先日、『アイドルマスターシャイニーカラーズ 2nd season』最終話が放映されました。私はシャニアニ1期をネット配信で、2期第1・2章を映画館で鑑賞しました。当初は2期第3章も映画館で見る予定でしたが、途中で心が折れて、ネットの無料配信を待つことにしました。これ以上、シャニアニに金を費やす気にはなれなかったのです。
シャニアニ2期について、思ったことをここに吐き出しておきます。以前に書いた記事と内容が重複する部分があります。ご了承ください。
1期との比較
2期は1期よりも面白いという声をよく聞きました。まずは1期と比較しつつ、2期の全体的な構成について振り返ります。
1期は、一部を除き、基本的にはアニメオリジナルのシナリオでしたが、そのシナリオがあまりにも無味無臭でした。アイドル自身が撮影した映像という設定の回、ドキュメンタリー番組を再現した回があるなど、実験的な内容でありながら、不思議なほどに何も印象に残りません。この薄味なシナリオに、陰鬱なBGM、異様なカメラワーク、その他細かい粗が合わさり、退屈なアニメになりました。1期をぼんやりと眺める時間は、まさに苦役そのものだったと言ってもいいでしょう。
それでも、1期にも擁護できる部分はありました。真乃以外のアイドルの出番が、ほぼ平等に振られていたことです。キャラクターの顔を1人1人映す奇妙なカメラワークを見るに、極力全員に出番を与えようとする意図があるように見えました。もちろん、16人全員を主役にしようものなら、まともな物語になるわけもなく、何の味もしないシナリオが生まれる一因となったと推測されます。真乃だけは他の15人よりも出番が多かったのですが、真乃の言動も同様に何の印象にも残りません。それもあって、キャラクターの出番が平等だったという印象を与えていたと思います。
1期よりはマシだったと評判の2期はどうだったか。一言で表現するならば、意味不明、と言ったところです。
2期は原作のシナリオを再現した回がありました。このような回は、1期と比べると中身のある内容でした。BGMは陰鬱なままでしたが、1人1人の顔を映そうとするようなカメラワークはありません。登場人物の出番は平等ではなく、各話に主役と呼べるキャラクターがいた一方で、ほとんどまともな出番がないキャラクターもいました。シナリオの都合で犠牲者が出てしまったというわけです。そのおかげもあってか、シナリオ自体は起伏や見所がある内容でした。2期は1期よりも面白いと評価されるのも頷けます。
ただ、2期はそのような回ばかりではありません。ストレイライトのMVを中心とした1話、ライブを中心とした4話、12話。そして、1期と同じくオリジナルのストーリーが展開された3話、6話です。特にこの3話、6話が問題で、無味無臭なシナリオ、異様なカメラワークが復活し、1期の再来と言える内容でした。3話、6話ほどではありませんが、1話、4話、12話も随所で1期の味がしました。
2期は、原作シナリオを再現した中身のある回を流したかと思えば、不意に1期の虚無が姿を表すという、奇妙な構成でした。1期はどうしようもなく詰まらない内容でしたが、それでも作風の一貫性はありました。2期は回によって作風が変わり、一貫性はありません。一続きの作品の中で、敢えて作風の異なる回を入れるということはあるでしょう。ただ、2期にそのような意図があったとは思えません。
そもそも、1期から2期で、原作再現の有無の方向性が大きく転換した理由も不明です。1期と2期は放映時期に半年ほどしか差がありません。そのため、1期は評価が低かったため、2期では趣向を変えて原作のシナリオを再現する、などという経緯があったとは考えにくいです。アニメを製作する過程で、何か大きな混乱があったのかもしれないと疑いたくなります。
ストレイライト
1期で顔見せしていたストレイライトとノクチルが、2期になって本格的に登場しました。原作では特に人気のある両ユニットでしたが、アニメでは評価が大きく分かれました。
ストレイライトが中心となるのは、1話、2話、9話です。2話、9話はそれぞれ原作の「Straylight.run()」、「The Straylight」というエピソードが元となっています。アニメのストレイライト回は、比較的に評判が良かったです。ただ、原作のエピソードを知る私からすると、原作の劣化という感想しか出てこない出来でした。
