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2020年5月24日日曜日

意外な証拠──1986年ワシントン州、鎮静薬へのシアン化物混入

 、アメリカはワシントン州シアトル郊外、40歳の女性が鎮静薬を服用した後、変死した。死因はシアン化物中毒。鎮静薬にシアン化物が混入されていたのである。その後、6日前のにも52歳の男性が鎮静薬を服用した後に突然死したことが判明する。男性の死因を再調査したところ、同じくシアン化物による中毒だった。謎の毒殺魔の暗躍に人々は戦慄した。これは無差別殺人事件なのだろうか。捜査官たちの調査の過程で、意外な証拠から犯人への手掛かりが浮上する。

 この事件も海外のテレビ番組Forensic Filesで特集された。題名は「Something's Fishy」。"fishy"という単語は「怪しい」、「魚のような」という意味である。この題名は本事件の特徴を的確に表現している。この番組はYouTubeで視聴が可能である。本稿を読めば番組の内容を理解しやすくなるはずである。

Forensic Files - Season 2, Episode 9: Something's Fishy

関係者

スーザン・"スー"・キャサリン・スノー (Susan "Sue" Katherine Snow)
銀行の副支店長。当時40歳。2人の娘の母親でもあった。エキセドリンという鎮静薬に仕込まれたシアン化物により死亡する。
ヘイレイ・スノー (Hayley Snow)
スーの前夫との娘。当時15歳。倒れたスーを発見する。
サラ・ウェブ (Sarah Webb)
スーの双子の姉妹。
ポール・ウェブキング (Paul Webking)
スーの2番目の夫。トラック運転手。度重なる離婚の後、6ヶ月前に結婚したばかりだった。
ブルース・エドワード・ニコル (Bruce Edward Nickell)
当時52歳。スーより前に同じくエキセドリンに混入された毒物で中毒死していた。
ステラ・ニコル (Stella Nickell)
当時43歳。ブルースの妻。離婚経験があり、2人の娘がいるが、いずれもブルースとの間の子供ではない。
シンシア・"シンディ"・ハミルトン (Cynthia "Cindy" Hamilton)
ステラの最初の娘。ステラが16歳のときに産まれた。前述の通り、ブルースとの血の繋がりはない。
アンナ・ジョー・ライダー (Anna Jo Rider)
ステラの友人。
トム・ヌーナン (Tom Noonan)
ペットの魚などを販売していた人物。単なるペットショップの店長がどのような理由で事件と関わることに?
コリン・L・フリグナー (Corrine L. Fligner)
スー・スノーの検死を担当した監察医。
ジャネット・ミラー (Janet Miller)
スー・スノーの検死を担当した検視助手。
リー・ワゴナー (Lee Waggoner)
FBIの筆跡鑑定の専門家。
グレッグ・オルセン (Gregg Olsen)
本事件について特集した書籍Bitter Almondsの著者。
アル・ファー (Al Farr)、Paul Ciolino
探偵。本事件の再調査を行う。
カール・コルバート (Carl Colbert)
弁護士。探偵2人とともに本事件の再調査を行う。
フレデリック・ホワイトハースト (Frederic Whitehurst)
かつてFBIの犯罪研究所で勤務していた人物。FBIが弁護側に開示しなかった文書を探偵たちに提供した。

暗躍する毒殺魔

 1986年6月11日、ワシントン州オーバーン (Auburn)。銀行の副支店長であるスー・スノーはいつも通りの一日を迎えるはずだった。しかし、その日の朝、娘のヘイレイは昏倒した母親の姿を見つける。近隣の病院へ搬送されたが、まもなく死亡が確認された。健康状態に問題はなかったはずなのに、どうして突然死したのか。

ワシントン州オーバーン
ハーバービュー・メディカル・センター (Harborview Medical Center)
スー・スノーが搬送された病院。後に判明するもう1人の犠牲者も同じ病院で死亡が確認されていた。

