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2019年8月20日火曜日
"The Hands Resist Him"、呪われた絵がeBayで出品された話 (2019年10月13日追記)








eBayとは世界的に利用されているインターネットオークションサイトである。そんなグローバルでハイテックで最先端を行くウェブサイトで、2000年2月に題名通りの時代錯誤な代物が出品されたらしい。今となってはそのオークションのページ (Surfing The Apocalypseによるとhttps://www.ebay.com/itm/251789217?ViewItem=&item=251789217) は消滅しており、情報は断片的にしか残っていないが、次のような「体験談」が添えられていたという。なお、以下に示す訳はあまり正確なものではないため、参考程度でお願いします。
この絵をもらったときは本当にいい芸術作品だと思っていました。ある人からもらったのですが、その絵は古い醸造所に打ち捨てられていたそうです。 そのときは、すごく素敵そうな絵がそんな風に捨てられていたなんて少し不思議だなと思っていました (今はそう思わないけどね!)。 ある朝、4歳と半年になる娘が、夜中に絵の中の子供たちが喧嘩して部屋に入ってくると訴えてきました。 UFOが実在するとかエルビスが生きているなんて話を私は信じませんが、夫は不安を感じました。おかしな話ですが、夫は動きを検知するカメラを夜間に仕掛けたのです。 3日後に写真が撮れていました。最後の2つの写真 ([訳註]上図を参照) はこの「張り込み」のときに撮影されたものです。 絵の中の少年は ([訳註]少女に銃で) 脅迫されて絵から抜け出てくるようです。それを知った私たちはこの絵を手放すことにしました。
その後に、心臓の弱い人は入札してはならない、購入後にいかなる事象があっても免責されるなどの警告文が続く。確かに不気味な雰囲気を纏った作品ではある。私からすれば扉の後ろの手の方が気になるが、出品者は少女人形の持ち物の方を強調していた。
しかし、オークションのページにはその後に別の意味でいっそう奇妙な記述が加わる。あの体験談は本気にとらないでほしいというようなことが記載されているのだ。 このオークションのページは、出品されてから数時間のうちにインターネット中を広まったらしい。絵を見てひどく気分が悪くなった、卒倒した、見えない存在に体を掴まれた、絵を見た子供が叫び出したなどという体験談を語る人まで現れたという。少なくとも3万人が閲覧したとのことである。 最初は199ドルだったものが、30日間で1,050ドルにまで膨れ上がったものだから、出品者も肝が冷えたのかもしれない (追記: 再調査の結果、文献によって落札価格や日数が異なることが判明した。詳細は追記にて)。
絵は最終的にミシガン州グランドラピッズにある画廊Perceptionのオーナーのキム・スミス (Kim Smith) 氏が落札した。 スミス氏の元にはホラーな現象は起こらなかったが、奇妙な電子メールは届いた。ミシシッピ州に住むネイティブアメリカンのシャーマンを称する人物は、絵を見て具合が悪くなり、住居を清めるべくホワイトセージを燃したという。彼は小さな子供がいるような場所に絵を飾らないように警告した。 別の人物はエキソシストのような声を聞き、熱を帯びた突風を感じたという。さながらオーブンのドアの前に立っているかのようだったそうだ。2人の友人が泣きわめき、1分間お祈りを続けたとのことである。 他にも、ジョージア州のゴーストハンターや、ジョン・F・ケネディ大学で超心理学を専攻する大学院生からコンタクトを受けたこともあったという。複製品を求める声もあった。
落札者は絵から様々な情報を得た。題名はThe Hands Resist Him、作者はBill Stoneham氏。落札者は作者と思しき人物に連絡をつけ、オークションの件について教えた。作者のStoneham氏はこの奇妙な事件に驚いた。どうしてあの絵を子供部屋に飾ったのだろうと不思議に思ったという。
当時、Stoneham氏はコンピュータゲーム制作会社シアン・ワールズ (Cyan Worlds) に勤めるCGアーティストだった。元来、その作品は1972年頃に制作されたものだった。最初の妻 (VincentによるとRoane、AlfonsoによるとRhoannという名) が書いた詩から着想を得て描いた。絵の題名もその詩からそのまま借りた。
Stoneham氏は産まれたときから養子に出され、実の両親の顔を知らずに育ったそうだ。妻の詩にはこのことが言及されていた。 当時、彼は古い家族写真のアルバムを持っていた。その中には、シカゴのアパートに住んでいたときの5歳の彼を写した写真もあった。 その頃は、広告業界で働く養父が長い旅に出ており、節約のために養祖母のアパートで暮らしていたのである。狭い場所だったらしく、夜寝るときは衣類でいっぱいのクローゼットの中に敷かれたマットの上に横になるしかなかったという。 こんな生活をしていた頃の写真が、作品のヒントとなった。ただ、その写真そのものは引越しの際に処分してしまったそうである。
絵の中の少年はその写真中の彼自身がモデルである。少女人形は同じ写真に写っていた近所の少女を元にしている。 扉は可能性への門を意味し、覚醒と夢見とを隔てるもので、手は別の人生の可能性を表すらしい。少女人形は想像上の仲間であり、夢見の世界の案内人でもあるという。ちなみに、出品者が銃と解釈したものはただの乾電池であるという。