2話はオーディションのシーンがありましたが、原作「Straylight.run()」では海辺でのパフォーマンス勝負のイベントという設定でした。対戦相手を描写したら尺が足りない、水着の3Dモデルを作りたくない、対戦相手の3Dモデルを作りたくない、放映時期が秋だから不都合といった理由があると推測されます。話を無理に変えたために、シナリオが分かりにくくなり、話の流れも原作から若干変わっています。
9話は愛依が中心となっています。冬優子、あさひはかなり人気が高い一方で、愛依はどういうわけか人気が低いです。冬優子、あさひはフィギュアなどのグッズが多く発売されていますが、愛依はかなり少ないです。特に象徴的な出来事が、るかっぷというフィギュアが発売されたときのこと。あさひ、冬優子は発売されたにも関わらず、愛依だけ発売されませんでした。喜ばしい新規グッズは、一転して呪いのアイテムに変わってしまいました。愛依が不遇であることを知っている私からすれば、アニメで中心となる回があったこと自体は悪くないと思います。
ただ、その9話も出来は褒められたものではありません。愛依はあがり症を隠すためにクールキャラを演じているのですが、アニメ全話を通して説明はありませんでした。これは愛依の基本的な設定であり、省略してしまえば、愛依が自分のキャラ付けについて思い悩む理由が理解できません。この時点で、作品として破綻していると言っていいでしょう。
アニメでは、偶然(?)に盗撮した人物が愛依の真の性格を曝露しますが、原作では展開が異なります。偶然に会った青年が迷惑系YouTuberであり、自身の放送で愛依の真の性格について曝露します。アニメの変更はおそらく尺の都合でしょう。ただ、アニメでの出会い頭に盗撮するという展開はさすがに不自然です。
アニメでは、愛依が作ったキャラも自分自身であると認識し、それを守ることを決断して、話が終わりました。パフォーマンスするシーンも無く、唐突にエンディングが流れます。原作はビジュアルノベルであり、ダンスをまともに描写できませんが、一応はパフォーマンスのシーンがありました。また、番組を見た愛依の家族の反応が描写されます。ぶつ切りで終わったアニメとは印象がまるで違います。
アニメの原作再現回は、どれもこれも尺の都合を感じます。これはストレイライトに限った話ではありません。原作のシナリオからところどころを省略し、その場しのぎの変更を加えたことで、本来あった原作シナリオの魅力も損なわれています。尺が無いと言っても、それは1話にシナリオを全て押し込めようとすればの話。1期の時間も使えば、2話または1.5話分の時間を使うこともできたはずです。
また、9話では、愛依が過去のストレイライトの活動を振り返るシーンがあります。2話の元となった「Straylight.run()」はに公開、9話の元となった「The Straylight」はに公開されました。シャニマスは、年齢は変化しないが経験は蓄積するという形式らしく、両エピソードの間には作中でも相応の時間が流れていると考えていいでしょう。しかし、アニメは2話と9話の間にそこまで時間が流れているようには見えません。それにも関わらず、長い経験を踏まえたかのような発言をしています。私は原作を知っていたため、事情を察することができました。しかし、初めて見た人からすれば、かなりチグハグに見えたでしょう。
2期では、原作を元にしたエピソードを無理に繋げているため、同様の違和感が随所で見られます。原作のシナリオを拾うのであれば、オムニバス形式にすることで、各話を完全に独立させた方が良かったでしょう。オムニバス形式にすれば、原作であった時間経過を、アニメでも無理なく説明できたはずです。
アンティーカ、アルストロメリア、放課後クライマックスガールズ
7話、8話はそれぞれ原作のエピソードである、アンティーカのファン感謝祭編、「薄桃色にこんがらがって」が元になっています。少なくとも、7話、8話はストレイライトの2話、9話と同様の問題を抱えています。 10話は原作の「【かきまぜたら*ミルク】園田智代子」が元になっているらしいです。ただ、「【かきまぜたら*ミルク】園田智代子」は限定pSSRであり、私は所持していないため、内容を知りません。スケールフィギュアの元になるほどで、有名ではあるのですが……。