 監察医のコリン・フリグナーが検死を担当したが、すぐには原因は判明しなかった。しかし、助手のジャネット・ミラーが胸腔を開けたところ、微かに特異臭が漂ってきた。いわゆるアーモンド臭である。その後の血液検査により、死因は急性シアン化物中毒であるという結論が下された。

 スー・スノーの葬儀の日、スーの双子の姉妹のサラ・ウェブはスーの自宅で鎮静薬を探していた。台所でエキセドリンの瓶を見つけたが、どこか違和感があった。スーは錠剤しか飲まないはずなのに、そこにあったのはカプセルだった。この危機感がサラの命を救った。スーを死に至らしめた毒物が隠されていたのはこのエキセドリン (より正確に言えばExtra-Strength Excedrinという銘柄) のカプセルの中だったのである。

 スーを毒殺した犯人として、つい最近結婚したばかりの夫であるポール・ウェブキングが疑われた。ポールは結婚する直前まで昔のガールフレンドと付き合っていた。他の家族からの評判も悪かった。妻を亡くした夫は鎮静薬を錠剤からカプセルに切り替えたことを認めたが、事件への関与は否認した。ポールは自身の潔白を証明すべく、ポリグラフ試験を受けた。そして、見事にパスしてみせた。

 ポールが犯人でないとすれば、一体誰が犯人なのか。もしや、毒殺魔が無差別殺人を企てたのか。この事件により、同じ銘柄の鎮静薬が店の棚から回収されることになった。実は、この事件の4年前にも、シカゴでタイレノールにシアン化物を混入するという類似の事件が発生していた。この事件では7名もの死者が出た。依然として未解決であるこの事件を契機に、毒物混入への罰則が強化された。人々は毒物が混入されたエキセドリンでさらに死者が出ることを恐れた。その恐怖は既に現実のものとなっていた。事件の報道を聞いたある女性が、自分の夫もシアン化物中毒で死亡したかもしれないと名乗り出た。

 同じくオーバーンに住むブルース・ニコルも6月5日に突然死していた。その日の夕方、ブルースは頭痛を抱えて帰宅した後にエキセドリンを服用した。その後に倒れたのである。当初は気腫による自然死と見なされた。しかし、妻のステラによれば、ブルースもスーが服用したのと同じロット番号 (5H102) のエキセドリンを、死の直前に服用していたという。ブルースは気腫を患っておらず、ステラはブルースの急死を当初から疑わしく思っていたという。ステラの求めにより再調査を行ったところ、ブルースもシアン化物中毒で死亡していたことが判明した。ブルースの自宅からシアン化物が混入したエキセドリンの瓶が2本も発見された。

 店頭から回収されたエキセドリンも調査にかけられた。シアン化物は本来の鎮静薬よりも密度が高いため、X線での検査にかけることで毒物が混入した瓶を検出することができた。こうして、さらに2本の瓶に毒物が混入していたことが明らかとなった。アナシンという鎮痛薬にも毒が盛られていたという。運が悪ければ、死者は2名では終わらなかったかもしれない。

意外な証拠

 FBIは毒入りのカプセルに対して詳細な分析を行った。カプセルには700 mgのシアン化物が含まれており、致死量を遥かに上回る量だった。そして、カプセルの中にシアン化物とも鎮静薬とも異なる緑色の粒子が含まれていた。この正体不明の物質を質量分析法で検査したところ、アトラジン、ジクロン、モニュロン、シマジンという4種類の成分で構成されると判明した。このうちの2つの物質は特に藻類の駆除に使用されるものだった。捜査官たちは近隣のペットショップで同様の薬剤が売られていないか調査した。とりわけ捜査官の目を引いたのがアルジー・デストロイヤー (Algae Destroyer) という銘柄の商品だった。その名の通り、藻類の駆除用に売られていたそれは緑色の錠剤で、成分も件の緑色の物質と全く同じだった。どうして、藻類駆除用の薬剤が、シアン化物とともにカプセルに混入していたのか。捜査官たちはある事実に思い当たった。そういえば、被害者の1人であるブルースの妻ステラ・ニコルはアクアリウムが趣味だったと。