件の絵が描かれた20代の頃はカリフォルニアで暮らしていた。画廊のオーナーCharles “Chuck” Feingarten氏と契約し、1ヶ月に2作の絵を描く仕事をしていた。締め切りが迫る中、子供時代の古い写真と、妻の詩とが画家に閃きを与えたのである。こうして誕生したThe Hands Resist HimもFeingarten氏が購入していった。 ちなみに、Stoneham氏はThe Gatheringという題名の絵も描いたが、Feingarten氏はその作品は買わなかった。あまりにもダークすぎる絵だったからだそうで、Stoneham氏によれば、後にその絵を買ったある男性は発狂して自身の倉庫に火を放ち、刑務所で一生を終えたという。
その後、The Hands Resist Himは1974年に展示され、映画『ゴッドファーザー』でジャック・ウォルツ役だったジョン・マーリー (John Marley) 氏が購入した。 ロサンゼルス・タイムズ紙の芸術評論家Henry Seldis氏はこのStoneham氏の作品展示について評論を書いたが、1978年、53歳の誕生日の前日に自殺と思しき死を遂げた。離婚問題が原因で抑鬱的な状態だったという。Feingarten氏も3年後の1981年に亡くなった。マーリー氏も同じく3年後の1984年に亡くなっている。 関係した3名が次々と死亡する。さながら、ファラオの呪いのような展開だが、それから絵がどのような来歴を辿ったのかは、Stoneham氏も分からないという。 eBayの出品者の「体験談」がどこまで真実だったのかは定かではないが、廃墟と化した醸造所に放置されていたのは本当だったかもしれない。それすらも法螺話かもしれない。真実は闇の中。
単なる空騒ぎのようにも見えたこの事件だが、思わぬ副産物もあった。この騒ぎがきっかけで、この絵の続編が描かれたのである。 2004年のResistance at the Thresholdでは少年が年老いて描かれた。2012年のThe Threshold of Revelationでは100歳近い老人として描かれているという。少女人形は人間の少女へ転じた。 2017年のThe Hands Invent Himはアメリカの超常現象番組Ghost AdventuresのプレゼンターZak Bagans氏からの依頼で制作された。扉の向こう側で子供の姿のStoneham氏が絵を描いているという前日譚ともとれるものである。 また、Darren Kyle O'Neill氏がThe Hands Resist Himの権利を買い、その来歴から着想を得て小説を書いている。映画にもなるという話である。Gregg Gibbs氏もドキュメンタリーを制作中とのことである。
塞翁が馬という言葉があるが、出品者がホラー話を書いていたときや、Stoneham氏がこの絵を描いていた頃は、このような展開は予想していなかっただろう。事実は小説よりも奇なりという言葉がよく似合う事件であった。ちなみに、The Hands Resist Himとその続編、元となった詩は騒動の後に設立されたStoneham氏のウェブサイトで鑑賞できる。
参考文献
- The Hands Resist Him. Stoneham Studios. 2019年7月6日閲覧.
- Vincent, Alice (2018年10月31日). The bizarre story behind The Hands Resist Him, the internet's most haunted painting. Telegraph. 2019年7月20日閲覧.
- Alfonso III, Fernando (2013年10月31日). This ‘haunted’ painting has been terrifying people for decades. The Daily Dot. 2019年8月19日閲覧.
- Kershner, Jim (2002年10月31日). Painting goes bump in the night. The Spokesman-Review.com. 2019年7月6日閲覧.
- Surfing The Apocalypse. 2000年3月12日. 2019年7月20日閲覧.
- The Unexplained - The Ebay Haunted Painting. BBC. 2002年7月. 2019年7月20日閲覧.
- Gilbert, Rowena. "Hands Resist Him" by Bill Stoneham, The Haunted Ebay Painting. Castle of Spirits.com. 2019年7月20日閲覧.
- eBay item 251789217 (Ends Feb-12-00 07:02:28 PST) - HAUNTED PAINTING ----- WARNING AND DISCLAIMER. WhatTheHeck.com. 2019年10月13日閲覧.
- HENRY SELDIS, CRITIC AND LECTURER ON ART. The New York Times. 1978年2月28日. 2019年10月13日閲覧.