7話は、幼少期の咲耶と父親との関係性が補完されているのは悪くありません。これは原作には存在しませんでした。ただ、原作の結末にあった「忙しいことは良いことだ」の場面が削られたのが惜しいところ。尺の都合上、仕方がないと言いたいところですが、1期も含めれば、時間は十分にありました。また、3話、4話で283プロダクション合同の企画を行った後に、咲耶が寂しさのあまりに奇行を始めるというのは違和感があります。この回も、原作の独立したシナリオを無理に繋げた歪みが出ていると言えます。
8話は、原作の重要な場面が削られています。致命的だった点は、アプリコット側がヤラセのオーディションを開いた理由やその主張を説明した場面を、アニメではほとんど省略してしまったこと。これがあるか無いかで、印象がかなり変わってきます。また、原作でも甜花は印象が薄かったのですが、最後に一応は活躍する場面がありました。しかし、アニメでは、尺の都合のためか、その部分が完全に消滅しました。原作の「薄桃色にこんがらがって」は付属する「【ドゥワッチャラブ!】桑山千雪」も評価が高かったです。そのため、2話分の尺を使って、原作を省略せず、さらには【ドゥワッチャラブ!】の部分も含めてアニメ化するのが最良だったでしょう。
10話については、原作を知らないため、私にはあまり語ることがありません。ものすごく面白いというわけではないにしても、エンディングもしっかりと作られているという点で、このアニメの中で最もまともな回だったように見えました。ただ、例に漏れず粗はあり、特に目立つのは「あああああ」。シャニアニはゲーム内のアイテムが登場するなど、細かい点でこだわりが見られます。ただ、そのこだわりを把握しようとすると、随所で現れる粗を直視せざるを得ません。
浅倉透、櫻木真乃
アニメ2期でノクチルを中心とする回は5話だけで、一応は12話のライブもノクチルの出番は多かったです。5話は原作の「天塵」を元にしています。イルミネーションスターズが中心となる回はありません。ただ、ノクチルの浅倉透、イルミネーションスターズの櫻木真乃が中心となる回はありました。6話の一部分と、11話です。11話は原作における透のG.R.A.D.編が元になっています。
予め言っておきますが、私はノクチルが好きではありません。特に樋口円香は嫌いです。生理的に受け付けません。このアニメの数少ない長所の一つに、円香がほとんど出てこなかったという点が挙げられます。円香役の声優は、このアニメの宣伝に何度も駆り出されていたのですが、一体どんな気持ちで仕事を受けていたのでしょうか。
ただ、ノクチルアンチの私としても、このアニメのノクチルの扱いは異常だったと思います。
5話は原作の「天塵」を元にしていますが、アニメになったのは前半部だけです。原作の後半部では、干されたノクチルにまともな仕事はとれず、辛うじてとれたのは海での祭りの仕事だけでした。この仕事は華々しさの欠片もないものでしたが、自分たちの意思で海に行くことを選びます。案の定、誰からの注目も集めませんでしたが、パフォーマンスは輝き、4人は楽しく過ごします。最後にステージ衣装のまま海に飛び込んではしゃいで遊ぶ場面が、「天塵」のハイライトです。
原作は一言でまとめると、自己満足に浸るクソガキ4名の話です。ただ、ノクチルのファンが唱えるように、そこから青春の煌めきを見出すこともできるでしょう。ファンは「天塵」後半部をアニメ化してほしかったはずです。実際にお出しされたものは、11話の真乃・透回でした。
11話は、このアニメの問題が詰め込まれた最悪の回です。まず、内容が面白くありません。原作を知っていれば、透がどんな悩みを抱え、どうして真乃との会話で氷解するのか、何となく理解できます。ただ、内容が多少は理解できたところで、真乃と透の漠然とした会話は大して面白くありません。初見の人 (恐らくは貴重な) は置いてけぼり、原作を知っている人は原作をここまで詰まらない話にできるのかと落胆する出来です。
また、ノクチルは透以外がモブも同然でした。登場人物の扱いを平等にして面白い脚本は書けないでしょうが、11話は扱いが不平等であるうえに面白くありません。つまり、何一つ良いところがありません。円香の活躍を見たかった大勢にとって、11話は期待を裏切る内容だったと言っていいでしょう。小糸と雛菜のファンは、二人の扱いが悪いことに慣れているため、この扱いにも驚かなかったでしょうが……。
