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2024年9月8日日曜日

シャニアニ2ndに水を差す

画像は『アイドルマスターシャイニーカラーズ 2nd season』の「第2章」より引用 (取得。©Bandai Namco Entertainment Inc.)

現在、『アイドルマスターシャイニーカラーズ 2nd season』第2章が全国の劇場で先行上映中。第3章の公開も間近です。 私自身はシャニアニ1期をネット配信で、2期第1・2章を映画館で鑑賞しました。

シャニアニ2期の自分なりの感想を書いておきます。題名の通り、全面的に肯定しているわけではありません。ネタバレも含みます。

まずは1期を蒸し返す

2期の話をするのであれば、まずは1期の話を踏まえる必要があるでしょう。 シャニアニ1期は世間一般からの評価が低い作品でした。アニメで初めてシャニマスに触れた人だけでなく、元からシャニマスが好きだった人からも酷評されました。 私自身も、とてもではないが食えたものではないというのが正直な感想です。

直接的な言葉に頼らずに、表情や天候などを使って、空気感を通じて登場人物の心情を伝えたいという意図は伝わります。 ドキュメンタリー風味の演出を取り入れるなど、何か奇抜なことを実現したかったのだろうとも思います。 シャニマスファンは考察が大好物という方が多いです。 製作側は、そのようなファンが映画から何かを読み取って、様々に話題を広げることを期待していたのでしょうか。

ただ、あまりにもシナリオの内容が平板で、当たり障りが無さすぎです。 考察愛好家たちも、さすがにW.I.N.G.敗北程度しか話題性のある出来事がない筋書きに対して、議論できることなどはほとんどありません。 ドキュメンタリー風味の演出も、ストーリー自体が薄味となれば、その味をさらに希薄にするだけの効果しかありません。

1期の惨状を目の当たりにしたとき、私は駄作ではあるが同情の余地もあるかもしれないと思っていました。 ソーシャルゲームをアニメ化するとなると、登場人物にそれぞれファンが付いているわけで、全員を主役にしたいところです。 しかし、桃太郎役が16人もいて、まともな劇ができるわけもありません。 出番も極力平等に与えようとすれば、16人分の顔のカットを毎度挟むということにもなるでしょう。 真乃の変化や成長が物語の縦軸に置かれており、真乃の出番は他の登場人物よりも多かったです。別格の扱いと言っていいでしょう。 ただ、真乃の心情を空気感で語らせようとした影響もあってか、真乃の印象はそこまで強くは残りません。 真乃は特別扱いしつつも、16人をなるべく平等に扱おうとする意図があるように私には見えました。

ただ、2期を見てからは、1期で製作側が何をしたかったのか、もはや何も理解できなくなってしまいました。

1期は原作のシナリオをほとんど含みません。『Light up the illumination』の要素が部分的に含まれるというだけです。 一方で、2期は原作のシナリオを再編してアニメ化した回が複数存在します。 2期の第2話は『Straylight.run()』、第5話は『天塵』、第7話はアンティーカのファン感謝祭編、第8話は『薄桃色にこんがらがって』が原作です。 これらの原作のエピソードは本来は独立しています。今のところ、2期はライブや真乃の成長を縦軸として、原作由来の物語を繋ぎ合わせています。 第3章もおそらくはそのような内容になると予想されます。

1期の登場人物間の平等志向は、2期では崩壊します。 第7話は咲耶が、第8話は千雪が中心となるエピソードです。ほぼ主役と言ってもいいでしょう。 主役扱いされる登場人物がいると言っても、他の登場人物に出番がないわけではありません。 第7話は結華、摩美々、恋鐘にも大きな見せ場があります。第8話は甘奈も準主役程度の役割はあります。 しかし、第7話は霧子がかなり影が薄いです。第8話は甜花が目立ちにくい立ち位置でした。

登場人物に平等に出番を与えた1期と比べれば、格段に面白いシナリオになっているとは思います。 平等に16人の顔を映そうとすれば、まともな話を作ることができるわけがありません。 ただ、2期で平等を崩してしまうのであれば、1期の時点から2期のような展開にしてしまえばよかったのです。

1期のときから「シャニマス傑作選」とでも題して、原作で評判の良かったエピソードを映像化すれば、皆満足したのではないでしょうか。 1期では出番が少ないエピソードが選ばれたとしても、2期で挽回できるわけです。 『十五夜「おもちをつこう」』や『流れ星が消えるまでのジャーニー』などを映像化すれば、今回は扱いの悪かった子も挽回できたのではありませんか。

1期と2期は製作時期があまり離れていません。1期の評判が悪かったから、2期では手管を変えよう、などと判断する暇は無かったはずです。 結局のところ、1期は一体、何だったのでしょうか。

2期第1章も蒸し返す

前述の通り、2期の第2話は原作の『Straylight.run()』が下地になっています。しかし、元のシナリオからは大幅な変更も加えられています。 その変更点があまり良いとは思えません。