追記
この事件に関する情報源にはいくつか矛盾が見られる。Stoneham Studiosによれば、Seldis氏とFeingarten氏はStoneham氏の作品展示が行われてから1年以内に死亡したとされる。しかし、Vincentによれば、作品展示は1974年、Seldis氏が死亡したのは1978年、Feingarten氏が死亡したのはその3年後であるという。本記事では後者の情報を採用した。Seldis氏が死亡した時期については、当時のニューヨーク・タイムズ紙の記事のアーカイブが公開されており、その内容から見ても1978年が確実であると考えられる。
また、前述のとおり、Stoneham氏の最初の妻の名前も情報源によって食い違う。VincentによるとRoane、AlfonsoによるとRhoannであるという。Stoneham StudiosのウェブサイトではR. Ponsetiと書かれており、イニシャルがRであるという点でどちらとも一致している。
オークションの開催期間や落札価格についても矛盾がある。VincentおよびBBCによれば30日間で1,050ドルで落札したとされる。しかし、AlfonsoやGilbertの記事では1,025ドルで落札したとあり、Kershnerによると落札者は1,200ドル支払ったという。Alfonsoが情報源としたWhatTheHeck.com公開のeBayのアーカイブでは次のような記述となっている。
- 最初の入札価格: 199.00ドル
- 最終落札価格: 1,025.00ドル
- 入札回数: 30回
- 開始: Feb-02-00 07:02:28 PST
- 終了: Feb-12-00 07:02:28 PST
- 出品者: mrnoreserve
- 落札者: ionia7
- 出品者が怪談を真に受けないでほしいと追記した時期: Feb-02-00 at 11:36:21 PST
- 出品者が2回目の追記をした時期: Feb-11-00 at 21:01:57 PST
つまり、オークションの開催期間はからまでの10日間ということになる。ちなみに、オークションが開始されたのが午前7時頃、出品者がおばけなんてないさと言い出したのが同日午前11時30分頃。5時間も経過していない。 このアーカイブには画像が掲載されていないが、O'Neill氏の小説The Hands Resist Him: Be Careful What You Bid Forの冒頭で引用されているオークションのページのスクリーンショットと一致している (その部分はAmazonで試し読み可能)。
2019年8月19日月曜日
「ニューメーカー事件」、フランネルの子宮の中で
2000年4月18日、アメリカ合衆国コロラド州エバーグリーンで奇妙な事件が発生した。反応性愛着障害の「治療」中に10歳の少女の呼吸が停止。翌朝には死亡が確認された。私はこの件について専門的な見地から意見する立場にない。その治療法が有効だったのかどうかは分からない。私に言えるのは、それが危険な代物だったということだけである。

キャンディス (Candace) が産まれたのは1989年11月19日のことである。当時のフルネームはキャンディス・ティアラ・エルモア (Candace Tiara Elmore)。母親のアンジェラ・マリア (通称アンジー、Angela "Angie" Maria) はティーンエイジャー、6歳年上の父親トッド・エヴァン (Todd Evan) は軽犯罪を繰り返してきた粗暴な男。ノースカロライナ州で暮らす夫婦の生活はお世辞にも順調とは言えなかった。職は安定せず、住所も頻繁に変わった。アパートで暮らすこともあれば、トレーラーの中で眠る夜もあった。結婚指輪を質に入れたことや、夫が妻に暴行を加えたとして刑事事件になりかけたこともあるという。祖母のメアリー・クレンデニン (Mary Clendenin) は未就学児のときに両親が離婚し、里親の元で子供時代を過ごした。16歳で結婚し、アンジェラを含む2人の子供を産んだが、結婚生活はすぐに破綻した。アンジェラは社会福祉事業の元を預けられ、里親やグループホームを転々とし、情緒不安定な子供時代を過ごした。少なくとも3代にわたって不安定な生活が続いたことになる。
「キャンディス」という名前はテレビで見かけた美しい名前からとったものである。ミドルネーム「ティアラ」は祖母メアリーの夫デイヴィッド・デイヴィス (David Davis) が選んだものだった。デイヴィッドはキャンディスとは血の繋がりがなかったが、名前の通りに大事に思っていたようだ。アンジェラはキャンディスを妊娠中に、クラシック音楽を聞かせるなどの胎教を行ったという。家族にとっては宝石のような娘だったようだが、生い立ちも生活環境も良好とは言えなかった彼女たちの生活はやがて破局を迎えた。当局は夫婦を親として不適格であると見なし、夫婦の子供たちは里親に出されることになった。こうして、キャンディスも里親を転々とする生活を送ることになったという。
1996年6月、当時5歳のキャンディスには「キャンディス・エリザベス・ニューメーカー」(Candace Elizabeth Newmaker) という新たな名前が与えられた。キャンディスを養子として引き取ったのはジーン・エリザベス・ニューメーカー (Jeane Elizabeth Newmaker) という名のダラムに住む42歳の未婚の看護師だった。ジーン・ニューメーカーはペンシルバニア州ウォーレンにルーツがあった。その祖父フロイド・ヘンリー・ニューメーカー (Floyd Henry Newmaker) は家具の事業で成功を収めた。ジーンはウォーレン高校では学生委員会などに参加する忙しい日々を過ごし、1971年に卒業した。そして、1975年にニューヨークにあるロチェスター大学を卒業し、バージニア大学では看護学を専攻して1980年に修士課程を修了した。ジーンはキャンディスに安定した暮らしをさせてあげるつもりだったという。2階建ての煉瓦造りの立派な家での生活。キャンディスが家に来た日、ジーンは2ヶ月の休暇を取った。一見して、以前と比べものにならないほど良い環境に見えた。しかし、結局それも破局を迎えることになる。
ジーンによれば、キャンディスには精神上の問題があったという。ひどく怒りっぽく、自宅で火事を起こそうとしたり、家財を意図的に破損させたり、子供に性的暴行を加えたことさえあったという話である。ただ、キャンディスのことを知る近隣住民や教師たちはそこまで悪い印象を抱いていなかったらしい。とはいえ、人間というものは誰にも同じ顔、同じ声色で対応するわけではない。家庭と外で態度がまるで違うということはあり得る。キャンディスが実際はどのような人物だったのかは今となっては確認のしようがないが、少なくとも、ジーンが医師や専門家にキャンディスを診せたり、精神に作用する薬物で治療を試みたりしたことは確かである。どれも良い効果は出なかったようだ。
