英語版Wikipediaは日本語版と比べるといくらかの違いがある。 特に大きな違いの一つに、殺人事件の犯人や被害者、証人や警察官などの関係者の氏名が掲載されることが挙げられる。 日本語版Wikipediaは特定の場合を除き、氏名などの個人情報の記載を禁じている。 一方で、英語版Wikipediaは、例え犯人や被害者が未成年だったとしても、氏名を容赦なく明記する文化がある。
今回は「京都アニメーション放火事件」を取り上げる。社会的な影響が大きい事件は英語版Wikipediaでも詳細な記事が作られやすい。さすがに日本語版の「京都アニメーション放火殺人事件」の方が詳細な内容だが、犯人の実名は記載されていない。比べてみると面白いはずだ。
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京都アニメーション放火事件
「京都アニメーション放火事件」は2019年7月18日午前、京都府京都市伏見区にある京都アニメーション第1スタジオで発生した。36名が死亡し、被疑者を含む34名が負傷した。また、第1スタジオにあった資料やコンピュータのほとんどが焼損した。戦後日本で発生したものでは最多の死者を出した殺人事件の一つである。2001年の明星56ビル火災 ([訳注]“Myojo 56 building fire”、「歌舞伎町ビル火災」のこと) 以来で最多の死者を出したビル火災でもある。また、エンターテインメント会社およびアニメーション産業に関連するスタジオで起きた大量殺人事件としては初である。
被疑者は京都アニメーションの従業員ではなかったが、玄関から40リットルのガソリンを運びつつ侵入し、周囲や数名の従業員にガソリンを撒いて着火した。ガソリンに火をつけたときに自分自身にも着火した。その後、被疑者は逃走しようとしたが、スタジオから100メートルほど離れた場所で警察官に取り押さえられた。目撃者は被疑者が京都アニメーションによる盗作を非難する発言をしていたと述べた。被疑者、すなわち42歳の青葉真司 (あおばしんじ) は10か月以上後に重篤な火傷から回復し、その後の2020年5月27日に殺人などの容疑で警察に逮捕され、2020年12月16日に公式に起訴された。
哀悼の言葉や支援のメッセージが国内外の首脳、ファン、企業から寄せられた。また、日本国内では33億円以上、他国からは230万アメリカドル以上の募金が京都アニメーションや従業員の回復への援助のために集められた。事件の結果、京都アニメーションによる作品や共同作品の完成が遅れ、いくつかのイベントは延期になるか中止になった。
背景
京都アニメーションは日本のアニメスタジオの中でも最上級に評価が高く、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『けいおん!』、『CLANNAD』などの作品で知られる。京都に第1スタジオ (伏見区)、第2スタジオ (本社)、第5スタジオといったいくつかの異なる拠点がある。商品開発部門が第1スタジオから一駅離れた宇治市にある。第1スタジオは主にアニメーション製作スタッフに使用されており、2007年に建てられた。
事件が起こるその年、京都アニメーションには200件以上の犯行予告が送られていた。八田英明社長は、これらの犯行予告は匿名で送られるため、事件と関係するかは不明であるが、警察や弁護士には報告していたと述べている。2018年10月に警察庁に犯行予告を届け出たとき、警察は一時的に本社をパトロールした。
事件
午前10時31分頃、火災が爆発を伴って始まった。このとき、犯人は第1スタジオに歩いて侵入し、40リットルのガソリンで建物に火を放った。犯人はスタジオから10キロメートル離れた場所でガソリンを購入した。犯人は台車を使ってガソリンをスタジオ内に持ち込んだとされる。警察は、撒かれたガソリンは空気と混ざることで、最初に爆発したと考えている。犯人は犯行に及ぶ際に「死ね」と叫んだと報じられている。犯人はガソリンを数名の人にも撒いて火を放った。その過程で自身にも火が付いた。その数名は火を纏いながら通りへ逃げ出すことになった。
玄関付近での火炎が広がり、従業員はスタジオ内に閉じ込められた。20名の遺体が3階から屋上への階段で発見された。明らかに被害者たちが逃げ出そうとしていたことを示している。京都大学防災研究所の西野智研准教授は、爆発から30秒以内に2階と3階は煙でほぼ充満していたと推定している。犯人は犯行現場から逃走したが、2名の京都アニメーションの従業員に追跡され、すぐに通りで倒れ、その場で警察に逮捕された。犯行現場のそばで複数の未使用のナイフが落ちていた。