原作は海辺のアイドルイベントが舞台でした。八百長に対抗しようとしたあさひが、直前に出演したアイドルのパフォーマンスを完璧な精度で模倣するという展開です。 一方で、アニメ第2話は、海辺のイベントではなく、室内でのオーディションという設定に変わっていました。 これが原因で、あさひがアイドルのパフォーマンスを模倣するという展開にかなり無理が出ています。 視聴者からしても、元のシナリオの知識が無いと、この展開の意味が分かりにくいのではないでしょうか。

第2話での設定変更の理由はいくつか考えられます。まず、テレビでの放映時期が秋であるという点。 秋に海辺のイベントの話を流すのは不自然という製作側の配慮でしょう。 ストレイライトの水着の3Dモデルを作る手間も省けます。 オーディションという設定に変更すれば、競争相手のアイドルの3Dモデルが無くても、さほど不自然ではありません。 シナリオの別の部分を不自然にすることを許容できるのであれば。

また、第3話は第4話でのライブの準備の話ですが、こちらにも問題があります。 シナリオがそこまで面白くない点は置いておくとして、こちらも展開が不自然です。

アイドルがライブの演出などを考えるというのは、原作のファン感謝祭編などのシナリオにもありました。 ただ、あまりにも演出に関与しすぎです。 せいぜい演出の案を出す程度が現実的なところで、アイドル本人が資材を仕入れに行ったりするのはさすがに異常です。DIYにも程があります。 果穂のリアクションは可愛かったですが、長所はそれくらいです。

ライブ前のアイドルの様子を現実的に描き出すとなると、ひたすらパフォーマンスを練習するだけで終わるでしょう。 それでは絵にはならないという事情も推察できます。 ただ、それはライブ前のアイドルの描写など、最初からしなければいいというだけの話です。 そもそも、ライブを1話丸ごと使って描写する必要性もありません。 ライブの描写はオープニングかエンディングにでもあれば十分で、新曲もそこで流せばいいでしょう。

結局のところ、徹頭徹尾「シャニマス傑作選」にすれば、皆が満足できたのではないか、という話に落ち着きます。 『Straylight.run()』は原作通りに海辺のイベントにすればいい。ハロウィンライブは必要ありません。秋に夏の話を放映して、一体何の問題があるのでしょうか。 本来は独立した原作のエピソードを、ライブを通じて繋ぎ合わせようとしていると前述しましたが、 ライブ絡みの話はシナリオの縦軸としての機能を果たしていないように思います。 評価が高い第2章も、単に原作のシナリオの完成度が高かったというだけで、ライブ関係の話は単なるフレーバーにしかなっていません。

海へ出すつもりはあったのか

第2章はファンからの評価が高いですが、第6話は賛否両論といったところです。 この第6話がかなりの問題児ですが、まずは第7・8話について言及します。

前述の通り、第7・8話は原作のシナリオを再編したものです。 咲耶の幼少期などの補完などもありますが、基本的には原作のシナリオを削ったものと見ていいでしょう。 映画を見たシャニマスファンは、原作の長いストーリーをよくぞアニメ1話にまとめたものだと評して太鼓判を押しています。 ただ、そもそも1話にまとめる必要があったのでしょうか。原作が素晴らしいからこそ、もっと丁寧に扱ってもよかったのではありませんか。 1話だけなどと言わずに、2話分の時間を割いて伸び伸びと描写してもいいわけです。せめて1.5話分程度はあってもいいと思います。

原作のアンティーカのファン感謝祭編は、事務所での忙しい日常を最後にもう一度描写します。 しかし、アニメ第7話ではその部分は削られてしまいました。このパートは咲耶の感情の変化が端的に現れます。 映像化する機会は、もう二度と来ないかもしれません。

アニメ第8話も原作の『薄桃色にこんがらがって』からかなり削っています。 アプリコット編集部が甘奈を選んだ理由を説明する場面がかなり短縮されていますが、そこは重要な部分だったと思います。 アプリコット編集部が単なる悪役ではないことを明示するか否かで、物語に対する印象はかなり変わるはずです。 アニメでも触れてはいますが、知識の無い視聴者にあの描写だけでそれを読み取らせるのは無理があるでしょう。 また、『薄桃色にこんがらがって』はイベント配布sSSR【ドゥワッチャラブ!】が単なるおまけでは終わりません。 千雪の努力が報われるだけでなく、アイドルとしての世俗的な成功だけでは終わらないものを、アルストロメリアが築き上げたことを示唆する内容です。 1話だけでなく、2話分の時間をとれば、【ドゥワッチャラブ!】の内容に触れる時間もあったのではないでしょうか。

ここまで非難を重ねましたが、第7・8話は普通に面白くはあります。 原作の傑作エピソードをアニメ1話分にねじ込むという勿体ないことをしているだけです。省略や多少の改変はあっても、本質を損ねているわけではありません。 ただ、第5話は本質すら留めていません。