ジーンは最終的に「反応性愛着障害」(Reactive Attachment Disorder: RAD) という言葉に辿り着く。ジーンはノースカロライナ州で開かれた愛着障害に関するワークショップに参加し、反応性愛着障害の症状がキャンディスの行動とよく似ていると考えた。ジーンはインターネットでさらに調査を進め、ATTACh (Association for the Treatment and Training in the Attachment of Children) という団体の存在を知った。1999年、ジーンはバージニア州アレクサンドリアで開催されたATTAChのカンファレンスに参加し、ビル・ゴーブル (Bill Goble) というセラピストに面会した。ゴーブルはキャンディスを直接診察したわけではないが、ジーンの話から極めて重度の反応性愛着障害であると判断し、コロラド州エバーグリーンのコーネル・ワトキンス (Connell Watkins) を紹介した。ワトキンスは免許があったわけではないがセラピストとして活躍していた。フォスター・クライン (Foster Cline) 医師の教えを受けていた。
クライン医師の理論によると、愛着障害は幼少期に問題の源泉があり、幼少期に逆行させることで愛着障害を治療できるという。この理論を奉じたセラピストたちは、子供を拘束し、服従を強いることで、自身を支配できる存在を認識させ、そして、その存在の元にいれば安心できることを理解させるように「治療」を行っていったらしい。

2000年1月20日、ジーンはワトキンスと契約を結び、7千ドルを対価に2週間の「治療」をキャンディスに受けさせることにした。ワトキンスのセラピーは、助手が控えた仮住まいのサービス付きという魅力があったという。治療中のキャンディスはいつも以上に怒りっぽくなるだろう。2人きりでホテルに泊まるよりも、ワトキンスの助手と一緒の生活の方が安心できた。この治療が終われば、キャンディスはジーンを愛してくれるようになるはずだった。こうして、4月10日にセラピーが開始された。最悪の結末を迎えるとも知らずに。
セラピーには2人の助手が参加した。ワトキンスの事務所のマネージャーであるブライタ・セントクレア (Brita St. Clair) は薬の処方と母子のもてなしを担当した。その婚約者のジャック・マクダニエル (Jack McDaniel) は治療の訓練を受けていない高卒の素人だったが、キャンディスについての報告書を書く仕事で700ドルで雇われた。また、セラピーを開始した日には、開業医であり、エバーグリーンのアタッチメントセンター (The Attachment Center) でも仕事をしていたジョン・オールストン (John Alston) 医師もキャンディスと面会していた。
後に大問題に発展する治療法の前に、与圧 (compression) セラピーなるものも実施されたらしい。キャンディスをシートでくるみ (ただし、頭までは覆わない)、両脇にクッションを設置。その後、ジーンがクッションを支えにして、キャンディスの上に乗る。上から見れば十字型になる。そんな行為を続けた後、ジーンを椅子に座らせ、キャンディスをジーンの元まではいはいさせる。ジーンはキャンディスを赤子のように抱いて、食物を食べさせる。
そして、運命の4月18日。時間はそろそろ午前10時になるという頃。キャンディスは前夜、幼い自分を産みの母が2階の窓から落として殺す夢を見たという。セラピストのジュリー・ポンダー (Julie Ponder) はキャンディスに、赤ん坊になりきって泣きながら母親の「子宮」から出てくるように指示した。青いフランネルのシートにキャンディスを横たわらせ、胎児のような姿勢にさせると、シートでくるみ、キャンディスの頭上の方で端をより合わせた。そして、その上に枕を置いた。フランネルのシートを「子宮」に見立て、キャンディスをそこから「再誕生」(rebirthing) させようという趣旨である。大人たちはキャンディスを周囲から圧迫してキャンディスの邪魔をし、狭くて苦しい子宮の中を再現する。ジーンはキャンディスの頭の方に位置取り、キャンディスの再誕を待つ。どういうわけか、セントクレアの養子である車椅子のタミー (Tammy) もセラピーに居合わせたらしい。タミーは精神や身体に障害があった。
こうして準備を整えた後、ワトキンス、ポンダー、セントクレア、マクダニエルの4人はキャンディスの圧迫を開始した。キャンディスの体重は70ポンド (32キログラム弱)、4人の成人の体重は合計で673ポンド (305キログラム強)。堪らずキャンディスは死にそうだ、息ができないと訴えたが、4人は構わずに圧迫を続け、ときには寄りかかるようにしてさらに体重をかけた。ジーンはキャンディスの再誕を楽しみに待っているというようなことを言うばかりであった。「治療」を始めて20分頃、キャンディスはシートの中で嘔吐した。しかし、胎児が子宮内で吐瀉物に塗れようとも4人の大人たちは構わず圧迫し続けた。40分後にはキャンディスは完全に沈黙した。ポンダーは"quitter" (「意気地無し」、「臆病者」などの意) などと罵倒した。しかし、いくら蔑んでも、声をかけても、胎児は全く反応しなかった。
そのうちに、ワトキンスとポンダーは様子がおかしいことに気が付いた。2人はジーン、さらには助手のセントクレアとマクダニエル (ついでにタミーも) を退出させた。4人を体よく追い払った後、ワトキンスとポンダーはキャンディスがいるシートを広げ、その様子を確認した。キャンディスは青ざめて、身動き一つしなかった。ジーンは別室でモニターを通じて部屋の様子を見ていたが、事態の深刻さを理解して愛娘の元へ駆け込んだ。ジーンとポンダーは心肺蘇生を始めたが、全ては後の祭りだった。翌朝9時にキャンディスの脳死が宣告された。死因は脳幹ヘルニアおよび脳浮腫。圧迫され、そして、窒息した。ただ、それだけの結末だった。「治療」の際、セラピストたちは「再誕生」しなければ「子宮」の中で死ぬだけだとキャンディスを脅したが、まさにその通りの結果に終わったのである。
裁判の際には「治療」の様子が上映された。治療の様子を顧客に見せることがしばしばあったため、セラピストたちは治療の模様を撮影していたのである。ワトキンスとポンダーのセラピスト2人には16年の懲役判決が下された。2008年6月6日、ワトキンスは同種のコンサルタントやカウンセリングを行う職に就かないなどの制限を条件に釈放された。コロラド州ではこの類の治療法を禁止するCandace's Law (キャンディス法) と呼ばれる法律が制定されたという。
「再誕生療法」という言葉でウェブ検索すると、我々の治療法は今回の事件で行われた治療法とはまるで異なるものですと説明する日本語のウェブページが出てくる。現在もこの事件はこの手の分野に暗い影を落としているようだ。なお、本ページで紹介した事件の内容は、ニュースによる伝聞を拙い翻訳で日本語化したものであるため、実際にあった事件とは異なる部分がある可能性を否定できない。ご了承いただきたい。
参考文献
- Crowder, Carla; Lowe, Peggy (2000年10月29日). Her name was Candace. Rocky Mountain News. 2019年6月22日閲覧.