11話のシナリオでは、透は俄かに仕事が増えた一方で、満たされない思いを抱えます。ここまでは原作と同じです。この悩みは、真乃との中身の無い会話の中で解決するのですが、この箇所は原作と大きく異なります。原作である透のG.R.A.D.編では、透個人のシナリオであるため、ノクチルの3人は登場しません。当然ながら真乃も登場しません。真乃に相当する登場人物はいますが、役割が大きく書き換えられています。アニメの6話、11話を見ると、透は真乃と仲が良さそうに見えます。しかし、原作では真乃と透が会話したシーンはほとんどなく、「アジェンダ283」の短い場面、「【裏声であいつら】浅倉透」の一場面 (厳密に言えば会話はしていない) など、かなり限られています。ただ、「FILA × MANO and TORU COLLABORATION」やシャニソンの街頭ビジョン広告、「はづきさんのシャニソンプロデュース講座」、「283 PRODUCTION MUSIC SCENE」での雑談など、アニメ放映の直前に真乃と透の仲が良いらしいという情報が公式から補完されていました。おそらく、アニメのシナリオを成立させるために、公式が頑張ったのでしょう。真乃と透の関係性を、急ごしらえで捏造したのです。
アニメでは1期、2期を通じて、真乃の出番が特に多いです。ただ、出番が多かった割に、真乃がどのような活躍をしたか、あまり印象に残りません。ぼんやりと悩んで、なんとなくイルミネーションスターズの2人と会話していただけです。真乃の活躍を鮮明に描写できていれば、透との無味な会話も多少はマシになっていたかもしれません。尤も、真乃が真っ当に主役として機能していたところで、ノクチルファンは透と円香の絡みをもっと見たかったでしょうが (小糸、雛菜との絡みとは敢えて言わない)。
5話は、透だけが注目された反発で、ノクチルが放送事故を起こす話。11話は、透だけが俄かに注目されて、ノクチルの3人がほとんど登場しなかった話。5話の後に11話を流すのはかなり皮肉めいています。ただ、おそらくはシャニマス運営からの要望を忠実に反映した結果でしょう。ノクチルが原作に登場したとき、特に透がかなり優遇されたと聞きます。円香はまだ扱いは良かったのですが、小糸と雛菜はオマケも同然の扱いでした。その後、円香の方が透よりも人気が出て、立場がかなり向上したようですが、それでも透は厚遇が維持されています (なお、小糸と雛菜は未だに塵芥のような扱いです)。シャニマス運営の透を売り込みたいという意思が、アニメにおいても強く出た結果、11話が生まれたと思われます。
悪人
今回のアニメが失敗した要因は、シャニマス運営側の意思が強く出過ぎたためと思われます。アニメ製作側は、やろうと思えば無難で楽しげな空気感で話を作ることもできたでしょう。しかし、シャニマス運営は単なる美少女ゲームとは違う、意識の高いコンテンツとして売り込みたがっていることは、昨今の運営の奇行を見れば明白です。その意図がアニメにも反映された結果、空虚なアニメが誕生したと推測するのは自然なことです。そもそも、運営側が無理に押し通さなければ、透のG.R.A.D.編に真乃を組み込むという意味不明なシナリオが作られるわけがありません。
まんきゅう、岩田健志、加藤陽一、そしてポリゴン・ピクチュアズにも責任はあります。彼らには、まともで面白いアニメを作る義務がありました。ポリピクの作ったCGアニメは、プロの仕事としてはあまりにお粗末です。ただ、シャニアニを見るに堪えない駄作にした最大の責任者はシャニマス運営側にあるように思います。つまり、総合プロデューサーの高山祐介、シャニアニ担当プロデューサーの池田ななこ。この二人が責任をとるのが道理です。
特に、高山はシャニソンの失敗の責任をとる必要もあります。彼はこのまま現在の立場を続けるのでしょうか。もしそのまま続投するのであれば、バンダイナムコの管理能力に疑問を抱かずにはいられません。
高山がシャニマスを牛耳る限り、私がシャニマスに復帰することは無いでしょう。
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