第5話は原作の『天塵』の前半部を下地にしています。第7・8話と同じ問題が、同様に第5話にも見られます。 原作のシナリオをアニメ1話に収めようとして、駆け足気味に話が進んでいきます。明らかに尺が足りていません。 ノクチルの原作のシナリオは、間が多かったり、起伏の乏しい話が長々と続いたりと、静謐な印象を与える場面が多いです。 最後にノクチルのメンバー (特に透) が奇抜なことをして、何もかも転覆させてしまうものだから、退屈な印象は残りづらいです。 しかし、ビジュアルノベルでは受け入れられても、アニメに向いている表現手法とは思えません。 アニメで原作の空気感まで再現しようとすれば、1期の二の舞ではないかと心配していたのですが、結果的には杞憂でした。

問題はシナリオの変更点です。第5話は、ノクチルの4人が初出演のテレビ番組を崩壊させますが、海には行かずに終わります。 その後の第6話で、ノクチルが透の決断に促されて、全国ツアーへの参加を決めます。 話の流れから察するに、海には行くことがなく、最終話辺りで披露するであろうライブがその代わりになると予想されます。 秋に海に飛び込んでしまったら、小糸ちゃんが風邪をひきかねないという製作側の配慮のためでしょうか。 観客の振るペンライトが青白く光り、それが海のように見えたというような展開が、代わりに収まるのかもしれません。 夜光虫たちが海に行かずに話が終わるというだけでも問題ですが、アニメは『天塵』のテーマすらも毀損している可能性が高いです。

原作の『天塵』は、ノクチルの4人の破壊的な衝動は自己満足に終わり、観客は誰も評価してくれず、それでも4人は煌めいていた、というような話です。 アニメでは海に行く可能性はほぼ無く、283プロの合同ツアーでノクチルがアウェイになるとも思われません。 まさか、原作のLanding Pointやマッチライブのように、観客からバッシングを受けるなんてことも無いでしょう。 仮に観客から露骨に嫌われているという描写があったとしても、かなり不自然な展開になると思われます。 『天塵』の儚い味わいは、アニメ化に際して儚くも霧散してしまったようです。前半部のシナリオだけが宙ぶらりんに残ってしまったように思います。

これだけでも十分に問題があるのですが、透に対して真乃の介入があったという点も厳しいものがあります。 ノクチルは幼馴染で結成されたユニットであり、固い絆とそれに伴う閉鎖性が特徴です。 メンバーそれぞれにノクチルとは無関係の交友関係が全く無いというわけではありませんが、ユニットのことともなると、プロデューサーですら踏み込めない聖域があります。 そうでなければ、『ワールプールフールガールズ』のシナリオは成立しません。解散の件も、事前にプロデューサーに確認をとっておけば済む話です。 しかし、アニメ第6話では、その禁忌は真乃にあっさりと蹂躙されてしまいました。 真乃の言葉に刺激を受けた透、透の言葉をきっかけに奮起した幼馴染3人、といった具合に、真乃が結果的にはノクチル全体の方向性を決定付けてしまっています。

真乃と透の関係性は、原作では『アジェンダ283』や【裏声であいつら】などで断片的に描かれています。 ただ、真乃の存在が透に影響を及ぼすという描写に説得力があるとは思えません。そこまでの関係性が描かれたことは無いはずです。 アニメのシナリオにおいて、真乃は一応は別格の扱いを受けています。 しかし、1期の描写の曖昧さや展開の平板さもあって、アニメの描写から真乃に透を動かすだけの力があると読み取るのも難しいと思われます。

繰り返すようですが、「シャニマス傑作選」を徹底すれば無難だったのではないでしょうか。 真乃の成長やライブを物語の縦軸に据えようとして、原作由来のエピソードに歪みをもたらしているように思います。

実を言えば、私はノクチルのイベントコミュは全般的に好きではありません。『天塵』も本音を言えば、あまり興味はありません。 それでも、『天塵』の改悪があまり話題にならないことに違和感を覚えています。 ノクチルファンではない私ですら気になった箇所を、ノクチルファンはどうとも思っていないのでしょうか。不思議でなりません。

結局のところ

ここまで文句を書き連ねてきましたが、私のような一ファンがご意見を表明をしたところで、何か意味があるわけではありません。 アニメ1・2期は既に完成済みで、私が批判すれば、高山Pが襟を正してアニメを作り直してくれるわけではありません。 そもそも、アイドル一人一人がバンダイナムコの財産であるわけで、私が自由にできるものは何一つありません。 私のような一消費者にできることは、コンテンツに金を出すか、時間を割くかを決めることだけです。

それにもかかわらず、どうしてこんな罵詈雑言をつらつらと書き連ねたのか。 シャニアニ2期第2章に対するシャニマスファンの態度が、何となく気に入らなかったから、ですかね。

よくよく考えてみれば、私自身がシャニマスに求めていることは小糸が可愛いこと程度。ノクチルも、シャニマスも、それ自体はどうでもいいのかもしれません。 そのような意味では、今回のシャニアニ2期第2章は成功だったと言えるでしょう。小糸は健気で可愛かったですよ。

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