- Gillan, Audrey (2001年6月20日). Controversial therapy that killed. The Guardian. 2019年7月8日閲覧.
- Excerpts from video of the 'birth' and death of Candace. Rocky Mountain News. 2001年4月6日. 2019年8月18日閲覧.
- Nicholson, Kieran (2008年8月1日). Therapist in ‘rebirthing’ death leaves prison. The Denver Post. 2019年8月18日閲覧.
2019年8月15日木曜日
スプラッタ・コメディ (?) 漫画『メイコの遊び場』第1巻を読む

最近、『メイコの遊び場』という漫画を購入した。帯によれば物騒な描写が売りらしい。最初に書店で見かけたときは、表紙から独特の空気を感じ取り、そこに魅力を覚えた。しかし、スプラッタな要素しか売りがない作品だったら金の無駄ではないかと躊躇して、一度は購入を見送った。漫画誌の定期購読を懐事情から諦めている私からすれば、1冊1冊の購入が死活問題。面白そうだから大人買い、なんてことにはかなりの抵抗がある。それでも、2度3度見かけ、最終的には購入に踏み切った。後で調べてみると、作者の岡田索雲先生は一部でカルト的な人気を誇っているらしいと分かった。それを最初から知っていれば、胡散臭い帯のことは気にしないで購入していたかもしれないのだが……。

作品概要
本作の舞台は1973年の大阪。主人公は表紙にも載っている眼帯の少女・メイコ。子供でありながら、依頼に応じて邪魔な人物を消す仕事をしている。断片的にしか語られていないものの、様々な描写から、これまでまともに学校に通ったことがなく、同年代の友人がいなかったことが伺える。恵まれない生い立ちと稼業のためか、表情の変化が乏しく、感性が他者とは異なる部分もある。それでも、完全に人間から逸脱した怪物というわけではない。子供らしい無邪気さ、遊びを楽しむ心。そんな普通さも併せ持つ。
メイコの武器は眼帯に隠された左目にある。未読の方のために敢えて詳細は語らないが、これを使うことで標的を自分の心の中に引きずり込むことができる。彼女の精神世界の中では、メイコは神のように自由自在。その中で「殺された」人物は、現実の世界では精神を破壊されて廃人となる。年端もいかぬ少女でありながら、殺し屋紛いの稼業ができるのはこの左目のおかげである。
物語が本格的に始まるのは、そんなメイコに恐らく初めての友達ができた場面から。子供たちのリーダーのような立ち位置のアスマ少年が、寂しそうなメイコを見兼ねて遊びに誘ってくれたのである。じゃんけんすら知らないメイコのために、アスマはメイコに様々な遊びを伝授する。そして、夜になると、メイコはアスマから教わった遊びを、その無邪気な童心故に標的たちに対して試していく。悪趣味な欲望からではないが、死に対する感性が逸脱したメイコの遊びの末路は必ず血みどろなものとなる。
第1巻は基本的に、昼間にアスマから遊びを教わり、夜にその遊びで標的を弄ぶという流れの繰り返しである。第2巻以降どうなるかは分からないが、私はかなり計算して作られた筋書きであると思った。どうしてそう考えたかについてはこれから詳細に説明していく。
本作は単なるスプラッタ・コメディか
アスマから教わる遊戯は、今時の子供がやるとは思えない昭和の遊びである。作者の発想がどこを起点に広がっていったのかは分からないが、恐らくは「昭和の遊びで人を殺す漫画を描いたら面白いのではないか」というアイディアがこの作品の発端ではなかろうか。昭和の遊びは素朴な分、上手く描写すれば、血みどろさと滑稽さが両立した面白さを実現できる。ただ、この要素だけがこの作品の面白さではない。これだけならば単に血塗れなだけのキッチュな凡作で終わっていただろう。
例えば、私のような凡人に「昭和の遊びで人を殺す話」というアイディアが頭から浮かんできたら、こんな筋書きの作品を作っていた。「平成の某所、少女の姿をした快楽殺人鬼が夜な夜な現れ、通りがかっただけの哀れな犠牲者を珍妙な方法で殺していく。陰惨な殺戮の後には血みどろの現場が残される」。もし、これだけの作品だったら、スプラッタと滑稽さが売りなだけで埋没するのがオチだろう。しかし、この作品は違っていた。
本作でメイコの標的になるのはヤクザ者だけである。しかも、殺されるのはあくまでメイコの心の中だけで、現場に残るのは精神が崩壊した廃人だけである。現実世界には血の一滴も流れない。もし、一般人も標的になり、陰惨な殺され方をしたバラバラ死体が残る設定であれば、おおらかな昭和の時代とはいえ、さすがに大騒ぎになる。昼間にメイコと遊ぶ子供たちは現れなかっただろう。空き地で呑気に遊んだり、怪しげな余所者を遊び仲間に引き入れたりはしなかったのではなかろうか。家に閉じこもって、その中で暇つぶしに一人遊びするだけだったはずだ。
