. 2019年6月22日閲覧.
  9. Shepard, Chuck. News of the Weird. Santa Monica Daily Press. 2002年1月31日. vol. 1. iss. 69. p. 6.
  10. About News of the Weird. uexpress. 2019年7月20日閲覧.
  11. 米国では有名な、亡き日本人女性の都市伝説 菊地凛子主演の映画化で好評価 その内容とは? NewSphere. 2014年2月2日. 2019年7月13日閲覧.
  12. 菊地凛子主演の日本未公開アメリカ映画、「トレジャーハンター・クミコ」初放送. 映画ナタリー. 2015年9月10日. 2019年7月20日閲覧.

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