火災は午後3時19分には抑えられ、翌日の午前6時20分に消火された。救助活動が終了した時点で、スタジオ内にいた全員の消息が確認された。スタジオは小規模事業所と分類されていたため、火災用スプリンクラーや屋内消火栓が設置されていなかった。しかし、2018年10月17日にあった最後の点検では、火災安全コンプライアンス上の欠陥は無かった。初期の報道では、スタジオへの立入りには従業員用パスカードが必要だったが、来客を予定していたため、玄関は施錠されていなかったとされていた。しかし、この報道は正確ではなかった。玄関には保安システムはなく、就業時間中は常に施錠していなかった。
この放火により第1スタジオにあった京都アニメーションの資料やコンピュータのほとんどが破損した。ただし、徳島市で展示中だったキーフレームの一部などは被害を免れた。7月29日、京都アニメーションは火災を生き残ったサーバからいくつかのディジタル原画の復旧に成功したと報告した。
この放火事件は戦後日本では最多の死者を出した大量殺人の1つであり、2001年の明星56ビル火災以来で最多の死者を出したビル火災であると報じられている。立正大学のある犯罪学者 ([訳注]小宮信夫教授のこと) は自殺テロリズムであると見なしている。この事件は被疑者による自爆攻撃と見られると報じられたためである。
被害者
火災が発生した時点で、第1スタジオ内に70名の人がいた。初期には34名が死亡したと報じられたが、後にさらに入院中だった2名が死亡した。京都警察によれば、一部の被害者は識別できないほどの火傷を負っていたため、身元特定が困難だったという。2019年7月22日に公開された検視結果によると、被害者のほとんどが、一酸化炭素中毒ではなく、急速に広がった火炎により焼死したという。DNA鑑定が身元特定の補助に用いられ、放火事件から1週間後まで続いた。被害者の3分の2 (少なくとも20名) が女性だったと報じられた。京都アニメーションは女性のアニメータを雇っていることで知られていた。京都アニメーション社長は警察を通じてメディアに対し、遺族に配慮して被害者の名前を公表しないように求めており、被害者の名前を明かしても公衆の利益にならないと述べている。7月25日、京都警察は34名の被害者全員の身元を特定しており、遺族に対して被害者の遺体の返還を開始していると公表した。
一方で、京都アニメーション内では死者の身元を明かすべきか、いつどのように公表するかの議論が続いていた。遺族の一部は、死者の地位を考慮して、メディアに対して早急に自身の所見を公表した。カラーデザイナーだった石田奈央美の遺族は7月24日に石田の死亡を確認した。アニメータ、脚本、監督を務めた武本康弘は7月26日にDNA鑑定により遺族に死亡が確認された。7月27日、最初に火災後の死者が出た。これにより、死者数は35名となった。8月2日、京都警察は10名の被害者の名前を公表した (前述の死者も含む)。なお、この10名は葬儀を終え、遺族の承諾が得られていた。同日、死者の中からアニメーション監督の木上益治、西屋太志が確認された。8月27日、事件の社会的影響が要因となり、残りの25名の被害者が公式に発表された。2019年10月4日、女性1名が敗血症性ショックにより死亡したと公表された。これにより、死者数は36名となった。
初期には36名の負傷者が出たと報じられたが、後に入院中の2名が死亡したため34名に減少した。9月18日には34名の負傷者全員が重篤な状態を脱していることが報じられた。数名はまだICUで重度の火傷を治療していた。韓国外務省によれば、負傷者のうちの1人は韓国人女性だったという。無事を報告された人の中にはアニメーション監督の山田尚子 (『けいおん!』、『聲の形』、『リズと青い鳥』を監督した) が含まれた。
犯人
青葉真司 (41歳) は警察により被疑者であると特定され、逮捕状がすぐに発行された。
地元住民によれば、青葉と似た男が事件の数日前に第1スタジオの近くで目撃されたという。事件の数日前に京都市周辺の『響け!ユーフォニアム』と関係するいくつかの名所を訪れていたとも報じられた。事件からすぐに、青葉はスタジオの従業員に追いかけられて犯行現場を逃走したが、スタジオから100メートルほど離れたところにある京阪電鉄六地蔵駅付近で京都府警察により逮捕された。青葉は両脚、胸、顔に重度の火傷を負っており、病院に搬送された。
病院へ搬送中、青葉は放火したことを認めた。おそらく復讐を目的としており、「パクりやがって」と言って自身の小説を盗作したと京都アニメーションを非難した。しかし、八田は初期に、自社が毎年開催している執筆コンテストに青葉の名義で投稿された作品があるという記録はないと述べていた。後に、京都アニメーションは青葉から草稿を受け取っていたことを明らかにしたが、その小説は第1審査を通過せず、忘れ去られており、その内容が自社の公表作品とは何の類似性もないことが確認されたという。後に、青葉は『ツルネ』の第5話での割引の肉を買う場面が、自身が投稿した小説と類似していると考えていたことが明らかになった。