メイコは殺し屋であると同時に、無邪気で童心ある子供でもある。昼間は遊戯を楽しむ少女、夜は無情な殺戮者。この差が独特の面白さを醸し出している。単なる快楽殺人者として描写されていれば、このギャップを生み出すことはできなかったはずだ。純粋に友人たちとの遊びを楽しみ、それを求めるメイコの姿は、無表情で不気味な見た目とは裏腹に、どこか愛らしく見えてくる。子供たちとの間に生じる常識、感性のズレは、殺戮描写とはまた別の滑稽さを生み出している。そして、殺し屋として生きていかざるを得ない少女の哀しさも、読者の心の中に滲み出てくるかもしれない。単なるスプラッタ、滑稽さだけでない面白さ、奥深さを生み出しているのは、作者の設定構築の巧みさのおかげである。
また、標的が悪人しかいないという設定は別の効果も生じる。もし、無辜の一般人も殺戮の対象に選ばれる設定だったならば、この作品の読後感は全く別物になっていただろう。昭和の遊び、子供の飛躍する想像力によって殺されるという描写の奇妙さが際立っているのは、あくまで殺されるのがろくでなしだからである。普通の人まで殺されていれば、悪趣味を通り越して後味が悪いだけだっただろう。他にも後味の悪さを抑える工夫は随所に見られる。例えば、殺人の依頼者がどこか憎めない小悪党である点や、殺戮の描写は流血や骨格の崩壊を描くだけで、撒き散らされるであろう臓物まで描くほど仔細ではない点 (これは意図的かどうかは分からないが) などがある。
オマージュ、パロディ
ここまでで本作は単なる色物ではないと書いたが、それ以外にも触れておかなければならない点がある。ギャグとしての要素を意識しているのか、本作はどうやらパロディが多いようだ。
読書メーターのBo-he-mian氏のレビュー (2019年8月15日参照) によれば、本作の表紙や舞台はロマンポルノ『(秘)色情めす市場』を意識しており、メイコの名前の由来も女優の梶芽衣子、他にもメイコの友人たちや標的のヤクザ者の顔もパロディで満載であるという。 私は古い作品についての知識が皆無であるが、そんな私ですら露骨にパロディであることが分かった箇所がある。
メイコの友人の一人のヨシハルの顔は有名な『ねじ式』の主人公にそっくりである。そもそも名前が「ヨシハル」と露骨だ。本作55ページでは有名な腕を押さえるポーズをとっている。
第7話の標的は映画『男はつらいよ』の寅さんそっくりの格好をしている。この人物は拝借元とは異なりかなりの外道で、第1巻の中でも際立って陰惨な末路を迎える。
前述のBo-he-mian氏は博識で古い作品に通じていたために、却って本作の面白さが理解できなかったようだ。数多くのパロディのために気が散って、本作に没頭できなかったのではなかろうか。私は知識が皆無なおかげで、特に気にせずに読み込むことができた。ただ、オマージュ、パロディを理解していないという点で、本当の意味で本作の面白さを読み込んで理解しているとは言えないのだろう。恐らくは作者のサービス精神によるギャグ、または昭和という時代への敬意の現れであって、細かく理解せずとも作品は読めるのだろうが、何だか悔しい思いである。精進が必要だと思わずにはいられない。
第2巻以降も昼間の遊び、夜の殺戮という流れを描き続けるのかは分からない。私は財政事情から単行本派。連載を追っていない。ただ、第1巻の時点ではかなり面白かったと言いたいがためにこの記事を書いた。偉そうに雑多に書き連ねたことが第2巻以降で大外れであると判明してしまったら恥ずかしい。まあ、所詮は、読後の感情を並べたよくある感想ブログや、考察という名の妄想を並べたウェブ検索の邪魔になるアレと大して変わりやしないので……
ギャグ漫画『レキヨミ』と「こへ兄貴」

『レキヨミ』の魅力
、ギャグ漫画『レキヨミ』の記念すべき単行本第1巻が発売された。作者は柴田康平先生。掲載誌はハルタ。
私は普段はギャグ漫画を読まない。それではどうしてこの漫画は読もうと思ったのか。その話をする前に、まずはこの漫画の魅力についてお伝えしたいと思う。
主人公は表紙に描かれた2人の姉妹である。見てのとおり獣耳が生えている。単なる記号的な猫耳キャラというわけではなく、ファンタジー世界に住まう種族としての設定が用意されているようだ。第1巻の巻末では作品の設定を解説しており、作者の凝り性が垣間見える。特に興味深い点が脚の設定で、主人公2人の脚は膝から下が獣のそれになっている。毛皮で覆われているだけでなく、つま先立ちで踵が浮いた骨格として設定されているのだ。猫や犬を飼っている方ならばすぐに確かめられるが、獣は常につま先立ちで歩く。踵は地面につかないようになっている。第1巻の時点で獣人以外の種族も既に登場している。未読の方のために詳細は伏せるが、こちらもまた魅力的な造形をしている。
こうして作者はファンタジー世界と可愛らしいキャラクターを創造した。そして、何を思ったか、創造物を様々な分泌物が入り混じった闇鍋の中にぶち込んだ。本作は掲載誌が同じ『ハクメイとミコチ』と比較され、「汚いハクミコ」という評判を一部で獲得しているらしい。どう汚いかと言えば、唾液を飲まされるのは序の口で、失禁、嘔吐、鳥の糞直撃、肛門への異物挿入と下ネタのオンパレード。それを味のある画風で描かれた可愛らしいキャラクターたちが繰り広げるのだから、そのギャップはすさまじい。暴力的な描写も多く、特に主人公姉妹の姉の方は妹からのツッコミや事故でよく死亡する。妹の方も時折死亡する。流血沙汰もしばしば。そこまで精緻に描いていないため、グロテスクな描写が苦手な方でも読める。下ネタが駄目ならば諦めよう。