 FBIはステラの家の近隣にある57軒のペットショップを調査した。その結果、トム・ヌーナンというペットショップの店主が、ステラ・ニコルにアルジー・デストロイヤーを売ったことを覚えていた。ヌーナンはステラに対してある助言をしていた。アルジー・デストロイヤーは簡単には水に溶けないことが多いため、砕いてから水槽に入れると良いと。おそらく、ステラはその助言に従ったのだろう。

 元からステラは怪しい人物ではあった。ステラの家には毒入りのエキセドリンの瓶が2本もあった。ステラは2本の瓶を異なる時期に購入したと語っていた。合計で5本しか発見されなかった毒入りの瓶のうちの2本を引き当ててしまったというのは、偶然にしてはあまりにも運が悪すぎる。

 ステラにはブルースを殺害する動機があった。ブルースは7万6千ドルの生命保険に加入していた。しかも、事故死した際に10万ドル多く支払われる契約になっていた。ステラは住宅ローンなどの支払いを滞納しており、金に困っていた。ブルースが死亡する5日前、ステラは債権者たちに手紙を書いていた。支払いを滞納していたのは結婚生活に問題があったためであり、問題は直に片付く見込みであると連絡していたのである。 FBIの筆跡鑑定の専門家であるリー・ワゴナーが生命保険の契約書の筆跡を調査したところ、疑わしい箇所があると判明した。ブルースのものとされる署名はブルースの筆跡とは一致せず、ステラの筆跡と特徴が一致すると鑑定された。捜査官たちはステラが生命保険の契約書を偽造したと判断した。

 ブルースを殺害する動機が他にも見つかった。ステラとブルースはかつてはバーなどに通うことを楽しんでいた。しかし、ブルースはアルコール依存症の治療を受け、酒を飲むのをやめた。ステラもバーへ通う頻度が減ることになった。これはステラにとっては望ましい変化ではなかった。

 さらに、ステラの娘であるシンディが追い討ちをかけた。母親が毒殺犯であると証言したのである。シンディはステラが図書館に通って毒物について調査していたと報告した。オーバーン公立図書館 (Auburn Public Library) の記録に、ステラがDeadly Harvest (John M. Kingsbury著) という書籍を借りていた証拠が残っていた。シアン化物について扱うセクションでステラの指紋が多数検出された。他の様々な書籍でもシアン化物について扱うページでステラの指紋が発見された。Human Poisoningという本も借りていたが、これは借りっぱなしで返却していなかったという。

 こうして、ステラが犯人であることを示す状況証拠が揃っていった。しかし、ステラはスー・スノーとは面識がなかった。どうして、知らない人間を殺す必要があったのか。そもそも、なぜ、カプセルに藻類用の駆除剤までもが混入したのか。捜査官たちは以下のように推測した。

 ステラは毒入りのカプセルを用意する際に、アルジー・デストロイヤーを砕くのに使ったものと同じ容器を使用した。容器を洗い忘れていたため、カプセルに毒物だけでなく、アルジー・デストロイヤーも微かに混入することとなった。これがステラの犯行を暴く意外な証拠になってしまったのである。

 ブルースは慢性的な頭痛に悩まされており、鎮静薬を常用していた。ステラはこれを利用して夫に毒を盛ることに成功した。しかし、ここで計算違いが発生した。検視官がブルースは自然死したと誤認したのである。これにより、事故死で追加で支払われるはずの10万ドルが宙に消えた。そこで、ステラはブルースの死を再調査させること、さらには、毒殺魔にブルースが殺害されたという印象を与えることを目的に、毒入りのカプセルを無差別にばらまいた。被害者は誰でも良かった。スー・スノーとその家族は運が悪かったのである。