事件中で負った重度の火傷により、青葉はさらに治療を受けるため大阪市の大学病院へ移送された。青葉はその病院で必要な皮膚移植手術を受けた。2019年9月5日、青葉の負傷は重篤な状態を脱していると報じられたが、その時点でもICUでの治療を続けており、人工呼吸器による呼吸の補助を必要としていた。9月18日に青葉は話せるようになり、10月8日までにリハビリを開始し、車椅子に座ることや短い会話が可能になった。警察は青葉の逮捕状を受け取ったが、医師から留置に耐えられると確証を得るのを待つ必要があった。
2019年11月14日、青葉は最後のリハビリのため京都市の別の病院へ転院した。ほとんどの負傷から回復し、放火したことを認めた。自責の念と病院の職員への感謝の気持ちを表しており、病院の職員は人生で誰よりも自分を良く扱ってくれたと述べている。一方で、警察に対し、放火したのは京都アニメーションが自分の小説を盗作したためであり、死刑になることを望んでいると述べている。被害者にドナーから提供された人間の皮膚の移植を優先したため、青葉の火傷のほとんどは実験用人工皮膚が移植された。人工皮膚をそれほどの広範囲の火傷の治療に使用したのは日本では初の事例である。
2020年1月まで、青葉は入院し続けており、立ち上がったり補助なしで食事したりすることができなかった。2020年5月27日、青葉は火傷から十分に回復したと判断され、正式に殺人などの容疑で逮捕された。2020年12月16日に殺人などの罪で起訴された。
青葉には犯罪の前科があり、精神障害も患っていた。2012年、茨城県でコンビニエンスストアにナイフを持って強盗に入り、その後に3年半の間投獄されていた。精神障害を理由に最大刑は死刑から無期懲役に減刑されると推定されている。
余波
放火事件から1か月後、被害者たちは職場復帰を開始し、京都アニメーションの他のスタジオへ戻った。2019年10月現在、京都アニメーションの従業員は176名から137名に減少したが、生き残った33名のうちの27名が職場復帰し、数名は事件によるストレスや不安に対処すべく休暇を延長した。
京都アニメーションは公式声明を発表し、声明中で被害者やその家族への配慮を求めた。また、将来の声明は警察か弁護士を通じて発表するとも述べた。第1スタジオの取り壊しは2020年4月28日に完了した。跡地に関するその後の計画は発表されていない。京都アニメーションの八田英明社長は、初期のインタビューで、第1スタジオ跡地を緑地の公園にして記念碑を建てることを考えていると述べていた。しかし、近隣住民は平穏な生活を破壊するだろうという理由で記念碑の建立を望まなかった。
復興活動のため、京都アニメーションは第11回京都アニメーション大賞を中止した。これは新しいシナリオを発見する目的で毎年開催されていた。
2019年11月、京都アニメーションはアニメータ志望者へのトレーニングプログラムを続けることを決定した。このプログラムでは、受講者は動画やスケッチ、アニメーションの訓練を受けることができる。プログラムを修了するとすぐに、際立って優秀な受講者は追加で試験を受けた後、京都アニメーションに就職できる。
製作への影響
この事件により、2020年公開予定だった映画『フリー!』の広報イベントが中止となった。京都アニメーションによる京阪本線との『響け!ユーフォニアム』の合同イベントは延期された。『妖怪人間ベム』の第4話も延期された。デイヴィッドプロダクションによる『炎炎ノ消防隊』(消防士と自然発火による死者を描いたアニメシリーズ) の第3話は1週間延期され、火炎の色やナレーションが修正されて公開された。『炎炎ノ消防隊』のその後のエピソードも同様の方式で製作された。京都アニメーションは2019年8月3日のドイツのAnimagiCコンベンションでの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の初公開を元の予定通りに押し進めることを決定した。日本国内での劇場放映日は1週間多く延長され、エンドクレジットでは犠牲者を悼む旨が追加された。初期のニュース報道では公開予定の映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の初公開は2020年1月10日を予定していると報じられていたが、後に2020年4月24日に延期すると告知された。しかし、COVID-19の流行により、初公開は2020年9月18日に再度延期された。『アニ×パラ』のエピソードは当初、2019年8月に放映される予定だったが、最終的に2020年2月28日に中止が告知された。2020年パラリンピックまでに完成できそうにないという理由だった。