可愛らしいファンタジーの箱庭を分泌物で覆いつくしたうえで、さらに鋭いギャグも繰り出される。胃から飛び出たサンドイッチが綺麗に弁当箱に戻ったり、魂がタバコの煙の輪をくぐり抜けたりと、芸術性が高い。鋭利なギャグに緩急を与えるためか、時折綺麗な場面も配置されている。鬱蒼とした森林に差し込む日光のコントラストを高度な画力で描いた見開きは非常に印象的。綺麗は汚い、汚いは綺麗。その両方を尖ったアイディアと画力で展開してくるのもこの作品の特徴だろう。
ジャンルとして分類するならば「美少女もののギャグ漫画」の範疇に収まる作品ではある。それでも、ファンタジーとデザイン、お下劣ギャグ、色々な意味での芸術性といった独特の要素を兼ね備えている。ジャンルの中の外れ値にあたるのではないかと思う。ありきたりな美少女ギャグ漫画には飽きたが、同性愛気味の少女以外はお断りという方に特におすすめできる作品である。
どうしてこの漫画を手に取ったか
ここから先が、私にとってはある意味で本題。漫画をダシに作品論をぶちまけているようなものだから読まなくてもいい。作者に対するネガティブな情報もあるため、見たくない方はここでUターンすることをお勧めする。敢えて述べるが、私は作者を告発する意図があるわけではない。
私が作者の柴田康平先生の存在を知ったのは数年前のこと。柴田先生はかつて、「こーへー」という名義で東方Projectの二次創作を作っていたらしい。その作品の多くは現存していない。私自身、当時の彼の活躍がいかなるものだったかを詳しくは知らない。
念のため説明するが、『東方Project』とは「上海アリス幻樂団」というサークルが開発している縦スクロール弾幕シューティングゲームを中心とした「ジャンル」である。本家本元はシューティングを中心に、格闘ゲームへの進出や、漫画や小説といったメディアミックスを展開している。
『東方Project』の最大の特徴は大規模な二次創作コンテンツの広がりだろう。長年、多くの人々が、二次創作や原作からの刺激を受けて、東方Projectの二次創作を制作してきた。原作側が二次創作に寛容な態度をとっていたことや、数年毎に新作を出して話題性を持続させたこと、既存の膨大な二次創作の蓄積による呼び水などが要因となってか、二次創作コミュニティは今なお発展を続けている。同様に二次創作が盛んな『艦隊これくしょん』や『Fate』シリーズなどの強力なライバルも台頭したが、依然として存在感を保っている。
インターネットの世界は広大である。比較的綺麗な二次創作コミュニティが存在する一方で、敢えておぞましいもの、拙いもの、社会から拒絶されているものから二次創作が発展していったコミュニティも存在する。実は、2018年6月頃まで、柴田先生は「こへ」という名義で「あるジャンル」において二次創作を行っていた。期間は長く見積もって数年程度だったと記憶している。ハルタでの作品掲載と並行して「ファンアート」を投稿していた。漫画業へ注力するとの理由で唯一の窓口であるTwitterアカウントを消してしまったため、今となってはその痕跡を追いかけるのは難しい。
そして、その「あるジャンル」とは……言ってしまっていいものか、ええいままよ……「クッキー☆」である。このジャンルはニコニコ動画や2ちゃんねるなどでそれぞれ独自の発展を遂げた。ジャンルの発生元はニコニコ動画に投稿された東方Projectの二次創作である。素人やセミプロの女性声優がキャラクターに声をあてた。作品の出来があまりにもひどかったことやそれに付随する様々な騒ぎが原因で、件の二次創作作品をネタにする文化が定着してしまった。意図的にツッコミ所のある東方Project二次創作を制作して、新たなクッキー☆を生み出そうとする後継者まで現れた。いわゆるナマモノにありがちな事件が影響し、声優などの関係者がインターネット上から姿を消すという悲劇に発展したことも数知れず。良識的な人間ならばわざわざ巻き込まれにいくとは考えられない。そんなジャンルである。
このジャンルの (特にニコニコ動画における) 特徴は、作品内外から属性を抽出し、出演声優をさながら創作物のキャラクターのように変形させてしまっていることである。作中で演じたキャラクターの言動や作品外での声優の言動、単なる声の印象、さらにはそれらを邪推・妄想して膨らませたものを蒸留し、属性を抽出。それを声優と紐付けてキャラクター化してしまった。外見は萌えキャラ、声は素人声優、そんなキメラに、二次創作するのに便利で印象的な属性が与えられている。クッキー☆で二次創作する立場から考えると、クッキー☆はこのような構造になっている。
私が柴田先生に興味をもったのは、クッキー☆というおぞましいジャンルに首を突っ込んでいる商業作家がいるとどこかで耳にしたからである。奇妙なものを集めるのが趣味の私としては、是非とも作品を読んでみたかった。さぞかし、人の道理から逸脱した作品を生み出しているのだろう。ただ、金欠のために雑誌を購入して連載を追う習慣がなかった私は、単行本化を待ち望むばかりであった。ようやく出版された作品はスラップスティックコメディ。汚物や暴力が可愛らしいキャラクターとのギャップを与えるという独特の面白さがあり、1つの作品として満足できる出来だった。ただ、最初に興味をもった方面から考えれば、人の道理を外れているとしてもそれはギャグの範疇。ある意味では期待外れだった。しかし、それは当然のことだった。よくよく考えてみると、私は大きな考え違いをしていたのである。