 ステラは裁判を受け、2件の毒物混入よる殺人で90年の禁固刑の判決を受けた。シカゴでのタイレノールへの毒物混入後に制定された毒物混入を禁止する法律下で有罪となった最初の事例である。

蛇足(?): 後の展開

 1997年に放映されたForensic Filesで取り上げられたのは上記まで。2000年代に発行された記事によると、探偵のアル・ファーとPaul Ciolino、弁護人のカール・コルバートにより事件の再調査が行われたという。

 これらの記事ではステラの主張が取り上げられている。ステラが毒草についての本を読んだのは、子供の危険になるかもしれない植物の存在を認識するためだったという。シアン化物について調べたのは自分の夫が死亡した後であり、夫の死について調べるためだったとも主張している。

 警察は、ステラは2本のエキセドリンの瓶を異なる時期に購入し、買った場所もおそらく別々であると述べていた。しかし、事件が起こる数ヶ月前にニコル夫妻と一緒に暮らしていた友人のアンナ・ジョー・ライダーによれば、ステラはAlbertson'sという店でのセールの際に同時に2本の瓶を買ったという。当時、ライダーはFBIの捜査官にステラが殺し屋を雇って自分を殺しに来ると脅され、ステラが真犯人であると信じ込み、弁護側に協力することを拒んだとされる。また、弁護側に開示されなかったFBIの資料によると、スー・スノーが持っていた毒入りの瓶には謎の指紋が確認されたとのことである。

 ステラの娘のシンディは実の母を告発する証言で事件解決に貢献したことにより、医薬品メーカの連合 (Nonprescription Drug Manufacturers Association) から25万ドルもの褒賞金を受け取った。シンディが9歳のとき、ステラはシンディをカーテンロッドで殴打したとして検挙されている。ステラはシンディを虐待したことを否定しており、シンディが学校に行きたくなかったために吐いた嘘だと主張している。ステラによれば、シンディはステラを妬んでいたという。ステラの主張の通り、虐待の過去は虚偽の可能性もないとはいえないが、どちらにしてもシンディは母親を好いていなかったのだろう。シンディの証言によれば、ステラはひっきりなしにブルースの悪口を言っていたとのことだが、ステラの友人のライダーはそれに反する主張をしている。ライダーによれば、ステラがブルースへの不平をこぼすところを見たことがないという。ライダーはニコル夫妻とともに生活していた時期があり、通勤・帰宅の際はいつもステラとシンディの2人と一緒だったらしい。ライダーの主張には信憑性があるかもしれない。

 ちなみに、医薬品メーカの連合はシンディを含む9名に総額で30万ドルの褒賞金を支払っている。ペットショップの店主であるヌーナンも、犯人逮捕に協力した謝礼として1万5千ドルを受け取っている。探偵たちはヌーナンの証言は嘘であると主張している。

 弁護側はこれらの新発見を元に再審を求めたが却下された。事件に使用されたシアン化物そのものは発見されずに終わっており、ステラが購入したとされるアルジー・デストロイヤーの現物も見つからなかった。毒物とアルジー・デストロイヤーを粉砕するのに使用したとされる容器も発見されておらず、直接的な証拠は出尽くしていない。事件が再び動く可能性もないとはいえない……かもしれない。

参考文献

  1. Season 2, Episode 9: Something's Fishy. Forensic Files. YouTube.
  2. Associated Press (1988年6月18日). Pill-Tamper Deaths Bring 90-Year Term. Los Angeles Times. 2020年5月11日閲覧.
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  7. Kohn, David (2001年6月4日). Bitter Pill Pt. II: Retracing The Case. CBS News. 2020年5月7日閲覧.
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  11. Bovsun, Mara (2017年5月14日). Washington woman poisoned husband, planted tainted pills around state in 1986. New York Daily News. 2020年5月11日閲覧.
  12. "Forensic Files" Something's Fishy (TV Episode 1997). IMDb. 2020年5月23日閲覧.

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