再発防止策
消防庁と警察庁は2019年7月25日に通告を発行した。ガソリンスタンドに対し、防火規則に従う詰替可能容器でガソリンを購入した人の販売記録を保持するように求めるものである。この記録は購入者の氏名や住所、購入理由、購入量などの個人情報を保管するためのものである。この通告に法的な裏付けはなかったが、ほとんどの購入者はこの追加の要求に自主的に従った。この方策は関連法制の改正により正式なものとなり、2020年2月1日に発効してガソリン販売の記録は義務化された。事件後、京都市消防局は放火やテロリズムの際の避難のためのガイドラインを策定し、避難梯子の設置を促進した。
事件により、日本の警察は他の企業 (特にカラー、スクエアエニックス、アニメイト、『CLANNAD』の開発企業であるKey。どの企業も事件に対して言及し、京都アニメーションで参照されたものと同じ犯行予告を受け取っていた) に対する犯行予告により警戒するようになっている。警察は犯行予告の出本を特定することが可能であり、さらなる事件がこれらの企業に起こる前に犯行予告を送った人物を逮捕した。
追悼
事件の1年後である2020年7月18日、追悼映像が公開された。京都アニメーションは追悼式典を開催することを考えていたが、日本でのCOVID-19の流行により取り止めにした。同じく、2021年7月18日午前10時30分、京都アニメーションは人々の気持ちを共有する場を設けるため、YouTubeチャンネルで13分間の映像を配信した。その映像では京都アニメーションや従業員、遺族からのメッセージと感謝の言葉が流れた。京都アニメーションはファンに対し、地元住民の要望を尊重して事件があった日に第1スタジオ跡地を訪れないように求めた。
反応
京都アニメーションは2019年7月23日から2019年12月27日にかけて、地元の銀行口座を通じて犠牲者を援助するための直接の寄付を受けた。最終的に、銀行口座での寄付額は約33億円に達した。この寄付金には、日本のミュージシャンであるYoshikiやゲーム開発企業のKeyからそれぞれ受け取った1千万円の寄付も含む。京都アニメーションは被害者や影響を受けた家族の援助、京都アニメーションに関連する事業の復興のための費用の補填に、100億円もの金額を必要としたと推定された。2019年11月現在、京都アニメーションは被害者に向けて設立された基金の給金を開始しており、これにより負傷の重さ、家族の唯一の稼ぎ手であるかなどの様々な要素を考慮して被害者1人1人が適切な金額の給付を受け取ることになる。
国内
安倍晋三首相は哀悼の意を表明し、事件の規模に言葉も出ないと述べた。日本企業の歴史上初めて、京都アニメーションに対する寄付の非課税を許可する法案が国会を通過した。中国、フランス、フィリピン、ベルギーの大使はそれぞれ自身の言葉で哀悼の意を表した。
アニメ監督の新海誠やたつき、『けいおん!』出演声優の豊崎愛生、『涼宮ハルヒの憂鬱』出演声優の平野綾、茅原実里、後藤邑子、『氷菓』の著者の米澤穂信、『CLANNAD』開発会社のKey、メディア会社のKADOKAWAなど、その産業に関連する多くの人々や組織が懸念や援助を表明した。シャフト、サンライズ、バンダイナムコピクチャーズ、東映アニメーション、ボンズ、カラー、トリガー、ウォルト・ディズニー・ジャパン、マッドハウスなどのアニメーションスタジオも援助を申し出た。
アニメ、テレビゲーム、漫画を取り扱う日本の主要な小売企業であるアニメイトは、全店舗で被害者を支援するための寄付を募り、9月1日までに3億3千万円の募金を集めた。
海外
蔡英文やアントニオ・グテーレスなどの数名の海外の高官が被害者への援助のメッセージを出した。
放火事件により、アメリカのアニメライセンサー企業であるセンタイ・フィルムワークスにより、GoFundMeアピールが立ち上げられた。75万アメリカドルを目標としていたが、最初の24時間で100万ドルマークを超えた。アピールの終了時には230万ドルを集めた。2019年12月7日現在、センタイ社は京都アニメーションに募金をクレジットカード手数料を除く全額送っている。
ファンたちは京都アニメーションの日本版ディジタルストアで高精度ダウンロード可能画像を購入して直接的に貢献するようになった。従業員が商品を送る必要がないためである。アメリカのライセンス企業のアニプレックス・オブ・アメリカ、ファニメーション、クランチクロールとニコロデオン・アニメーション・スタジオは援助を申し出た。アダルトスイムのアニメを対象としたトゥナミの放送枠は、7月20日の放送で視聴者に対して、センタイ社が立ち上げたGoFundMeへの募金を求めた。