結局のところ、クッキー☆は呪われた出自のジャンルではあるが、柴田先生にとっては単なる二次創作ジャンルの1つでしかなかったようだ。柴田先生、もとい「こへ兄貴」はどうしてこのようなジャンルに関わってしまったのか。罪悪感はなかったのか。私の推測ではあるが、人の道理を踏み越えようという意思も、極悪非道な悪ふざけを楽しもうという邪念も特に無く、そのジャンルでの二次創作が楽しそうだから手を染めたというだけのことではないかと思う。
ニコニコ動画で「クッキー☆」と検索すると、そのジャンルの二次創作動画が腐るほど出てくる。再生数が1万を超えているものも珍しくない。インターネットは広大で、ニコニコ動画はその中で数多くあるウェブサイトの1つに過ぎない。しかしながら、クッキー☆はそれなりに盛大に繁栄していたジャンルではあった。二次創作に不可欠のキャラクターは既に用意されていた。そこそこ人気のあるジャンルだから観客もそれなりにいた。となれば、クッキー☆で二次創作を制作しようという考えを抱いてもあながち不思議ではないかもしれない。生身の体からキャラクターに身を堕とした声優たちからすれば迷惑極まりないが、キャラクター化してしまった時点でもはや生身の声は届きようがない。インターネットから姿を眩ませた関係者も多い。下手に騒いでもネタにされるだけである (むしろ迎合していった関係者すら存在した)。クッキー☆声優たちの有様は例えるならば、スーパーに並ぶパック詰めされた肉や魚に近い。血を見ずとも美味しく調理できる材料を見て、罪悪感を抱く人もいなくはないが、多数派ではない。
敢えて妙な指摘をするが、クッキー☆は二次創作の観点で見ると、本家本元の東方Projectと似ている部分がある。東方Projectで二次創作を行うにあたり、二次創作者にとって都合がいい点は、舞台とキャラクターが最初から用意されていることである。二次創作でのキャラクター設定が原作の設定メモや描写に由来するのは当然だが、それを深読みしたり膨らませたりして二次創作に都合のいい設定を用意することにも成功した。しかも、キャラクター間の人間関係も、原作での関係性をそのまま取り入れたり、設定から妄想して新たに生み出したりすることができた。出来合いの舞台、キャラクター、その関係性を上手に配置・加工し、最低限の原則的な設定からの逸脱の抑制に努めれば、二次創作は完成する。もちろん、二次創作にも巧拙の差があり、誰でも傑作を作ることができるわけではない。それでも、一からオリジナルの創作物を作るよりかはたやすく面白い作品を作ることができる。この出来合い創作セットを組み立てる二次創作を通じ、創作者としての腕を磨いたのか、東方Projectの二次創作をかつて行っていたという商業作家の活躍も最近耳にする (柴田先生も一応はその1人である)。右も左も分からないワナビーが二次創作で力を蓄えて、商業のオリジナル創作の世界に花を咲かせるということもあるのかもしれない。商業漫画家を目指すつもりがなくても、出来合いのキャラクターを組み立てて二次創作するコミュニティでは、自分の作品を比較的に手軽に作って発表し、他者とのコミュニケーションを楽しむということも行いやすい。鑑賞者にとっても創作物の供給が非常に多いうえに、ある程度の前提知識さえをもっていれば、共通の世界観の下にある様々な作品を楽しめる。東方Projectの二次創作コミュニティは作り手にとっても読み手にとっても都合がいい環境なのである。
そして、それはクッキー☆もまた同様だった。舞台は曖昧なようだが、キャラクター (声優) やその関係性は、作中の描写、作品外での人間関係、それを過剰に膨らませたものを土台に開拓されていった。こうして生み出された出来合いのキャラクターを加工・配置して作品を作っていけば、作品が出来上がる。東方Projectと比べると設定などが曖昧で、その束縛も緩かった。呪われた出自であることを無視すれば、東方Project以上に自由に作品を生み出すことができた。鑑賞者もそれなりにいた。
『レキヨミ』の特徴の1つに強烈な下ネタがある。クッキー☆は出自の都合から下ネタが非常に多い。とはいえ、東方Projectでも強烈な下ネタを武器とした二次創作は珍しくない。柴田先生の作風にクッキー☆や東方Projectでの二次創作文化が影響したかどうかは定かではないが、創作の世界では版権元の許可を得たか怪しい二次創作が我が物顔でSNSを跋扈している。クッキー☆程度では呪いにはならないかもしれない。まともな出典もなく、独自研究だらけのこの怪文書を真に受ける人もいないだろう。そもそも、クッキー☆で活躍したさる人物が、東方Projectの公式誌に作品を掲載したという前例もある。柴田先生はクッキー☆の呪縛に捕らわれることなく活躍できると信じております。以前の読み切りや短期連載は単行本化するのでしょうか。読むにはハルタの既刊を買うしかないのでしょうか。人気が出てほしいものです。
……そんなことを書いていたら、短篇集『んねこん』が発売されました。ただ、まだ単行本化されていない短篇や短期連載作品があったはずです。続報を待ちます。